All Chapters of 離婚まであと30日、なのに彼が情緒バグってきた: Chapter 1651 - Chapter 1660

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第1651話

それを聞き、美佐子はわずかに眉をひそめた。本当は娘に蓮司を起こさせず、このまま休ませてやりたかった。だが、考えてみれば今はまだ夕方の六時だ。休む時間としては、早すぎるとも言える。美佐子は、目を閉じたまま眠っている蓮司へ視線を向けた。あの様子では、声をかけても起きないかもしれない。そう思い直し、口を開いた。「分かったわ。新井のおじ様の様子を見たら、すぐ迎えに来るわね、栞」透子は頷いた。祥平と美佐子は、執事に案内されて病室を出て行った。執事は扉を完全には閉めず、外に護衛の者だけを残して待機させた。病室の中。透子はうつむき、蓮司を見つめた。それから枕元へ歩み寄り、小さな声で彼の名前を二度呼んだ。だが、蓮司は何の反応も示さなかった。顔色は青白く、まるでこの世から離れてしまったかのようだった。眠っているはずなのに、眉間には深い皺が刻まれていた。透子は無意識に手を伸ばしかけたが、ふと空中で動きを止めた。今、自分が何をしようとしたのかに気づき、透子はわずかに唇を引き結び、そのまま手を引っ込めた。お粥を作って持ってきただけでも、もう十分に義理は果たしている。これ以上のことをする必要はない。透子は病室を出て、新井のお爺さんの様子を見に行こうとした。しかし、透子が背を向けたその瞬間。病床の上で、眠っていたはずの蓮司のまぶたがかすかに動いた。やがて、ゆっくりと細く目が開く。ぼやけた視界の中で、蓮司はあの後ろ姿を見た気がした。朝も夜も焦がれ続けた、決して忘れることのできない後ろ姿だった。「と……」蓮司は唇を震わせ、透子の名前を呼ぼうとした。だが、蓮司はあまりにも衰弱していた。喉は鋸で挽かれているように痛み、声を出すことさえひどく難しい。漏れたのは、かすれた息のような音だけだった。病室があまりにも静かだったからか、それとも透子の耳がよかったからか。その小さな音を、透子は聞き取った。すぐに振り返る。幻聴かと思った。だが、ベッドの上の蓮司が本当に目を開けているのを見て、透子は二歩ほど前へ進み、再び病床のそばへ戻った。蓮司の視界の中で、透子の顔が少しずつはっきりしていく。それはあまりにも鮮やかで、あまりにも生々しく、すぐ目の前にあった。蓮司は一瞬、自分が夢を見ているのではないかと思った。けれど、それは夢
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第1652話

「新井さん……つらくても、少しずつ受け止めるしかないの。もう起きてしまったことは、今さら取り返せないのよ」透子はぎこちなく慰め、自分の手を引き抜こうとした。だが、まったく抜けなかった。蓮司は数日間何も食べておらず、体はひどく衰弱しているはずなのに、指の力だけは異様に強い。透子の手首を、逃がさないようにしっかりと掴んでいた。病床の上の蓮司は、透子の言葉に何も答えなかった。ただ涙を流し、声を詰まらせて泣き続けている。透子の手のひらは、半ば無理やり蓮司の頬に押しつけられたままだった。指の間まで、蓮司の涙で濡れていく。透子はひとまず、無理に振りほどくのをやめた。蓮司が声を上げて泣くのを見つめながら、透子はもう慰めの言葉を重ねなかった。泣けるなら、それでもいいのだろう。執事の話では、蓮司はこの二日間、まるで感情を失った人形のようで、何を言っても反応しなかったという。こうして吐き出せるなら、心の奥に押し込めたままにするよりは、ずっとましなはずだ。透子は静かにベッドの前に立ち、蓮司のそばにいた。数分ほど経った頃、廊下のほうから足音が聞こえてきた。祥平と美佐子と執事の話し声も近づいてくる。その瞬間、透子は手を引き抜いた。そしてすぐ、ベッド脇のテーブルに置かれていたティッシュを取り、手についた涙を拭った。「栞?」病室の入口から、美佐子の声がした。透子は振り返り、何気ない様子で手を後ろに回した。「新井のお爺さんの様子、見てきたの?」透子が尋ねると、美佐子は頷いた。透子はそのまま入口へ歩いていった。入口で、美佐子は娘が出てきた後、病床の上の蓮司を見た。先ほどまで仰向けに横たわっていたはずの蓮司は、今は横向きになって体を丸めている。まだ泣いているように見えた。「蓮司は……」美佐子が眉を寄せて言いかけると、透子が口を開いた。「行きましょう。彼、目を覚ましました。高橋さん、あとで粥を食べさせてみてください。少しでも食べられるかもしれません」「かしこまりました。栞お嬢様、わざわざお粥をお持ちくださり、誠にありがとうございます。何とか、若旦那様に召し上がっていただけるようにいたします」執事は慌てて答えた。橘家の三人が帰ろうとすると、執事は見送りに出ようとした。だが、透子がそれを止めた。「見送りは結構
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第1653話

執事は慌ててナースコールを押し、ボディーガードに医師を呼びに行かせた。二分もしないうちに医師たちが駆けつけ、感情を制御できなくなっている蓮司に、すぐ薬を注射した。薬が効き始めると、蓮司は少しずつ落ち着いていった。その代わり、意識も失った。医師たちは痙攣していた蓮司の腕や手をほぐし、筋肉のひきつりが収まったのを確認してから、ようやく手を止めた。廊下に出ると、医師は執事へ厳しい表情で念を押した。「新井社長に、これ以上強い刺激を与えるのは避けてください。過去に心の病の既往があります。感情が激しく揺れると、すぐ身体症状として現れてしまいます」執事は答えた。「承知しております。ですが、わたくしはただ、若旦那様に少しでも早く、あの自己閉鎖の状態から抜け出していただきたかったのです。若旦那様を、いつまでもあのままにしておくわけにはまいりません。心のしこりを解かなければ、若旦那様はずっとあの状態のままです。先生もおっしゃったではありませんか。今後、心因性拒食症へ進んでしまえば厄介だと」医師はそれを聞いて何も言えなくなり、病室の中へ一度視線を向けた。最後には、重いため息をついた。進んでも危うく、退いても危うい。やってもやらなくても、どちらにも不安が残るのだ。医師は言った。「次に新井社長へ強い刺激を与える必要がある時は、先に我々へ知らせてください。すぐ対応できるよう、こちらも準備しておきます」執事は頷いた。執事自身も、今回、蓮司の感情がここまで大きく揺れるとは思っていなかった。だが同時に、それは症状の根に触れたということでもある。感情が身体症状として現れている。ならば、この一件を越えられれば、蓮司の状態も少しずつ良くなっていくはずだ。医師たちが去る頃には、空もだんだん暗くなっていた。しばらくして、執事のスマホが鳴った。義人からの電話だった。蓮司の様子を尋ねるためである。執事は午前中の段階では隠すつもりだった。だが、今はもう隠さなかった。この一日の間に蓮司に起きたことを、すべて義人へ伝えた。電話の向こうで、義人は蓮司の状態を聞き終えると、たちまち表情を険しくした。緊張と心配に、指を強く握り込む。執事は急いで言った。「水野社長、若旦那様のお体の状態は、すでに安定しております。事後のご報告になりましたこと、どうかお許しください。
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第1654話

義人は、栞が自分から手を貸すと言い出すとは思っていなかった。この件について、義人は祥平たちに助けを求めていない。自分で直接、調査を進めていた。だが、もし雅人が力を貸してくれるのなら、状況は大きく変わる。国外における瑞相グループの影響力は、水野家や新井家をはるかに上回る。とりわけ、表には出ない灰色の領域ではなおさらだ。義人は変に遠慮して断ることはしなかった。栞の協力に対し、深い感謝を込めて返信した。夜九時。新井グループ系列のプライベート病院、病室。執事は病床のそばで蓮司を見守っていた。翌朝まで目を覚まさないだろうと思っていたが、その時、蓮司のまぶたがかすかに震えた。執事はすぐにナースコールを押し、医師を呼んだ。医師が検査を進める中、蓮司はゆっくりと目を開き、意識を取り戻した。検査結果では、体に大きな問題はなかった。ただ、薬がまだ完全に抜けていないため、一時的に体を自由に動かせない状態だった。精神状態も、先ほどよりはかなり落ち着いているように見えた。悲しみも喜びも表に出さず、一見すると普通の状態に戻ったかのようだった。あの時、悲痛に泣き崩れ、痙攣まで起こしていた人間とは別人のように見える。医師たちは検査を終えると、患者を静かに休ませるため、病室を出て行った。執事は蓮司が目を覚ましたのを見て、ベッド脇のテーブルに置かれた弁当箱へ目を向けた。そして医師に、蓮司が食事を取ってもよいか尋ねた。医師の答えは、食べられるなら構わない、というものだった。ただし、今は感情が安定していても、空えずきが治まっているとは限らない。無理に食べさせてはいけないと、医師は念を押した。執事はそれを理解した。医師たちが全員出て行ってから、執事は病床のそばへ行き、ベッドの背を上げた。それから弁当箱を引き寄せ、蓋を開けた。内容器の側面に触れると、まだ温かかった。「若旦那様、お粥を少し召し上がりませんか。かぼちゃのお粥でございます。胃にも優しいものです」執事はスプーンで一口すくい、蓮司の口元へ運んだ。だが、蓮司は顔を背け、低くかすれた声で言った。「食べたくない。下げてくれ」執事は蓮司の、まだ灰色がかった白い顔色と、力のない目を見た。医師から無理に食べさせてはいけないと言われたことも思い出し、仕方なく言った。「そうでございますか。栞お嬢様
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第1655話

執事はその言葉を聞き、蓮司がまた一口、また一口と粥を口へ運ぶのを見守った。しかも、その手つきは少しずつ速くなっていった。「若旦那様、どうかゆっくり召し上がってください。むせてしまいます」執事は、蓮司がまた空えずきを起こすのではないかとも案じていた。だが、小さな茶碗一杯分を食べ終えても、蓮司が吐き戻すことはなかった。「もうないのか?」器の底が見えるほど空になっていたが、蓮司はまだ名残惜しそうに執事へ尋ねた。「はい、もうございません」執事は答えた。それを聞き、蓮司の顔に失望が浮かんだ。まだ満たされないのか、空の器をじっと見つめていた。もう少し食べたいのだと、誰の目にも分かった。執事は言った。「若旦那様、長い間胃が空っぽの状態でしたので、急にたくさん召し上がるのはよくありません。午前中に召し上がったものも、すべて吐き戻してしまわれましたから」蓮司はまぶたを伏せた。執事は器を片付け、ボディーガードを呼んで洗いに行かせた。執事は心配そうにもう一度尋ねた。「今のご気分はいかがですか。胃のあたりがつらいとか、吐き気がするようなことはございませんか」蓮司は首を横に振り、ベッドの背にもたれた。粥を食べたせいか、気力も気分も先ほどよりずっと落ち着いて見えた。執事はようやく心の底から安堵した。やはり透子が作った食事は、蓮司にとって特別だった。あれほどひどかった心因性嘔吐まで、こうして鎮まっていた。その時、蓮司がまたぼんやりと視線を落とした。執事は、蓮司が新井のお爺さんのことを考え込んでしまうのを恐れ、義人が進めている犯人追跡の状況を自ら話し始めた。少しでも意識を別の方向へ向けさせるためだった。蓮司は黙って聞いていた。だが、容疑者がすでに国外へ密かに逃げた可能性が高いと聞いた途端、眉を強く寄せ、瞳に冷たい光を宿した。彼は低く、凄みを帯びた声で言った。「地の果てまで逃げようと、必ず引きずり戻す」執事は答えた。「こちらでも新井家の人間を動かしております。水野社長も力を尽くしてくださっています。あの犯人を逃がすようなことは、決してございません」蓮司は尋ねた。「博明と悠斗の監視はどうなっている。あいつらからは必ず手がかりが出る。今回の件に、あの二人が無関係だとは思えない」執事は答えた。「博明様は今も留置場におります。ですが、悠斗様のほ
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第1656話

「恩は後で少しずつ返せばいい。今はまず、目の前の件を解決することが最優先だ」義人はそう言った。祥平と美佐子が病院へ行ったことは、義人にとって意外ではなかった。意外だったのは、透子が自分の手で蓮司のために粥を作ったことだった。しかも、透子は義人に自ら連絡し、兄である雅人に協力を頼むと言ってきた。この二つが重なれば、義人が驚くのも無理はなかった。何しろ、蓮司は以前、透子をあれほど傷つけていた。その後、透子のために海へ飛び込み、銃弾まで受けたとはいえ、二人の間にあるものは、簡単に清算できる縁ではなかった。それなのに今、透子は自分から動いていた。義人はわずかに唇を引き結んだ。だが、それ以上考えるのはやめた。若い者のことは、若い者同士で決めればいい。とりわけ、そうした恋の問題に関わることならなおさらだった。……その頃、橘家の邸宅では。雅人は仕事を終えて帰宅し、夕食を済ませると書斎へ向かった。透子は薄めのお茶を載せた盆を手に、そっと扉を叩いた。中から「入って」と声が聞こえてから、扉を少しだけ開け、中をのぞき込むようにして小さな声で尋ねた。「お兄さん、お忙しいですか?お邪魔ではありませんか?」雅人は、透子が来たことに少し驚いた。普段、雅人が書斎にいる時、透子がわざわざ訪ねてくることはほとんどなかった。「邪魔じゃないよ。どうしたんだ?」雅人は尋ねた。透子は書斎へ入り、湯呑みをデスクの上に置いた。雅人はその様子を見て、さらに透子が何か言いたげにためらっているのに気づき、単刀直入に切り出した。「頼み事か?」透子は小さく頷いた。雅人は湯呑みを手に取り、一口だけお茶を飲んでから、話すよう目で促した。透子が頼み事を話し終えると、雅人は一瞬動きを止めた。そして、もうお茶を飲むことなく、湯呑みをデスクへ戻した。今夜、透子が珍しく書斎まで来て、わざわざお茶まで持ってきた理由はこれだったのか。雅人はてっきり、透子自身のことで何か話があるのだと思っていた。まさか、あの蓮司に関する頼みだとは思わなかった。普段の透子は、人に頼み事をするような性格ではなかった。まして、雅人に自分から何かを求めることなど、ほとんどなかった。その妹が初めて自分から頼ってきたと思えば、雅人がひどく嫌っている男のためだった。「僕があの新井を快く
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第1657話

透子はそれを聞き、兄の雅人にもう一度礼を言った。それから書斎を出て、扉を閉める前に気遣うように声をかけた。「お兄さん、あまり遅くまでお仕事なさらないでくださいね。早めに休んでください」「ああ」雅人の顔に、淡い笑みが浮かんだ。胸の奥が温かくなった。この時の雅人は、素直で愛らしい妹の姿にすっかり絆され、頼まれれば何でも聞いてやる気になっていた。自分が帰宅する前、透子が自ら粥を煮て、それを蓮司のいる病院まで直接届けていたことなど、知る由もなかった。もし知っていたなら、今夜の妹の頼みなど絶対に聞き入れなかっただろう。怒りで倒れなかっただけでも幸い、という有様になっていたはずだ。……それからの三日間。義人は国外へ向かい、橘家と新井家の人員と連携して動いていた。雅人はすでにスティーブへ指示を出し、国境付近の国々で容疑者の足取りを捜させていた。少なくとも一ヶ月はかかるだろうと踏んでいた。国外へ逃げた以上、相手は名前を偽り、しばらく身を潜めるはずだったからだ。だが思いがけず、相手はいとも簡単に尻尾を出した。雅人側の人員が、カジノで容疑者を発見したのだ。正確に言えば、こちら側と国外の双方で、ほぼ同時に容疑者を特定したことになった。容疑者は二千万円を超えるチップを手に賭けに興じ、二日のうちにすべてを失った。それどころか、さらに二億円の借金まで背負っていた。追い詰められた容疑者は、国内へ電話をかけた。電話がつながらないと、今度は脅迫めいたメッセージを送った。着信もメッセージも、すべて綾子宛てだった。博明一家は、もともと警察の監視下に置かれていた。博明本人は留置場にいるため、この件に関しては表向き「潔白」に見えた。だが、彼の妻である綾子こそが、裏で糸を引いた黒幕だった。綾子が国外からの着信とメッセージを受け取った瞬間、こちら側の警察は即座にそれを把握した。同時に、国外のカジノでも容疑者の身柄が押さえられた。こうして、あの日ドローンを飛ばし、新井のお爺さんの発作を誘発した実行犯は逮捕された。蓮司はこの数日、きちんと休養を取り、必死に食事も取るようにしていた。蓮司はすでに、打ちひしがれて心を閉ざした状態から抜け出していた。自責の念と後悔のせいで夜眠れないことはあっても、少なくとももう逃げてはいなかった。彼をもう
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第1658話

取調室。綾子はすべてを自白した。証言も物証も揃っている以上、もはやどう言い逃れしようとしても無駄だった。今の綾子にとっては、罪を認め、すべての責任を一人で背負い込むことこそが、最もましな選択だった。ガラス窓の向こう側。警察側は、待合スペースで待っていた蓮司に綾子の供述内容を伝えた。聞き終えた瞬間、蓮司は怒声を上げた。「絶対にあり得ない!あの女一人でやったなんて信じるか!間違いなく、あの女と悠斗が手を組んで、お爺様を陥れたんだ!あの女は息子だけをきれいに逃がして、自分一人で罪をかぶるつもりなんだ!」蓮司の感情がまた激しく揺れるのを見て、執事は慌てて彼を引き止めた。「若旦那様、さらに調査を続けましょう。悠斗様も関与していたという証拠は、きっと見つかります」警察側も、引き続き捜査に協力すると伝えた。だが、蓮司は納得せず、冷え切った声で言った。「あいつを今すぐ逮捕して連れてこい。話は全部、警察署で聞けばいい。通信機器もすべて調べろ!」それに対し、警察は答えた。「呼び出して事情を聞くことは可能です」だが、逮捕や拘束はできなかった。十分な確証がない以上、せいぜい署へ来てもらい、供述を取ることしかできないのだった。警察側の人員が動き出すと、蓮司もボディーガードを連れ、怒気をまとったまま会社へ向かった。折しも、その日は月曜日だった。取締役会が開かれる日であった。この数日、次々に起きた出来事に追われ、執事はこの件をすっかり忘れていた。本来なら、会社をみすみす他人に渡さないためにも、蓮司に会議へ出席するよう説得するつもりだったのだ。だが、車に乗り込んでからようやく、すでに会議が半ばまで進んでいる時間だと気づいた。綾子の逮捕で慌ただしく、執事にはスマホを見る余裕もなかった。そこで慌てて取り出して確認すると、周防取締役たちからの着信とメッセージが何件も入っていた。執事はすぐに返信し、若旦那様はすでにそちらへ向かっているので、何とか会議を引き延ばしてほしいと頼んだ。その頃、新井グループの上層階にある役員会議室では。取締役会はすでに二十分ほど進んでいた。この二十分の間、両派は真っ向からぶつかり合い、それぞれの主張を譲らず、議論は平行線をたどっていた。最後には、近藤取締役の陣営が、蓮司は自ら職務権限を放棄したのだ
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第1659話

近藤取締役は言った。「だからこそ言っているのです。新井社長が身動きの取れない状況で、なおかつ会社を止めるわけにはいかない以上、能力のある人間に職務を代行させる。それは合理的で、ごく当然の判断ではありませんか。池田俊哉(いけだ しゅんや)こそ、今もっとも適した人材です。経歴は申し分なく、金融の中心地で世界有数の企業の重役を二十年務めてきた。まさに今の新井グループが必要としている人材です」近藤取締役がそう言い終えると、周防取締役は彼を睨みつけた。相手側が外部招聘という形を取ろうとしている以上、周防取締役も完全には否定しきれなかった。もし悠斗をトップに据えようとしていたなら、私利私欲のためだとか、悠斗自身の業務能力にはまだ検証の余地があるとか、筋道立てて反論できたはずだ。「周防取締役、新井社長は本当に出席しないのですか?」中立派であり、グループの発展と利益だけを重視する大島取締役が、周防取締役に尋ねた。「この時点でなお本人が姿を見せないのであれば、こちらとしては、自ら役職を放棄したと受け取ることもできます。取締役会に出席しないというのは、取締役会そのものを軽んじている行為です」大島取締役は続けた。「私個人としても、新井社長が今、私的な事情に追われていることは理解できます。ですが、近藤取締役の言葉にも一理あります。会社は前へ進まなければならない。発展し続けなければならない。どのような出来事があっても、そこで停滞するわけにはいきません」大島取締役のその言葉で、中立派の態度ははっきりした。それを聞いた近藤取締役側は、顔に喜色を浮かべた。勝利を確信したような目で、近藤取締役は口を開いた。「大島取締役、今日の会議はここまでにしましょう。池田俊哉を正式に代理執行役として迎えればいい。これ以上、周防取締役たちと言い争う必要はありません。彼らはどうせ反対するだけです。彼らが見ているのはグループの利益ではなく情です。新井蓮司を無条件で支持することしか考えていません」その言葉を合図にしたように、近藤取締役側の取締役たちは席を立つ準備を始めた。中立派の面々も、それに続こうとしていた。その時、彼らが今にも結論を押し通そうとしているのを見て、周防取締役は両手を固く握りしめた。歯を食いしばり、低い声で言った。「誰が新井社長は出席しないと
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第1660話

「大島取締役……」近藤取締役は不満げに声を上げた。だが、周防取締役はそれを遮るように、さらに大きな声で言った。「もう十分だ。十五分あれば足りる。今どこまで来ているのか、こちらから電話で確認する」周防取締役はスマホを取り出し、執事へ電話をかけた。相手はすぐに出た。「今どこにいる?取締役会はもう待っているぞ」執事は答えた。「すでに下へ到着しております。若旦那様は先にエレベーターへ乗られました」「よし、分かった。分かった」周防取締役は興奮を抑えきれない様子で答え、それから大島取締役へ向かって口を開いた。「大島取締役、新井社長はもうエレベーターに乗っています。一分もかからず到着します」そう言うと、会議室にいる全員が周防取締役を見た。近藤取締役たちの顔色はよくなかったが、そこまで不安そうでもなかった。蓮司が来たところで、何ができるというのか。すでに流れは決まっていた。結果を覆すことなどできなかった。「周防取締役、わたくしは若旦那様の歩みに追いつけず、少し遅れております。若旦那様が取り乱されるようなことがあれば、どうか止めて差し上げてください」スマホの向こうから、執事の声がまた聞こえた。それを聞き、周防取締役は内心で思った。怒るなら怒ればいい。手を出さない限り、止めるほどのことではない、と。周防取締役は執事の頼みに応じた。そして通話が切れたその瞬間、会議室の扉が外から押し開かれた。全員が音のしたほうへ目を向けた。次の瞬間、蓮司が中へ入ってきた。表情は冷えきっており、瞳には鋭く冷たい光が宿っていた。蓮司はまず、周防取締役と大島取締役たちに軽く会釈した。それから近藤取締役へ視線を移した。目の奥に滲む荒々しい怒りは、どう隠しても隠しきれなかった。近藤取締役はその気迫に気圧され、無意識に上体をわずかに後ろへ引いた。それでも何とか踏みとどまり、足までは下げなかった。「新井社長、病院で自ら辞任すると口にしたのは、あなた自身です。加えて、あなたはこのところ会社を失望させるようなことをあまりにも多く起こしている。だから取締役会は、暫定的にあなたを退かせ、外部から人材を招いてあなたの職務を引き継がせると決めたのです」近藤取締役は背筋を伸ばして言った。「外部招聘か。ずいぶん聞こえのいい言い方だな。結局は、あんたらの
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