その日の夜10時。北城では、一台の黒いマイバッハが、ウェストコートレジデンスへと入って行った。そして、車が停まるとすぐに後部座席のドアが開いて、哲也が降りてきた。彼は慌てた様子で邸宅の中へ駆け込んでいくと、車内に残った賢は、火事場へ駆けつけるかのような上司の後ろ姿を見つめ、静かにため息を漏らした。哲也が邸宅に入るやいなや、彩香がすぐに出迎えた。「旦那様、やっとお帰りになりましたか。日向様が、声が枯れるまで泣き続けていらっしゃるんですよ」哲也は黒いコートを脱いで彩香に手渡すと、すぐに靴を履き替え、足早に2階へと向かいながら尋ねた。「優希は?」「奥様も熱を出しておられます。先ほど少し様子を見にいったのですが、ぐっすり眠っておられました。ですが、日向様が母親を恋しがってぐずりだして......私たちがいくら宥めてもダメだったのです。かといって、奥様を起こすわけにもいきませんし」哲也は階段を上りながら尋ねた。「先生は何と?」「インフルエンザだそうです」哲也は足を止めて聞き返した。「二人ともか?」彩香は頷いた。「ええ、最近流行っているみたいです」「分かった」そして、哲也が最後の階段を上りきったとき、日向の泣き声が止んでいることに気がついた。泣き止んだのか?哲也と彩香は不思議そうに顔を見合わせると、子供部屋へと足を速めた。子供部屋では、マスクをつけた優希がベッドに座って日向を抱きしめ、その背中を優しく叩いていた。「日向、いい子ね。ママがそばにいるから大丈夫よ」「ママ、苦しいよ......」日向はしゃくりあげながら訴えた。その泣きすぎてかすれた声は、聞いているだけで痛ましかった。「ママも分かってるわ。風邪をひくと辛いのよね。でも先生が言ってたでしょ?目を閉じて、いい子で眠るの。そうすれば、きっと楽になるから」「いやだ......眠れないもん」「じゃあ、ママが子守唄を歌ってあげようか?」日向は一瞬ためらったが、やがてこくりと頷いた。優希は息子の背中を優しくトントンと叩きながら、子守唄を口ずさみ始めた。彼女の歌声はか細く、熱のせいかどこかか弱い響きがあった。そしてマスクから覗くその目元は、疲れきって力なく伏せられていた。一方、日向の小さな体はとっくに泣き疲れて限界だったのだろう。母親の腕の
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