Semua Bab 再び頂点に戻る、桜都の御曹司にママ役はさせない: Bab 471 - Bab 480

526 Bab

第471話

夕月は机の下を覗き込んだ。一体、何が起きているのか?パソコンの画面の中で、冬真は女性用スーツに身を包んだ夕月を見つめていた。こんなにフォーマルな装いの彼女を見るのは初めてだった。髪は後ろで束ね、黒檀の簪が上品に輝いている。柔らかな陽光に照らされて淡い金色に染まった髪の毛先が、白磁のように繊細な頬に沿って揺れていた。夕月は何かを見下ろしているようだったが、冬真の視線も、思考も、彼女の横顔に釘付けになっていた。離婚してからまだ数ヶ月しか経っていないというのに、彼女を見るたびに永遠が一瞬に凝縮されたような感覚に襲われる。定光寺での日々が、永遠とも思えるほど長く感じられたせいだろうか……「夕……」冬真の喉から言葉が絞り出されたが、まるで紙を詰め込まれたように詰まった。だが、すぐに普段の冷静さを取り戻し、「藤宮さん……いや、藤宮リーダーとでも呼ばせていただきましょうか。直人から聞かなければ、あなたが量子科学のトップに就任したことも知らなかった」と、生来の上位者らしい高圧的な口調で、明らかな皮肉を滲ませながら告げた。「なんでそんなところに隠れてるの!?」夕月は声を出さず、口の動きだけで涼に問いかけた。冬真の言葉など、耳に入っていなかった。長身の男が机の下に身を屈めると、狭いスペースが一気に窮屈になった。夕月は画面の中の男を冷ややかな目で一瞥した。彼の出現が明らかに気に障っていた。なぜこのタイミングでビデオ通話?しかも、社長室のパソコンが勝手に冬真からの通話要請に応答するなんて、どういうことだ……画面越しでも、夕月の不快感は冬真に手に取るように伝わった。彼を見たくもない、話す価値すらないという態度が。冬真の呼吸が一瞬止まった。周囲から持ち上げられ、社員たちに囲まれ、家では夕月に心配りされることに慣れていた彼には。今の夕月の眼差しは、まるでゴミ箱に捨てられたゴミを見るかのようで、一目見るのも億劫そうだった。「量子科学と橘グループの提携について、話がある」冬真は意識して、厳かで断固とした口調を装った。ただの業務連絡だ。それ以外の何物でもない!混乱する思考を必死に抑え込みながら、彼は自分に言い聞かせていた。夕月は携帯を手に取った。涼からメッセージが届いていた。机の下にいるというのに、携帯でやり取
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第472話

涼の瞳は陽光に照らされた湖面のように輝き、まるで檻の中に囚われた大型犬のように、夕月を見つめていた。尻尾があれば、今頃きっと風車のように高速で振り回していただろう。夕月は心の中で叫んだ。想定外の展開に心臓が跳ね上がる!!自分の靴先に視線を落とす。まさか、こんなところで……とんでもないことになってるじゃない!!「っ!」慌てて足を引こうとした瞬間、バランスを崩して後ろに倒れそうになる。その時、涼が咄嗟に手を伸ばし、彼女の足首を掴んだ。その温もりが伝わった瞬間、夕月の鼓動が一拍抜けた。デスクの前に引き戻された夕月。彼女は彫像のように硬直し、見開いた瞳の光は宙を彷徨っていた。「夕月、大丈夫か?」突然バランスを崩した夕月の姿に、冬真は思わず画面に手を伸ばしそうになった。無力さが胸に込み上げる。幸い夕月は体勢を立て直したものの、量子科学は社長用の椅子すらまともに用意できないのか。画面の向こうで冬真が密かにほっと息をつく。「今の話の続きを……」夕月は必死に普段の声色を取り戻そうとした。表情を引き締め、少しの動揺も見せまいとする。でも、足首を握るその手の熱さを、無視することなどできなかった!涼は彼女の足首を離すどころか、五本の指にさらに力を込めた。「んっ……!」まるでスイッチを入れられたように、全身が震え、足から腰にかけての筋肉が熱を帯びていく。二十七年生きてきて、まさか自分の足首がこんなに敏感だったなんて——夕月は今まで気付かなかった。彼の手は焼けた枷のように熱く、その熱は心臓まで震わせた。意識は足首に集中して離れない。涼は親指で、ゆっくりと円を描くように彼女の足首を撫でていた。もう……限界……!夕月が机の下を覗き込むと。床に膝をつき、彼女の足を太腿に乗せた涼の表情は真剣そのもので、まるで芸術品でも愛でるかのようだった。顔を上げた涼は、夕月の視線に気付くと、無言で口を動かした。「き・も・ち・い・い?」夕月に伝わるよう、一音一音、ゆっくりと。夕月は彼の唇の動きに見入っていた。声を出さずとも、ただその唇の動きだけで、胸の中を焔が駆け抜けていく。「夕月?」冬真の冷たい声が、彼女の意識を現実に引き戻した。夕月は汗ばんだ額に手を当てた。「どうかしたのか?」
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第473話

今度こそ冬真には明らかだった。夕月の頬が、淡いピンクから艶やかな薔薇色へと変わっていく様子が。薔薇の花びらのように色づく彼女の顔立ち。長い睫毛が幾度も震え、漆黒の瞳には潤んだ光が宿っていた。まるで……恋心に目覚めたような——その考えが脳裏を掠めた瞬間、冬真は思わず目を見開いた。なぜ夕月が突然、自分に対してこんな恥じらいを見せるのか?冬真は書斎の机に座り、目の前の高精細ディスプレイに映る夕月の姿に見入っていた。睫毛の一本一本まではっきりと確認できるほどに鮮明な映像。画面左上の自分の姿が映る小さなウィンドウに目を移す。凌一に山へ追いやられた後、定光寺の住職に頭を剃られた。出家したわけでも帰依したわけでもないため、丸刈りではなく短く刈り上げただけだが。もう一度自分の姿に目を向ける。この数日間で、風に吹かれ日に焼けて肌は浅黒く、少しは痩せたせいか、彫りの深い顔立ちがより際立っている。そうか、夕月はこんな自分の姿に心惹かれているのか!冬真の胸の内で、まるで沸騰した湯沸かしのように泡が立ち上っていく。夕月が自分に惹かれているのなら、少しばかり甘い言葉を投げかけてやってもいいだろう。冬真は咳払いをし、真面目な表情を作る。「……ご安心を。橘グループは量子科学のプロジェクトに全面的に協力させていただく。今日中に担当者を派遣し、私が下山した暁には……」いつもの冷淡な声色を装いながら、「直接お会いして話し合いましょう」「ふぅん」夕月は画面を見つめたまま。瞳に宿る輝きは揺らめいているのに、その視線は何処か遠くを見ているよう。掌に、柔らかな毛並みのような感触。顔を下げると、いつの間にか涼の頭に手が触れていた。シルクのように滑らかな髪が指先を撫で、心をくすぐるような心地よさ。ふと、猫カフェで触れたラグドールの毛並みを思い出す。プロフェッショナルな猫と呼ばれるだけあって、雑種や短毛猫とは全く異なる上質な手触りだった。涼の髪も、そんな感じ。そして涼という人物そのものが、あの日膝の上に収まった青い瞳のラグドールのようだった。優雅で気高く、そして知らず知らずのうちに人の心を虜にしてしまう。「私の時間は限られています。午後三時までには橘グループのプロジェクトチームに来ていただきたい」夕月の声には、画面越しの男
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第474話

冬真は愕然として立ち尽くした後、布団を掻き分け、部屋の中を必死に探した。何も見つからず、いきなり部屋を飛び出すと、冷たい風が廊下を切り裂いた。部屋の外では凌一が配置したボディーガードが立っていた。冬真は咄嗟にボディーガードの襟首を掴んだ。「私の聴診器はどこだ?誰が勝手に触った!」ボディーガードは眉をひそめ、不快そうに冬真の手を払いのける。「冬真様、冷静になってください。何のお話か……」冬真の目が獣のように険しく光る。荒い息を吐きながら詰め寄った。「枕の下にあった聴診器だ。誰が持っていった?」ボディーガードは首を傾げながら思い出した。「そういえば午前中、坊ちゃまが聴診器らしきもので遊んでいらっしゃいましたが」冬真の瞳孔が一瞬収縮した。悠斗が部屋に入って聴診器を持ち出した?このクソガキめ……覚えてろよ!冬真は踵を返し、廊下を駆け抜けた。悠斗は灰色の僧衣を纏い、参拝客に囲まれていた。この数日、本堂の掃除係を任され、その愛らしい姿が思いがけず話題を呼んでいた。写真を撮る者、動画を撮る者。SNSにアップされた映像は瞬く間に拡散し、「#最も可愛い小僧さんに遭遇#」というハッシュタグの検索数は数千万を突破していた。定光寺での心身修養の期間中、冬真に許された仕事時間は一日僅か三時間。その限られた時間を緊急の業務処理に費やすばかりで、悠斗が話題になっているとは知る由もなかった。秘書から送られてきた十万いいねの動画さえ、目に入らないままだった。「悠斗!」冬真の低く冷たい声に、悠斗は肩を震わせた。振り返ると、父親が険しい形相で近づいてくるのが見えた。「パパ……」何か悪いことをしただろうか。不安げな声が喉から零れる。「かっこいい!」「小坊主ちゃん、今パパって呼んだ?お父さんなの?」「お坊さんにも子供がいるの?」「この人、坊主頭だけど明らかにお坊さんじゃないでしょ。やっぱりイケメンは丸刈りでも映えるわね!」悠斗を取り囲んでいた参拝客たちは、冬真の姿に目を輝かせた。しかし冬真から放たれる威圧的なオーラに、その美しい容姿に見惚れながらも、皆が思わず後ずさってしまう。人垣を前に、冬真は悠斗の腕を掴んだ。「こっちに来い」人気のない場所へ悠斗を引っ張っていく。「パパ、痛いよ……」悠斗は眉間に皺を
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第475話

最近は毎日、肥料の世話や豚小屋の掃除、牛や羊の世話までしているせいか、潔癖症も随分マシになったようだ。冬真はゴミの山に屈み込んで探し始めた。傍らで立ち尽くす悠斗を睨みつけ、「何をぼんやりしている?探せ!見つからなければ、今日の飯抜きだ!」事の重大さを悟った悠斗は、恐る恐る散らばったゴミを見つめる。「パパ、せめて手袋……」「探せ!」冬真は声を荒げた。「見つからなかったら、お前をゴミ箱に放り込むぞ!」初めて息子に対して完全に切れてしまった。鋭い眼光を放ち、顔の輪郭さえ険しく尖っている。悠斗は震えながら、息を止めて屈み込んだ。嫌そうな顔でゴミを探りながら、「新しいの買うよ、パパ」と小声で懇願するように言った。そして更に付け加えた。「十個でも買って返すから!」「百個買ったところで、あの聴診器とは違う」冬真は憤りを込めて言い放った。「パパにとって、そんなに大切なの?」悠斗が小さな声で尋ねる。冬真は動きを止めた。唇を固く結び、ゴミの山を掻き分けながら、しばらくの沈黙の後に漸く口を開いた。「ああ、私にとって、かけがえのないものだ……」それ以上は何も語らず、二人でゴミ箱の中身を全て探したが、聴診器は見つからなかった。悠斗は後頭部を掻きながら、「朝に捨てたんだけど、もしかしてもう回収されちゃった?」冬真の拳が震えるほど強く握られ、引き締まった腕の血管が浮き上がる。秘書に電話をかける。「……定光寺の下にあるゴミ処理場に人を差し向けろ。聴診器を探させろ」眉間に深い皺を寄せながら続ける。「……人手を増やせ。見つけた者には200万円の報酬だ」電話を切り、不安げに自分を見つめる悠斗に向き直る。「お前はここに立って反省しろ!」悠斗の目から一気に涙が溢れ出した。「うっ!ごめんなさい、パパ!うぅ……」父親の前で大声で泣くことも出来ず、小さな唇を噛みしめながら忍び泣く。華奢な肩が震える様子は、余りにも哀れだった。「悠斗くん?どうしたの?誰かいじめたの?」雲珠が駆け寄ってきた。雲珠は質素な身なりで、赤いボランティアのベストを着ていた。山に上がる時、化粧品を持ってくるのを忘れ、すっぴんのままだった。以前より十歳は老けて見える。お参りに来た旧友たちに会った時も、顔を合わせる勇気すら出なかった。「おばあ
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第476話

冬真は母親が自分の恋愛に首を突っ込むのが煩わしかった。夕月との離婚も、雲珠の余計な介入が一役買っていたはずだ。「叔父上が安井家の面倒を見ていたはずです。確か安井家のお嬢様は叔父上の推薦状で留学したんじゃないですか?」「そんな昔の話よ」雲珠は手を振った。「安井家のお嬢様はM国で随分成功なさったそうよ。帰国後は楼座グループの量子科学にお勤めになってるわ」立ち去ろうとした冬真の足が、その言葉で止まった。「どういった役職に?」雲珠は内心で喜んだ。冬真が興味を示したと思ったのだ。「楼座雅子さんが相当評価してらっしゃるみたいで、たしかトップの座に就くという話だったわ」トップは夕月のはずだが——冬真の頭の中で素早く計算が動いた。夕月の立場は磐石ではないということか。M国エリート大学卒で、海外の金融誌でも取り上げられている安井綾子。しかも背後には叔父上がいる。バックグラウンドも実務経験もない夕月にとって、相当なプレッシャーになるだろう。「来週、寺を出る時に会わせてください」冬真の声は冷たく響いた。雲珠は狂喜した。今すぐにでも安井家に連絡を取り、綾子との面会を手配したい気持ちだった。「ええ、すぐに段取りを整えるわ」*量子科学:夕月は足で床を蹴り、オフィスチェアのキャスターに身を任せて後ろへと滑った。デスクの下にひざまずく男に向かって言う。「もう出てきて」涼は手を上げ、額にかかった髪を払いのけながら、さっき夕月に触れられた感触を思い出していた。口角がふっと上がる。「少し……時間をくれ」「……」夕月の視線が、彼の下半身へと流れた。肘掛けに置いた指先がぎゅっと内側に曲がり、爪が革の表面に刻まれた模様を引っ掻く。軽く咳払いをして、「ごめんなさい……」涼は彼女に向かってウインクを送り、「こんな反応になっちまって、俺の方こそ悪かった」言葉が終わらないうちに、夕月が口を挟む。「でも私にも責任があるわ」涼は唇の端を上げて低く笑う。「かなり時間がかかりそうだ。夕月さんの貴重な時間を随分と奪ってしまって、悪いな」夕月は慌てて視線を逸らし、「私と橘冬真のビデオ通話の時、なぜ隠れたの?私たち、人目を忍ぶような関係じゃないでしょう?」涼の顔には、まだ興奮の余韻が残っていた。まさか、髪に触れられただけ
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第477話

桐嶋涼という男は、一言で言えば「とどまることを知らない」存在だった。腹部から走る痙攣に、体の疼きを感じる。初夏の午後のオフィスの空気さえ、むせ返るように湿り熱くなっていた。背筋を電流が走ったかのように、尾てい骨から快感が広がっていく。微かに開いた唇から吐息が漏れ、夕月は涼という男への興味が膨らむのを感じていた。「どうして、あなたみたいな人が私のことを……」頭上から夕月の声が降り注ぐ。「俺みたいな人間?それってどんな人間だと思ってる?」涼は顔を上げた。まるで彼女に何をされても構わないとでも言うような、無防備な表情で。オフィスチェアに座った夕月は、目の前で跪く男を見下ろした。その視線の先で感じる支配的な快感に、胸の奥が切なく疼いた。上位者として男を見降ろす感覚は、今まで味わったことのない甘美な戦慄を呼び起こす。まるで無数の蝶が羽ばたくような、そんな震えが胸の中を駆け巡った。目の前の男が見せる従順な姿は、まるで「好きにしていい」という無言の誘いのようだった。彼は既に床に膝をついている。どんなことをしても——彼は決して拒まないだろう。「桐嶋さんって、自分がどれだけ素敵な人か分かってないでしょう?」夕月の声には軽い冗談めいた色が混じっていた。星空のように輝く瞳に笑みを湛えながら、涼は「夕月さんこそ、自分の魅力に気付いていないんじゃないかな」と、彼女の言葉をそのまま返した。「あなたに比べたら、私は……」「夕月さん」彼の声音が柔らかくなる。「人生の歩む速さは、誰もが違うものさ。早い人もいれば、ゆっくりな人もいる。どこまで登りつめるか、何を成し遂げるか——それは最後の最後まで分からない相応しいとか相応しくないとか、そんなことを気にするのは凡人の考えだ。愛に必要なのは、好きか嫌いか、それだけさ」涼は彼女の細い脚を優しく手の中に包み込んだ。「こうやってキスするの、好き?」答えを待たずに、彼は続けた。「俺は好きだな。この角度から見える君の震える睫毛も、上下する胸の動きも、緊張で強張る脚も……少しずつ蕩けていく表情も」唇の端を上げながら、「俺の愛し方っていうのは、相手を喜ばせることに尽きるんだ。まあ、サービス精神旺盛ってことかな」話している最中、オフィスのドアがノックされた。夕月は、このまま涼が姿を
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第478話

桐嶋涼という男は、本当に恐ろしい。だが夕月はそれを不快に思わなかった。これこそが彼らしい手段ではないか。彼が生活の中に頻繁に姿を現し始めてから、その周到な策略は見え透いていた。秘書が去り、夕月はオフィスチェアに座ったまま少し後ろに下がった。「もう出てきて」命令するような口調で告げる。冷静さを取り戻した声で続ける。「もう大丈夫でしょう?」狭い机の下から這い出てきた涼は、笑みを湛えた瞳で尋ねた。「楽しかった?」「危うく心動かされそうになったわ」夕月は思わず口にし、その声には茶目っ気が混じっていた。「じゃあ、まだ動かされてないってことか」涼は少し落胆した様子を見せながら、身を乗り出し、囁くように続けた。「さっき触った時の感触は、どうだった?」夕月は輝く瞳を向け、認めざるを得なかった。「予想以上に……良かったわ」二人の距離は、以前のような他人行儀なものではなくなっていた。夕月は今では普通に彼の名前を呼ぶようになっている。だが今、わざと「桐嶋さん」と呼び、その声音には明らかな意味が込められていた。涼には分かっていた。夕月が彼の策略を見抜いたことを。机の下に潜り込んだのは、吊り橋効果を狙った計算だと。緊張感から生まれる高鳴る鼓動を、恋心と勘違いさせる古典的な手法だと。策略がばれたことへの後悔と共に、自身の心臓も激しく脈打つのを感じる。困ったな——夕月の心は動かせなかったのに、自分の方が更に惹かれていく。喉仏を鳴らしながら、涼は掠れた声で言った。「触りたい時は、いつでも構わないよ」「ちょっとあなたの手を借りたいことがあるの」夕月が切り出した。涼は一瞬戸惑いながらも、すぐに手を差し出した。「どうぞ」頬を僅かに染めながら、「消毒、必要?」と尋ねる。夕月は首を振る。「潔癖症じゃないから」キーボードを涼の前に移動させながら言った。「あなた、IT技術に少し詳しかったわよね。楼座雅子の社長室のコンピューターにハッキングしてもらえる?」なるほど、彼の手を借りるというのはそういう用途か。がっかり!それでも涼は快く引き受けた。「喜んで」ITに関して彼は「少し詳しい」程度ではなかった。何かに、ある業界に興味を持った時、必ず全身全霊で飛び込んでいくのだ。しかしその仕組みをすぐに習得し、短期間でそ
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第479話

社長室のドアが、さらに激しく叩かれる。雅子の上に覆い被さる男は、むしろその音で昂ぶりを増したように見えた。熱に浮かされたように彼女の頬に唇を這わせ、離そうとしない。「チッ」雅子は舌打ちし、男を押しのけた。不機嫌な表情を目にした途端、男の動きは収まった。その一部始終が、全社員のパソコンに映し出されていた。まさに、目の前で繰り広げられる社内スキャンダル。これは何かの流出した動画でもなければ、真偽を確かめる必要もない。彼らは今まさに、ライブ配信を目撃していたのだ。男性アシスタントは丁寧に雅子の服を整え、スカートのシワまで伸ばした。雅子の身なりが整ってから、ようやくドアに向かう。防音性の高い社長室の扉が開くと、総務秘書の顔がさらに青ざめた。これがAIによる偽装動画などではなく、紛れもないライブ配信だと悟った瞬間だった。「何があったの?」雅子は平然と尋ねた。頬は薔薇色に染まっているものの、執務室で男を弄ぶことが秘書に知られても何とも思わない性質だった。秘書の表情が曇る。何か言いたげな様子だが、言葉が喉まで出かかっては飲み込まれていく。「社長、あの、執務室のパソコンがハッキングされまして……」声が途切れ、震えている。雅子は首を傾げ、モニターの方を振り向いた。その横で、イケメンアシスタントが悠々とスマートフォンを取り出す。だが、届いたメッセージを確認した途端、血の気が引いた。「社長!私たち、終わりです!」慌てた表情で雅子を見つめるが、それ以上の言葉が出てこない。違和感を覚えた雅子が「具体的に何が起きたの?」と問う。秘書は覚悟を決めたように告げた。「執務室のカメラが遠隔操作で起動されて……先ほどの出来事が、全社員の目に……」慌てて付け加える。「ご安心ください!秘書課で今、機密保持契約書を準備しています。全従業員に署名させ、携帯の中身も確認します。社長に不利な情報が完全に消去されるまで、誰も帰さないようにします」雅子は携帯を手に取った。会社で何が起きたのか、おおよその察しがついた。だが、その表情には怒りの片鱗すら見えない。どんな嵐が吹き荒れようとも、動じる様子はなかった。「私のパソコンに侵入した者を、徹底的に洗い出しなさい」凍てつくような声音に、殺気が滲んでいた。*量子科学:夕
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第480話

意図的な探り合いのような会話を楽しみながら、涼の次の一手を期待に満ちた瞳で待った。彼は長い間夕月を見つめ、その真意を測るように瞳を揺らめかせる。結局、心を奪われていた方が先に白旗を上げた。「何でも、君の望むものを――」涼は丁寧にお茶を淹れ始めた。その優美な所作に、夕月は目を奪われる。まるで茶道の心得があるかのような美しい手つき。夕月はデスクに戻り、資料に目を通しながら、何かを待つような余裕を持って微笑んでいた。涼は淹れたお茶を軽く吹き、温度を確かめてから彼女に差し出した。香り高いお茶の蒸気が立ち昇る。一口啜った夕月の表情が、ふっと緩んだ。その時、モニターに再び雅子からのビデオ通話の着信が表示される。夕月は穏やかな笑みを浮かべながら通話を受け入れた。優しい眼差しで画面の中の雅子を見つめる。夕月の瞳に潜む笑みに気付き、雅子は一瞬たじろいだ。この通話を予期していたことは明らかだった。雅子の眉が挑むように上がる。まるで興味深い獲物を見つけた猟師のような表情だ。その瞳には、戦意の炎が灯っていた。「安井とは話をつけました。私の意図を誤解していたようで。社長室の接続キーの権限も、既に彼女から回収済みです」これで許してくれるでしょう——そんな意味が言外に込められていた。もちろん、この譲歩の見返りは十倍にして搾り取るつもりだろう。「橘グループとの交渉も順調と聞いていますわ。橘冬真が積極的に協力を推進しているそうね。まあ、元夫だもの、情があるのは当然。今後も便利でしょう」夕月は退屈そうに言葉を切った。「要件だけおっしゃっていただけます?私は忙しいので」「五ヶ月!」雅子の声が鋭く響く。「五ヶ月後に自動運転トラックの実証実験の市政評価があります。藤宮リーダー、楼座グループと市にとって、満足のいく結果を期待していますわ」「賭けをしませんか、楼座社長」夕月の声は静かに響いた。その言葉に涼の視線が鋭く注がれる。夕月の唇が優雅な弧を描く。まるで巨人が足元で石を投げる蟻を見下ろすような余裕があった。「忠告しておきますが」雅子の声が低く響く。「私が楼座グループを継いでから、数えきれないほどの人間が私と賭けを持ちかけてきました。結果は全て、私の勝利です」自信に満ちた表情が画面越しでも伝わってくる。「た
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