All Chapters of 3年間塩対応してきた夫は、離婚の話をされたら逆に泣きついてきた: Chapter 221 - Chapter 224

224 Chapters

第221話

この言葉が出た途端、さっきまで私のことを噂していた数人の顔色が一変した。その中の一人のゲストが浩賢をじっと見つめ、少し間を置いてから突然口を開いた。「どうりで見覚えがあると思ったら、記者会見で水辺先生を救ったあの藤原先生じゃないですか。その格好を見るに……お二人、実は恋人同士なんじゃ?」その言葉に私は完全に面食らった。視線を浩賢に数秒だけ止め、説明しようと口を開きかけたその時――浩賢が半ば冗談めかして言った。「その質問は、今日の討論テーマには入ってませんよ。もしどうしても知りたいなら、交流会のあとで話しましょう。費用は入りません」そう言って、彼は私に目で合図を送り、私を席の方へと導いた。振り返ると、先ほど発表した数人の目には明らかな軽蔑と嘲りが浮かんでいた。さっきまで葵に対する態度とはまるで正反対。ふと見ると、同じくインターンである葵は、八雲の隣に寄り添い、皆からの賞賛と喝采を受けている。「そんな言葉、気にすることないよ」浩賢は私の心の中を見透かしたように言った。「今日ここに来られただけで十分ラッキーさ。こっそり教えるけど、今夜のデザートはミシュランの巨匠が手がけた特製だって。あとで全部味見しよう」その穏やかな笑顔に、私はふっと肩の力が抜けた。――そうだ、誤解や偏見なんてどこにでもある。そんな人たちのせいで気分を乱す必要なんてない。二分間のスピーチが終わったら、思いきり食事を楽しめばいい。だが、葵が私の隣に座ることになるとは、思いもしなかった。彼女は少し落ち着かない様子で私を見つめ、弁解するように言った。「主催者にお願いしたんです。八雲先輩は業界の大御所ですから、壇上に座るのが当然でしょう?私はそんな立場じゃないので、主催者が急きょ席を変えてくれたんです……」――なるほど、気が利く子だ。私は軽く微笑んで答えた。「そうか」やがて交流会が、参加者たちの期待の中で幕を開けた。主催者は順番に業界のさまざまなレベルのゲストを壇上へ招き、その中にはニュースで見たことのある人物も何人かいた。おかげで実に勉強になった。時間が刻一刻と過ぎ、もうすぐ私の前の発表者の番になった。心臓が高鳴り、握っていた原稿をさらに強く握りしめた。「学術誌に掲載された内容だし、大丈夫だよ、水辺先生」浩賢は私の緊張に気づき、優しく励
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第222話

私は、数多のゲストたちの視線を背に、ゆっくりと壇上へと上がった。森本院長が言っていた通り、今の私の経歴では、本来ここに立ち、業界で功績を上げた大御所たちと並ぶ資格などない。しかも不運なことに、発表原稿は最も大事な瞬間に台無しになってしまった。つまり、今日この場で皆の認めと称賛を得ようと思えば、それは想像の百倍、千倍も難しいということ。いや、下手をすれば大恥をかくかもしれない。東市協和病院の顔に泥を塗り、外で囁かれている偏見と敵意を証明してしまう。――もしかすると、やめた方が賢明なのかもしれない。少なくとも体面だけは保てる。けれど私は、それを選ばなかった。水辺優月という人間は、決して臆病者ではない。たとえ困難だと分かっていても、私は迷わず壇上に立った。下を見れば、疑念、軽蔑、好奇、戸惑い――さまざまな感情が混じった視線が私に注がれている。私は深く息を吸い込み、二分間のスピーチを始めた。「手術中に患者の脳機能を覚醒させる際、最も危険なのは技術的なミスではなく、痛みに対する傲慢さです。……」不思議なことに、原稿が読めなくなっているはずなのに、実際に話し始めるとほとんど詰まることはなかった。検証済みのデータや内容が、まるでプロジェクターに映し出された映像のように頭の中で浮かび上がっていく。話せば話すほど興奮し、楽しくなっていく。気づけば、長いと思っていた二分間は、あっという間に過ぎていた。スピーチを終えると、私は深く一礼した。だが、会場は水を打ったように静まり返っている。胸の奥がわずかに沈んだ。――やはり駄目だったのか。そう思って壇を降りようとした、その瞬間。耳に飛び込んできたのは、雷鳴のような拍手の音だった。驚いて顔を上げると、同業者たちの目には、はっきりと「認めた」という感情が宿っている。鼻の奥がつんと熱くなり、私はそっと拳を握りしめた。人前で涙をこぼしてしまわないように。司会者がちょうど壇上に上がってきて、私の手を握った。「いやぁ、今の水辺先生のスピーチ、本当に驚かされました。まさか東市協和病院の麻酔科インターンだったなんて!それと――」彼女は一呼吸おいて、にっこりと笑った。「皆さん、もっと驚くことがあります。今の二分間の発表、水辺先生は原稿なしで話していました。これからが末恐ろしいですね
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第223話

八雲も、そのことには気づいていたのだろう。彼はいつだって、葵の感情を誰よりも早く察してきた。たとえ今、この場で注目を浴びているのが私であっても。胸の奥に空虚さが広がり、心臓が海水に浸されたようにじんと痛んだ。私は平然を装いながら水を口に含んだが、その瞬間――携帯が震えた。この時間に、誰が?不思議に思いながらバッグを開け、画面を見た瞬間、心臓が激しく鳴り響いた。またしても、あの「050」から始まる仮想番号。すでに捕まったはずの青木マネージャーたちの顔が頭をよぎり、私は苛立ちながら通話を切った。だが、二秒も経たぬうちに、再び振動。発信者は同じ番号。私は画面を手で覆い、眉間に皺を寄せた。「どうした?」浩賢が私の様子に気づき、心配そうに訊いた。「何かあったのか?」私は首を横に振り、振動が止まない携帯を握りしめながら、とっさに言い訳をした。「ちょっとお手洗いに行ってくるね」宴会場を出て、深く息を吸い込み、通話ボタンを押した。次の瞬間――受話口から、あの独特で人を惑わすような声が響いた。「へぇ、水辺先生は思っていたより賢くて、面白い人だね」「あなた、誰?」私はそっと録音ボタンを押し、「何が目的?」と問い返した。「誰かなんて、どうでもいいさ」相手は気だるげに笑いながら言った。「たださっきの水辺先生のパフォーマンス、六十点ってところかな」「さっきのパフォーマンス」……?その言葉を反芻しながら、さきほどの「コーヒーをこぼした」出来事が脳裏によぎった。「まさか……私の発表原稿を台無しにしたの、あなたなの?」信じられない思いで問い詰めると、受話口の向こうから、不気味な笑い声が響いた。しかもその笑いは、長く続いた。やがて彼が、低く冷たい声で言った。「そんな子供じみたことに、興味ないよ」その声色には、ぞっとするような鋭さがあった。私は切り込むように言った。「じゃあ、何が目的なの?はっきり言えば?」「目的なんてないさ。ただ、水辺先生が自分で『スタートボタン』を押したゲームだからね。続ける義務はあるだろ?」彼はゆっくりとした調子で言った。「それと……今夜のドレス、とても似合ってるよ。綺麗だ」……ドレス?私は思わず視線を落とし、自分の衣装を確かめた。そしてふと顔を上げた瞬間、廊下の奥を通り過ぎる
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第224話

天井の非常灯が青白く点滅し、まるで手術室の無影灯のようだ。私ははっきりと感じた。エレベーターが半階ほど激しく落下した後で止まり、わずかな揺れが残っていることを。「星空バンケットホール」は十九階にある。ざっと計算すると、今エレベーターが止まっているのは十八階前後だろう。この高さでさらに何かが起きたら――私は、奈落の底へ落ちてしまう。死の気配が、息苦しいほど胸を締めつけた。私は横でちらちら光る携帯の画面を見つめながら、ゆっくりと身をかがめた。だが、画面には【圏外】の表示。形のない絶望が胸の奥から込み上げてきた。頭上のかすかな明かりを頼りに、私はエレベーターの前方へと身を寄せ、非常ボタンを探った。慎重に指先で触れると――そのボタンは接着剤で固められ、壊されていた。すべてがあまりに出来すぎていて、まるで最初から仕組まれていたかのようだ。私は絶望的な気持ちで手を引っ込めた。再びエレベーターがわずかに軋み、体が浮くような感覚に襲われた。慌てて手すりを握ったが、膝は勝手に震えていた。そのとき――頭上から、あの人の声が響いた。「今、水辺先生の血中酸素濃度はどれくらいまで下がっているんだろうね?」私は驚愕のあまり顔を上げた。恐怖と怒りが入り混じる。それでも、最後の矜持を保ちながら言い返した。「そんな卑劣な手しか使えないの?なぜ姿を見せないの?電話越しにしか話せないなんて、そんなに人前に出られないの?」嘲るような笑い声が返ってきた。「言っただろう?挑発しても無駄だって。ひとつ忠告しておこう。このエレベーターを支えてるロープは、あと五分しかもたない。五分のあいだに助けが来るか、自力で脱出できるか……それは水辺先生の運次第だ」笑い声が次第に遠ざかっていく。私は緊張でスマートフォンを握りしめ、再び画面を確認したが、依然として【圏外】のままだ。時刻を見て、あの「謎の声」が言っていた残り五分を思い出し、胸の奥が恐怖と無力感で締めつけられた。――あと五分。もし、あの男の言葉が本当なら、残り三百秒で誰にも気づかれなければ……まるで溺れる者が必死にもがくように、私は喉が裂けるほどの声で助けを叫んだ。だが、時間は無情に過ぎていく。スマートフォンの時計が残り二分を示したとき、私はもう声も出なくなっていた。それに
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