All Chapters of 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される: Chapter 141 - Chapter 144

144 Chapters

第140話:幻影の対話

まぶたの裏側に、柔らかな光が差し込んでいた。暖かかった。奇妙なことに、魔力の激流に巻き込まれた直後とは思えないほど、穏やかな感触だった。空気が軽い。息がしやすい。喉の渇きも、体の痛みも、いつの間にか消えていた。(……ここは)ゆっくりと目を開けると、そこは神殿の地下などではなかった。柔らかな草の匂いがしていた。遠くで水音がして、空はやけに高く、風が頬を撫でていった。夢のように静かな、どこでもない場所。そして――「……かあさま」振り返ると、そこにいた。小さな足、小さな手。白い服。短く切られた髪。年の頃は三つにも満たないだろう。顔立ちは幼く、けれど不思議なほど整っていて、目だけが妙に印象的だった。見つめられて、言葉を失った。「きたの? あそびにきたの?」声も小さいが、よく通る音だった。鈴のような響き。何かを思い出しそうになる。懐かしいような、胸の奥がじんわりと熱くなるような。リリウスは、立ったまま動けなかった。「……君は……」「あのね、とうさまに、かたぐるましてもらうの。たかいたかーいって、するの。たのしいよ?」無邪気に言って、ころころと笑う。それがあまりに自然すぎて、幻だと分かっているのに、心がぐらりと揺れた。「それからね、かあさまと、うたうたうの。ふたりで、いっしょに」「……歌?」「うん。かあさまのうた、すきなの。やさしいの。ほわほわするの」リリウスは、その場に膝をついた。幻だ。わかっている。サウルが呼び出した“幻影”。自分の記憶の中から引きずり出された、喪われた命の残像。だというのに。「……どうして、そんな顔で笑えるんだよ……」ぼそりと、呟いた。「君は……本当は、生まれてこられなかったんだ。苦しくて、悲しくて、寒くて……僕は、何もしてあげられなかったのに」涙が一筋、頬を伝った。幻影の幼子は、少し小首をかしげた。「でも、かあさま、いたよ?」「……え?」「ぽん、って、て、してくれたの。あったかかったの。ずっと、いっしょにいてくれた。……だいすき、だよ?」リリウスは、言葉を失った。ただ胸の奥に、苦しみと温もりが同時に押し寄せてきた。喪ったと思っていた。失くしたと信じていた。だが、今ここに“声”があった。“存在”があった。「僕は……囚われない」かすれるように、でもしっかりと、言葉を紡いだ
last updateLast Updated : 2025-09-24
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第141話:救援の刃

「……あそこだ!」風を切って、セロの声が跳ねた。薄暗い回廊の奥、まるで空間そのものが滲むように揺れている。その中心にぽっかりと開いた“亀裂”。神殿の最深層――結界の内側へ続く、異端の空間。「マリアン、いける?」問うたのはヴェイルだったが、その目には既に迷いはなかった。マリアンは黙って一歩、前へ出た。黒の法衣の裾が静かに揺れる。指先に光が集まり、魔力が収束していく。「術式の逆解析、完了。……私が穴を広げる。全員、五秒で通ってください」「五秒で?」セロが思わず声を上げたが、マリアンは冷静に頷いた。「それ以上は、私も“持たない”。――いきますよ」指先がふっと震えた。その瞬間、空間に走っていた結界の揺らぎが音を立てて裂けた。「今だ!」マリアンが叫ぶより早く、カイルが先陣を切って跳び込んだ。その後をセロとヴェイルが追い、最後にマリアンが術の余波を押さえ込みながら滑り込む。そして、視界が反転した。次に目にしたのは、闇と光が交錯する神殿の深奥だった。結界は既に破れかけていた。床に描かれた円陣は崩れ、神代文字が断ち切られている。その中心――光をまとったリリウスが立ち尽くし、その前方、暴走する魔力の波の中に、黒衣の男がいた。「……サウル・オルド」カイルが低く呟いた。サウルは振り向いた。ゆっくりと、神にでも接するかのような静けさで。だがその目の奥には、狂気と憎悪の炎が静かに燃えていた。「来たか。……鎖を断ちに来た者たちよ」「違うな」カイルは剣を抜いた。抜刀の音が、儀式の残響と重なる。「俺たちは、光を取り戻しに来た。リリウスを……返してもらおうか」サウルの目がわずかに揺れた。だがすぐに、何かを嘲るように笑みを浮かべる。「――お前たちに、神の創造を止められると思うか?」「神を作る? それが復讐の名をした狂気だと、自分でも分かっているんだろう!」カイルが駆けた。踏み込みと同時に、剣が光を裂いた。対するサウルは、術式の残滓を纏った掌で迎撃する。鋼と魔がぶつかり、火花が散った。「退けッ!」サウルの声と同時に、結界の残響が再び唸りを上げる。魔力の奔流が周囲を薙ぎ払った。セロが地を滑りながらリリウスを抱きかかえるように守り、ヴェイルが即座に防壁を展開する。「マリアン!」「もうやってます!」マリアンの声が空気を裂
last updateLast Updated : 2025-09-25
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第142話:炎の決戦

神殿が呻いた。 石の天井が軋み、結界の隙間から赤い光が漏れる。空間そのものが灼熱に染まり、魔術の陣は、再び命を喰らい始めていた。 「退くな――!」 サウルの声が轟いた。その掌から放たれた火は、魔ではない。人の怨念と悲願が燃え上がったような、呪いに近い熱だった。 風が爆ぜ、床が焼け、空気が叫んだ。その中に立ち続ける者がひとり。 カイル・ヴァルドがそこに立っていた。 左腕に裂傷。右肩から血が滴り、脇腹には深く穿たれた傷があった。だが剣は下ろさない。足も、半歩たりとも退かない。 「なぜだ……! なぜ貴様は、そこまでして、神を否定する……!」 サウルの叫びが、呪詛に変わる。重ねられた幻術が空間を歪め、過去の影が空間に浮かび上がる。 ――火に焼かれる母娘。――神に見放された村。――血塗られた祭壇。 「見るがいい……! これが我が“喪失”だ……!」 サウルが踏みしめた大地が、再び黒く染まる。命の記憶すら呪術に変える、禁忌の術。 カイルの視界が歪んだ。痛みではない。憎しみに、心が切り裂かれる。 だが、その刹那。 「――立ってください、総帥!」 声が、背から届いた。セロだ。 背負っていたリリウスが、すでにその背から静かに降りて
last updateLast Updated : 2025-09-26
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第143話:鎖を断ち切る

「まだだ……!」膝をついたまま、サウルが呟いた。震える手が、裂けた術式の残骸に触れる。血を吐くような呼吸の中、それでも彼は、最後の言葉を紡ごうとしていた。「まだ……残っている……術式の核が……“供物”が……!」カイルが剣を握り直す。その気配を察したマリアンが、すぐさま防壁を展開しかけた。だが。「動かないで!」その声が、場を割った。立っていたのは――リリウスだった。焼け焦げた結界の中心に、まるで一点の光のように。髪は乱れ、肌は傷つき、衣の端は焦げていた。それでも、彼の瞳には曇りがなかった。「僕に、やらせて」カイルが止まった。その剣をわずかに下ろし、ゆっくりと頷く。「……任せた」リリウスは歩き出した。サウルの方へ。魔術陣の裂け目の中央へ。そこには、まだ赤黒く脈動する“核”が残っていた。喪失と呪詛と、神を呼ぶために積まれた犠牲の、最後の残滓。サウルの声が、かすれた風のように響いた。「君は……“選ばれた器”だ……。このまま核を受け入れれば……完全な供物となり……この世の理そのものが……書き換えられる……!」リリウスは、ほんのわずかに笑った。「そうかもしれない。……でも、僕はもう、誰の“器”にもならない」手を伸ばす。その指先に、淡い光が灯る。「僕は僕だ。誰かのための生贄じゃない。神の道具でもない。――“僕は、僕のために生きる”!」言葉が、空間そのものを震わせた。術式が悲鳴のように揺れた。封印の核に触れた瞬間、光が逆流する。それは攻撃ではない。祈りだった。赦しでもなく、拒絶でもなく。ただそこに“在る”と受け入れる、静かで強い意志。次の瞬間――強烈な閃光が爆ぜた。陣が、音を立てて砕ける。石の床が裂け、空気が割れ、すべての呪文が断ち切られる。サウルが、吹き飛ばされた。まるで誰かの手に背中を押されたかのように。砕けた結界の端に叩きつけられ、もう動かなかった。沈黙。眩しさの中で、皆が目を閉じた。そして、残響の最後の一滴のように、リリウスの声が落ちた。「さようなら、サウル・オルド。あなたの悲しみはここで終わる……僕はそれを、忘れない」ゆっくりと、陽の光が差し込んできた。天井の裂け目から、崩れた瓦礫の隙間を縫うように。温かかった。セロが駆け寄り、リリウスを支えた。ヴェイルとマリアンが、崩
last updateLast Updated : 2025-09-27
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