All Chapters of 碓氷先生、奥様はもう戻らないと: Chapter 691 - Chapter 700

702 Chapters

第691話

庭では、二人の子供たちが誠也と楽しそうに遊んでいた。子供たちの楽しそうな笑い声が部屋の中に響いてくる。綾は、微笑みながらそれを見ていた。「星羅、写真とビデオをたくさん撮ってくれる?」星羅の気持ちは重かったが、平静を装おうと努めていた。「うん」彼女はカメラを取り出し、様々な角度からシャッターを切った。雪の中で、誠也は雪だるまの前にしゃがみ、二人の子供たちは彼の両脇に立っていた。三人揃って、綾の方を見た。大きな窓越しに、家族四人の視線が交わった。綾は手を上げ、指先をそっとガラスに当てた......カシャッ。その瞬間を、星羅はしっかりとカメラに収めた。彼女はそれを見ながら、鼻の奥がツンとした。ドナー登録センターからは、まだ良い知らせが届かない。先日、丈から、もしドナーが見つからなければ、綾はこの冬を越せないだろうと言われた......星羅は、こぼれ落ちる涙を慌てて拭った。......夜、史也と文子、そして輝がやってきた。綾は体調が優れなかったので、彼らは少しの間だけ子供たちを連れて一緒に過ごした後、帰って行った。再び、特別入院病棟の中に静寂が戻った。残ったのは、誠也と、専属のヘルパーだけだった。綾は、ここ数日、ますます眠気が強くなっていた。今日は子供たちがいたので、何とか頑張って起きていたのだ。子供たちが帰ると、彼女は寝室に戻り、化粧も落とさずにベッドに倒れ込むようにして眠ってしまった。そこを、誠也は漢方薬を持って部屋に入ってきた。ベッドサイドには小さなオレンジ色のランプがついている。彼女はベッドにもたれかかり、ぐっすりと眠っていた。きっと体の痛みで苦しいのだろう。眠っている間も彼女は眉をひそめていた。誠也は漢方薬を隣のテーブルに置き、ベッドの脇にしゃがみ込んだ。必死に耐えている彼女を見て、彼もまた胸が締め付けられるような痛みを感じた。彼女がどれほど努力し、強い人間なのか、彼は知っている。鎮痛剤はもう効かなくなっていた。彼女は二人の子供のために、誰よりも強く、勇敢に生きようとしていた。しかし、病魔は容赦なく彼女を蝕んでいく。先日、医師たちは再び会議を開き、状況は楽観的ではないと判断した。誰も綾に真実を告げてはいないが、おそらく彼女自身も気
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第692話

その日誠也は一日中外出していて、戻ってきた時は既に夜だった。部屋の外で待機していたヘルパーは、誠也の姿を見るとすぐに言った。「二宮さんは午後、少しの間目を覚ましましたが、佐藤先生が診察した後、また眠ってしまいました」誠也は眉間を揉みながら、「お疲れ。ここからは俺が付き添っているから、休んでくれ。何かあればまた呼ぶから」と言った。「はい」ここ数日、綾の夜の見守りは、誠也がずっと行っていた。寝室はとても静かだった。誠也はベッドの脇に腰を下ろした。温かみのあるオレンジ色の照明が、綾の顔を照らしていた。彼女は目を閉じ、浅い呼吸を繰り返していた。誠也は手を伸ばし、そっと彼女の頬に触れた。眠っている彼女は、小さく眉をひそめた。それに驚き、誠也はスッと手を引っ込めた。その夜も、綾は静かに眠り続けた。誠也はベッドの傍らに一人で座り込み、空が白み始めるまで、そこから動かなかった。夜が明けた。彼は眉間を揉み、立ち上がった。......院長室。ソファに座る誠也に、丈は淹れたてのコーヒーを差し出した。「一晩中寝てないのか?」丈はコーヒーを一口飲み、反対側のソファに腰を下ろして彼を見つめた。誠也はコーヒーカップを手に持ち、目元には徹夜明けの疲れが滲んでいた。しかし、瞳は澄んでおり、依然とした張り詰めた緊張感を漂わせていた。「結果はいつ出る?」「早ければ今日だな」丈はコーヒーカップをテーブルに置き、誠也の様子を伺いながら言った。「ところで、ドナーは何か要求してきたのか?」「あなたはそれを気にしなくていい」誠也は真剣な表情で言った。「ただ手術を成功させることだけを約束してくれればそれでいいんだ」「おいおい、それはないだろう!私を信用してくれてるかは分かるが、だけど骨髄移植の手術だぞ。どんなに腕が良くても100%の成功を保証できるわけじゃないじゃないか!」誠也は俯き、眉間を指で押さえた。「分かっている」「だけど安心してくれ。私は全力を尽くす。あとは綾さんの頑張り次第だ」誠也は低い声で言った。「子供のためにも、きっと彼女は持ちこたえてくれると信じている」彼の沈んだ表情を見て、移植がうまくいかないことを心配していると思った丈は、「大丈夫だ。ドナーの検査に問題がなければ、移植の成功率は高い
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第693話

綾は口を開こうとしたが、喉が渇きすぎて咳き込んでしまった。ヘルパーが急いで水を注ぎ、ストローで飲ませた。水を数口飲むと、綾の喉は幾分楽になり、矢継ぎ早に尋ねた。「子供たちも来たの?」「ええ、来ましたよ」ヘルパーは彼女が子供たちに会いたがっていることを察し、「下に降りて、あなたが目を覚ましたことを伝えましょうか。子供たちを連れてきてもらうように」と言った。「だめ......」綾は慌ててそれを止めた。「今の私の姿を見たら、子供たちが怖がる......」ヘルパーは一瞬、戸惑った。その時、病室のドアが開いた。誠也と丈たちだった。「お目覚めですか!」丈が軽快な足取りで入ってきた。「今、碓氷さんと話していたんです。もし君が目を覚まさなかったら、揺り起こしてでも、素晴らしいニュースを伝えようと思っていたところです」綾の目に涙が浮かんだ。「もう知っています」誠也が歩み寄り、穏やかな声で言った。「綾、ドナーは今日入院して準備を始めた。これから丈たちが移植の準備をする。きっと良くなる」誠也を見つめる綾の心は感動でいっぱいになり、涙が溢れ出した。「私が眠っている間、優希と安人、大丈夫だった?」「ああ、二人とも良い子にしていたよ」誠也は言った。「だけど、お前がいないと寂しがって、優希が夜中に何度か泣いたんだ。やっぱりお前がいないとダメだから、頑張って治さないとな」綾は鼻をすすり、「うん」と頷いた。......10日後、ドナーと綾は移植の条件を満たし、いよいよその時を迎えた。移植当日、皆が見守りに来ていた。幼い優希と安人は白血病が何かは分からなかったが、母親が大きな部屋に入ること、そして、その部屋から出てきたら母親の病気が治ることを、大人たちから聞かされていた。綾はストレッチャーに横たわっていた。皆が綾の周りに集まり、励ましの言葉をかけてあげた。綾は胸がいっぱいになった。「母さん、頑張って!」優希は綾に向かって応援のポーズをとった。安人は澄んだ力強い声で言った。「母さん、頑張って!一緒に家に帰ろうね!」二人の子供たちの励ましに、綾の生きる意志は最高潮に達した。綾は二人の頭を撫でた。「うん、頑張るね」誠也は二人の後ろに立ち、静かに綾を見つめていた。綾もまた誠也の方を見た。二人の視線が交差
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第694話

12月、北城で2週間以上降り続いた雪が、ようやく止んだ。街全体が白銀の世界に包まれ、年の瀬の雰囲気が漂い始めた。医師から、綾の退院許可が下りた。骨髄移植は成功し、治療の過程で綾は非常に強い意志を保ち、医療スタッフにも積極的に協力していたため、予想以上の効果が出ていた。一般的に白血病患者にみられる拒絶反応も、綾には全く出なかった。丈をはじめとする専門医たちは、驚きと喜びを隠せないでいた。午前10時、綾は正式に退院し、看護師に車椅子で特別入院病棟へと移送された。引き続き特別入院病棟に入院し、経過観察と治療を続けることになったのだ。順調に回復すれば、今年の年末には退院して家族や友人とお正月を祝えるだろう。朗報を受け、友人や家族は既に特別入院病棟で待機していた。20日ぶりの再会は、まるで遠い時を経て来たようだった。綾は依然と痩せていて、肌の色も以前より少しくすんでいた。これは移植による軽い皮膚の拒絶反応で、しばらくすれば自然に治るそうだ。かつて腰まであった長い髪は鎖骨あたりまで切りそろえられ、黒いニット帽をかぶっていた。星羅が真っ先に駆け寄り、綾を抱きしめながら嬉し泣きした。「やっぱりね!あなたは日ごろの行いがいいから、神様が味方してくれたのよ!」綾は星羅の背中を優しく叩きながら言った。「みんな見てるんだから、泣かないでよ」とはいえ、他の人たちも平静ではいられなかった。女性陣はハンカチで涙を拭い、男性陣も目を潤ませながら笑顔を見せていた。この日を、皆ずっと待っていたのだ。分厚い雲を突き抜け、一筋の光が雪景色に降り注いだ。九死に一生を得た綾を、まるで祝福しているかのような光景だった。「母さん」「母さん!」幼い子供たちの声が、特別入院病棟の玄関から聞こえてきた。綾は振り返った。冬の柔らかな日差しの中、男が息子と娘の手を引いて、雪を踏みしめながらゆっくりと綾の方へ歩いてきた。星羅は静かに綾から離れ、一歩下がった。白衣を着た丈が星羅に近づき、彼女の肩を抱き寄せた。星羅は嬉し涙を拭いながら、無意識に夫の肩に寄り添った。最近、喧嘩が多かった二人にとって、こんな穏やかな時間は久しぶりだった。生死の境を彷徨った一家4人が、ついに再会を果たした。その光景に、居合わせた誰もが胸を
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第695話

移植後、患者の中には肌の色が濃くなる場合があるが、これは一時的なものだ。「うん!」優希はよく分からなかったが、言った。「母さんが元気でいられれば、黒くても大丈夫!優希にとって、母さんは世界で一番綺麗なんだから」綾は感動して、娘の丸くて可愛い頬を撫でた。「優希は優しい子ね」「母さん」安人は綾の指を掴んだ。綾は息子を見下ろして、彼の頭を撫でた。「安人、お母さんちゃんと帰って来たよ」だが、安人は心配そうに眉をひそめた。「母さん、痛い?」綾は微笑み、目頭が熱くなった。「痛くないよ。あなたと優希のことを考えていたら、痛くなくなった」安人は歩み寄り、両腕を広げて母親を抱きしめた。「母さん、愛してる」彼は口下手だが、たったの一言で、綾の涙を誘った。誠也はしゃがんで娘を地面に置いてあげた。すると優希も駆け寄ってきて、両手を広げて綾を抱きしめた。綾は二人の子供を腕に抱きしめ、彼らの頭に何度もキスをした。これで、子供たちのそばにいられる。成長を見守ってあげられる。人生の大切な瞬間を一緒に過ごせるようになった。綾は涙が止まらなかったが、心は喜びで満たされていた。生きててよかった。親子3人が再会する様子を見て、誠也は安堵すると同時に、少し寂しさを感じた。綾が退院する日、自分も彼女の生活から去らなければならなくなったのだ。......12月20日、綾が無菌室を出て10日目となった。仁が特別入院病棟に来て綾の脈を診ると、明るい表情を見せた。「回復具合は良好だ。このまま順調にいけば、大晦日には退院できるだろう」それを聞いて、綾は心の中で喜んだ。仁は続けた。「ただし、退院しても数ヶ月は自宅療養が必要だ」命拾いした綾は、自分の健康を何よりも大切にしていた。彼女は医師の指示を忠実に守った。仁は周囲を見回した。「碓氷さんはどこにいるんだ?」これまでの付き合いで、皆は誠也の献身ぶりを目にし、彼を綾の家族同然に思っていた。ましてや二人の子供の父親であり、綾が病気で苦しんでいる時もずっと寄り添っていたのだから、過去のどれだけの確執があっても、もう水に流すべきだろう。しかし、綾の体調が回復するにつれて、誠也は逆に忙しくなってきているようだ。仁が来る度に、誠也の姿は見かけなかった。「彼は最近、ま
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第696話

綾は本を閉じ、柔らかな声で言った。「昼間、寝過ぎたみたいで、ちょっと眠れないの」誠也が入ってきて、ドアを閉めた。「水、飲むか?」「いいえ、大丈夫」誠也は少し間を置いてから、また尋ねた。「お腹は空いていないか?」綾は彼を見て、「大丈夫、空いていない」と言った。誠也は唇を抿めて、ベッドの脇に立っていた。二人は見つめ合い、しばらく沈黙した。なんだか微妙な空気が流れた。綾は軽く笑い、「誠也、もし眠くなかったら、座って少し話でもしない?」と言った。誠也は少し驚いた。綾が理由もなく自分から話しかけてくるなんて、珍しいことだ。彼はベッド脇の椅子に座った。「最近、また起業を始めたの?」誠也は一瞬動きを止め、「どうしてわかったんだ?」と尋ねた。「先日、偶然、あなたが誰かと電話で話しているのを聞いてしまって。入札の話をしてたでしょ」誠也は彼女に隠すつもりはなかった。いずれは彼女も知るだろう。「共同経営者を見つけたんだ。会社は年明けに正式に始動する」それを聞いて、綾は少し考え、「誠也、あなたの能力は分かっているけれど、起業当初は大変でしょ?資金面もきっと厳しいはず。前に子供たちに渡してくれた財産だけど......」と言った。「綾」誠也は彼女の言葉を遮り、真剣な表情で言った。「あれは、お前と子供たちに渡したものだ。大切にしてくれ。俺のことは心配するな」「私は管理しているだけよ」綾は強調した。「あなたが元気でいる間は、その財産はあなた自身のものよ。二人の子供が成人したら、あなたが好きなように分配してあげればいい」誠也は彼女を見て、唇を抿めてから尋ねた。「その財産を俺に返したいのは、俺ときっぱりと縁を切りたいからか?」綾は少し驚いた。誠也の目に、悲しみが浮かんでいた。「まだ俺がお前に付きまとわれるのを恐れているんだな?」綾は唇を抿め、じっと誠也を見つめた。実は、彼女にはもうそんな心配はしていなかった。「誠也、今まであなたの努力は、ちゃんと見てきたわよ。私も色々あったけど、多くのことを吹っ切れるようになったの。あなたが私を支えてくれたこと、本当に感謝している。それを今更付きまとわれていると感じるなんて、そんな理不尽なことはするわけないでしょ?それに、私たちはもう約束したじゃない?子供た
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第697話

文子は大量の食材を買い込み、帰宅後、雲と彩を連れてキッチンで忙しく食材の仕込みをしていた。それもあって、キッチンでも、女たちは何やら盛り上がっていて、料理をしながら笑い声が絶えなかった。午後7時ようやくテーブルの上に美味しそうな料理が並べられた。文子は嬉しそうに言った。「​料理が揃いましたよ。皆、夕食にしましょう!」皆が次々と席を立ち、テーブルへと向かった。そして、時刻ぴったりに大輝が様々なお歳暮を手に持って到着した。彼はご飯を食べに来たついでに、年の瀬の挨拶をしに来たと言った。まさに夕食の準備ができたところに到着したことで、彼は文子から感が良いと揶揄われた。大輝はもともと人当たりが良く、その上しっかりとした家風に育てられ、両親も健在していることで、彼は年配者との付き合いも上手だったのだ。彼と文子は談笑し、文子は彼を褒めちぎった。誠也はそれを横目に見て、少し羨ましく思った。誠也は目上の人とのコミュニケーションが苦手で、人付き合いや世渡りは得意ではないのだ。しかし大輝は、ほんの少し話しただけでその場の年配者たちを笑わせることができた。誠也は初めて、コミュニケーション能力は重要だと感じた。彼は目を閉じ、静かに隅の席へと移動し、二人の子供と一緒に座った。綾は文子に促され、大輝の隣に座った。文子の意図は、誠也にも分かっていた。彼は目を伏せ、寂しさを隠した。......20人は座れるテーブルを囲んで、全員が席に着いた。そして、そこに取り分けしやすいようにと、料理はそれぞれ小分けにされて置かれていた、皆が談笑し、男たちは杯を交わし、女たちはジュースで乾杯した。皆一斉にグラスを高く掲げ、綾の退院を祝った。そこには、これからはずっと、健康であるようにとの願いを込られていた。......12時近くになり、賑やかな食事会は終わった。大輝は席を立ち、帰る前に文子から、また遊びに来るようにと言われた。大輝はそれを喜んで承諾した。綾はまだ完全に回復しておらず、10時には文子に促されて部屋に戻って休んだ。皆が帰った後、白石夫婦と北条夫婦はそれぞれの部屋に戻って休んだ。雲と彩は片付けをしていた。2階の主寝室で、綾は風呂から上がると、部屋のドアをノックする音がした。ドアの外には誠
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第698話

大晦日の梨野川、別荘はイルミネーションと飾りで彩られ、お正月を迎える喜びに満ち溢れていた。優希と安人は、誠也が買ってくれた小さな着物を着ていた。華やかな和装は活気に満ち、テレビに出てくる可愛い子役のようだった。綾の服は、星羅が用意したものだった。どれも華やかな彩りを基調としたものだった。今年のお正月は、例年以上に特別な意味を持っていた。星羅と丈は、蒼空を連れて佐藤家の本邸へお正月の挨拶に向かう必要があったので、朝早くに二人は子供たちにお年玉を渡し、少しだけ滞在してから立ち去った。綾も蒼空にお年玉を渡した。帰る間際、綾は星羅を脇に呼び寄せ、小声で尋ねた。「昨日の夜、岡崎さんから聞いたんだけど、先月、あなたと佐藤先生は喧嘩して、役所まで行ったそうね?」星羅は驚いた後、足を踏み鳴らした。「輝ったら、おしゃべりね!あなたには話さないようにって言ったのに?!」「こんな大事なこと、私に黙っていたなんて、私を友達だと思ってないの?」それを聞いて星羅は少し後ろめたくなって唇を噛みながら、呟いた。「結局、別れなかったんだから、心配しないで」「今回は何が原因だったの?」星羅は俯いたまま、口を尖らせて何も言わなかった。綾は車の中で星羅を待つ丈に視線を向け、ため息をついた。「もういいや。今後は、そんなに衝動的に行動しないで。お正月なんだから、何事も穏便に済まそうよ。佐藤家は人が多いから、あなたも言葉には気を付けて。誤解されないようにした方がいいわよ」「分かったよ!」星羅は手を振った。「じゃあ、もう行くね!」「ええ、気をつけて」綾は丈の方を見た。「佐藤先生、運転には気をつけてくださいね」「ああ、外は風が強いから、早く中に入ってください」綾は頷き、二人に手を振った。星羅は助手席に乗り込み、蒼空は一人で後部座席のチャイルドシートに座らせた。白いカイエンはゆっくりと走り去っていった。それを見届けてから綾は振り返り、家の中に戻った。リビングは相変わらず賑やかだった。大の大人二人と子供二人が床にしゃがみ込み、カルタをやっていた。以前は、誠也と輝が一緒にカルタをやるなんて、想像もできなかった。綾は優しく微笑みながら、その様子を見ていた。ただ、二人の子供たちは辺りを走り回っていて、むしろ邪魔をしていた。
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第699話

「どんな時も、綾の考えを優先にしてくれ」愛するとは、尊重することだ。これが、輝の考える愛情だった。誠也は輝をじっと見つめた。そしてこの瞬間、誠也は輝を尊敬に値する人物だと、心から思った。綾と出会った日から、輝はずっと友達として、家族として、綾のそばに居続けたのだ。輝は本当に立派で、誠也は自分が情けない気持ちになった。周囲には誰もいない。ダイニングからは、子供たちの楽しそうな声と、女性の優しい声が聞こえてきた。誠也は声を落とし、輝に尋ねた。「もうここから離れるのか?」「ああ」輝は目を伏せ、苦笑した。「私は岡崎家の跡取りなんだ。結婚して子供を持つ年齢にもなった。祖父の体調もあまり良くないから、私が結婚して子供が生まれるのを見たがっているんだ」それを聞いて、誠也は黙り込んだ。結婚に一度失敗した自分が、結婚について何か言える立場ではないと思ったのだ。「綾は知っているのか?」「まだ言ってないんだ」輝は明るく振る舞って笑った。「何日かしたら言うつもりだ。1月8日に帰る予定だから」誠也は頷いた。「わかった」......札の片付けが終わると、誠也と輝も夕食の準備に加わった。輝は文化財専門家なので手先が器用だった。だから彼のテーブルセッティングもお手の物だった。一方、誠也はそういうのは得意ではなかった。テーブルセッティングの細かい飾りつけの時、彼の両手の小指が妙に目立った。優希は理由が分からず、父親の動かない指を指さして尋ねた。「お父さん、この指、なんで動かないの?」その言葉に、誠也の顔はこわばった。綾も、娘がそんなことに気付くとは思っていなかった。「お父さんのこの指は、作り物なんだ」誠也は気楽な口調で、その事実を隠そうとはしなかった。しかし、娘を怖がらせるといけないと思い、「不思議だろ?」と付け加えた。優希は目をぱちくりさせた。「なんで作り物なの?」誠也は優しく微笑んだ。「怪我をしてしまって、作り物になったんだ」安人は父親の指を見て、優希に言った。「お父さんの指は、僕を助けてくれた時に怪我をしたんだ。それで指が悪くなって、作り物になったんだよ」「え?」優希は目をぱちくりさせ、同情するように誠也を見た。「お父さん、痛いの?」誠也は優しく笑った。「もう痛くないよ。優希、心配し
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第700話

綾は少し驚いた。子供たちと再会して初めて迎えるお正月、誠也は特別な思いでいると思っていたからだ。彼は忙しいと言った......しかし、大晦日の夜だ。仕事で忙しいはずがない。となると、プライベートの用事だろうか......綾は疑問に思ったが、それ以上は聞かなかった。「じゃあ、ご飯にしましょう」そう言って、綾は子供たちの手を引いてダイニングテーブルへと向かった。彩は子供たちの様子を見ながら、心に引っ掛かるものを感じていた。さっき電話口でで子供が「お父さん」と呼ぶ声が聞こえたのだ。彩は悠人のことを思い出した。こんなにも家族が揃う日に、誠也は子供たちの傍にいないってことは、また悠人と一緒にいるのだろうか?もしそうだとしたら、誠也は何を考えているんだ?しかし、これは彩の憶測に過ぎない。軽はずみに綾に話すわけにもいかないし、もし聞き間違えだったら、せっかく少しだけ改善した二人の関係が、またぎくしゃくしてしまうかもしれない。彩は小さくため息をついた。どうか、聞き間違えであるように。......夕食時、優希は父親のことが気になっていた。「母さん、お父さんはどこ?」綾は娘の子供用のお皿におかずを取ってあげながら言った。「用事があって忙しいの。後で帰って来るから」「幼稚園の先生は、大晦日はみんなお休みで、家族と過ごすって言ってたよ」優希は口を尖らせて、もっともらしく言った。「お父さんはきっと仕事じゃないよ。私たちを置いて、こっそり誰かと一緒にいるんだ!」綾は言葉を失った。優希は純粋だが、頭の回転が速い子だ。簡単には仄めかせない。今年の優希は、例年以上に大晦日を楽しみにしていた。お昼寝の時も、このお正月は両親が一緒にいてくれて嬉しいと、興奮気味に話していたのだ。しかし、大晦日の夕食に誠也がいない。優希の落胆は見てわかるほどだった。綾は娘の頭を撫でながら、胸を痛めた。「あなたのお父さんは誰かと一緒にいるわけじゃないの。ちょっと急用があって......」しかしそう言い終わらないうちに、外から車の音が聞こえてきた。優希の目が輝いた。「きっとお父さんだ!」綾が状況を理解するよりも早く、優希と安人は椅子から飛び降り、玄関に向かって我先にと走り出した。玄関に着くと、ちょうど背が高くスラ
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