All Chapters of 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた: Chapter 1631 - Chapter 1640

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第1631話

車内は静まり返っていた。透子が話し終えても、祥平と美佐子はすぐには何も言わなかった。数秒の沈黙のあと、美佐子がようやく娘を慰めるように口を開いた。「栞、少しずつ受け入れていきなさい。人生には、生と死の別れを受け入れなければならない時があるの。でも、その人との思い出は、あなたの中にずっと残っていくから」祥平が言った。「今、新井グループが直面している危機については、私たちもできる限り力を貸す。昔、新井のおじ様が君にかけてくれた恩は、父さんと母さんが代わりに返すよ」透子は顔を上げて言った。「お父さん、お母さん、ありがとうございます」美佐子は泣きはらした娘の目を優しくティッシュで拭い、一方で祥平はすでに動き始めていた。新井グループへの支援を強めるためだ。湾岸プロジェクトの問題はすでに解決している。残るは世論と市場の信頼回復だ。今すぐ解決しなければならないのは、暴落した新井グループの株価を戻し、国内外の市場における評判を安定させることだった。最も効果的な方法は、新井グループと新たなプロジェクトの契約を結ぶことだった。このタイミングで瑞相グループが動けば、新井グループの株価は一晩で持ち直すはずだ。祥平は自分の考えを息子の雅人に伝えた。父から電話を受けた雅人は、少し黙ったあと、同意した。「分かった。専任の担当者をつけて、交渉と調整を進めさせるよ」そう言ったあと、雅人はわずかに眉をひそめて尋ねた。「父さん、これは人道的な配慮からのことなの?両家の付き合いは上の世代の話だし、うちの祖父もとっくに亡くなってる。新井グループは今の苦境を自力で解決できるはずだ。こちらから手を差し伸べる必要はないと思うけど」それを聞いた祥平は、すでに車を降りていく母娘の背中を見てから口を開いた。「栞を悲しませたくないんだ。新井のおじ様は、栞にとって本当の祖父のような存在だった。今、新井のおじ様はもう長くない。ただ息をつないでいるだけだ。無念を抱えたまま逝かせたくないんだ」それを聞いて、雅人は口を閉ざした。新井のお爺さんの容態については、父から聞いている。すでに死の淵にあり、意識もまったくないという話だった。それなら、新井グループの苦境が解決したとして、どうやってそれを知るというのか。心残りがなくなるわけがない。結局のところ、新井グ
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第1632話

悠斗は母をなだめるように言った。「その必要はない。母さんは少し落ち着いて、五日後に父さんを迎えに行けばいい。五日経てば、警察側にも父さんをこれ以上留置しておく理由がなくなる。堂々と出てこられるよ」綾子はわずかに眉をひそめた。博明が冷たい留置場でつらい思いをするのが耐えられず、少しでも早く迎えに行きたかったのだ。けれど、息子の冷静な分析を聞けば、そうするしかないことも分かっている。それでも腹の虫が治まらなかった。「蓮司は本当に人を馬鹿にしすぎよ!お父さんのことなんて少しも眼中にないじゃない。あの子、やりたい放題だわ。私たちは本当に、あの子をどうにもできないの?会社のほうも、あなたは取締役たちにトップを替える気がまったくないって言っていたでしょう。まだ蓮司に機会を与えているなんて。新井のお爺さんの命令があっても駄目なのね」「会社のことは心配しなくていい」悠斗は冷ややかに言った。それから念を押すように尋ねた。「それより、あの男の逃走ルートは手配できているか?絶対に警察に捕まらないようにしないと」綾子が自信ありげに答える。「安心して。とっくに手配してあるわ。あの男は午前中には京田市を出て隣の県へ向かった。夕方までには県境を越えられるはずよ。お金は十分に振り込んであるし、偽造の身分証も前もって全部そろえてある。捕まることはないわ。たとえ監視カメラに正面の顔を撮られていても、あの人だとは疑われない」体つきだけで、どうやって個人を特定できるというのか。唯一見分けがつく顔は、精巧なマスクで変装させてある。警察が監視カメラをいくら調べても、見つけ出せるはずがなかった。悠斗はそれを聞いて、満足げに鼻を鳴らした。母との通話を切り、手元にある一枚の履歴書に目を落とす。取締役会の古株どもは、結局あの爺さんの顔を立てて蓮司を支持しているにすぎない。では、新井のお爺さんが死んだらどうなるのか。しかも、蓮司が死なせた。奴らはそれでもまだ、蓮司を支持できるというのか。悠斗の口元に冷酷な笑みが浮かび、目の奥にどす黒い光がよぎった。悠斗は別の番号へ電話をかけ、冷徹に指示を出した。「裏情報として、各メディアの記者たちに流せ。『新井グループの会長はすでに息を引き取った。死因は強い刺激を受けたことによる突発性の脳出血だ』と。
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第1633話

ネット上の炎上はあまりにも激しかった。新井グループの広報部が動き、各プラットフォームと連携して火消しを図ったが、抑え込もうとすればするほど新しい憶測が次々と湧き出した。それがかえって、あるひとつの「真相」を裏づける形になってしまったのだ。つまり、新井グループが隠蔽しようと必死に動けば動くほど、世間は新井のお爺さんがすでに亡くなっているのだと確信した。会社が世論の渦に深く巻き込まれている最中、各方面の関係者や業界内からも新井家へ見舞いと事実確認の連絡が相次いだ。電話は鳴り続けたが、執事にはそのどれにも出る勇気がなかった。今は完全に手が回らない状態だった。執事はすでに弁護士に連絡し、噂を流したメディア各社へ警告書を送らせていた。さらに警察ルートからも圧力をかけ、なぜそんなデマを流したのか情報源を問い詰めさせた。だが、返ってきた答えはどれも要領を得ないものばかりだった。A社はB社から出た話を聞いたと言い、B社はC社から入った裏情報だと言う。最終的なC社は、どこの誰とも分からない人物からの匿名タレコミだと説明し、そのうえ当時の病院内で撮られた映像まで添えていた。執事がその映像を確認すると、たしかにこの病院内のものだった。おかしな角度から撮られており、明らかに盗撮だ。けれど、今さら誰が撮ったのかを突き止めたところで、もうどうにもならなかった。メディア各社に記事を削除させ、世論を煽ることを禁じても、ネット上に燃え広がる一般人の議論までは止めようがない。それどころか、病院の外にはすでに真相を求める記者たちが大勢張り込んでいた。誰よりも早く確実な特ダネを掴み、世間の注目を集めようと手ぐすねを引いているのだ。例のドローン襲撃の一件があったため、執事はボディーガードと警備チームに対し、周囲全方面で厳戒態勢を敷くよう命じていた。不審な人物を見つければ、例外なく身元を改める。さらに、病院の周囲には妨害装置まで入れ、ドローンが再び侵入できないようにした。執事は休む暇もなく動き回っていた。見舞いや問い合わせに来る野次馬をすべて外で止めることはできる。だが、どうしても止められない人々もいた。あるいは、執事の立場では止める資格がない相手だ。新井グループの取締役たちである。その時、十数人の取締役が連れ立って、すでに病院の入り口まで押し寄せていた
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第1634話

それは、中身が空っぽで、感情が麻痺し、魂を抜かれた操り人形のような姿だった。そんな蓮司を見るのは、彼らにとって初めてだった。背筋が寒くなると同時に、心の中で抱いていた最悪の推測もすべて現実のものになった。新井のお爺さんは、本当にもう助からないのだ。蓮司は深く頭を下げて挨拶した。声は機械のようで、生気が少しもなかった。「坂本様、鈴木様、取締役の皆様」もともと古参取締役の二人は、この不肖の孫を激しく叱りつけるつもりだった。けれど、蓮司のこの姿を見ると、言おうとしていた言葉をすべて飲み込んだ。残ったのは、冷たく険しい表情だけだった。一人の古参取締役が、威厳のある声で口を開いた。「状況はどうなっている。今なら話せるだろう。お爺さんは、いったい……」だが、そこまで言って、やはり言葉を止めた。執事が代わりに答えた。──旦那様は亡くなってはいない。ただ、いつ目を覚まされるかは分からない。それを聞き、取締役たちは眉をひそめた。誰かが言った。「では、なぜ外では新井会長がすでに亡くなったという噂ばかり流れているんだ。君たちは真相を隠しているのか」執事は答えた。「当然、何者かが意図的に世論を誘導し、そのような状況を作り出しているのでございます」その言葉を聞き、取締役たちは黙り込んだ。だいたい誰がこの世論を仕掛けたのか、彼らにも見当はついていた。午前中、博明が記者を連れて病院の外まで押しかけてきたばかりだったからだ。執事の言葉は、動揺を鎮め、取締役会を落ち着かせるためのものだった。けれど、執事は思いもしなかった。蓮司が自らそれを崩すとは。蓮司が口を開いた。「お爺様は、もう目を覚ましません。医師の診断では植物状態です。そのうえ、以前から何度も体に負担を受けていて、もう命が尽きかけています」その言葉が出た瞬間、安堵の息をつきかけていた取締役たちは、再び息を呑んだ。全員が、うつむいて話す蓮司をまっすぐ見つめた。だが、長老格の二人がまだ何も態度を示していない以上、誰も先に口を開けなかった。彼らはただ、二人の出方を見るしかなかった。この時、会社の元老格である二人は、鋭い目で蓮司をじっと見据えていた。その様子は、今にも蓮司を怒鳴りつけ、殴りつけたいと言わんばかりだった。もし自分の孫なら、とっくに杖が飛んでいた。だが、二人は蓮司
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第1635話

双方はそのまま互いに言い争い、どちらも一歩も譲らなかった。蓮司を支持する側は、悠斗の能力を信用していない。一方で、悠斗と博明を支持する側は、蓮司の過ちを盾に自分たちの正当性を主張した。そのぶん、彼らの言い分の方が建前としては理にかなっているようにも聞こえた。二つの派閥が収拾のつかないほど言い争っていた時、不意に杖が床を突く音が響いた。元老の一人が威厳のある声で一喝した。「ここは病院だ。何を争っている!」もう一人の元老も冷ややかな顔で続いた。「今日は新井会長の見舞いに来たのだ。それ以外の話をするなら、自分から出ていきなさい」権威ある二人が口を開いたことで、ほかの取締役たちの言い争いは一瞬でピタリと止まった。博明を支持する側は、その様子を見て、内心で不安を覚えた。蓮司はすでに自ら退任の意思を口にしている。だが、もしこの二人が間に入って蓮司を支持したらどうなるのか。ただ、それでも構わなかった。二人はすでに第一線を退き、会社の運営に直接口を出すことはない。いざとなれば取締役会を開いて決を採ればいいだけのことだ。こちら側の支持人数は、あちらより少し多いのだから。集中治療室の窓辺。長老格の二人は、かつて共に戦ってきた古い仲間が、今では命が尽きかけ、機械に頼ってかろうじて息をつないでいる姿を見た。胸に言いようのない思いがこみ上げ、目の奥が熱くなった。二人が見終えてから、ほかの取締役たちも順番に前へ出て、一目ずつ中を見た。情を重んじる者たちは、顔に重い悲しみを浮かべ、胸の内に言いようのない沈痛さを抱えていた。一方、博明を支持する側の取締役たちの多くは、これといった感情を抱いていなかった。それでも表面上はそれらしく装い、うつむいて、自分も悲しんでいるように見せた。はっきり言えば、今の新井のお爺さんは亡くなっているのと何も変わらない。機械を止めれば、すぐに心臓も止まる。今はただ、無理に命をつないでいるだけだ。しかも、つないだところで意味はない。新井のお爺さんが再び目を覚ますことはない。棺に納めるのも時間の問題で、ただ死を引き延ばしているにすぎない。かえって苦しませているだけだ。いや、新井のお爺さん自身は苦しみすら感じられない。ただ、蓮司たちが死亡を発表したくないだけだ。そうして会社の状況を安定させようとしているのだろう
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第1636話

新井のお爺さんの件は、蓮司にとってよほど大きな打撃だったのだろう。そうでなければ、自ら社長の座を明け渡そうとするはずがない。以前の蓮司は、博明や悠斗と何度も激しく争ってきた。そのたびに、一歩も譲らなかったのだ。蓮司を支持する取締役の一人は、それでもなお言い張った。「この件はひとまず置いておきましょう。あなたはまず休んでください。取締役会のほうは、我々で抑えておきますから」そう言うと、彼は蓮司の返事を待たず、そのまま背を向けて去っていった。人が全員去ってから、蓮司も病室の方へ戻っていった。執事はそのそばについて歩きながら、たまらず説得にかかった。「若旦那様、どうか衝動的なことはなさらないでください。この時期に辞任すれば、博明様とあの隠し子を喜ばせるだけでございます。旦那様が倒れられた件も、もしかするとあの二人が裏で仕組んだことかもしれません。今もまだ容疑者は捕まっておりません。若旦那様は、あの二人を許しておいてはなりません。まして、会社をみすみす差し出すようなことだけは、どうかおやめください」執事は懸命に言い聞かせた。けれど蓮司は、光のない目でただ前を見つめているだけだった。聞こえているのか、聞こえていないのかさえ分からない。先ほど蓮司が口にした言葉に、嘘はなかった。今は何もしたくない。何も欲しくない。もう誰かと争う気力もなかった。お爺様は、もうすぐ死ぬ。それはすべて、自分が招いたことだ。ドローンが引き金だったとしても、根本的な原因は自分にある。海外プロジェクトで問題が起きたのは、自分の人を見る目がなかったからだ。会社の株価が暴落したことも事実だ。お爺様がそれを知っていたかどうかにかかわらず、それらはすべて自分が引き起こした現実だった。それに、最初にお爺様が脳卒中で倒れたこと。あれも、たしかにお爺様が透子に対する自分の異常な執着を知り、怒りのあまり容態を急変させたのだ。当時の自分は、いろいろと理由をつけて疑い、自分の非を認めようとしなかった。お爺様は以前もひどく怒ったことがある。昔、自分がもっと取り返しのつかないことをしでかした時でさえ、お爺様は脳卒中になどならなかったではないか、と。けれど、事実は事実だった。お爺様は脳卒中で倒れた。自分の言葉にショックを受け、あまりにも腹を立てたせいだった。蓮司はぼ
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第1637話

義人の言葉を聞き、執事は涙を拭いながら、声を詰まらせて言った。「そうであってほしいと願うばかりです。どうか、これ以上の刺激で、また心の病がぶり返すようなことにだけはならないでいただきたい……」蓮司が幼い頃に患った心の病は、母親の死が原因だった。今、新井のお爺さんまで逝こうとしている。蓮司がこの衝撃に耐えきれずに心が壊れてしまうのではないかと、執事は心底恐れていた。執事は過度な不安と悲観をどうにか押し殺し、蓮司が社長を辞任しようとしている件を義人に伝えて懇願した。「水野社長、どうか若旦那様を説得してくださいませ。今ここで辞任するのは、会社を博明様の一家へみすみす譲り渡すようなものでございます。しかも、あの一家は旦那様を害した真犯人である可能性すらあります。法の裁きを受けさせるどころか、のうのうと好きにさせるなど、決してあってはならないことでございます」それを聞き、義人はわずかに唇を引き結んで沈黙した。博明たちとの清算はいずれ必ず果たす。今もっとも気がかりなのは、甥である蓮司自身の状態だった。義人は扉のそばに立ち、診察台に座って医師の検査を受けている蓮司を見つめた。蓮司はされるがままになっており、まるで糸の切れた操り人形のようだった。目に光はなく、底が抜けたように空っぽだった。今回の件は、蓮司にとってあまりにも大きな打撃だった。すぐには立ち直れないだろう。この状態では、たしかに仕事など手につかない。だからこそ……「蓮司の選択を尊重する」義人が静かに口を開いた。執事は一瞬ぽかんとし、意味が理解できないという顔をした。そしてすぐに、信じられないという表情で問い返す。「水野社長、それは……若旦那様に、このまま会社を諦めさせろということでございますか」義人は視線を移し、執事に言った。「所詮は経営を預かる立場にすぎない。新井家の最終的な財産分配は遺言に従う。その点については、新井のおじ様がとっくに決めているはずだ。蓮司の取り分をこちらから一歩でも譲るつもりはない」執事は食い下がった。「ですが、会社は利益を生み続ける巨大な資産に等しいものです。これだけは絶対に、みすみす明け渡すわけにはまいりません」まして、博明とあの隠し子に無条件で渡すなど、到底納得できるはずがない。まったく関係のない他人に渡すほうがまだましだ。あの忌まわ
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第1638話

それを聞き、執事は慌てて尋ねた。「では、どうすれば若旦那様は気力を取り戻されるのでしょうか」医師は執事を見て答えた。「まずは専門の心理カウンセラーによる介入が必要です。必要であれば、精神面に作用する薬を使うこともあります。ただ、新井社長の病歴には、過去に薬を注射した記録があります。そのため、薬を主な方法にすることはお勧めしません。まずは心理面のケアを中心にするべきです。神経系の薬は万能ではありません。精神的な依存を起こしやすく、薬に頼る状態が続くと、自力で気持ちを立て直す力が弱くなることがあります。その結果のほうが、さらに深刻です」それを聞き、執事の顔は不安と憂いに覆われた。「若旦那様ご自身で立ち直られるしかないとなると、いったいどれほど時間がかかるのでしょうか。わたくしは、若旦那様の心の病がまた出てしまうのではないかと、それが怖いのです……」医師は助言した。「ご家族の皆さんが、できるだけそばにいてあげてください。話をして、少しでも早く今の陰りから抜け出せるように支えてあげることです」執事には、それがひどくやるせなく、どうしようもない話に聞こえた。 自分たちに何ができるというのか。蓮司の心の中で、新井のお爺さんの代わりになれる者などいるはずがない。先ほど蓮司を検査に連れてくる前、自分が言ったことも、蓮司は一言も聞き入れていなかった。たとえ義人が話したとしても、今の蓮司の意識は戻ってこないのではないか。体はまだ生きている。けれど、それはただの器にすぎない。魂は体を離れ、新井のお爺さんについて行ってしまったのかもしれなかった。蓮司は最後に、元の病室へ移された。病室とはいっても、普通の部屋に近い。中の調度はとっくに替えられ、ずっと普通の部屋のように整えられていた。蓮司はボディーガードに支えられ、ソファに座らされた。目は壁を見ているようでもあり、壁際の棚を見ているようでもある。全身から生気が消えていた。「蓮司……」義人が小さな声で呼んだ。けれど、蓮司からは何の反応もなかった。義人は蓮司のそばに座り、重い表情で慰めた。「蓮司、もう事は決まってしまった。生きている者が、いつまでも過去に沈んだまま出てこられないわけにはいかない。新井のおじ様が君のこんな姿を知ったら、きっと悲しむ。新井のおじ様は、誰よりも君を可愛が
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第1639話

新井グループの取締役たちが病院から戻ったあと、蓮司がその場で退任を口にした件はまだ正式には決まっていなかった。それでも、悠斗を支持する派閥は、これを好機と見て一気に押し進めるつもりでいた。博明はまだ留置場にいる。そのため、彼らの中の数人が悠斗と連絡を取り、この件について裏で話を通した。そして、来週に取締役会を開き、正式にこの議題を提出すると伝えた。悠斗は殊勝な口ぶりで礼を言った。「分かりました。近藤取締役、お手数をおかけします。夜に、ある人物の履歴書をデータでお送りします。皆さんにはその時、彼を新しい最高経営責任者として推薦していただければと思います」それを聞き、電話の向こうの近藤取締役は一瞬言葉に詰まり、聞き返した。「君自身が就くわけではないのか?なぜ外部の人間を雇う。これは君が上に立つ絶好の機会だろうに」悠斗は言った。「このタイミングで僕がトップに就けば、世間へ向かって、僕が社長の座を狙って蓮司を引きずり下ろしたのだと宣言するようなものです」近藤取締役は鼻で笑った。「何をそんなことを気にしている。昔から、身内同士で後継の座を争うことなど珍しくもない。そんな噂を恐れるようでは、大成はできんぞ」悠斗は淡々と答える。「分かっています。ただ、外部から最高経営責任者を招いた方が、取締役会のもう一方の派閥も受け入れやすくなります。皆さんが話を進める時も、そのほうがずっと円滑にいくはずです」それを聞き、近藤取締役は考え込んだ。たしかに、今の蓮司を引きずり下ろす自信はある。だが、もう一方の派閥もかなり強硬であり、正面からぶつかれば交代劇は必ず長引く。もし実力のある外部人材を招いて後任に据えれば、「隠し子が権力を奪いに来た」という大義名分を外すことができる。そうなれば、蓮司派の連中も何も言えなくなるはずだった。近藤取締役は頷いた。「分かった。君の提案通りにしよう。その外部人材の身元はどうなんだ。本人の能力は?そこに説得力がなければ、やはり弱いぞ」悠斗は自信ありげに答えた。「そこはご安心ください。彼は僕がG国の金融街から引き抜いた人材です。誰がどう調べても、文句のつけようがない実力者だと分かります」それを聞き、近藤取締役は安心した。履歴書を送るように言い、来週の会議でどう話を進めるか、ほかの取締役たちとも相談すると告げて通
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第1640話

その一方で、周防取締役を筆頭とする、蓮司が引き続き新井グループのトップを務めるべきだと考える取締役たちは、大いに奮い立っていた。彼らは勝裕たちと面会し、この起死回生の機会を必ずつかむよう念を押した。瑞相グループの方から差し伸べられた、まさに天から降ってきたような好機だったからだ。勝裕たちも当然、万全の構えで臨んだ。その日のうちに国外へ飛び、自らプロジェクトの進行を陣頭指揮して、いささかの問題も起きないように素早く動き出した。社内では当初、この件は執事や義人の働きかけによるものだと思われていた。だが、大輔がプロジェクト提携の話を執事に伝えた時、執事は驚いて固まった。「ご存じなかったんですか?」大輔も驚いて尋ねた。「ええ。今、佐藤さんから聞いて初めて知りました」執事は我に返って答えた。「それなら、水野社長が裏で動いてくださったんですね」大輔は納得したように言った。だが、執事は別の考えを抱いていた。「橘家が提示してきたプロジェクトは、規模があまりにも大きすぎます。しかも一度に三つも。水野社長は橘会長と親戚関係にあるとはいえ、そこまで絶大な発言権はないはずです」大輔はそれを聞いて黙り込んだ。たしかに筋が通っている。だが、義人でないなら誰なのか。この絶妙な時期に橘家をこれほど気前よく動かし、蓮司を直接助けられる人間など他にいるだろうか。大輔がまだ首をひねっていると、執事が続けて言った。「おそらく、栞お嬢様が動いてくださったのだと思います。実は今回、わたくしはお嬢様に助力をお願いしていたのです」その言葉を聞いた大輔は、愕然として口を開けた。「栞お嬢様ですか?でも、栞お嬢様と社長の間には、あれだけのことが……」大輔は思わずそう言いかけて、ハッと口を閉じた。理由に思い当たったのだ。蓮司は以前、クルーズ船で命がけで透子を助けた。だから透子も今回、蓮司の危機を救うために手を貸したのだと。それは純粋な恩返しであって、決して個人的な情によるものではない。執事が言った。「栞お嬢様は義理堅い方です。過去に若旦那様との間に深い確執があったとしても、それが新井グループへのご助力を妨げる理由にはならなかったのでしょう」それに、新井のお爺さんの顔もある。おそらく、それこそが最も大きな理由だったのだろう。二人は通話を終えた。執事
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