新しい屋敷の朝は、今までのそれとはまるで違った。鐘の音もなければ、朝の騒めきもない。聞こえるのは、庭で風に揺れる若い柘榴の枝の葉擦れと、近隣の農夫が牛を追う声。リリウスはまだ涼しい空気の中で桶を運び、柘榴の根元に水を注いでいた。陽に透けた葉は小さく震え、しずくが玉になって落ちる。その音が、彼にとっては祈りよりもずっと身近で、心を満たす。(……こんなふうに、一日の始まりを迎えられるなんて)ふと横を見れば、マリアンが外套を翻して庭を歩いてくる。手には編み籠。中には近所から分けてもらった新鮮な野菜が詰まっていた。「リリウス様! 朝から働いてらして……でも、これで朝食をもっと彩れますわ」にこにこと籠を差し出す姿に、リリウスは笑顔で頷く。その影からヴェイルが現れ、腕組みをして呆れたように言った。「リリウス、君は妊娠中だろう。重いものは持つな」「でも、水やりくらい……」「そういうところが、昔から変わらず危なっかしいんだ」苦言めかしても、その声音は兄のように優しい。昼にはセロがやってきて、庭先の机に淡々と昼餉を並べた。塩気のきいた肉と焼き立てのパン、香草のスープ。職人の往来を背に、皆で並んで食卓を囲む。リリウスはパンを割きながら、ふと隣の子どもたちの笑い声に目をやる。近所の子らが庭に遊びに来ていて、マリアンが魔法で小さな鳥を飛ばして歓声を上げさせている。「リリウス様、こっち!」手を伸ばして呼ばれ、リリウスはその小さな手を取り、笑って庭を歩いた。午後には庭の影が長く伸び、柘榴の葉が風に揺れる。ヴェイルは子どもたちを帰し、マリアンは「また明日!」と手を振って去っていく。セロは静かに食器を片づけ、軽く頭を下げて姿を消した。残ったのは、リリウスとカイル。柘榴の若木の影が二人の足もとに重なっている。「……悪くない日だな」カイルが短く言い、リリウスは微笑んだ。「うん。僕、こういうのが好きだよ」贅を尽くした暮らしではない。でも手の触れられるところに笑顔があった。そして何より、隣にはカイルがいた。それがとても嬉しかったのだ。日が落ち、寝室に戻ると、昼間の温かな光景が夢のように胸に残っていた。けれど、横になったとき、ふいに別の顔が脳裏をよぎった。やつれた頬、濁った瞳、かつては偽りでも自分の隣にいた人——レオン。愛そうとした過去があった
Last Updated : 2025-09-04 Read more