All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 621 - Chapter 630

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第621話

金魚島。健太は、綾の日常生活の世話をしてくれる島の住民を手配した。20歳の若い女性で、安藤美秋(あんどう みあき)という名前だった。彼女は秋に生まれだから、父親が美秋という名前を付けてくれたそうだ。金魚島でさらに二日間過ごした後、綾の体調はかなり回復した。ずっとベッドに横になっているのは退屈なので、外に出かけて散歩したい気分だった。美秋は綾が目が見えないことを知っていて、とても親切に面倒を見てくれていた。綾が外の空気を吸いたいと言うと、美秋は快く承諾し、彼女を支えながら住居の外の砂浜へ散歩に連れて行った。夕暮れ時で、潮風が冷たく肌寒かった。美秋は綾の肩掛けをきちんと整え、「綾さん、寒いですか?」と尋ねた。綾は首を横に振り、「大丈夫よ。美秋、この島のことを教えてくれる?」と言った。美秋は頭を掻きながら言った。「綾さん、どうしてこの島が金魚島って呼ばれているか知ってますか?」綾は「金魚に似てるから?」と答えた。「違いますよ!」美秋は笑いながら、「島に金魚がいるからです!」と言った。「金魚は淡水魚じゃないの?」「そうです。この島は大きくないんですが、いくつか小さな山があって、その一つに淡水湖があるんです。そこに金魚の群れが住んでいるんですよ」「そうだったんだ」「それで、その金魚はどこから来たのかというと、二つの説があるんです。一つは、もともとこの島にいたという説です。そしてもう一つは、ずっと昔、航海士がこの島に上陸した時に、飼っていた金魚を湖に放したという説です。とにかく、その淡水湖はずっと前からあって、金魚もずっとそこで繁殖し続けているんです」と美秋は説明した。綾の焦点の定まらない瞳には、青い海と空が広がっていた。しかし、彼女の視界は依然として真っ暗だった。「もし目が見えるなら、見ておきたいものね」と彼女は呟いた。美秋は彼女を見つめた。島で暮らす人々は、男女問わず肌の色が浅黒い。綾のように白い肌の人を、美秋は初めて見た。女の子は美しいものに惹かれるものだ。綾は目が見えないけれど、整った美しい顔立ちで、雪のように白い肌をしていた。太陽の下に立つと、まるで輝いているようだった。美秋は彼女から目を離すことができなかった。だからこそ、穏やかな表情の下に隠された綾の不安を、美秋
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第622話

きっと何かを隠している。綾が黙っていると、美秋は尋ねた。「どうかしたんですか?」「大丈夫」綾は落ち着いた声で言った。「ここは、島外からよく人が来るの?」「滅多にないですよ」美秋は答えた。「この島はちょっと辺鄙な場所ですからね。あまり島の外から立ち寄る人がいないんです」綾はそれ以上聞かなかった。「少し疲れたから、部屋に連れて行って」「分かりました」美秋は綾を部屋に連れて帰った。綾はベッドに横になり、目を閉じた。綾が本当に疲れている様子だったので、美秋は布団を掛けてやり、部屋を出て行った。ドアが閉まる音がした。綾はゆっくりと目を開けた。両目を失明し、何も見えない世界で、彼女は何もできなかった。この部屋から一人で出る事さえ、難しい。綾は、子供たちのことを思った。子供たちはきっと自分に会いたがっているだろうな。自分と連絡が取れなくて、寂しくて泣いていないだろうか......綾は途方に暮れ、絶望していた。以前の誠也も、今の要も、いとも簡単に自分の人生をかき乱してしまうのだから。本当に疲れた............健太は翌朝、金魚島に戻ってきた。その時、綾は寝入ったばかりだった。ドアが開く音で、彼女は目を覚ました。足音が一歩一歩近づいてくるを感じた。綾は、健太が戻ってきたのだと分かった。健太はベッドの横に立ち、目を閉じている綾を見て、唇を噛み締めて少し黙り込んだ後、言った。「二宮社長、起きているのは分かっています」それを聞いて、綾はゆっくりと目を開けた。綾は虚ろな瞳で健太の方を見て、言った。「どこに行っていたの?」「ちょっと用事を済ませてきたんです」「健太、あなたまで私に何か隠しているのね」綾はベッドにもたれかかりながら起き上がり、怒りを露わにした。「私が今目が見えないからって、誰でも私に嘘をつけると思っているの?」「違います。誤解しないでください......」「あなたは私が雇ったボディーガードでしょ。あなたの行動は全て私に報告する義務があるはずよ!」綾は冷たく怒った声で言った。「もう一度聞くわね。どこに行っていたの?」健太は綾を見つめた。しばらくして、健太は言った。「二宮社長、これは私の個人的なことで、申し訳ありませんが、お伝えできません」「あな
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第623話

あの日から、綾はさらに黙り込むようになった。以前、美秋が彼女の世話をしていた時は、彼女はまだ美秋と少しは話していたが、今はますます沈黙が続くことが多くなったのだ。時々、彼女は目を覚ましても、ただベッドに静かに横たわっているだけで起き上がろうとしなかった。またある時は、窓辺に座って、外の景色を眺めながら、波の音を聞いてぼうっとしていた。美秋と健太は、彼女の異変に気付いた。美秋は積極的に話題を探して彼女と話そうとしたが、綾は上の空で、返事も要領を得ないことが多かった。健太も、自分の隠し事によって、綾の心の中に築けたわずかな信頼と安心感が完全に崩れてしまったのだと分かっていた。彼は綾と話をしようとした。しかし、綾は全く取り合わなかった。彼女はますます心を閉ざしていった。最初はコミュニケーションを取ろうとしなかったが、やがて、昼夜を問わず昏睡状態に陥るようになった。健太は、彼女の状態が良くないことに気付いた。葛藤の末、彼はついに折れた。その日の朝、綾が目を覚ますと、健太は朝食を持って入ってきた。「目が覚めましたか。ちょうど朝食の時間です」綾は何も言わなかった。健太はベッドの脇に座り、お味噌汁を渡そうとした。だが、綾は受け取らなった。健太は言った。「少しは食べてください。食べ終わったら、子供たちに電話しましょう」それを聞いて、綾はハッとした。次の瞬間、彼女の鼻の奥がツンとした。「本当にいいの?」「ああ、本当です」男は彼女の赤い目をじっと見つめ、喉仏を動かし、同じく目を潤ませた。「もうあなたに嘘をついたりしません」綾は何も言わず、手を差し出した。渡されたお味噌汁を彼女は口に運んだ。次の瞬間、綾は眉をひそめた。「どうしましたか?」綾はお味噌汁を飲み込んでから、もう一度言った。「箸をちょうだい」男は彼女に箸を渡した。彼女はお味噌汁の具材をも食べてみた。そして、綾はついに確信した。彼女は唇を噛みしめ、しばらく黙ってから、言った。「味がしない」それを聞いて、男は驚いた。「そんなはずはない」彼は彼女を見つめ、喉を詰まらせた。「全く味がしないのですか?」「ええ」綾は冷ややかに笑った。「どうやら、私の味覚も失われたみたい」男は信じなかった。彼はお味噌汁を一口
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第624話

安人も言った。「母さん、出張は大変?」「ワンワン!!」縁も吠えた。綾は話を聞きながら、鼻の奥がツンと痛くなり、目が赤くなった。そして、あっという間に涙が溢れそうになった。涙がこぼれ落ち、綾は唇を噛み締め、鼻をすすった。そして、なるべく明るい声で話そうとした。「お母さんもあなたたちに会いたい。出張は大変じゃない。ただ、仕事がまだ終わらなくて。もう少ししたら帰るからね」優希は唇を尖らせ、子供らしい声に落胆の色が滲んだ。「母さん、あとどれくらいで帰ってくるの?」綾は言った。「それはまだ分からない。でも、なるべく早く終わらせて帰るね」安人は言った。「母さん、はちゃんと体に気をつけて。あんまり無理しないでね」綾は感動した。「ありがとう。お母さんは大丈夫よ。安人、心配しないで」縁は自分が無視されているのが気に入らないらしく、電話に向かって何度も吠えた。綾は笑った。「縁ちゃん、あなたはお兄ちゃんなんだから、私がいない間は安人と優希の面倒を見てくれるよね?」「ワンワン!!」綾には子供たちに話したいことがたくさんあった。しかし、子供たちに自分の異常に気づかれるのが怖かった。だから、少し話した後で、仕事が忙しいと言い訳をして、名残惜しそうに電話を切った。電話を切ると、綾は手で顔を覆い、声もなく涙を流した。自分はやっぱり、いい母親ではないのだ。可愛い子供たちを産んだものの、完全な家庭を与えてやることができなかった。しかも、これから、幼い子供たちは逆に障害を持つ母親を支えなければならないかもしれない。自分は本当にダメな人間だ。男は深刻な表情で彼女を見つめた。「三日後には、山崎さんが迎えを送ってくれます」男は優しい声で彼女を慰めた。「そちらに着いたら、彼が医者を手配しくれますので、ちゃんと見てもらえますよ」それを聞いて、綾はあることを思い出した。彼女は顔の涙を拭い、顔を上げた。「北条先生が前に、確か山崎さんの病気を診たことがあるって言ってた」男は眉をひそめた。「彼が直接そう言ったのですか?」「ええ」「北条さんは嘘をついています」男は断定的な口調で言った。「山崎さんには専属の医療チームがいます。外の医者に診てもらう必要はないし、信用もしないです」綾は眉をひそめた。「どうし彼はそんな嘘をつくの
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第625話

首都に到着したのは、夜8時過ぎだった。道中は特に問題もなかった。圭は利夫を港に送り、二人を出迎えた。やつれてげっそりとしている綾を健太が抱きかかえているのを見て、どんな修羅場もくぐり抜けてきた利夫ですら、驚きを隠せなかった。「二宮さんは毒が肝臓と腎臓に回っている症状ですね」綾はうとうとしていた。意識はあるようだが、完全に目覚めることはできないようだった。うとうとする中で、利夫と健太が自分のことを話しているのが聞こえた気がした。もっとはっきり聞こうとしたが、睡魔には勝てず、再び深い眠りに落ちてしまった。利夫は二人を、圭が所有する蘭苑という邸宅へと案内した――蘭苑には独自の警備チームが配置されており、安全面は万全だった。健太は綾を2階の寝室に運んだ。利夫はベッドのそばまで来て、腰かけた。そして綾の脈をとった。脈は彼の予想通りだった。利夫は深刻な顔つきで言った。「毒が肝臓に達しています」男の胸が締め付けられるように痛み、喉が詰まった。「何とかならないのか?」利夫は首を横に振った。「毒を盛った者は薬理に精通しており、薬の相互作用を利用して、毎日少しずつ毒を盛っていたようです。そして、ある日突然、毒が肝臓に蓄積し、脾臓に影響を及ぼします。脾臓の機能が著しく損なわれ、徐々に機能を失っていきます。そして、栄養の吸収ができなくなり、この毒を解消できなければ、彼女は衰弱していく一方でしょう」それを聞いて、男は大きく体を揺らした。「解けないのか?」「試してみることはできますが、二宮さんの今の状態では、何度か試すのは難しいでしょう」利夫は首を振りながら言った。「この種の相互作用を利用した毒は解毒が最も難しいです。毒を盛った者が処方箋を持っているなら、数種類の薬で簡単に解毒できるはずです」つまり、要が使った薬剤が分かれば、解毒は容易なのだ。要はわざとやったのだ。彼は綾を殺すために毒を盛ったのではない。綾が自分なしでは生きられないようにするためだ。彼は操り人形のような恋人を手に入れたかったのだろう。男は目を閉じた。「松本さん、お願い」利夫は立ち上がり、心配そうに彼を見つめた。「何をしようとしているのですか?」「要に会いに行く」利夫は眉をひそめた。「いけません!」「このまま彼
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第626話

利夫は薄く笑った。「二宮さんはいつ、桜井さんが碓氷さんだと知ったんですか?」「つい最近です」綾は内心焦っていた。「松本さん、誠也は北条先生に会いに行ったんですか?」「行くつもりではいますが、まだ行っていません。まず片付けなければならないことがあって、それが済んだら行くつもりです」利夫は包み隠さず言った。それを聞いて、綾にも事の重大さが分かった。「あなたは私に彼を止めてほしいと思っているんでしょう?」利夫は目の前の女性を見つめ、心の中で感嘆した。「二宮さんは、さすが山崎様が見込んだだけのことはあります。賢い上に、落ち着いています」「松本さん、出来ることなら、彼らには出会いたくなかったです」綾の目に涙が浮かんだ。「あの夜、私は交番から出て、偶然北条先生を助けたのです。そして、家に帰る途中で考え事をしていたら、赤信号で道路を横断してしまい、誠也の車に接触して怪我をしました。誠也は私を病院に連れて行ってくれて、その時、彼は私に名刺を渡して賠償の話をしてくれました。私は彼の弁護士という肩書きに目をつけ、彼と取引をしようとしたのです......」利夫はため息をついた。「運命というやつかもしれませんね」「異父兄弟である彼らに、同じ夜に出会ってしまったのです」女性の声は淡々としていて、部屋に響いた。利夫は静かに聞いていた。「これが私の運命なら、受け入れます」綾は言った。「私から北条先生に会いに行きます。松本さん、誠也を説得してください。彼が私のために、使命と仲間を裏切るなんて耐えられません。それなら、私は死んだ方がマシです。彼が任務をきちんと果たして、全てが落ち着いたあとは、子供の面倒をちゃんと見て欲しいです」彼女は自分の二人の子供たちが不憫でならなかった。生まれてから一度もちゃんとした家庭で育てられなかったのだから。これが、彼女の人生なのだ。しかし、彼女は疲れていた。本当に疲れていた。要が生きていることが、彼女の二人の子供たちへの脅威になるのなら、自分でけじめをつけてこなければならないと思った。人生なんてこんなものだ。どう生きていくか、自由に選べないのなら。子供たちのために、もう一度全力を尽くそう。少なくとも、この世を去った後、子供たちが健康で安全に生きていけるように。..
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第627話

N国、S市の空港。プライベートジェットが着陸した。機体のドアが開いた。客室乗務員に付き添われ、綾が降りてきた。綾は目が見えなかったので、ただ、生温かい風が吹きつけてくるのを感じるだけだった。この熱帯の国は、日中の気温が高い。拓馬は、要の代理として綾を迎えに来た。客室乗務員は彼女を車に乗せ、ドアを閉めた。そして、拓馬は落ち着いた運転で車を走らせた。車内は静かで、綾も落ち着いていた。拓馬は何度かバックミラー越しに綾の様子を伺ったが、彼女は静かに座っているだけで、脅迫されている様子は全く無かった。しかし、要が綾に何をしたのか、拓馬は要の最も信頼する部下として、もちろん知っていた。綾がこれほど落ち着いているのは、拓馬にとって意外だった。空港からS市の邸宅までは、車で40分近くかかる。綾は体調が優れず、後半はシートにもたれてうとうとしていた。車は邸宅に入った。ほどなくして、庭先に止まった。綾がうとうとしていると、ドアが開いた。すると拓馬の声が聞こえて来た。「二宮さん、着きました」綾は目を覚まし、こめかみをもみほぐした。そして、両手を前に出してドアを探り当て、ゆっくりと車から降りた。拓馬は彼女の周りを囲むように立っていたが、体に触れることはしなかった。要に見られたら大変なことになる。中へ進んで行き、綾が立ち止まるのとほぼ同時に、足音が近づいてきた。そして、明美の声がした。「二宮さん、私が支えてあげましょう!」綾は軽く頷いた。「ありがとう」明美は綾を支えながら、ゆっくりと邸宅の中へ案内した。リビングに入った途端、若美がちょうど階段を下りてきた。彼女も綾が戻ってきたことを知ったばかりだった。「綾さん!」若美は歩み寄り、彼女をじっと見つめた。「どうしたんですか?どうして戻ってきたのですか?」綾は平然とした顔で言った。「障害者になりたくなかったから」若美は驚いた。しばらくして、彼女は小さな声で尋ねた。「他の病院では治せないのですか?」「治せない」綾の表情は変わらない。「今は視覚と味覚が失われている。お医者さんは毒を盛られたせいだって言ってたけど、その毒は北条先生が自分で調合したものらしくて、解毒剤の処方を知っているのは彼だけなの」それを聞いて、若美
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第628話

綾は眉をひそめたが、それ以上抵抗することはなかった。要は、自分に盛った薬に絶対的な自信を持っていた。しかし、綾の脈をとった時、彼の顔色は徐々に険しくなった。脈の様子がおかしい。彼は綾の手を離し、もう一方の手で脈を取り直した。しばらくして、彼は綾の手を放した。「最近、何を食べていたんだ?」綾は冷淡な顔で言った。「十数日間も経ったのに、その間何を食べたか全部報告しろっていうの?残念だけど、途中から味覚がなくなってしまったから、何を食べたか覚えていない」要の顔色は冴えなかった。「綾、正直に言ってくれ。他に漢方薬を飲んでいないか?」「飲んでいないわよ」綾は答えた。「健太に連れ出された夜、飛行機が墜落して、小さな島に漂着したの。そこは辺鄙な場所で、医者に診てもらうことなんてできなかった」要は彼女をじっと見つめ、核心をついた。「だが、A国へ行ったはずだ。山崎さんがあなたたちを保護したんだろう?」「健太は確かに山崎さんのところに連れて行ってくれたけど、山崎さん本人には会っていない。ずっと、松本さんが対応してくれてた。彼は漢方の知識があったみたいだけど、この毒はあなたが仕組んだもので、あなたにしか解毒できないと言っていたわよ」要は彼女をじっと見つめ、依然として探るような視線を向けていた。「松本さんに自信がなかったから、私に薬を処方するような危険なことをするわけにもいかないでしょ」綾は少し間を置いてから尋ねた。「どうして私が漢方薬を飲んだと思ったの?」「なんでもない」要は彼女の肩を抱き寄せた。「まずは部屋に戻ろう。今は体が弱っているんだ。今日から、俺が解毒してやる。体内の毒がすべて排出されたら、しっかり療養する必要がある」綾は反論しなかった。彼女は本当に疲れていた。要は彼女を以前と同じ寝室へ連れて行った。ベッドに横たわると、彼女はすぐに眠りに落ちた。要はベッドの脇に座り、青白い顔の女性を心配そうに見つめていた。しばらくして、彼は立ち上がり、部屋を出て行った。ドアが閉まると、要は拓馬に電話をかけた。「古雲町の人に電話して、漢方薬をいくつか送ってもらうように言ってくれ」......誠也が目を覚ますと、そこはS国だった。ちょうどその時、中島祐樹(なかじま ゆうき)が部屋に入ってきた。彼が目を
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第629話

「ふざけるな!」誠也は眉をひそめた。「綾は何も分かっていない。要が綾に固執するのは、俺が原因だ。どうして彼女を要の元へ行かせるんだ!」「しかし、北条さんは二人の子供にまで手を伸ばしています。だから、二宮さんは、私たちの計画のためでも、あなたのためでもなく、子供たちのために協力したいと言っていました」誠也は言葉を失った。利夫は顔を上げ、真剣な表情で誠也を見つめた。「あなたも分かっているでしょう。事態はすでに泥沼化しています。二宮さんは何も悪くありません。しかし、今のところ北条さんを動かすことができるのは彼女だけなのです」誠也は目を閉じ、喉仏を動かした。「要が綾を執拗しているのは、俺のせいだ。俺が綾を巻き込んでしまった」「全てがあなたのせいとは限りません」誠也は目を開き、不思議そうに彼を見つめた。「どういう意味だ?」利夫はため息をついた。「実はあの日、二宮さんから色々な話を聞きました。9年前、彼女があなたと出会った夜、偶然にも北条さんを助けたそうです。今考えると、おそらくあの時の掃討作戦で、北条さんは逃走中に怪我をし、偶然にも事情を知らない二宮さんに助けられたのでしょう」誠也は利夫を見つめ、独り言のように呟いた。「綾が要を助けたのか......」「そうです」利夫は言った。「北条さんの思考は正常ではありません。彼は二宮さんに命を救われ、運命を変えられたと思っています。だから、生き延びたからには二宮さんを手に入れなければなりません。彼は二宮さんを自分の所有物、あるいは、戦利品だと考えているのです」「しかし、綾は要に従うはずがない......」「もちろん、彼女は北条さんを認めていません。しかし、あなたも認めていないんです」利夫は誠也を見て、首を振り、親身になって説得した。「あなたたちは二人とも、二宮さんにとって良い相手ではありません。ただ、北条さんの方がより病的です。あなたたちの父の影響下で育ち、過激派と接触したことで、精神はすでに歪んでしまっています。そしてあなたは、使命と性格の問題で、図らずも二宮さんに多くの傷を与えてしまった。この世には、因果応報というものがたくさんあります。あなたたち三人は、最初からこのような境遇に陥ることが運命づけられていたのでしょう」利夫はこの世の多くの生死を見てきたため、心はすでに冷めて
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第630話

......一週間後。その間、綾は毎日漢方薬を飲ませ続けられていた。おかげで味覚は戻ったものの、視力はなかなか回復しなかった。要は毎日、綾の脈を取り、鍼治療を施した。2週間後のある朝、綾が目を覚ますと、窓から差し込む日差しに眉をひそめた。久しぶりの光に、彼女は目頭が熱くなった。ついに視力が回復したのだ。この時、既に4月になっていた。北城の雪はもう溶けているだろう。綾は布団をめくりあげ、ベッドから降りて窓を開けた。北城と比べると、ここは一年中春のような気候だ。涼やかな朝の風が吹き込み、スズメが木の上でさえずっていた。綾は二人の子供たちのことが恋しかった。音々と輝は子供たちを連れて雲城に身を隠している。雲城の環境はN国と似ているが、高原地域なので乾燥している。子供たちは慣れているだろうか。そう思っていると、誰かが外からドアを開けた。要が入ってきた。綾はそれに気づき振り返った。二人の視線が合った。要は彼女の様子をみて眉を上げて、「視力、戻ったのか?」と尋ねた。綾は軽く頷いた。要は綾に近づき、大きな手で彼女の顎を優しく掴んだ。綾は抵抗せず、顎を少し上げさせられたまま、至近距離で要の目を見つめた。要の色っぽい瞳に笑みが浮かんだ。「視力も戻ったことだし、そろそろ俺たちの結婚式を本格的に考えようか」綾は感情を表に出さずに、「好きにして」と答えた。要は、綾が乗り気でないことを知っていた。しかし、彼女には選択肢がない。二人の子供のためなら、綾は何としてでも生きようとするだろう。要はそう確信していた。要にとって、綾は子供たちを深く愛しているように見えたからだ。誠也はもうこの世にいない。綾は、子供たちを孤児にすることは絶対にできないはずだ。ましてや、自分が障害者になることなど、考えられない。綾のすべての行動基準は、子供たちのためなのだ。そう思うと、要は嫉妬した。綾が子供たちに注ぐ愛情を、少しでも自分に分けてくれれば、こんな風に嫉妬することはないのに。しかし、若美の胎内の子供が、あと数ヶ月で生まれることを考えると、要の気分は少しだけ晴れた。「綾、あなたがどんな理由で俺の傍にいるかなんて、俺は気にしない」要は綾を深く見つめた。「俺を責めるな。これは、
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