All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 1551 - Chapter 1560

1664 Chapters

第1551話

「それでいいのかな?もし、私が厚かましい人間って勘違いされたらどうしよう?」「まさか!あなたはこんなに可愛いんですから、そんな風に思われるわけないに決まってるじゃないですか!」「彼はすごくハンサムなの!トップ俳優よりカッコいいし、今ブレイク中の時代劇のイケメン俳優、岡崎悠翔さんだって、彼には敵わないかも!」「うそでしょう?」寧々は信じられないという顔をした。「岡崎さんは私の推しなのに。芸能界で彼よりハンサムな人なんていないと思います!」「あの人は芸能人じゃないし。なんていうか、雰囲気も見た目も文句のつけようがないくらい素敵なの。ああいうのを何て言うんだっけ?」「色気ですか?」「そうそう!色気!」桜は箸をくわえた。「あんな極上の男性が、おまけに親切な良い人だなんて。生まれつき運のない私が、あんなイケメンでお金持ちの御曹司に助けてもらえるなんてね。うぅ……そう思うと感動してきちゃった。寧々、私もやっと運が向いてきたみたい!」それを聞いて、寧々は唖然とした。彼女の可愛すぎる単純さに驚くばかりだった。一方桜は寧々が詰め込んでいた煮物に目をやった。「でもさ、考えてみてよ。あんなすごい人に、貧乏な私がお礼を渡すとして……高いものはもちろん買えないし、かといって普通の物じゃ見向きもされないだろうし。そうだ……この煮物を持っていこうかな?」「それ、いいかもしれません!」寧々は言った。「私の煮物は出汁が効いてて美味しいんですよ。ちょっと待って、今すぐキレイなタッパーに詰めてあげます!」桜はただの冗談のつもりだったのに、寧々はすっかり本気にして、あっという間にキレイなタッパーに詰め直していた。だが、きれいに詰められた特製の煮物を見て、桜は急に怖気づいてきた。別に寧々が手作りした煮物がしょぼいとかじゃなくて、昨日の夜のことを思い出すと……恥ずかしすぎて、とてもあの人に合わせる顔がないのだ。「寧々、この時間だし、きっといないと思う。だから、やっぱりやめておこうかな!」だが、寧々は桜の胸にタッパーを押し付けると、彼女をドアの外へと押しやった。「今日は週末なんだから、お休みで家にいる可能性は高いんですから!行ってみてください!」「え、ちょっと……寧々、なんだかノリノリじゃない?」「ご近所さんなんだから、これも何かの縁じゃないですか
Read more

第1552話

桜は黙り込んだ。「にゃーん」挨拶した猫は、そのぽっちゃりした体で、開けっぱなしのドアからすっと中に入っていった。あまりの速さに、桜が止める暇もなかった。「トラちゃん!」桜は慌てて叫んだ。「何してるの!人の家でしょ、早く出て!」「にゃーにゃー!」猫は全く言うことを聞かない。自分の家と同じ広さなのに、ずっとがらんとしていて広く感じる部屋を、元気に走り回り始めた。それを見た桜は目の前が真っ暗になりながら、安人に向き直った。「ごめんなさい。この子は、いつもはこんなことしないのに……今日はどうしちゃったんでしょう」一方、安人は桜よりずっと落ち着いていた。「俺に何か用?」とだけ聞いた。「あ、そうそう。実はお礼と、お詫びを言いに来ました」桜は唇をきゅっと結び、勇気を出して続けた。「昨日の夜は、助けてくれてありがとうございました。それに、酔っぱらって変なことしちゃって……あなたは親切にしてくれたのに、私、すごく失礼な態度をとっちゃいました。帰ってからずっと気になってて……これ、ルームメイトが今朝作った手作りの煮物なんです。新鮮な材料しか使ってないし、私たちもいつも食べてるものだから、安心してください!よかったら……味見してみませんか?」そう言われ、安人は視線を落とし、桜が差し出したタッパーに目をやった。タッパーは透明で、中の煮物が見えていた。すると、しっかり面取りされていて煮崩れしていないその煮物は、なかなか食欲をそそる見た目だった。女の子の手作りと聞けば、断るのも気が引ける。「ありがとう」安人はそう言って手を伸ばして受け取った。「じゃあ、いただくよ」桜は、彼があっさり受け取ってくれるとは思っていなかったので、少しびっくりした。寧々が言ってた、近所づきあいをうまくやるのは、もう有望だ。それから安人はちらっと部屋の中を見てから、桜に向き直った。「君の猫、俺の寝室に入ったみたいだ」「え?」桜はきょとんとした。「ど、どうしましょうか?」安人は少し困ったように体をずらした。「俺は動物に触れないんだ。悪いけど、君が中に入って連れ出してくれないか?」「本当にごめんなさい!」桜は苦笑いした。「いつもご迷惑ばかりおかけして……今すぐ連れて帰りますので!」「まっすぐ行って、最初の部屋だ」と安人は言った。「はい
Read more

第1553話

それから、安人が説明する前に、綾はもう部屋の中へ入ってしまったのだ。ちょうどその時、桜が猫を抱いて寝室から出てきたところだった。彼女は薄いグレーの部屋着姿で、はだしだった。そして腕の中には猫を抱えていて、その整った顔は透き通るように白かった。こ、これは……綾の顔に、珍しく驚きの色が浮かんだ。彼女は輝星エンターテイメントの社長なのだ。桜の顔を知らないはずがなかった。この数年、桜にはヒット作こそないが、彼女の顔は本当に良く知られているのだ。そして悪い噂でいつも大きな話題を呼んでいることでも有名だった。でも、どうして?桜に会うまで、綾は安人に彼氏がいるのかもしれないとさえ思っていた。でも、まさか彼が桜のような女優と付き合っているなんて、夢にも思わなかった。綾は、安人が女優と付き合うこと自体に反対なわけではない。ただ、桜のような、一目で男を惑わすタイプの女性は、全く安人の好みだと思えないのだ。なにせ安人は見た目よりも、もっと内面を重視するタイプだと思っていたから。もちろん、もしかしたら桜は見た目以上に内面が素敵な女性なのかもしれない。綾は堅物な母親ではない。未来の息子の嫁に、これといった条件を求めているわけでもなかった。人柄さえ良ければ、あとは安人自身が好きな相手を選べばいいと思っているのだ。そう思うと、綾はすぐに桜に近づこうとした。しかし、一歩踏み出したところで、安人に腕を引かれた。綾は振り返って安人を見た。「そんなに緊張しちゃって。お母さんは彼女を取って食ったりしないわよ。ただ、あなたの彼女と、少しお話ししたいだけなのに」彼女?桜は猫を抱いたまま綾を見て、ぽかんと瞬きをした。猫を探しに入っただけなのに、何が起こってるの?「母さん、勘違いだよ」安人は困ったような顔で言った。「この人は下の階に住んでる春日さんだ。昨晩たまたま手を貸してあげたから、今日はお礼をしに来てくれたんだ。そしたら、偶然彼女の猫が部屋に入っちゃって」「あら、たまたま手を貸したら、偶然猫が入り込んでしまった……なんだか随分と複雑なご縁なのねえ」「母さん、本当のことなんだ。信じてくれよ」「安人、お母さんは信じるわ。あなたが言うことなら、何でも信じるから」そう言われ安人は唇を結んでため息をつくと、桜の方を向いた。「ごめん、
Read more

第1554話

「そんなに彼女が気に入ったのなら、輝星エンターテイメントにスカウトしたらどう?でも俺を巻き込まないで。女優に興味はないので」安人は冷めた表情で言った。「はいはい、女優に興味がないと。だったら紫藤家のあの子はどうなの?彼女はあなたに本気みたいだけど」安人は眉を上げた。「ビジネスは利益が最優先だ。母さん、確かに真帆さんは仕事のパートナーとしては申し分ない。でも、いざ結婚となると、ただの政略結婚になるだろう」「そんなこと言うなら結構よ!うちの家は、あなたの結婚を犠牲にしてまで利益を得る必要はないの。お母さんが結婚を急かすのは、あなたに心から寄り添ってくれる人と残りの人生を過ごしてほしいからよ。私たちだっていずれ歳をとるんだから。優希もいろいろあったけど、今では二人の子がいるじゃない。残されたのはあなただけよ、30歳にもなってちゃんとしたパートナーもいなくて!」「母さん、俺はまだ30歳だよ」安人はそう言って苦笑した。「30歳でまだ若いなんて思ってる?ご近所の末っ子は今年28歳で、もう二人目も生まれたわよ」綾はため息をつくと、手を振った。「もういいわ、何を言っても無駄みたいね。でも、時間がある時はもっと実家に顔を出して。二人の甥っ子と仲良くしてあげて。将来あなたが本当に独り身でいるなら、老後あの子たちを頼ることになるかもしれないでしょ」そう言われると、安人はますます何も言えなくなった。……それから綾は安人の家を出て、車で輝星エンターテイメントへ向かった。輝星エンターテイメントは、今や業界トップの芸能会社だ。社長は、綾が手塩にかけて育てた桃子が務めている。綾は一線を退き、気楽な会長として、重要なパーティーや会議にだけ顔を出す生活だった。だから、今日のように特別な予定もない日に綾が会社に現れたことに、桃子はとても驚いた。この時、社長室のソファに、桃子と綾が腰掛けていた。綾が桜のことを調べてほしいと言い出したので、桃子はさらに驚いた。「二宮さん、なぜ急に彼女に興味を抱くようになったんですか?」綾は詳しい理由を話さず、桃子に聞き返した。「あの子の顔、すごく華があると思わない?」「確かに華はありますけど、ネガティブなネタが多すぎますよ」今日会うまで、綾も桜にあまり良い印象は持っていなかった。それはスキャンダルの
Read more

第1555話

3日後。部屋で、桜はスーツケースのチャックを閉めた。荷造りは、もうすべて終わっていた。彼女は今日の午後3時の飛行機で、M市へ発つ予定なのだ。これで北城には、もう二度と戻ってくることはないだろう。いや、戻るなんて考えるまでもないのだ。ここはもともと、自分にふさわしい居場所じゃなかったんだから。そう思って桜はスーツケースを引いて部屋から出てきた。リビングでは、寧々がぼんやりと立っていた。「寧々、ぼーっとしてどうしたの?荷物はもうまとめたの?」寧々は声に振り向き、桜の手にあるスーツケースにちらっと目をやった。そして、床のカーペットを指さして眉をひそめた。「このカーペット、どうしますか?」桜はきょとんとした顔になった。そして、足元のカーペットに視線を落とした。このマンションを買ったときに一緒に買ったものだった。すごく気に入っていて、5年も使ったけど、まだ手放すのはやはり少し惜しいのだ。柄は特注品。あの頃はまだ年収数億円の人気女優で、数千万円以上するカーペットだって、気に入ればすぐに買えた。車も、この家も、そうだった。でも、あれが収入のピークだった。それからは仕事が年々減っていって、今年はほとんど収入がない。高級マンションの管理費とか、外車の保険料や維持費とか、どれも彼女にとっては大きな出費なのだ。だから桜は思い切って、人生で初めて買った車を売った。そして代わりに、小さな軽自動車を買ったんだ。家だって、もうここには戻らないんだから。売ってお金にするのが一番いいに決まってる。「このカーペットも5年ものだし、誰もいらないよね?」桜はそばに寄ると、しゃがんでカーペットを撫でた。「トラちゃんだって、ここでおしっこ何回もしてるし。もう価値なんてないよ、捨てちゃおう」その言葉を聞いて、寧々の目がまた赤くなった。「じゃあ、この家はどうしますか?」桜は部屋を見渡し、ため息をついた。「この家は本当に残念。すごく名残惜しいけど」「じゃあ、まだ売るのはやめましょうか?」寧々は胸を叩いた。「私は少しだけど貯金あります!田舎に帰ったらまず小さなお店でも開いて、ラーメンとか、パンとか売って、きっと生活していけます!」「あなたが養ってくれるの?」桜は立ち上がって、寧々の前に立った。「でも、あなたに本当に私を
Read more

第1556話

桜は寧々の涙を拭ってあげた。「はいはい、もう泣かないで。そんな長いスピーチで感動させようとしたって今はあげられる賞がないんだからね!」そう言われ、寧々はたちまち泣き止んで笑ったが、すぐにまた両腕を広げて桜に抱きついた。「ねぇ桜さん、どうして神様はこんなに不公平ですか?あなたはすごく努力してきたじゃないですか?10年ですよ、10年も頑張って、どんなプレッシャーにも負けずに夢を諦めなかったのに。神様は不公平ですよ!芸能界にあなたみたいなすごい女優が一人増えても、バチは当たらないですよね!なんでよぉ……ううっ……」寧々に抱きしめられながら、その怒りが入り混じった愛らしい泣き声に、桜も思わず鼻の奥がツンとした。それでも桜は笑って言った。「そうだね。芸能界は、私にトロフィーの貸しが一つあるってことかな」「うううっ、10年も頑張ったのに、持って行けるのはこのスーツケース一つだけなんて……カーペットも、このお家も置いて行かないといけないなんて……」寧々はわんわん泣いた。「桜さん、私は悲しいんです。自分がすごく無力に感じます。あなたのそばに3年もいたのに、何もしてあげられなかったのですから……」「なんでそう思うの?あなたはすごく私の力になってくれたじゃない。それにあなたは自分が気づいてないだけよ」桜はそばにいる猫を一瞥した。「それに、持って行くのはスーツケース一つだけじゃない。トラちゃんも一緒だし。この家を売れば、少なくとも数億円にはなる。そのお金で実家に帰って、康弘さんに大きな邸宅を建ててあげるんだ!庭付きの一戸建てよ」寧々はぴたりと動きを止め、桜から体を離すと涙を拭った。「じゃあ、私もその大きな邸宅に住んでいいですか?」その言葉に、桜は思わず笑ってしまった。「もちろんだよ。海の近くの観光地に家を建てるの。自分たちで住んでもいいし、民宿にしてもいい。もしあなたさえよければ、1階であなたの得意料理のお店をやってもいいし」「それ、すっごくいいです!」寧々はすぐに気を取り直して、涙を拭うと、また尋ねた。「でも、この家って本当に今、数億円で売れますか?」「北城はここ数年で不動産価格がすごく上がったから。6億円くらいにはなるでしょ?」桜は寧々の頭を撫でた。「それより安くても大丈夫。5年も住んだ後でもちゃんとお金になるんだから、それだけでも
Read more

第1557話

桜は、知らない番号からの電話だったので出たくなかった。でも、つい指が滑って応答ボタンを押してしまった。だから、仕方なくスマホを耳に当てたのだった。「もしもし、どなた様でしょうか?」「春日さん、私です。新井優希」桜はきょとんとした。「新井先生?」「はい。あなたからうちの法律事務所にご依頼いただいた件ですが、古川先生とも相談しまして。この裁判は、かなり厳しい戦いになりそうです」それを聞いて、桜の気持ちは沈んだ。「それって、引き受けていただけないってことですか?でも、古川先生はもう……」「春日さん、落ち着いてください」優希の声は優しかった。「お電話したのは、今お時間があるかお伺いしたかったんです。もしよろしければ、事務所に来ていただいて、詳しくお話しできませんか?」「私は……」桜は顔を上げ、セキュリティーチェックの列に目をやった。あと数人で自分の番だ。「春日さん?」「すみません」桜は小さくため息をついた。「今、空港にいるんです」「空港ですか?」優希が尋ねた。「お仕事か何かですか?」「実家に帰るところなんです」桜は言った。「今の契約だと、契約期間が終わった時にまだこの業界にいたら、自動的に更新されることになってるんです」そう言って、桜は深く息を吸い込んだ。「もう考えたんです。違約金の40億円なんてとても払えません。だから、この業界を辞めることにしました。そうすれば、あんな理不尽な契約に縛られずに済みますよね?」優希は少し黙り込んだ後、こう言った。「もし私が裁判であなたを勝たせられる、しかも引退する必要はないと言ったら……もう一度、挑戦してみませんか?」そう言われ、桜は息をのんだ。「急な話で驚きますよね。春日さん、あなたの状況はこちらでもある程度把握しています。桐島との専属契約は、この業界では有名な悪徳契約ですから。あなたは初めての被害者ではありません。弁護士として、私が全力であなたのために戦います。幸い、私にも少し人脈がありまして。契約解除に必要な違約金は、新しい事務所が肩代わりしてくれる、という話があるんですが、どうでしょう?」桜も、その方法を考えなかったわけではなかった。でも、前にもいくつかの芸能会社から声がかかったことがある。どこも口では、「違約金を払う」なんて良いことばかり言うけど、契約書をよく
Read more

第1558話

最近、なんだか怖いくらいツキが回ってきたように感じたから。これも一種の、捨てる神あれば拾う神ありってことなのかな?そう思っていると前方で、グランドスタッフが彼女の名前を呼んでいた。桜はとっさに反応できず、あたふたしてしまった。すると電話の向こうで、優希も彼女側のざわめきに気づいたようで、優しい声で言った。「春日さん、大丈夫ですよ。まずは飛行機に乗って、2、3日、ゆっくり考えてみてください。もし気持ちが変わったら、いつでも電話してくださいね」そう言われ桜は、うわの空で返事をすると、電話を切った。そして、寧々に促されるまま、急いでセキュリティーチェックを通過した。……一方で、法律事務所、優希のオフィス。「どうして、あなたが名指しで私に頼んだって、彼女に言っちゃダメだったの?」綾は笑った。「あの子、私の顔を知っているのよ」「え?」優希は興味津々だ。「どういうこと?詳しく教えて!」綾は、安人の家で桜を見かけた時のことを話した。話を聞き終えた優希は、信じられないという顔をした。「お兄ちゃんは、嘘をついてないと思うわ」「あの二人に何もないのは分かってる。少なくとも、今は、ね」綾は意味深に言った。「でも、これから先はどうなるか分からないでしょ?」自分の母親の策士ぶりに、優希は思わず笑ってしまった。「陰で自分の息子の縁談を進めるなんて、そんなことする人だとは思わなかったわ」綾は眉を上げた。「あら、何?お母さんが意地悪な姑みたいに見えるかしら?」「そんなことないわよ」優希は綾の腕をとり、甘えるように言った。「あなたは、すごく物分かりがいい人だと思ってたから。いつもお兄ちゃんに早く恋人を見つけろって急かすけど、本人が嫌がるお見合いを無理強いしたことなんてないでしょ?この間なんて、お兄ちゃんが男性を好きになったとしても、相手がちゃんとした人なら応援するって言ってたじゃない」「あれはもう、どうしようもなかったからよ」綾は言った。「それに、友達のおしゃべりのせいよ。あの方が、安人のそばにいる古川さんがピアスをしてるって言うじゃない?ちょうどその頃に安人が一人暮らしを始めたいって言い出したものだから、つい、ね……」「なんか笑える!」優希は声を立てて笑った。「お兄ちゃんがそんなわけないじゃない。ただ理想が高いだけ
Read more

第1559話

それから桜は寧々と一緒に白波町の実家に帰って、2日ほど過ごした。この2日間、桜は1日もぐっすり眠れなかった。先日の優希からの電話の内容が、ずっと頭から離れなかったのだ。3日目、桜は2日間の寝不足でできたクマを顔に貼り付けたまま、リュックを背負って一人で空港に向かった。桜の方から、優希に会いたいと連絡を入れたのだ。優希は、自分の法律事務所で会う約束を取り付けた。こうして桜は一人で北城に戻ってきた。寧々には、連絡があるまで実家で待っていてほしいと伝えただけだった。今のうちに言ったら、また彼女にぬか喜びさせてしまうかもしれないと、心配だったからだ。こうして北城に到着した桜は空港を出て、そのままタクシーで法律事務所へ向かった。30分後、タクシーが法律事務所の入ったビルの前に着いた。桜は料金を払うと、マスクをしっかり着けなおし、サングラスをかけて車を降りた。ここに来るのは、もう3回目になる。光葉は、彼女を見るなり、またとても興奮した様子で、自ら優希のオフィスまで案内してくれた。「春日さん、どうぞこちらへ!」光葉はオフィスのドアを開けながら、明るく声をかけた。桜はマスクとサングラスを外すと、素顔でも眩いほどの美しい顔に心からの笑みを浮かべ、光葉に丁寧にお辞儀をした。「ありがとうございます」ここへは3回来たが、光葉はいつもとても親切にしてくれた。光葉の親切さは普通のファンとは違う。桜は、自分を見る時の彼女の真っすぐな喜びが伝わってくる眼差しが好きだった。……そして、桜はオフィスに足を踏み入れた。広々としたオフィスで、優希がデスクの後ろから立ち上がり、彼女の方へ歩み寄ってきた。彼女はずっと待っていたようだった。それから桜を見て、優希は優しく微笑んだ。「春日さん、どうぞ座って、ゆっくりお話しましょう」「はい」二人はソファまで歩いていき、向かい合って腰を下ろした。桜が優希に会うのは初めてではない。優希はここ数年、北城で非常に有名だ。検察が扱う刑事事件の多くを、彼女が担当していたからだ。さらに、ここ2年ほどは、優希は民事訴訟をほとんど引き受けなくなっているのも事実だった。だからこそ、優希が自ら手を貸そうと申し出てくれた時は、とても驚いた。まるで棚からぼたもちが落ちてきたような気分だった。
Read more

第1560話

「ええ、だいたいそんなところですね。こういう契約は、法律の抜け穴を悪用するためだけに作られているんです。でも、違約金については交渉の余地があります。もちろん簡単じゃないですけどね。会社があなたにかけた費用と、あなたの収入を証明する資料が必要になります。でも、相手側もとっくに準備しているはずですよ。この裁判は、私でも一銭も払わずに勝つのは無理だと思います。だけど、もし会社があなたを干すために意図的に仕事を回さなかった、という決定的な証拠が手に入れば話は別です。そうなれば、ほんの少しのお金を払うだけで済むかもしれません。厄介払いの費用だと思えば安いものでしょう」「決めました!」桜は優希をまっすぐ見て、固い決意を込めて言った。「今すぐ、あなたと一緒に輝星エンターテイメントに行きます」そう言われ、優希は一瞬動きを止め、片眉を上げた。「もう一度、考え直さなくてもいいですか?」「いいんです。あなたを信じてますから!」桜の口調は、迷いのないものだった。「もしよければ、これからもずっとお仕事をお願いしたいです」優希は唇の端を上げた。「長期的な契約となると、私個人では無理かもしれません」桜はきょとんとして、すぐに思い当たった。「ごめんなさい、忘れてました。あなたは今、刑事事件を多く扱っているんでしたよね。でしたら私は……」「私個人と長期契約を結ぶのは無理だけど、うちの法律事務所となら可能ですよ!」優希は桜を見つめた。「事務所と顧問契約を結べば、普通の契約なら古川先生や他の弁護士で対応できます。それに、本当に厄介な問題が起きた時、私も見て見ぬ振りするわけがないでしょ?」桜は一瞬ためらったが、すぐにその意味を理解して笑った。「まるで特別待遇ですね。でも、私は今すっからかんなので、弁護士費用は少し待ってもらうことになりますけど」「構いませんよ。あなたが大成功したら、事務所のみんなに素敵なプレゼントでもしていただければ、それで十分ですから」その言葉を聞いて、桜はすぐに頷いた。「もちろんですよ!」……午後5時。桜と優希は、輝星エンターテイメントのビルから出てきた。優希が同席したおかげで、桃子との話し合いはとても順調に進んだ。桜がエージェント契約を希望すると、桃子はそれを快く受け入れた。その後、新しい契約の細かい条項について話し合い
Read more
PREV
1
...
154155156157158
...
167
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status