All Chapters of 捨てられたΩは沈黙の王に溺愛される: Chapter 71 - Chapter 80

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第70話:沈む都

──アルヴァレス旧都近郊、かつてハリナと呼ばれた集落。焼け焦げた家屋が、骨のように崩れていた。黒く焦げた木の柱、熱でねじれた金属──その中に、いくつか“見てはいけないもの”があった。子どもだっただろう、小さな身体の焼け跡が、壊れた窓の下で丸まっていた。まだ何かを守ろうとしたような姿勢で。「っ……」マリアンが目を覆い、膝をついた。誰も声を出せなかった。リリウスは、よろめくように一歩前に出る。焦げた残骸のそばに、半分溶けかけたセラフィアの護符が落ちていた。それは、まるで祈りごと焼き殺されたかのようだった。「光を語った──それだけで、ここまで……?」声はかすれ、誰に向けたものでもなかった。「家族ごと焼いたんだ、見せしめとして」低く呟いたのはヴェイルだった。「……ここまでやれば、誰も祈らなくなると思ったんだろう。宗教心も、希望も、すべてを“焚いた”んだよ」リリウスは唇を噛みしめた。拳を握りすぎて、指先から血が滲む。「僕が……もっと早く来ていれば……」「違う」カイルが短く言った。「それは、お前が背負うものじゃない」沈黙の中で、ひとりだけ歩みを止めない者がいた。──リーネ。彼女は焼けた家の残骸に近づき、胸に手を当てる。「これは“証拠”として、記録に残すべきもの。目を逸らしてはならない」誰もそれを否定できなかった。風がまた、焦げた空気をかき乱して吹き抜けた。それと同時に、足音が一つ響く。全員が身構えたその視線の先には──「お久しぶりです、殿下。……お怪我は、ありませんか?」セロがいた。その笑顔は変わらず、どこか懐かしい。「セロ!……怪我が治ったとは聞いていたけど、ヴァルドに入ってからは気を遣えなくてすまない」リリウスが低く言うと、セロは慌てて首を振る。「全然大丈夫です!僕は……あの時、殿下を守れて、少しでも役に立てたなら本望ですから!」その純粋な口調に、リリウスは一瞬、言葉を失う。そして小さく、息を吐いた。「そんな大それた人間ではないよ、僕は……でも、先に来ていたんだね」「はい。神王陛下から密命が出ましたので」その一言に、リリウスの目が見開かれる。神王と呼ばれるのはこの大陸には一人しか存在しない──その王の命を受けてここに来たということは、つまり。「……君はクラウディアの?」セロは小さく、でも誇
last updateLast Updated : 2025-07-16
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第71話:炎上する国土

──アルヴァレス各地。リリウスたちが北の山岳地帯を越えたその頃、ヴァルド連邦軍は既に、各戦線での進駐を開始していた。制圧されたのは、小規模な駐屯地、通信拠点、軍備倉庫。抵抗は散発的で、指揮系統は完全に乱れていた。それでも、抵抗はある。旧王政に忠誠を誓う兵の一部が、自発的に組織を作り、民間施設に立て籠もるケースも後を絶たない。中でも、ある“場所”を拠点にした者たちがいた。──神殿。セラフィア教の信仰が根づくこの地では、いまだ神殿が“避難所”として機能していた。市民の多くは、そこに「祈れば救われる」という一縷の望みを抱いて逃げ込んだのだ。しかし、アルヴァレス兵たちはそれを容赦なく踏みにじった。「──神殿が占拠された?」「はい。アルヴァレス兵の一部が、中に逃げ込んだ民間人を盾にしています。……セラフィア教の信者です。子どももいます」報告に、ヴァルド軍の前線指揮官は言葉を失った。「……神を、盾にするか」「いいえ、神じゃありません。人です……祈りを捧げた者たちを、“見せしめ”と“防壁”にしているんです」石造りの神殿の前で、ヴァルド兵たちは動けずにいた。攻め込めば、人質にされた市民が犠牲になる。だが放置すれば、アルヴァレスの残党は態勢を立て直す。「完全に……“民意”を焼き払う戦術だな。もうこの国は、崩れてくている」前線の将校が呟いた。アルヴァレスは、もはや“国”としての体をなしていなかった。きっかけはクラウディアへの見せしめだ。けれどそれが徐々に“それ以上”に侵食してきている。支配のための暴力。秩序なき独裁。その末路が、今ここにある。だからこそ──一部の市民は、ヴァルド軍の進駐を「解放」と受け止め、街路に集まり声を上げていた。「ようこそ……」「やっと、来てくれた……!」焼け落ちた街で、膝をつく母子の隣に、兵士の影が落ちる。誰かが言った。「この子は、昨日まで“異端”と呼ばれていた。……救いを願っただけで」軍靴が踏みしめる地面は、もはや灰と血と涙で濡れていた。※──夕刻。リリウスたちは、王都近郊のとある地下口へと案内されていた。かつて都市機能を支えていた古いインフラ──王都の“旧地下水路”。忘れ去られたはずのその場所は、今や密かな抵抗拠点として息を吹き返していた。岩に偽装された扉が開き、一行はそこから中
last updateLast Updated : 2025-07-17
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第72話:神子の選択

──旧地下水路、王都跡地地下拠点。天井から垂れる古びた灯火が、水路の壁を揺らしている。リリウスの一行は、その奥に設けられた会議室のような部屋に通されていた。並ぶのは、レジスタンスの幹部たち。元神官の男が一人、額に深い皺を刻み、慎重な眼差しでリリウスを見据える。「……あなたが、リリウス殿下ですね」声は低く、けれどその奥に宿るのは敬意だった。「ようやく、“語る者”が来てくれた。……ここでは、多くの声が、もう届かないのです」「その声を、僕に聞かせてください」リリウスは正面からそう言い、席に着いた。※「民間人を盾にして、神殿に立て籠もるアルヴァレス兵がいる……」リーネの言葉に、重苦しい沈黙が落ちる。「その神殿は、まだ祈りの場として機能してるんですか?」リリウスの問いに、セロが頷いた。「はい。ですが神官の多くが沈黙し、外部との接触を断っています。……恐らく、“内側”も割れている」「中に入れる手段は?」「ありません。近づいた兵は全て拒絶されました」答えたのはヴェイルだった。「不可解だな。なぜ、アルヴァレスの兵がわざわざ神殿に立て籠もる? ……あそこは民の避難所だ。焼き払うならともかく、守る理由がないはずだ」「……守ろうとしている?」リリウスは一瞬、考えるように視線を伏せた。そして、静かに口を開く。「……僕が行きます。一人で、神殿に。中の神官たちに直接、話をしたい」場が一気に凍る。「無茶だ」即座に言い放ったのはヴェイルだった。「……“中に交渉相手がいる保証”にはならない。武装している時点で、こっちには敵として見える。話が通じるとは限らないぞ」「……武器を持っていても、“祈り”を捨ててない人がいるかもしれない。僕は、それを信じたい。……祈る者として」リリウスは淡々と返す。「抵抗の中には、“祈り”を守ろうとしてる者もいるはずだ。僕はそれを見極めたい」セロが苦しげに唇を噛み締めた。「……殿下。何があっても、命は──」「大丈夫。僕は、剣じゃない。盾でもない。……ただの“語る者”です。だから行ける。行くべきなんです」ヴェイルが椅子を蹴るようにして立ち上がろうとした瞬間、低い声がそれを制した。「待て、ヴェイル」カイルだった。「……リリウスはもう決めてる。なら、俺たちにできるのは一つだ。守ることだ」その目はまっすぐにリ
last updateLast Updated : 2025-07-18
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第73話:喪われた光

──セラフィア教アルヴァレス教区 中央大神殿内。朝の陽も届かぬ石造りの回廊に、祈りの声が静かに響いていた。リリウスは、ろうそくの灯りに照らされた薄暗い礼拝堂の中で、幾人かの神官と対面していた。その後方には、アルヴァレス兵の制服を着た者たちが立っている。だが、彼らの表情には硬さはなく、むしろどこか、戸惑いすら滲んでいた。「……あなたたちは、なぜここに?」リリウスの問いに、一人の青年兵が答えた。「命令では、神殿を“制圧”せよと言われていました。でも……俺たちは、どうしてもできなかった。……ここには、俺たちの家族が祈った場所がある。俺たち自身も、ずっと……」彼は言葉を詰まらせた。「俺たちはアルヴァレス兵です。でも、“セラフィアの信徒”でもある。……この神殿を、ただの戦場にしたくなかったんです」その言葉に、神官たちも静かに頷く。リリウスは小さく目を閉じた。「ありがとうございます。……それだけで、来た意味がありました」その瞬間だった。外で、空気が割れるような音が響いた。一瞬後、神殿の壁が揺れ、外壁の一部が崩れ落ちる。「爆撃……!? 嘘だ、ここにはまだ──!」神官の叫びが終わらぬうちに、第二波の衝撃が襲う。石の天井が一部崩れ、火の粉が降り注いだ。「全員伏せろ!」アルヴァレス兵たちが即座に信徒たちをかばうように動く。リリウスも、とっさに近くにいた子供を庇った──だが、その直後、彼の背中に瓦礫が降ってきた。「殿下ッ──!」セロの声が、神殿の外で響く。※──夕刻。王都郊外、臨時救護所。白布で覆われた簡易ベッドの上、リリウスは静かに横たわっていた。肩から背にかけて深い裂傷。意識はまだ戻らない。マリアンが駆け込んだのは、日が落ちる直前だった。「リリウス様……!」駆け寄った彼女の手を、ヴェイルが制する。「眠ってるだけだ。……命に別状はない」「でも……っ」マリアンはその場に膝をつき、リリウスの手を握る。言葉にならない思いが喉を塞ぎ、涙がこぼれた。その背後に、重い足音。カイルが、無言のままベッドの傍に立った。誰にも何も言わず、ただ、しばらくその顔を見つめていた。※──夜。神殿跡地。そこに、もはや建物の影はなかった。炎は全てを焼き尽くし、祈りの象徴は、灰と化していた。立ち尽くす兵士たちの間で、誰かが呟く。「
last updateLast Updated : 2025-07-19
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第74話:新たな旗の下に

──夜明け間近、臨時救護所。 薄く差し込む朝日の中、リリウスは瞼をゆっくりと開けた。マリアンがそっと微笑みながら手を握る。 「マリアン……」 リリウスは喉を鳴らし、顔を上げた。ゆらりと揺れる炎の元で、ヴェイルが目を伏せながらうなずく。 「大事に至らず良かった」 リリウスは口を開く。 「神殿は……どうなりましたか?あの子は……」 静かな音を立て、扉が開く。現れたのはカイルだった。マリアンは立ち上がり、ヴェイルの横に行く。だが、その目は静寂の色をしていなかった。手には、布に包まれた何かを携えている。 「……神殿は崩れた。かろうじて死者はいない。君が庇った子供も無事だ」 そう言って、カイルはリリウスの傍に膝をつく。いつもと変わらぬ調子──に、聞こえたのは最初だけだった。 「……行かせたのは俺だ。なのに、行かせなければ良かったと思った……!」 感情が、声の端から滲み出た。その表情は、いつもの冷静さを突き破るような、揺らぎに満ちていた。 「君を失っていたかもしれない……そう思っただけで、戦況のことなんて、全部どうでもよくなった」 一拍、言葉が詰まる。彼は拳を強く握り、押し殺すように続けた。 「俺は……君を信じたはずだったのに、こんなに怖がっていた」 リリウスはただ、静かに目を見開いていた。驚きと、そしてどこか、迷いのない眼差しでカイルを見つめていた。 「
last updateLast Updated : 2025-07-20
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第75話:灯火は絶えず

崩れた神殿の影も、今はただの瓦礫となった。だがその日、中心に、一つの高台が設けられていた。風にたなびく新たな“旗”。その下に立つのは、静かに立ち上がった青年──リリウスだった。かつては王子として名を知られ、今は“語る者”として人々に姿を見せている人物。集まった民、神官、レジスタンス、そして武装を解いたアルヴァレス兵たちが、一斉にその声に耳を傾けていた。リリウスはゆっくりと前を見据え、声を上げた。「……僕はクラウディアの王子です。帰ろうと思えば、今すぐでも戻れる。兄は、それを望んでくれるでしょう。でも、僕は帰りません。僕は“どこかに属する”ことで救われたいんじゃない。……“誰かの居場所”になりたいんです」その言葉に、ざわめきが走る。「……僕は、誰の駒でもありません。そして貴方達も」淡々と、けれど一つひとつの言葉を、噛み締めるように告げていく。「だから、ここに“新しい国”を作ります。誰かの支配ではなく、“祈る者”と“語る者”と、“生きようとする者たち”の国を」沈黙の中で、空気が変わる。誰も言葉を挟めなかった。ただ、胸の奥に何かが燃えるのを感じていた。「この旗は、過去の象徴ではありません。争いを越えて、生き残った希望です。──それが、“新たなアルヴァレス”です」リリウスは、両手で旗を掲げる。風が吹き、光が布を照らした。銀糸の紋章が朝の光にきらめき、広場の誰もがその象徴に目を奪われる。※──その頃、クラウディア本営。演説を伝える伝令が入ると、将官たちは一様に黙り込んだ。「……なるほどリリウス殿下はアルヴァレスを“壊す”おつもりですな」神妙に言った男に、補佐官が静かに返す。「ええ、暴力ではなく民意で。支持も広がりつつあります」「まさか、あのリリウス殿下が。……さて、我らはともかくヴァルドがどう出るか」「認めずとも、止める方法がありません。“正しい”という声が、既に民の中にあるのです」※──ヴァルド陣営。リリウスの映像記録を見た将校たちは、視線を交わす。その中央で、ゼノは腕を組んだまま沈黙していた。「……やりおる。ほんとうに、やってのけるとは」誰ともなく漏らすと、カイルが通信の向こうで言った。『情勢より、意志を優先した結果だ。俺は、それを支える』「それでいいのか?我々は──」『“正しい”ものを、否定し続ける国
last updateLast Updated : 2025-07-21
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第76話:分かたれた道

──クラウディア神聖王国・聖堂最上階・封印の間。蒼白い光を湛える水晶球が、ゆっくりと脈動している。 「……応じたか、ゼノ・ヴァルド」 低く、だが決して冷たくない声が、水晶の向こうから響く。 「当然だ。リリウス殿下の動きには我らも注視している。お前ほどじゃないにせよな」 ヴァルド本営の帳の中で、ゼノは膝をついたまま、水晶に目を落とす。 「弟の意志に干渉はしない。だが、クラウディアとして“責任”は取るつもりだ」「つまり、状況次第では軍を動かすと?」「言葉を選べ、ゼノ。あの子の掲げた旗が、“信仰の再生”に繋がるなら、それは世界にとって必要だ。だが、国家を混乱させるだけの“理想”であるなら──兄としても、王としても止める」 ゼノは薄く笑った。 「お前もずいぶん変わった。以前なら“正しければいい”と言い切っていた男だ」「……変わったのではない。代償を知っただけだよ。理想を押し通して、何を失うのか」 沈黙が落ちた。水晶の光が静かにまた脈を打つ。 「私情は、ある」 アウレリウスの声が低く響く。 「リリウスを止めたいわけではない。だが、彼が“本気で旗を掲げた”なら、その背には国家がつくことになる。……それがクラウディアであるかどうかは、君の出方次第だ」「こちらも、あの旗の行方を見ている。だがゼノ・ヴァルドは王ではない。今、答えを出す権利は持たん」「ならば、見届けるといい。“語る者”が“導く者”になる過程を」 水晶球の光が一閃し、対話が断たれた。ゼノは立ち上がり、静かに苦笑交じりに呟いた。 「……やはり、あの兄弟は似
last updateLast Updated : 2025-07-22
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第77話:決起の鐘

──夜明け前、まだ陽も昇らぬ時間。深く静かな眠りの中にいるリリウスの寝顔を、カイル・ヴァルドはしばし無言で見つめていた。彼の手には、小さな封書。それにはヴァルド連邦・元首印が刻まれた封蝋が押されている。「……やっぱり来たか」微かに眉を寄せ、カイルはそれを外套の内にしまい込む。けれど、その代わりに、もう一つのものを手に取った。細い皮紐で編まれた、手作りのブレスレット。その中央に銀の輪があしらわれている。そっとリリウスの左手を取る。「戦線復帰の命令だ。……俺がいなくても、君はきっと立てる。だからこれは、弱さのためじゃない」静かに、リリウスの手首にそのブレスレットを巻きつける。「……これは誓いだ。君が迷わないように。俺が戻ると信じられるように」巻き終えたあと、カイルはその手を取って、そっと唇を寄せた。「だから、俺を信じろ。どれほど離れても……俺は、君の隣に戻る」囁くように、そう言ってから、もう一度だけ、リリウスの頬を見つめる。眠るリリウスは何も知らず、穏やかな寝息を立てていた。「……じゃあな、“導く者”」カイル・ヴァルドはゆっくりと背を向け、その場を後にした。※「どうせ、止めても行くんでしょ。ほんと、あなたはそういう子」カイルは戦装束の上から外套を羽織り、馬に荷を積む部下たちの様子を静かに見ていた。歩み寄ってきたのは、母リーネ・ヴァルド。ヴァルド連邦元首の妻であり、今回はリリウスの「監視役」として同行している。「……監視役の立場で言うんじゃないけど、あの子、あんたのことすごく信じてるわよ」カイルは目を伏せる。「わかってる。……だから、ここで見送るのが一番つらい」リーネは口をすぼめて、手を組んだ。「元首印、もう開いたの?」「今朝、命令が来た。“北東戦線にて指揮再開”。……ヴァルドが動く。俺が動けば、前線も一気に形になる」「でも、あの子の隣にはいられなくなる」「だから、こうした」カイルは手首を見せた。そこには先ほどリリウスに巻いたものと同じ革紐が結ばれていた。「本当は、言って別れたかった。でも、泣きそうで怖いんだ」「泣く、かもね。そりゃね……下手すると二度と会えない可能性もある」リーネが苦笑する。「だから逃げるのね、総帥殿」「逃げじゃない。……誓いだよ」そう言って、カイルは馬へと歩みを進めた。
last updateLast Updated : 2025-07-23
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第78話:兄の声と弟の答え

──深夜、幕舎の奥。ランタンの火が小さく揺れ、リリウスはひとり、机の上の魔導通信球を見つめていた。球の奥では、霧のような光がゆっくりと回転し、やがて色づいていく。クラウディアとアルヴァレス。ふたつの世界を繋ぐ、この一瞬のために用意された魔法回路だった。通信球の中に、ゆっくりと映像が浮かぶ。荘厳な装飾の施された執務室の背景。そこに座す男の姿。──クラウディア神聖王国 神王、アウレリウス。蒼い瞳、精緻な顔立ち。だが何より、映し出されたその眼差しに、リリウスは思わず姿勢を正す。久しぶりに見た兄の顔は、優しくも厳しく、そして……とても、懐かしかった。「……リリウス。久しいな」それだけで、彼の声音に含まれる想いが伝わった。威圧ではない。怒りでもない。ただ、沈んだような静けさ。──それは、兄が弟にだけ見せる、深い情の色だった。「……兄上」言葉を返しながら、リリウスはほんのわずかに肩をすくめた。懐かしさと、緊張と、ほんの少しの……罪悪感。「そなたが“旗”を掲げたと聞いた。正直、信じがたかった」アウレリウスの視線はまっすぐだった。その眼差しに、リリウスはまっすぐ目を返す。「信じられないほど、変わったんだ。僕は」「いや──変わってなどいない。むしろ、お前らしくなった。だが……」アウレリウスの声が少しだけ低くなる。「……戻ってこい、リリウス。お前はクラウディアの神子だ。民はお前を待っている。私はヴァルドまでは許したが……」はっきりとした言葉だった。拒絶も否定もない、ただ、真正面からの“願い”。「クラウディアには、そなたの祈りが必要だ。信仰は……再生を待っている」リリウスはその言葉に、視線を落とした。机の上で手を重ね、その左手首には、カイルが残した皮のブレスレットがあった。「……兄上が、僕を大切に思ってくれていることはわかっています。子供の頃から、ずっと」「……なら、なぜ帰らない」「……兄上の“愛”が……僕を縛るからです」静かな声だった。だが、はっきりとした意思の輪郭がそこにあった。アウレリウスの瞳が、わずかに揺れる。「縛る……?」「僕は、いつだって誰かに必要とされることで、自分の存在を保ってきました。クラウディアの“神子”として。あなたの“弟”として……でも、それじゃ“僕”がいない」ゆっくりと顔を上げる。
last updateLast Updated : 2025-07-24
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第79話:王都侵攻作戦

──東方戦線、ヴァルド連邦・臨時野営地。遠く、灰の空に鳥が舞い、鉄の音が静かに響く。冷えた風が戦装束の裾を煽る中、前線の兵たちは緊張感をまといながら、無言で着実に戦の準備を進めていた。幕舎の中央。戦略卓の上には、アルヴァレス王都と周辺地域の最新地図が広げられ、各地の布陣が赤と青の駒で視覚化されていた。その周囲を、総帥・カイル・ヴァルドと数名の将校たちが囲む。「──各隊、北門と西門に布陣を。中央突破は囮で十分。主攻は東、第三農道沿いの薄い守備を突く。一気に突破し、外縁を削ぐ」カイルの指先が地図の一点を示すたび、周囲の将官たちが即座に頷き、伝令が次々に走っていく。その動きは、迷いなく、整然としていた。「奴らが王都の外壁に戦力を集中させているうちは、外から崩すのが最も合理的だ。敵が“王都そのもの”を守ろうとするなら、逆に隙は生まれる」戦術は明快で冷静。だが、そこに込められた意志は決して機械的ではなかった。「──東南の農道沿いに、民間蜂起の兆候があります。旗を掲げた集会が発生しており、神官の演説も……」参謀のひとりが低く告げると、カイルの眼光が鋭くなった。だが、その表情に動揺はない。むしろ、何かを確かめたような光が浮かぶ。「……それが“自然発生的”なものであるなら、火種はもう充分に内側にある。だったら──俺たちは、火の方向を見極めるだけでいい」傍らに立っていた副官が、少し声を落とした。「リリウス殿下の影響は、想像を遥かに超えています。“語る者”の言葉が、兵よりも速く、戦線を揺らしている」「だろうな」カイルは淡く笑みを浮かべ、手首のブレスレットに指先を添える。細く編まれた革紐の感触が、冷えた空気の中で静かに彼の心を結ぶ。「民を動かすのは、剣じゃない。あいつはそれを知って、選んだ。……だが」そこまで言って、ふと言葉を切った。視線は遠く、まだ陽も差さぬ空の向こうを見る。「民意を使う作戦は、片刃の剣だ。誤れば“解放者”ではなく“扇動者”になる。……その境目を、俺たちは歩いてる」淡々とした口調の奥にある覚悟。戦略家としての冷静さと、隣にいた者としての情。それが同居していた。──その頃、アルヴァレス王都・臨時司令部。「なぜ……なぜこんなことになる……!」王太子レオンの声が、室内に激しく響き渡った。握られた拳が机を打ち、その衝
last updateLast Updated : 2025-07-25
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