──夜明け前の、まだ薄闇の残る前線野営地。 空を覆う霧は冷たく、湿った土の匂いが肌にまとわりついていた。その静寂を破ったのは、一人の伝令の叫びだった。 「神子旗、奪取されました──!」 荒く息を切らせ、天幕の幕を押し開いた伝令の声が、張り詰めていた空気を鋭く引き裂いた。 次の瞬間、空間そのものが静止したかのように、周囲の動きが凍りついた。 ──旗。 それはただの軍旗ではない。神子リリウスの紋章が刻まれた、祈りの象徴。人々が集う理由であり、傷ついた心を結ぶ光でもあった。 その神聖な布が、敵の手に落ちたと。 「……冒涜、だ……!」 低く、誰ともなく呟いた声。神官のひとりが膝から崩れ落ち、その目は茫然と虚空を見つめていた。 その声はやがて、さざ波のように天幕内を包み、祈りの場を不安と混乱の渦へと変えていった。 「神子の加護を、敵は……穢したのか……」「これは、我々への……試練なのか?」「神は、沈黙されている……?」 誰かの囁きが、周囲の神官たちの心の綻びを容赦なく押し広げる。うつむく者、震える者、肩を寄せて祈ろうとするが、指先の形すら乱れている者もいた。 「もし……象徴が汚されたのだとしたら……この祈りも、失われてしまうのでは……」「いや…&h
Terakhir Diperbarui : 2025-07-26 Baca selengkapnya