冬を越えた庭は、まるで別の場所のように見えた。つい二か月前までは風にさらされるだけの殺風景だった政庁の中庭に、今は小さな花の芽が顔を出している。薄紫のクロッカス、白いスノードロップ、名も知らぬ草花の蕾。石畳の隙間にさえ緑が息づき始め、春の気配は確かにここまで届いていた。リリウスは書類の束を抱え、庭の回廊を渡っていた。議会へ提出する草案、各地の要望書、民からの嘆願。冬の間に積み上がった問題は、雪解けと同時に姿を現す。春は穏やかな顔をして、同時に容赦のない忙しさを運んでくるのだ。足取りは普段通りのつもりだった。だが、ふいに視界がかすむ。立ち止まろうとした瞬間、身体がぐらりと傾いた。「……っ」声にならない声。抱えた書類が揺れ、手から零れ落ちそうになる。「リリウス様!」鋭い声とともに、肩を支える手があった。セロだ。その眼差しは即座に周囲を見回し、必要なら医師を呼ぶ態勢さえ取ろうとしていた。リリウスは慌てて首を振り、微笑を作る。「大丈夫。……少し、眩暈がしただけ」「顔色が悪いですよ」廊下の向こうから駆け寄ってきたのはマリアンだった。書類を拾い上げながら、眉根を寄せる。「働きすぎですって、いつも言ってるのに。春先は体調を崩しやすいんですから」「そうだね」軽く笑いながら答える。確かに休む暇がないほど、働き詰めだ。それは自分ばかりではなく、動き出した国の中では皆がそうだ。けれど胸の内は、笑みほどには軽くなかった。(……本当に、ただの疲れ、なのかな)言葉にしない疑問を振り払うように歩みを進めようとした、その時だった。「……何をしている」低い声が後方から届く。振り返るまでもなく、誰のものか分かる。カイルだ。軍服の上着を羽織り、いつものように姿勢正しく立っている。視線はリリウスの頬に落ち、その色を測るように一瞬も逸らさない。「……少し、よろけただけだよ」「そうは見えん」短く切り捨てるような声。セロの肩から自然にリリウスを引き離し、自分の腕で支える。無言のまま書類の半分をさらい取ると、軽々と脇に抱え込んだ。その動作が自然すぎて、まるで最初から二人で運ぶ約束をしていたかのように見える。回廊にいた書記官たちが、ちらりと視線を交わす。声に出しては言わないが、囁きが空気を震わせる。「やっぱり……」「総帥と神子様……」好
Last Updated : 2025-08-25 Read more