All Chapters of 王子様じゃなくてもいいですか?: Chapter 51 - Chapter 60

64 Chapters

第51話 Lunchtime War

 午前中の授業が終わり、教室が騒がしくなる。 朝から疲労困憊な私は、机に突っ伏し、しばらくぼーっとしていた。由香里ちゃんが振り向いて、前の席から腕を伸ばし、優しく頭を撫でる。「凜くん、お疲れ~。私もめっちゃ疲れた……ご飯どうする? 私お弁当だったんだけど、朝の騒動で壊滅的状況」 その言葉に小さく笑う。「私もだよ。購買にでも行く? あ……でも……」 そういえば、私、瀬戸先輩とお昼食べる約束してるんだった。(先輩、どう……するんだろう……) 江崎先生の仲裁で話し合う姿勢を取ってくれたけど、ふたりきりは不安も残る。たぶん私じゃ瀬戸先輩を止められないし、場所によっては逃げ出すのも難しい。 そんなことを考えていると、由香里ちゃんが肩を叩いた。顔を上げると、廊下を顎で指して呟く。「凜くん、あれ……」 その視線を辿れば、廊下の窓際に瀬戸先輩が立って、じっと私を見つめていた。その眼差しが真っすぐで、どきりと心臓が跳ねる。視線が合うと、ふわりと微笑んだ。それがあまりに可愛らしくて思わずうなってしまう。「ぐぅ……っ、先輩、あざとすぎる……!」 それを見て、由香里ちゃんが呆れた声を出した。「なんだかんだ言って、凜くんも瀬戸先輩好きだもんね。最初はお人好しな間抜け、なんて思ってたけどさ。凜くんは、見た目で判断される苦しさを知ってた……それなのに私は……」 暗くなる由香里ちゃんに、私は慌てて首を振る。「そんな風に言わないで。今はこうして、友達になってくれたんだもん」 そっと小さな手を握ると、頬がうっすら色ずいてはにかむ。「うん、ありがと。私も、凜くんのこと知れて嬉しいんだ。ただの『王子様』じゃない凜くんをね」 ふたりで笑い合っていると、廊下から焦れたような声が響いた。「凜ちゃん! お昼、一緒に食べよ。約束、まだ有効だよね?」 そう言って掲げた腕には、購買の袋が下がっている。妙に膨れたそれを示しながら、上を指さす。「屋上、行こう。ちゃんと話したい」
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第52話 屋上の秘め事

 私達は4人で屋上に上がり、給水塔の影に陣取った。そこは人目につかず、落ち着いて話ができる場所だ。最初はみんな話のきっかけを掴めずに、視線だけが交差して、無言が続く。 その沈黙を、瀬戸先輩が破る。「最初に謝らせて。凜ちゃん、いきなりあんなことして……ごめん……」 そう言って胡坐をかいたまま、深く頭を下げた。「俺、凜ちゃんのこと思い出して、燻ってた10年間の想いが弾けたみたいになってさ……ずっと、探してた誰かを見つけることができて、本当に嬉しかったんだ。朝も言ったけど、誰にも取られたくなくて、宣戦布告……みたいな? ことしちゃった……凜ちゃんの気持ち考える余裕もなくて、ほんと、ごめん」 落ち着けば、こんなにも誠実な人なんだな、瀬戸先輩って。ちゃんと目を見て話してくれるし、誤魔化す事をしない。なぜ、手の付けられない不良みたいに思われているんだろう。「だけど正直に言えば、今もめっちゃキスしたい!」 にじり寄る瀬戸先輩に、由香里ちゃんが立ち塞がった。「アホですかあんた!? 今謝ったばかりで何言ってんの!?」 いや、うん。私もどうかと思う。私が口を開こうとすると、日下先輩が勢いよく手を挙げる。「はい! 次俺の番! 由香里ちゃん、いきなり追い回すようなことして、ごめんね。俺、本気だから。本気で好きだから、俺の彼女になってくれないかな……?」 今度は日下先輩がにじり寄り、私が由香里ちゃんを背中に庇った。「ちょ、ふたりとも落ち着いてください! これじゃ朝と変わらないでしょう? 江崎先生に言われて、分かったって言ったじゃないですか!」 ふたりはぐっと唸り、ポツリと零す。「それは……分かってる……分かってるけど、俺の気持ちも分かってよ、凜ちゃん。昨日、凜ちゃんを想いながら何回抜いたと思う? 5回だよ? 5回!」 いきなり猥談を始める瀬戸先輩に面食らい、顔が熱くなってしまう。「ちょ、何言って……!」 それでも瀬戸先輩は止まらない。「滅茶苦茶気持ちよくて、全然終わんないの……こんなの初めてで、どうにか
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第53話 純情

「お、落ち着いて! さっきまでの殊勝な態度はどこ行ったんですか!?」「そうよ! そっちがその気なら、大声で叫んでやるからね!? あんた達、信用無いんだから退学になるかもよ!?」 由香里ちゃんと手を取り合って、どうにかこの状況から逃げ出そうと試みる。だがしかし、先輩達はこれを予期していたのか、私達を給水塔側に座らせていた。背後にそびえる給水塔、前にはふたりの先輩が息を荒くして迫っている。 吐息がかかるほどの近距離に怯える私達に、瀬戸先輩の表情が苦悶に歪む。「分かってる……我慢……してる……から……逃げないで」 切なげに言う瀬戸先輩は、私だけを見つめていた。日下先輩の様子にも視線を向けると、一心に由香里ちゃんを見つめ、唇を噛み絞めている。お互いに押し留めるようにして、シャツを掴み引き合っているのが見えて、その気遣いに胸がきゅうっと鳴る。「凜くん! 絆されちゃダメ!」 由香里ちゃんの声にハッとして身を引いた。そんな私の行動に、瀬戸先輩はふわりと微笑む。「うん……それでいいよ……ありがとう……お前も、朝は悪かった……凜ちゃんの友達なら、俺も優しくしないとね」 意外な言葉に、由香里ちゃんが息を呑む。 先輩達は深呼吸を繰り返し、何故かお互いを殴り始めた。「へ?」 間抜けな声が漏れると、瀬戸先輩が少し落ち着いた表情で笑う。「気にしないで。気を紛らわせてるだけだから」 そんなこと言われても、目の前で殴り合われて気にしないなんて、無理に決まってる。なんだか、ヒートアップしてる気もするし。 どうしたらいいのか分からずオロオロしていると、由香里ちゃんが溜息を吐く。「バッカじゃないの。そもそも、こんな場所で話し合いって言うのが間違いなんじゃない? 人目があった方が、あんた達も下手なことはできないでしょ」 至極真っ当な事を言うも、先輩達は首を振る。「それは……その、今後のためにも、待てを覚えなきゃいけないなって、せとっちと話して……今でもこうなんだよ? 時間が経てば悪化するのは目に見えて
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第54話 M

 ひとしきり笑って、私は瀬戸先輩に向き直る。「ごめんなさい、嬉しい……って言うと、変な感じですが……私達のこと、ちゃんと考えてくれてるんですね。確かに、そういうのって男女差は大きいでしょうし、私は少しでも瀬戸先輩のこと、知りたいって思います。その……『そういうこと』も含めて」 照れくさくて視線を伏せながら言うと、瀬戸先輩はぱぁと表情を輝かせた。「凜ちゃん……! ありがとう、俺、嫌われないように頑張るから!」 そう言いながら、私の手を握り絞める。それが本当に嬉しそうで、思わず私も笑みが零れた。 その隣では、日下先輩が必死に由香里ちゃんを口説こうと奮戦している。「由香里ちゃんも、新堂さんと同じように思ってくれたのかな? そうだと嬉しいんだけど。俺、ちゃんと大事にする。浮気もしないし、好物件だと思うんだけどどうかな!?」 それに対し、由香里ちゃんは鼻で笑う。「はっ、私と凜くんじゃ前提条件が違うでしょうが。どっこも重なってないのに、瀬戸先輩と同じ土俵に上がろうなんざ、100万年早いっての」 けんもほろろに言われ、日下先輩は涙目で縋りつく。「なんで!? 俺カッコいいでしょ!? これでもモテるんだよ!? 何がダメなの!?」 日下先輩は確かにかっこいい。背も高くて、がっしりとした筋肉質な体躯は女の子が好きそうだ。でも由香里ちゃんはジト目を向ける。。「自分でモテるとか、おめでたいわね~。私にも好みってものがあるの。見た目だけでホイホイついて行くと思わないでくれる? そういうの、私嫌いなんだよね」 それは、今まで心ない噂で傷ついてきた、由香里ちゃんらしい言葉だった。「ほんとに私が好きだって言うなら、まずは口説いてみなさいよ。見栄も、恥もかなぐり捨てて……できるもんならね」 だけど、その言葉は日下先輩の火に油を注ぐ結果となる。「へぇ……じゃあ、遠慮しないでいいってこと? せとっちみたいに、我慢しなくていいってことだよね」 そう言うと、ずいっと顔を近づけ、由香里ちゃんの唇に軽く触れる。「!?」
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第55話 土俵入り

「ちょっと! ふたりとも笑ってないで助けてよ! 瀬戸先輩の友達なんでしょ!? こいつどうにかして!」 私の背中に隠れながら、由香里ちゃんは吠えるように叫ぶ。それすらも楽しみながら、日下先輩は由香里ちゃんに迫った。「その声もいいね……思いっきり鳴かせてみたいな……」 その手が触れる寸前、瀬戸先輩が割込んで肩を掴み制止する。「おい、それ以上凜ちゃんに近づくな」 日下先輩は口を尖らせ、不満げに抗議の声を上げる。「えー、別に俺は新堂さんに興味ないんだけど? 由香里ちゃんがその後ろにいるんだから、しょうがないだろ?」 だけど瀬戸先輩はその手を離さず、ぐいっと引っ張った。「んなこた分かってんだよ。分かってるうえで言ってんの! そいつは凜ちゃんの友達なんだから、俺にも留める権利あるぞ。凜ちゃんに泣いてほしくないからな」 そう言うと、日下先輩は口を尖らせブーイングを飛ばす。大きい体に見合わず、言動が幼い人だな……瀬戸先輩の友達なだけあるというか、どこか似た雰囲気をまとっている。「なんだよ、それ! お互い邪魔はしない約束だろ!? そんなこと言うなら、俺だって由香里ちゃんのためにお前止めるけど? それでもいいの?」 瀬戸先輩は呆れながら、べしっと日下先輩の頭を叩く。「バカか。さっき、そいつも言っただろうが。俺とお前じゃ、立ってる土俵が違うんだよ。まだ知り合いでしかないお前と、両想いな俺。雲泥の差なのは明白だなぁ?」 得意げに胸を張る瀬戸先輩に、私は少し気恥ずかしくなって頬が熱くなる。そりゃ、そうなんだけど、改めて口にされるとくすぐったい。 由香里ちゃんも瀬戸先輩の言葉に乗って、べーっと舌を出した。「お生憎様でした~。ただの先輩は帰れ!」 それにもめげずに、日下先輩は追いすがる。「そんなこと言わないでよ。じゃあ、最初はせとっちの友達ポジでもいいから、一緒にご飯食べよ? それから俺のこと知ってくれればいいし、好きになってもらえたら嬉しい。ね? いいでしょ?」 少しだけ距離を開け、首を傾げて由香里ちゃん
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第56話 信頼の背中

 午後の授業が終わり、私は部活へ行くために由香里ちゃんと別れ、体育館へと向かった。体育館は二階部分に武道場がある。柔道部と剣道部が共有しているその場所は、狭いながらも観覧スペースが設けられていた。うちの柔道部は強いから、時にはスカウトが訪れることもあり、お目当ての部員を見に来る生徒も少なくない。 だけど、今日は私が足を踏み入れた途端、しんと静まった。 それもそのはず、私の隣にはちゃっかり瀬戸先輩が寄り添っていたから。 授業が終わって教室を出たら、既に待ち構えていた瀬戸先輩に捕まり、こうして一緒に部活に来たという訳だ。少しの照れと申し訳なさが混ざり、複雑な気持ちで道場に礼をした。「へぇ、武道場ってこうなってるんだ……ボク、始めて来たよ」 お昼とは違い、何故か『ボク』の方の先輩だ。それが余計に意識してしまって、まともに顔を見れずにいる。だって、初めて男性を感じた人なんだから。 もちろん『俺』の方の先輩もそうなんだけど、言い難い気恥ずかしさを感じてしまう。 朝の騒動は知れ渡っているようで、みんなの視線が痛くて、道場へ入るのをためらっていると、背後から部長が顔を出した。「お、新堂、お疲れ。瀬戸も一緒か、おとなしく見学してろよ?」 豪快に笑って小さな背中を叩くと、たたらを踏んでよろけてしまう。瀬戸先輩は顔をしかめつつも、嫌がっている素振りはなかった。「するさいな、分かってるよ。ただ凜ちゃんのカッコいいとこ見に来ただけだから、心配すんな」 どういう関係なのか気になるけど、部長に悪意はなく、瀬戸先輩も受け入れている。由香里ちゃんから教えてもらった噂とは違う、普通の同級生としての顔がそこにはあった。「そうか、じっくり見学してってくれ。入部も歓迎するぞ?」 部長はそう言い残し、更衣室へと向かう。「瀬戸先輩、部長と仲いいんですか?」 気になって尋ねてみると、苦笑いを浮かべて答えてくれた。「んー、仲がいいって言うか、ボクを正しく評価してくれてるって感じかな……ほら、ボク問題児だから」 視線を部長の背中に向けながら、
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第57話 噂と真実

 瀬戸先輩と別れ、女子更衣室で着替えていると、後輩の子がおずおずと声をかけてきた。どうしたのかと尋ねると、声を潜めて問いかける。「あの……一緒に来た人って、あの瀬戸先輩、ですよね……? 大丈夫なんですか……?」 私は『大丈夫』の意味が分からず首を傾げた。「大丈夫……って、何が? 瀬戸先輩は優しい人だよ?」 その言葉に、後輩は視線を泳がせる。「どうしたの? 先輩がどうかした?」 重ねて問うと、胸元で握った拳を震わせ、口を開く。「だって……あの人、窃盗とか傷害事件起してるんでしょう? 他にもレイプとか……よくない噂を聞きますし、あまり深入りしない方が……」 怯える後輩に、私は全身が凍り付くような感覚に陥る。「……誰に聞いたの?」 自分でも驚くほど冷えた声が漏れ、後輩を見下ろす。「誰……って……みんな言ってます……」「みんなって、誰?」「みんな……は、みんなです! どうしたんですか、新堂先輩……? なんだか、怖い……」 大きく息を吸って、心を落ち着かせる。後輩を安心させるように笑って、口を開いた。「あなたは、それを見たの? 誰が言い出したかも分からない言葉を鵜吞みにして、人を非難するのはよくないと思う。もし……自分が同じように言われていたら、どうする?」 少し首を傾げて問いかけると、後輩は視線を泳がせ、言葉に詰まる。それを見ながら、私は剣道着に着替え、竹刀と面を抱え、武道場へと向かう。「江崎先生が言ってたんだけど、人を信じるには責任が生じるんだって。その『みんな』って言葉、なんでも許される免罪符だとは思わない方がいいよ?」 振り返ってにっこり笑うと、後輩の肩を軽く叩く。この子だって、たぶん聞いたことを疑問に思わないんだろう。噂で聞いた瀬戸先輩と、今ここにいる瀬戸先輩。 どっちが本当かなんて、すぐに分かるはずなのに。 武道場に出ると、瀬戸先輩は静かに胡坐をかいて稽古を見学していた。周囲で騒ぐ女子生徒の方がうるいくらいだ。 私はもう一度振り
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第58話 トラウマ―act.1―

 部活が終わり、瀬戸先輩は私が着替えて出てくるまで急かすでもなく、ただ無言で待ってくれていた。駆け寄る私に、ふわりと微笑む。「凜ちゃん、お疲れ様。喉、乾いてない? どこか寄って帰ろうか?」 自然と隣を歩き、手を繋ぐ先輩。絡められた指がくすぐったくて、頬が熱を持つ。先輩はそれに目ざとく気づくと、顔を近づけそっと囁いた。「凜ちゃん、意識してくれてるの? 照れてる……可愛い……」 色気の乗った声に、背筋が粟立って更に熱くなってしまう。「いや、これは、その、部活後だし……まだ、冷めてないだけで……」 だけど、私の心臓はうるさく鳴っていて、その音が先輩に聞こえてしまわないかと心配したほど。ただの言い訳でしかないことは、私も分かっていた。 先輩は、それでも優しく微笑んでくれる。「ふふ、そんなに緊張しないでよ。なんかね、昼休みに話せて、すごく落ち着いてるんんだ。もちろん、凜ちゃんに触れたいのは変わらないよ? できるなら、今すぐ連れ去りたい……でも、それが凜ちゃんのためにならないことも理解できる。だから、今は待てるよ」 先輩の真剣な瞳に、思わず見とれてしまう。初めてあった時とも、本性を知った時とも違う、深い愛情に満ちた瞳。絡められた指に、小さく力を入れた。「……私も……先輩と一緒に逃げだしたい……だけど、先輩の言う通り、それじゃあ意味がないんです。私は向き合わなくちゃいけない……今までの私と……」 そして、お母さんと。 今更かもしれない。 でもそこを無視してしまったら、私は先輩の隣に並ぶことはできないと感じていた。 何故『王子様』にこだわるのか。 何故自分自身ではなく、娘である私にそれを求めるのか。 最初は歌劇団に憧れているだけだと思ってた。 だけど考えれば考えるほど、お母さんの異常性が浮き彫りになってくる。昨夜、由香里ちゃんと長電話した時も、扉をガンガン叩かれて驚かせてしまった。 最後にはヒステリックに部屋へ入ってきて、相手は誰だと喚く。 今日、由香里ちゃんと話して、そこを指
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第59話 トラウマ―act.2―

 凜ちゃんが悲しそうに笑うのが、胸に刺さって痛い。 俺がもっと大人だったら、こんな顔させずに済んだんだろうか。 背が低くて童顔な俺は、格下に見られることが多くて、喧嘩を売られては片っ端から買っていた。舐めれてたまるかと気張って、失っていた記憶が焦燥感を掻き立て、いつもイライラしてた。 事件があった日、凜ちゃんの母親に刺された日だ。あの日はたまたま通りがかった人が救急車を呼んでくれて、命を取り留めた。でも雨に打たれて出血が止まらず、危険な状態だったらしい。 目wお覚ました時には、もう凜ちゃんのことを忘れていて、幼稚園で過ごした時間も朧気だった。だけど、何か大事なものを失った焦燥感だけは強く感じる。幼かった俺はその感情を整理できなくて、足りない存在を言語化できず、物に当たったり、ただ泣く日が続いていた。 両親も刺激しないように幼稚園のことには触れなかったから、思い出すきっかけもなかったし。心療内科にも連れて行ってくれて、カウンセリングを受けさせてくれたことには感謝してる。 お陰で表面的には落ち着いたけど、精神の奥底にはまだ、凜ちゃんの欠片が燻り続けていた。 そんな満たされない気持ちを隠しながら中学に上がると、藪を突く奴らが現れる。放っておけばいいものを、わざわざ近付いて、ずかずかと人の心に土足で踏み込む奴らだ。 最初は無視してた。 それでもしつこく絡んでくる奴らに反撃してしまったのが、俺の唯一の過失だと思う。アイツらは人を攻撃するのが好きなくせに、自分が攻撃されると途端に被害者ぶるから。 だけど、自分が強いことが分かって、どうしようもない衝動を発散できたのが快感になっていった。喧嘩してる時だけは、忘れることができたんだ。 そんな俺が、凜ちゃんみたいに純粋な子に付きまとうのは、彼女の将来を邪魔することなのかもしれない。冤罪も多いけど、実際にケンカしていることに間違いはないから。 それに、彼女の母親が殺傷事件を起こしたなんて、言えるはずがない。 凜ちゃんは優しいから、きっと罪悪感で潰れてしまう。 今だって、自分を責めてる。
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第60話 アブダクション

 部活へ向かう凜くんを見送って、私も帰り支度を済ませ廊下に出ると、横から腕を引かれた。ギョッとして振り向くと、そこにはあのバカがいるではないか。「な……なんであんたがいるのよ!?」 でっかい体でどこに隠れていたのか、そいつはにんまりと笑い、私の腕を掴んだまま昇降口へと足を向ける。「ん~? そりゃ由香里ちゃんを待ってたに決まってるでしょ? 口説くにはやっぱりお茶するのが手っ取り早いよね? 駅前のカフェに行こ。美味しいケーキがあるんだ~」 何こいつ!? ぱっと見は硬派なのにケーキ!?「ちょ、誰が行くか! 離せ変態!」 必死に抵抗してみても、暖簾に腕押し、ずるずると引きずられていく。廊下ですれ違う人達が何事かと注目してきて、恥ずかしいったらない。 手をほどこうとしても、ぶっとい指はびくともせずに、しっかりと私の腕を掴んでいた。筋張った手の甲に、一瞬ドキッとする。 大きくて硬い、男の手。「あ、赤くなった。少しは意識してくれてるんだ?」 その言葉にぐっと唸る。「違うってーの! いいから離せ!」 途中で江崎先生が向こう側から歩いてきたから、助けを求めた。「江崎先生! 助けて! 埒られる!」 だけど、先生は私じゃなく、このデカブツに笑いかける。「日下くん、あまり無理強いしないようにね。不純異性交遊はダメだよ?」 は? なんじゃそりゃ!? 先生の言葉に混乱していると、デカブツは照れながら返事を返した。「はーい。気を付けまーす」 全然気持ちの籠っていない返事に、ハッと我に返って先生に腕を伸ばす。「先生!? 可愛い生徒が攫われようとしてるんですよ!? 助けてくださいよ!」 そう懇願しても、手を振って遠ざかっていく江崎先生。「ちょ、なんで!? 朝は庇ってくれたのに!」 デカブツに引きずられながら、虚しい叫びが廊下に響いた。 そして今。「そんなにぶー
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