「桐嶋さん、橘社長にはどの車を洗っていただきましょうか?」夕月の声には、これから起きる出来事を楽しみにする響きが混じっていた。涼なら、きっと期待を裏切らないはず。涼はスタッフに向かって指示を出した。「橘社長が洗車する車を持ってきてくれ」ゴミ収集車がゆっくりと近づいてきた。観客席は、まだほとんどの人が残っていた。少数が帰っただけで、大半がLunaの方を興味深そうに見つめている。Lunaが残っているなら、帰るわけにはいかない。汚れまみれのゴミ収集車が近づいてくるのを見て、観客たちは首を伸ばして様子を窺った。そのとき、管制室のスタッフが一枚のメモを受け取り、マイクを通して読み上げ始めた。「先ほどの約束通り、優勝者Lunaには三台の車が贈呈されます。そして橘社長には特別に洗車係として、直々にサービスをご提供いただきます!」高級音響システムで増幅された声が響き渡る。「本日、橘社長にはゴミ収集車の洗車をしていただきます!橘社長に大きな拍手をお願いします!」アナウンスを終えたスタッフは額の汗を拭った。こうするしかなかったのだ。桐嶋家は桜都の名門、橘家も敵に回せない。心の中でつぶやく——どうか怒りの矛先は桐嶋様へ。この下っ端社員にはお手柔らかに。スタッフの声に合わせ、観客席から拍手が沸き起こる。冬真は完全に仕掛けられていた。大型スクリーンは消えることなく、カメラマンとディレクターは明らかにゴミ収集車の洗車の一部始終を生中継するつもりだった。そんな中、楓はまだバイクを押しながら、ゴールを目指して歩いている。バイクを押すのは間違いだった。走っていれば二十分もあれば着いていただろう。今となっては分厚いレーシングスーツを着たまま、バイクを押し続けるしかない。その歩き方は次第に様になっていなかった。「行こう」涼が言った。「臭いぞ、ここは」冬真には、その言葉が自分への当てつけに聞こえた。夕月も冬真の洗車など見る気はなかった。これだけの観衆の前で投げ出せば、笑い者になるのは目に見えている。夕月は涼と共に立ち去った。「Luna、バイバーイ!」悠斗が名残惜しそうに叫ぶ。だが夕月は振り返らず、コロナに乗り込んだ。コースを出ようとした時、楓がサーキットを離れようとするのを、涼の部下たちが制した。「藤宮さん
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