「それじゃ、行ってくる」披露宴会場前のロビーで、慎さんが振り向いて小さく手を振った。まだ少し照れを残した表情に、少しの不安も混じり合わせて複雑な顔だった。だけど多分、俺の方がずっと狼狽えた顔をしていたと思う。ついさっき慎さんに耳元で囁かれた言葉に、なんて返すべきかおろおろしているうちに、受付前まで来てしまって。それ以上に、この披露宴を慎さんが嫌な思いをせずに乗り切れるだろうか、それも心配で。どれだけ心配しても仕方ないことは重々理解していたから、結局出た言葉は。「ここで、待ってます」と、それだけ。もっと何か、彼女を力づけるような言葉を言えば良かったとすぐに後悔したけれど、そんな言葉も浮かばなかった。彼女の後姿を見ながら、背筋伸ばしてちゃんと歩けてるとか、ヒールに慣れてないけど大丈夫だろうか、とか心配は尽きなくて。ただ、はらはらしながら見送った。ロビーは広くて、ところどころにソファも設置してあり待機する場所がないわけではない。かといって、フロント前のロビーのようにチェックインやチェックアウト待ちの人間がいるわけでもないから、この場にとどまっているのは俺だけだった。立っても座っても落ち着かず、無意味に歩き回ったりしているうちに時間は経過して、漏れ聞こえる音で披露宴が始まったのだと理解する。それからまた暫く時間が過ぎても、手に持っている携帯にはなんの連絡もないし、彼女が逃げ出してくる様子もない。六年ぶりに幼馴染の顔を見るのだ、動揺しないだろうかと心配したけれど。とりあえず、今のところは大丈夫のようだ、と少し気が抜けた。途端に、頭の中でリピートされたのは―――もしも、今日僕が途中で逃げ出さないで最後まで披露宴を終えて戻ってきたら 今夜、貴方の部屋に泊めてくださいさっきの、慎さんの囁きだった。―――その時は陽介さんも、今度は途中で逃げ出さないでくださいねそれは明らかに、あの日トイレに逃げ込んだ時のことを示していて、彼女があの出来事を随分気にしていたのだと気が付いた。多分、俺が心配したのとは違う意味で。自分のせいで俺が逃げ出したのだと、彼女はずっと気に病んでいたんだろうか。このところの誘惑は、焦りだけでなく俺への申し訳なさ?彼女がそんな引け目を持つ可能性は、ちょっと考えればわかることなのに。多分、その重さを俺は理解してな
Last Updated : 2025-09-11 Read more