All Chapters of 死にゆく世界で、熾天使は舞う: Chapter 11 - Chapter 20

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第一章 第10話 受付嬢ルビィ

大神殿内にある食堂で少し早めの朝食を摂った後、アモンの案内でシェイドが訪れたのは、行政区画にある自警団組合(ギルド)の本部だった。 「──本当に、良いのだな?」 アモンが問うと、シェイドは小さく頷いた。 「……俺には学者のような知識もなければ、軍人のように人を殺す覚悟もない。剣を振るうしか取り柄のない俺には、自警団の仕事が性に合ってる」 「しかしなぁ……シェイドよ、君はまだ若い。そう一つの考えに、固執する必要もなかろう? それに自警団は、常に死と隣り合わせ。何時死んでも、可笑しくない危険な仕事だ。悪いことは言わぬ、考え直さないか」 「確かにそうかもしれないが、生憎これ以外の生き方を知らないものでね」 「……そうか。そこまで言うなら、止めはすまい」 ここに来るまでの道中で、何度もアモンと話し合って決めたことだ。今更、考えを改めるつもりはなかった。 「──失礼するぞ」 「はい──」 書類の整理をしていた、二十代そこそこと思われる若い受付嬢が、アモンの声に顔を上げる。黒い髪に黒い瞳。ハルモニア人と比較すると、少し濃い肌色。聖教徒によく見られる身体的特徴を、眼前の可愛らしい受付嬢は余すことなく備えていた。黒のロングワンピースの上から白いエプロンを身に付けたエプロンドレス姿が、とても良く似合っている。 「あら、アモン様。その節はどうも、お世話になりました」 「元気そうで何よりだよ、ルビィ。ここでの仕事には慣れたかね?」 「ええ、アモン様のお陰で。それで、本日はどのようなご要件でしょう?」 ルビィと呼ばれた受付嬢が首を傾げながら尋ねると、アモンはシェイドの肩に手を置きながら、 「──この青年を、自警団組合に所属させたい。君と同じく聖教会からの迫害を受けたようでな、この度ハルモニアが受け入れることになった」 「成程。確かに、自警団は慢性的な人手不足ではありますが……宜しいのですか?」 「剣の腕前は申し分ない。あのベリアルのお墨付きだ。それに私が強要したわけではなく、彼自身の強い希望だ」 「そうですか。畏まりました」 一旦奥へと引っ込んだかと思うと、ルビィは何枚かの書類を携えて姿を現し、カウンター席に座るようシェイドたちを促した。 「何か、飲み物はお召し上がりに?」 シェイドが腰を下ろすと、
last updateLast Updated : 2025-05-08
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第一章 第11話 艶麗にして酷虐なる者 前編

夕刻── シェイドが大神殿へと戻ってくると、ドレスに着替えたセラフィナが、ちょうど客室から出てくるところだった。 「…………!」 「ほぅ……これは、これは。何と耽美な……」 セラフィナは端正な顔に薄化粧をし、シンプルなデザインの黒いドレスを優雅に着こなしていた。髪型も普段とは異なりハーフアップにしており、華奢な体躯も相まって、深窓の令嬢という言葉が良く似合う、蝶のように何処か儚げな姿へと大変身を遂げていた。 「──おかえり、シェイド。マルコシアスは、ちゃんと良い子にしていた?」 「あぁ……まるで、借りてきた猫のようだった」 普段のあどけなさが鳴りを潜め、そればかりか艶やかな雰囲気を醸し出す彼女の顔から目を逸らしつつ、シェイドは何度か首肯した。 マルコシアスは尻尾を振りながらセラフィナの元へと駆け寄ると、彼女の脚に何度も身体を擦り付ける。 「もう……駄目だよ、マルコシアス。ストッキングが毛だらけになっちゃうし、このドレスも借り物なんだから」 くすっと笑いながら、セラフィナはマルコシアスの頭を愛おしそうに撫でた。 「セラフィナよ──これから、皇帝陛下との謁見か?」 マルコシアスと戯れるセラフィナを微笑ましそうに見つめながらアモンが尋ねると、セラフィナはこくりと頷く。 「そうだね……予定より、ちょっと早めてもらったけど」 「左様か。まぁ、気持ちは分からんでもないが」 皇帝──ゼノンの傍には大抵の場合、死天衆のリーダー格である堕天使ベリアルが控えている。彼を蛇蝎の如く毛嫌いしているセラフィナとしては、なるべく顔を合わせたくはないのだろう。 「それじゃ、行ってくるよ。用事が済むまで、マルコシアスの相手をお願い出来る? 後で部屋に寄るから」 「それくらいなら、お安い御用だが……」 「ありがと。君は何時も、私に親切にしてくれるね」 口元を片手で軽く押さえると、セラフィナはころころと可愛らしい声で笑った。これまで静かに微笑むことは何度かあったが、彼女が声を出して笑ったのを見たのはこれが初めてであり、シェイドは何故だか、少しずつ自分の顔が火照ってゆくのを感じていた。 何名かの巫女たちを伴って、セラフィナがその場から立ち去ると、シェイドはぼうっと、半ば夢見心地な状態でアモンに客室へと案内された。 「──
last updateLast Updated : 2025-05-08
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第一章 第12話 艶麗にして酷虐なる者 後編

刹那──客室の扉が勢い良く開かれたかと思うと、端正な顔を歪め、険しい表情を浮かべたセラフィナが、ドレスの裾をわずかにたくし上げながら、室内へと足を踏み入れる。 「……皇帝陛下との謁見の際に、貴方の姿が見当たらなかったから、何かが妙だと思ったら……やっぱりここに居たんだね、ベリアル」 わなわなと身を震わせるセラフィナを見つめると、ベリアルは目をすっと細めながら、 「おや──思ったよりも、早いご帰還ですね」 床に伏せて震えているマルコシアスと、茫然自失としているシェイドとを交互に見やり、何が起こったのか大体察したのだろう。セラフィナの表情が、更に険しくなる。 「答えなさい……シェイドたちに一体、何をしたの?」 「何もしておりませんよ、セラフィナ。ちょっと、彼らの暇潰しに付き合ってあげただけです」 小馬鹿にした調子で、ベリアルは嗤う。 「それより、も──皇帝陛下との謁見は、如何でしたか?」 「何もかも、貴方の目論見通りの癖に……!」 誰が答えるものか。セラフィナが、ベリアルに向かってそう言おうとした瞬間── 「──質問に答えなさい。セラフィナ・フォン・グノーシス」 笑顔を崩さぬまま、ベリアルはその身から不気味なオーラを発し、わずかに語気を強めた。 直後、喉元に音もなく鋭利な刃を突き付けられたかのような悪寒が全身を駆け巡るのを感じ、セラフィナはその場から一歩も動けなくなった。 その場に磔にでもされたかの如く、身動きが取れなくなったセラフィナをギロリと睨み付けると、ベリアルはテーブルに置いてあったデスマスクを手にし、セラフィナの元へと歩み寄る。 「口に気を付けることです、セラフィナ。お前の命など、吹けば飛ぶような軽く脆いものでしょう? 育ての父との……アレスとの再会を果たさずに、ここで死んでも良いというのですね?」 「…………!」 「良い表情を魅せるじゃありませんか? そうですセラフィナ、私は君のその可愛らしい顔が、恐怖と絶望に彩られるのを見るのが堪らなく好きなんですよ……?」 恐怖に引き攣るセラフィナの頬を愛おしそうに撫でながら、ベリアルは声を漏らして笑う。 「その顔が見られたことですし、先程の無礼は許して差し上げましょう。それで? もう一度聞きますよ? 皇帝陛下との謁見は如何でしたか?」 「…
last updateLast Updated : 2025-05-09
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第一章 第13話 天使、胎動

四日後、出立の前夜── 扉をノックする音が耳に届き、書類に目を通していたシェイドは顔を上げた。 こんな時間に誰だろう、と怪訝に思いつつ返事をすると、 「──シェイド、起きてる?」 寝間着姿のセラフィナが、手燭──手に持って用いる燭台を片手に部屋へと入ってくる。マルコシアスも一緒で、セラフィナの直ぐ傍で彼女はパタパタと尻尾を振っていた。 ぴったりとした白いロングワンピースは、シンプルなデザインながらも清楚な印象を見る者に与える。すらりと伸びた細い足にはフリルの付いたくるぶし丈の白い靴下と、室内用のスリッパを履いていた。 「起きてるよ、セラフィナ──どうかしたのか?」 「ううん。君が心配だったから、見に来ただけ」 セラフィナは対面のソファに腰を下ろすと、テーブルの上に置かれていた書類の一部を手に取る。 それは、涙の王国周辺で目撃情報が多い魔族に関する調査報告書だった。姿形、生態、急所……それらが簡潔かつ丁寧に纏められている。 知性が高く、人間と同様に理性を有する上位魔族は皆、死天衆の支配下にある。つまり調査報告書に記載があるのは全て、知性が低く本能のままに生きる下級魔族……死天衆も匙を投げたレベルの畜生たちだ。 巨大な蛆虫の姿をしており、圧倒的な物量で襲い掛かってくるマゴット、血塗られた襤褸(ぼろ)きれを身に纏い、不気味な歌声を発しながら現れる精霊アルコーン……中でも危険なのは、人の顔を持つ巨大な蝗(イナゴ)"アバドン"だろうか。 マゴットと同様に、大群で襲い掛かってくるアバドン。だがマゴットよりも遥かに素早い上に顎の力も強く、そればかりか相手を長時間苦しめる猛毒まで持っている。どうやらアバドンの群れが近くにいるとラッパのような音が聞こえるらしいので、音を頼りに距離を取って、可能な限り交戦を避けた方が良いかもしれない。 それらの脅威に加えて、堕罪者まで徘徊している。セラフィナの護衛という役目を果たすには、現地の敵について予め知っておかなければならぬとシェイドは考えていた。 「早く休んだ方が良いよ、シェイド。明日は早いんだから」 セラフィナの言葉に同意するように、マルコシアスが一声軽く吠える。 「…………」 「……まだ、気に病んでいるの?」 「……あぁ」 セラフィナから事前に忠告を受けていたにも関
last updateLast Updated : 2025-05-09
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第一章 第14話 人間嫌い

同時刻── 涙の王国──王の居城。 玉座の間は血の海と化し、マゴットやアバドンといった下級魔族や、刺客として送り込まれた天使たちの死体が足の踏み場もないほどに転がっている。 「…………」 積み重なった死体の山……その頂に、襤褸きれの如き黒いローブを纏ったその男は立っていた。骨と皮しかないような痩せ細った体躯で、背には大きな黒い翼を生やしており、頭上には光輪を戴いていることから、男が嘗て天使だったことは一目瞭然だった。 男の視線は大きく開かれた扉へと向けられており──その視線の遙か先には、蜃気楼の如く不規則に輪郭を変化させる巨大かつ不気味な砂時計が聳え立っていた。 ──"崩壊の砂時計"。 男は暫しの間、感情の凪いだような目で砂時計をじっと見つめていたが、直ぐに無意味と思い直したのか、天使や魔族の亡骸を踏み躙りながら、玉座の間の外へ出た。 氷漬けとなった回廊に、男の足音だけが虚しく響く。国王夫妻も宰相も、文官も武官も侍女たちも皆、氷の中で永遠の眠りに就いていた。 恐怖に顔を引き攣らせ、力なく座り込んでいる者。その場から逃げようとしている者。ただ呆然と、立ち尽くしている者。泣き叫んでいる者。その死に様は、実に様々だ。 「…………」 回廊を抜け、王女の居室へと辿り着く。扉を開けると、男はそのまま真っ直ぐ、ベッドへと歩を進めた。 ベッドの上には白い棺が置かれており、その中には一人の美しい少女が横たわっていた。黒い長髪と白い肌とのコントラストが、何とも言えぬ儚さを醸し出している。 「……キリエ」 棺の中で眠る少女を見下ろし、何処か憐れむような調子で男は彼女の名をポツリと呟く。少女は男の呼び掛けに答えることはなく、ただ静かな寝息を立てるのみであった。 第一王女キリエ。"最終戦争(ハルマゲドン)"の後、キリエは敬虔な聖教徒でありながら、傷付いた堕天使を保護したことで罪に問われ、父である国王から斬首刑を言い渡されていた。 刑執行の前夜、彼女は自室で服毒自殺を図り──血を吐いて倒れているところを、城内にある地下牢から脱獄してきた件の堕天使──男によって発見された。 傷付いた自分を癒してくれた第一王女が、翌日に処刑されることを看守たちの立ち話で知った男は、居ても立ってもいられず自らを幽閉していた牢を破壊し、彼女を救うため
last updateLast Updated : 2025-05-09
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第一章 第15話 出発前の一波乱

ハルモニア国境守備隊駐屯地── 支給された防寒服に着替えたシェイドは、セラフィナの待つ広場へと足早に向かった。防寒服は黒を基調とした色合いとなっており、色合いだけに関して言えばセラフィナの普段着とお揃いであった。 広場に着くと、丁度セラフィナがゴブリン族の守備隊員と物資の最終確認をしているところだった。 近付いてくるシェイドに気が付いたのか、マルコシアスが尻尾を振りながら何度か吠え声を発する。その声を聞いてシェイドが来たのを察したのだろう。セラフィナは顔を上げると髪をかきあげながら、シェイドへと向き直った。 「シェイド……ぷっ!」 「どうした、セラフィナ?」 「そ、その……何と言うか……暖かそうだなって思って……」 セラフィナは口元を片手で押さえ、今にも笑ってしまいそうなのを必死に堪えている。 「……笑いたきゃ、笑えよ」 支給された防寒服は保温性が高く、機能面に関しては申し分ないと言えた。だが── 「──まるで冬眠前に、脂肪を蓄えた熊みたいだね……」 「脂肪を蓄えた熊、ね……」 セラフィナの言葉は、言い得て妙である。普段のひょろりとしたシェイドの姿を見慣れているからこそ、余計にそう見えてしまうのだろう。 「……それで、必要な物資はちゃんと揃っていたか?」 気を取り直してシェイドが尋ねると、セラフィナは白い吐息をほっと一つ吐き出しながら、小さく頷く。 「うん──ばっちりだね」 そう答えるセラフィナの服装は、黒いフード付きのマントに、これまた黒い上衣に黒い膝丈のスカート、厚手の白いストッキングに黒いブーツ。初めて会った時と一切変わらぬ格好である。どうやら、同じ衣類を複数所持しているようだ。 お世辞にも厚着とは言い難い、見るからに寒そうな服装であり、凍えてしまわないか些か心配になるが、彼女は至って平気そうである。 見ているだけで寒くなりそうな彼女から目を逸らし、シェイドは馬そりへと視線を移す。今回の調査に当たり、主な移動手段となる極めて重要な存在だ。 馬は寒さに強い品種で、軍馬よりも遥かに大きい。黒鹿毛の立派な馬体には、力強さが漲っている。 「……本当は、ドラゴンで行ければ楽だったんだけどな」 帝都アルカディアから、涙の王国国境と隣接するこの駐屯地まではドラゴンでやって来た。そのまま調査の
last updateLast Updated : 2025-05-10
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第一章 第16話 調査、開始

 転がっていたアバドンの死体の量が思いの外多く、処理にも手間取ったため、セラフィナたちが駐屯地を発ったのは当初の出発予定よりかなり遅れた宵の口であった。 死体の処理が粗方完了した時には、既に陽が沈んでいたので、シェイドは出発を一日ずらすことを提案したが、意外にもセラフィナはそのまま強行することを彼に告げた。 考え直すよう説得を試みたが、セラフィナは首を縦には振ってくれなかった。結局、折れたのはシェイドの方である。 ──"女神シェオルの加護があらんことを"。 そう言って見送ってくれた、国境守備隊の面々……果たして調査を滞りなく終えて、無事に彼らの待つ駐屯地まで戻って来られるのか。それは、シェイドとセラフィナの運と実力次第といったところであろう。 その日は幸運にも月の明るい夜で、餌を求めて彷徨い歩く鹿の群れに遭遇したり、川辺で水を飲んでいる野生の馬などをちらほらと目にする機会があった。「……こんな地獄のような環境でも、獣たちは逞しくその日その日を生きているんだな」 馬を器用に御しながら、シェイドは氷の大地で逞しく生きる獣たちの姿に感嘆の溜め息を漏らす。「──そう、だね」 シェイドの言葉に、相槌を打つセラフィナ──その視線の先では、月明かりにぼうっと照らし出された"崩壊の砂時計"が、相も変わらず終末までの残り時間を刻み、生きとし生ける者たちに迫り来る絶望を教え続けていた。「──シェイド、二時の方向にアルコーンが三体。動きを見るにどうやら、狩りをしているみたい。馬そりの進路を、十時の方向に変更してくれる?」 そう遠くない距離にいる魔族の群れを見つけると、セラフィナはシェイドに素早く指示を飛ばす。直後、幼子を思わせる不気味な歌声が、シェイドの耳に届いた。 精霊アルコーン……黒い襤褸きれを纏った死の精霊。それが近くにいる時は、必ず幼子を思わせる不気味で物悲しい歌声が聞こえてくる。 アバドンと同じく、音で接近しているかどうか判別出来るため、危険度は高いものの対処はしやすい部類に入る。「了解、セラフィ
last updateLast Updated : 2025-05-10
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第一章 第17話 堕天使アザゼル

セラフィナたちが涙の王国調査のため、国境守備隊駐屯地を発ったちょうどその頃── 帝都アルカディアでは、二十五年前に原因不明の病で亡くなったとされる皇妃ソフィアの追悼式典が行われていた。 天候は生憎の雨だったが、若くして亡くなったソフィアを偲び、大地の女神シェオルを祀る大神殿には大勢のハルモニア国教徒たちが足を運んでいた。 「……この雨の中、随分とご苦労なことだね」 やって来たハルモニア国教徒たちが、献花台に花を供えてゆく様子を柱にもたれかかりながら、デスマスクを装着した堕天使が鼻で嗤う。 「──おや、アザゼル。君も、暇を持て余してここに?」 天井の窓から入ってきたベリアルが、目の前に降り立ちながら声を掛けると、アザゼルと呼ばれた堕天使は肩を何度か上下させる。 アザゼル──彼もまた、死天衆の一柱であった。 「あぁ、暇だとも──しかし、ベリアル。君も、随分と変わっているようだね。自分が殺した女の追悼式典の様子を、ただ暇を潰すためだけに見に来るとは。悪趣味も良いところだよ?」 アザゼルがくぐもった笑い声をデスマスクの奥より漏らすと、ベリアルもまた口元を不気味に歪めて笑みを零す。 「殺したなどと、人聞きの悪い。ゼノンが対価として、あの女の魂を私に支払っただけです。病弱で、何時死んでもおかしくないような小娘の魂を、ね」 「まぁ、そういうことにしておこうか」 パイプオルガンの荘厳な音色が響いたかと思うと、巫女たちが清らかなる声で歌い始める。 「──"我が主を讃えよ"、か」 アザゼルはデスマスクを外すと、大地の女神シェオルに捧げられた讃歌に耳を傾けた。デスマスクの下より現れた端正な顔は右半分が大きく焼け爛れており、アモンとはまた異なる恐ろしさを感じさせる。 「この曲は良い──荒んだ心が、浄化されるようだよ」
last updateLast Updated : 2025-05-10
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第一章 第18話 垣間見る、古の忌憶

 涙の王国某所── 人気のない町……その中心部に建てられた、寂れた教会に足を踏み入れたセラフィナは、不気味なステンドグラスを目にして眉をひそめた。「……これは、何?」 雄々しき牛を彷彿とさせる二本の巨大な角を生やし、筋骨隆々たる複数の腕を持つ異形の像。像の中からは焔が噴き出しており、泣き叫ぶ子供たちがその焔の中へと、次々と投げ込まれている。「──そいつはモレクだよ、セラフィナ」 少し遅れて入ってきたシェイドが隣に立ち、同じようにステンドグラスを見つめながら答える。「シェイド──町の中に、生存者はいた?」「駄目だな。全員、凍死していた。生きているのは、死体に集るマゴットと、野良犬の群れだけだ。マルコシアスが馬そりの傍に陣取って、奴さんたちが馬そりに近寄らないように見張っているよ」「そう、ありがと。それで、モレクって?」 小首を傾げながらセラフィナが尋ねると、「嘗て、涙の王国で神の如く崇拝されていた大精霊だ。聖教会からは邪教認定され、徹底的に弾圧されたがな」「弾圧……」「このステンドグラスを見れば分かるように、大精霊モレクの信仰と生け贄は、切っても切り離せぬ関係にあったらしい。元々、涙の王国はお世辞にも土地柄が良いとは言えないからな。作物の育ちにくい痩せた土地で生きてゆくためには、大精霊モレクの加護がどうしても必要だったんだろう」「つまり涙の王国の人々はモレクから恩寵を賜わり、見返りとして子供たちの魂をモレクに捧げていた……ってことだね」 ハルモニア皇帝ゼノンが国を守るため、死天衆に最愛の妻ソフィアの魂を捧げたように。 ふと養父たる剣聖アレスのことを思い出し、セラフィナはわずかに表情を曇らせた。彼もまた、モレクの信仰者やハルモニア皇帝ゼノンと似たようなことをした男なのだから。「……セラフィナ?」 俯いてしまったセラフィナを見て不審に思ったのか、シェイドが心配そうな様子で声を掛ける。「──ううん、何でもな
last updateLast Updated : 2025-05-11
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第一章 第19話 不穏なる夜

 宵の口── 静寂に包まれた町の中、アルコーンの悲しげな歌声が、何処からともなく聞こえてくる。マゴットたちも昼間に比べて活発に動き回り、目に付いた動物を片端から襲撃しているのがよく見える。 教会の窓越しに外の様子を見つめていたセラフィナは大きく溜め息を吐くと、「……不本意だけど、今日はここで夜を明かすしかないね。今動いたら、格好の的になってしまうから」「……それが無難そう、だな」 教会敷地内の厩舎から戻ってきたシェイドが、セラフィナの考えに同意を示す。衣服に若干の返り血が付いていることから、どうやら外を徘徊する魔族と一戦交えてきたようだ。「馬は大丈夫そう?」「厩舎でマルコシアスも一緒に寝させるから、余程のことがない限りは大丈夫だとは思うが……」「シェイド……君さ、最近マルコシアスの扱いが、少しずつ雑になってきてない?」 姿が見えないと思ったら、そういうことか。呆れたセラフィナは再度、大きな溜め息を吐きながらがっくりと肩を落とす。とは言え、大事な移動手段である馬を守るには、確かにそれが最良の選択とは思うのだが。 マルコシアスが迎撃し、返り討ちにしたのだろう、アルコーンや野良犬たちの悲鳴が外から聞こえてくる。気にしたら負けだと思ったのか、セラフィナはそれ以上シェイドを咎めようとはしなかった。 セラフィナは礼拝堂の長椅子に腰掛けると、袋の中から干し肉を取り出し、少しずつ慎重に食べ始める。小さな口で冷え固まった干し肉を相手に悪戦苦闘している様は、さながら小動物のようであり、見ていて何処か微笑ましい。 魔族たちが集結してしまうので、夜に焚き火はご法度。況してや教会の中なので、火事にでもなったら大惨事だ。大変不便ではあるが、常温のまま食べる他なかったのである。「──ご馳走様」 食べるのに疲れたのか、将又もう満腹になったのか。干し肉を少量食べただけで、セラフィナはあっさりと食事をするのを止めてしまった。「相変わらず、少食だよな……それで身体が持つのか?」 これ
last updateLast Updated : 2025-05-11
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