Semua Bab ラブパッション: Bab 81 - Bab 90

94 Bab

第81話

本社ビルの車寄せから、タクシーに乗った。都会の片側三車線の広い道路に走り出し、スムーズに車線に合流する。窓の外で、長く連なる赤いテールランプに目を遣りながら、私は無意識に「信じられない」と呟いていた。私とは逆サイドの窓枠に肘をのせ、同じように外を眺めていた優さんが、大きな手で口を覆ったまま、私に視線だけ流してくる。二人の間で、指を絡めて繋いだ手に、クッと力がこもる。「信じられないって、なにが?」優さんからそう問われて、私は我に返った。「え……?」「俺の離婚か?」遠慮なく直球で確認されて初めて、心の声が漏れていたことに気付く。ゴクッと唾を飲み、意を決して優さんの方に顔を向ける。彼もゆっくりと口から手を離し、私に向き合ってくれている。「ど、して?」たどたどしく、訊ねる。優さんは眉尻を上げるだけで、言葉を挟まない。そうやって、私に先を促している。「だって、この間。優さん、玲子さんと向き合えた、って……」さっきから、頭の中でぐるぐる回り続けている疑問。私は混乱を強めながら、なんとか口にした。優さんが、シートに深く沈めていた背を起こした。モゾッと身じろぎして、身体ごと私に向かい合う。「一からやり直す、と言った記憶はない」「し、幸せについて、一緒に考えるって……!」「そう。考えたよ。一緒に、お互いの幸せについて。二人で出した結論は、離婚だった」優さんはどこまでも淡々と畳みかけて、私から反論の芽を奪っていく。言葉に詰まり、狭い車内で目を泳がせる私に、彼は小さな溜め息をついた。「もう十分ほどで、家に着く。そうしたらちゃんと説明するから、君は俺の話を冷静に聞く準備を整えておいて」しっかり前に向き直ると、鷹揚に腕組みをする。「い、家?」そう言われて初めて、このタクシーがどこに向かっているのか、行先を気にした。窓に身を寄せて外に目を遣る私に、優さんが「俺の家」と被せてくる。「え? ゆ、優さんの、って……」私はギョッとして、窓枠に手を置いたまま、勢いよく優さんを振り返った。彼は姿勢を変えず、目線だけ私に向けて、「そう」と頷く。「しばらくの間、仮住まいのつもりでいるから、狭いけどね。……玲子と暮らしていたマンションから、引っ越したんだ」抑揚のない淡々とした口調で言い添える優さんに、私は無意識にこくりと喉を鳴らした。私の反応を拾ったのか、彼がわずかに口角を上げて微笑む。「先週引っ越したばかりで
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-06-30
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第82話 心解き放ち

優さんの読み通り、タクシーはそれから程なくして、閑静な住宅街に佇むマンションの前で停まった。先に降りた優さんの後に続く。目の前に聳えるマンションを見上げる私の後ろを、タクシーが走り去っていった。「行こう、夏帆。ここの五階だ」優さんは私を短く促し、さっさとエントランスに入っていく。私も、慌てて後を追った。彼は『夫婦二人の生活空間には見えないだろうから』と言ったけど、マンションの外観はとても重厚で立派だから、外からではよくわからない。でも、「どうぞ」と通された部屋は、確かに驚くほどの広さではない、1LDK。私のワンルームと比べれば十分広いし贅沢だけど、夫婦二人で暮らすにはやや手狭だ。本当に、引っ越してきたばかりなんだろうか。リビングにもその奥の寝室にも、必要最低限の家具しか置かれていない。平日は激務で片付ける時間がないからか、部屋の隅には手付かずの段ボールがいくつか積まれている。プロがデザインしたインテリアの面影も感じ取れないから、ここが、玲子さんと暮らしていた部屋ではないことはわかる。ガランとしたリビングの真ん中に、なぜか心細い気分で突っ立っていた私を、優さんが「夏帆」と呼びかけた。ハッとして振り返ると、私を通してくれた後、キッチンに行っていた彼が、麦茶を入れたグラスを二つ持ち、リビングに戻ってきていた。彼は、オドオドと目を泳がせる私に苦笑して、グラスをローテーブルに置くと、先にフローリングの床にドカッと座り込んだ。「夏帆。君も、座って」クッションを差し出しながら、勧めてくれる。「は、はい」私はやっぱり室内を気にしながら、彼の前にちょこんと正座した。優さんはグラスを一つ手に取ると、男らしい喉仏を上下させて、ゴクゴクと麦茶を半分ほど飲み干す。私が黙って見守る中、「ふうっ」と一つ息を吐いた。「玲子と結婚する前は一人暮らしで、こんな感じだった。この部屋に帰ってきて一人になると、離婚したんだなってしみじみ思う」私がどんな思いでこの部屋を眺めていたか、まるで見透かしているかのように、優さんは呟く。その表情はとても穏やかで、どこか晴れ晴れとして見える。
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-02
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第83話

私は思い切って、ほんの少し膝を前に進めた。「優さん」やや硬い声で呼びかけ、話を促す。彼も私に視線を向けて、何度か無言で頷き返してくれた。グラスをローテーブルに戻し、胡坐を掻いた足の真ん中で、両手を組み合わせる。「君に話した通り、あの後俺と玲子は、夫婦になってから初めて向き合えた。玲子の本心も聞けた。彼女は……俺に言ったよ。『彼の代わりじゃなく、結婚したからには、ちゃんと愛してほしかった』って」やや低められた彼の声を耳にして、私は膝の上で両手を握りしめた。「俺が玲子を、『親友』じゃなく妻として愛していたら、こんな結果にはならなかった。『だって私は、ちゃんとあなたを愛してるつもりでいたから』って。……でも、今となっては錯覚だったかもしれない、とも言っていた」「……錯覚?」その言葉が引っかかって、私は恐る恐る口を挟む。優さんは手元に視線を落とし、「ああ」と頷いた。「隠しもせずに瀬名と付き合っていたのは、初めは俺への当てつけだった。でも、瀬名との関係を続けるうちに、玲子は身体だけじゃなく心も満たされていった。……まあ、そういうのを素直に認めて、瀬名に言ってやるような女じゃないんだけど」ずっと硬い表情をしていた優さんが、口元にわずかな苦笑を浮かべた。「俺と夏帆の関係に勘付いて、君を探りに来て……。玲子は、君を心底から羨ましいと思ったそうだよ」「え? わ、私を?」彼の言葉にギョッとして、私は上擦った声で聞き返した。なぜだかわからないから、胸には困惑が広がる。「どうして。玲子さんが……」「旦那の俺だけじゃなく、恋人の瀬名も可愛がる女だからね、君は」「っ、えっ!?」さらなる驚きで目を剥いて、私はきょときょとと瞬きをした。優さんは私の反応を上目遣いで観察して、面白そうにプッと吹き出す。「君はきっと無自覚なんだろうけど。長瀬が熱を上げるのも瀬名が構うのも、俺が放っておけないのも……間違いなく、君が男心を惑わせる小悪魔だからだ」「っ……!」前にもそんなことを言われたことを思い出す。口に手を遣り、クックッと小気味よい笑い声を立てる優さんの前で、私はカアッと頬を染めた。思わずピンと背筋を伸ばし、肩を怒らせてしまう。
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第84話

「そして玲子も……俺ではなく、瀬名がお気に入りの君に、嫉妬した」「……え?」彼が笑いながら続けた言葉に、一拍分の間を置いて聞き返す。優さんは大きく腕組みをして、顔を上げた。私にまっすぐ視線を向けてくる。「素直で純真。玲子にはない、君の美徳。玲子が夏帆に奪われたくないのは、俺ではなく瀬名だった。あのパーティーで瀬名といる君を見て、はっきり自覚したそうだ」わかりやすく告げられ、私の胸がドクッと沸き上がった。「玲子さん、瀬名さんのこと……」「そして、夏帆。俺も……」無意識の呟きを、優さんが遮る。彼は一度言葉を切ると、口に手の甲を当てて隠しながら、つっと横に視線を逸らした。「放っておけない、からじゃない。他の男のものになってほしくなくて、気が気じゃない。だから……俺は君を、手放したくない」唇に押し当てられた手で、声はだいぶくぐもっていた。でも、私に聞かせるためのその言葉は、ちゃんと私の耳に届き……。「ゆ、たかさん……?」私は戸惑って彼の名を呼んだ。些細な反応でも、一つも見逃さないつもりで、大きく目を見開き、まっすぐ彼を見つめる。優さんはなにか逡巡するように沈黙して、わずかな間の後、再び私に目線を合わせてくれた。口から手を離すと、形のいい薄い唇をゆっくりと開く。「玲子と、俺たちのこれからについて、本心晒して話し合った。彼女は、一生守ると約束したのに愛してくれない男じゃなく、愛してくれる男と幸せになりたいと言った」「……!」言葉に詰まり、思わず両手で口を塞ぐ私を、優さんが揺れない瞳で射貫く。「……俺も。心から好きで、すべてが欲しいと思う女を、目一杯大事にしてやりたい」彼がその先、なにを言うか――。私は無意識にこくっと喉を鳴らし、まるで縋るような目を返してしまう。「この先ずっと、大切に寄り添いたい相手は、お互い別の人間だった。だから、二人で離婚という結論を出した。これは、俺たちがそれぞれに、幸せを掴むための第一歩なんだ」優さんの黒い瞳の奥で、一瞬なにか光が揺れた。「一生守るという約束を果たせなかった、情けない男。しかもバツイチ。俺は、君に相応しい男じゃないとわかっている。でも……」優さんが目を細め、やや硬い、緊張が滲んだ笑みを浮かべる。「俺がこの先、一生守って大事にしたいのは、君だ。夏帆。俺は、君が好きなんだ」――なによりも、誰よりも、優さんに。
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第85話

その唇で、その声で言ってほしかった。叶わないとわかっていても、ずっと聞きたかった、狂おしいほど欲した一言……。「あ……」私の心は激しく揺さぶられ、心臓は一気に加速度を増して高鳴っていく。あまりに急激な高鳴りのせいで、一瞬呼吸のし方すら忘れた。「っ、ゆ……」なにか言いたいのに、声にならない。ただ、瞳に熱いものが込み上げてきて、すぐ目の前にいる優さんの顔がぼやけていく。「今まで、言ってやれなくてごめん。でも、俺は夏帆を愛してる」真摯な言葉に、どうしようもなく胸が震える。今、彼をちゃんとこの目に焼きつけたいのに、頬を伝う幾筋もの涙が邪魔で、歪んでしまう。もどかしい。私は焦燥感に駆られて腰を浮かせ、優さんに抱きついた。すぐ耳元で、優さんが短く息をのむ気配を感じながら、しっかり首に両腕を巻きつけ、力を込める。「夢、じゃない、ですよね」つっかえながら、なんとかそれだけ返す。喉の奥が、ひくりと震えた。それを皮切りにして、嗚咽が込み上げてくる。「夢じゃないよ。俺は……最初の夜から、夏帆に溺れてたんだ」優さんが吐息交じりにクスッと笑って、私の耳をくすぐる。ビクッと身を竦める私の背に両腕を回し、ぎゅうっと抱きしめ返してくれた。「最初、って」「あの夜君は……俺を逃れようのない孤独と寂寥感から、解き放ってくれた」「……私?」なんのことだかわからず、私は腕の力を緩めて、優さんを見つめた。彼はやや顎を仰け反らせて私を見上げ、ふっと口元に笑みを浮かべる。「俺は、君が強がったから、なんて言ったけど。本当は、それだけじゃない。いくら酒が入っていても、そんなことで女を抱いたりしない」まだ瞳に涙をたっぷり湛える私の髪を、彼がさらりと指で梳いた。横の髪を、優しく耳にかけてくれながら……。「君が、俺の鬱蒼とした心の闇を見抜いて、癒してくれたからだ」「え?」「夏帆、君はね。君をホテルのベッドに運んで、そのまま帰ろうとした俺を、今みたいにこうやって、胸に抱きしめてくれたんだよ」「……!?」まったく身に覚えがない。耳を疑ってギョッとすると、涙なんか一気に引っ込んだ。大きく目を瞠る私を、彼は探るように見つめている。「『あなたの目はとても綺麗で涼しいけど、私と似た、暗い色をしてる。なにか、寂しいんでしょう? だったら、そばにいて。こうしててあげるから』」「っ! わ、私が?」「朝になったら、きっと覚えてないだろうと思
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第86話

そう言われても認めたくなくて、私はプルプルと首を横に振って拒む。「やれやれ」と呆れたような呟きが聞こえた。「でも、そんな君だから、俺は踏み出せた。なにもかもかなぐり捨てて……君は本当の意味で、俺を解放してくれた」優さんがわずかに身を離し、私の頬を撫でながら顔を覗き込んでくる。「夏帆、好きだよ。君のすべてを、俺のものにさせて?」やや朱に染まった目元に、大人の男の色香を存分にけぶらせて、私に返事を求めてくる。「ゆ、たかさんだって。……やっぱり、小悪魔です」ちょっと悔し紛れにそう呟くと、彼がフフッと笑った。「いいコンビだろ」おどけて私の反応を探りながら、ゆっくり顔を近付けてくる。「キス、していい?」鼻先を掠めるところまで近付いて、私の意思を確認する彼に。「は、い」私は、喉に声を引っかからせながら、返事をした。「私も、優さんが好きです。ずっとずっと……こうやって言いたかった……」再び鼻の奥の方がツンとするのを感じながら、とめどなく溢れる想いを伝える。優さんも「ん」と短く頷いた。そして……。「これからは、遠慮なく言って。何度でも聞くし、何度でも応えるから」誘うような、導くような言葉を最後に、優さんと私の唇が重なった。最初は、感触を思い出そうとするみたいに、しっとりと柔らかく押し当てて。せり上がってくる熱情を抑えて、ゆっくりと唇を食み。お互いの欲情に火が点いたら、もう止められない。「ふ、うん……っ……」鼻から抜ける声を漏らしながら、求めて求められ、激しく舌を纏わりつかせて絡め合う。深く繋がるようなキスは、私と優さんの身体の芯を熱くじんわりと燻らせ、恋情を滾らせていき――。
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第87話

独り寝には贅沢なセミダブルベッドの真ん中。仰向けに横たわった裸の私を、カーテンの隙間から覗く、夏の三日月の細い月光を背に浴びた優さんが、切なげに細めた目で見下ろしている。青白く浮き上がる、引きしまった綺麗な身体。彼はわずかに上体を屈めて私の唇にキスを落とすと、柔らかい唇を下に這わせ、おとがいに、喉に、そして鎖骨へと移動していく。「あ……」彼のサラサラの前髪が胸を掠め、思わず吐息交じりの甘い声を漏らしてしまった。それを聞き拾った優さんが、クスッと笑う。彼の息が胸の一番敏感なところをくすぐり、そんな些細な感触にすら、私はビクンと背を撓らせてしまう。「この程度でも、感じる?」優さんはからかうように呟き、私の胸元から上目遣いに探ってくる。「う、あ……」顎を引いて目を合わせると、彼はまるで私に見せつけるように赤い舌先を出し、吐息の刺激に震えるそこをペロッと舐める。薄い唇で咥え、わざと音を立てて吸い上げる。「んっ! や、あ、ああっ……」視覚と聴覚、そして触覚……すべてが甘い痺れとなり、私の背筋をゾクゾクと駆け抜ける。ビクンビクンと身体を痙攣させる私を、優さんは意地悪に目を細めて観察している。「夏帆は、どこもかしこも感じやすいね」小さく動く唇の感触にすら、私の身体は痙攣を繰り返す。足の爪先が、ピンと反り返った。「あ、んっ……」断続的に脳天まで届く刺激に耐え兼ね、私は身を捩って逃げた。けれど、身体を向けた方向に、『逃がさない』というように、優さんの筋張った逞しい腕がトンと突く。「夏帆」ドキンと弾む胸をぎゅっと抱きしめ、私は身を縮めた。「だ、だって」「え?」「こんなの幸せすぎて、まだ夢みたいで。明日の朝になって、やっぱり夢だった!ってなったら、すごく怖くて」固く目を閉じ、まだ戸惑いが消えない心中を口走る。私を見下ろしている優さんが、こくっと喉を鳴らしたのが聞こえた。「そうなったらやだな、って。そう思ったら、優さんの指にも手にも息にも声にも、全部に敏感になって。なにされても、きゅんきゅんしちゃって、私……」「……はあああっ」なんだかとても太く深い溜め息を聞いて、私は恐る恐る目を開け、ゆっくり肩越しに彼を見上げた。優さんは、ベッドに突いたのとは逆の手で顔を覆って、がっくりとこうべを垂れている。「え、と……優さん……?」なにか、ムード台無しなことでも言ってしまっただろうか。そんな焦りで、
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第88話

週が明けて迎えた月曜日。長瀬さんは、朝から外出尽くし。仕事を持ち帰って私に託す時も、目線を合わせてはくれない。気まずくて、明らかに避けられている、わかりやすい空気。そんな状態のまま終業時刻を迎え、今日一日ほとんど長瀬さん不在だったデスクを見て、肩を落として溜め息をつく。一時間ほど前に外出した彼は、このまま直帰予定でもうオフィスには戻ってこない。私も今日は声をかけるのを諦めて、帰り支度を始めた。明日はなんとか捕まえられるだろうか……。朝からの長瀬さんの予定を脳裏に描きながら、地上のエントランスに降りた。ずっと伏し目がちに歩いていたら、前から来た人とぶつかりそうになって、慌てて顔を上げる。「すみません」反射的に謝り、一度ふうっと息を吐いた。なんとか気を取り直して一歩踏み出そうとして……。「あ……!」「っ、夏帆ちゃん」前方から歩いてくる長瀬さんに気付き、私は声をあげた。彼もほとんど同じタイミングで、ギクッとしたように足を止める。私の名を口にしたまま気まずそうに顔を背け、目線を泳がせてしまう彼に、私は思い切って大きな歩幅で歩み寄った。「長瀬さん、お疲れ様です」彼の前でピタリと足を止める。長瀬さんは、「あ~、うん」とどこか歯切れ悪く返して、口元を手で隠してしまう。「直帰予定だったのに。なにかありましたか?」「いや、うん。忘れ物、取りに戻っただけ。夏帆ちゃんは気にしないで帰っていいよ。お疲れ様」長瀬さんは私と目を合わせてくれないまま、まるで巻こうとするように一歩足を踏み出す。「あ、待って!」私は彼を振り返りながら、その肘を取った。彼はビクンと身を震わせたものの、無言でその場に立ち止まってくれた。聞く姿勢を見せてくれた。そう感じて、私は彼から手を離した。そして、「金曜日、すみませんでした」深々と、頭を下げる。一拍分の間を置いて、長瀬さんが「え?」と聞き返してくる。それを受けて、私はゆっくりと上体を起こした。「あの……お誘い、お返事もできないままで」「ああ……。いいよ、それは全然」長瀬さんは、目線を足元に落としたまま、「はは」とぎこちなく笑った。「俺と夏帆ちゃん、ただの先輩後輩なんだし。食事、行けなかったくらいで……」「あの、私……地元に彼がいるっていうのは、嘘で。周防さんのこと、好きだったんです。彼と出会った時から、ずっと」長瀬さんが、私と優さんの関係を追求せず、流そうとしてる
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-02
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第89話

まるで決意表明のような呟きを耳にして、私は弾かれたように顔を上げた。それには彼が「ん?」と首を傾げる。涼し気な優さんとは真逆に、激しく鼓動を昂らせた私は、顔を真っ赤にしてしまった。でも彼はきっと、私の心中を全部見透かした上で……。「『気をつけて帰って』……って言おうとしてたんだけど」そう言いながら、スラックスのポケットに手を突っ込み、そこから出したものを私の手に握らせた。目に触れないまま。でもその感触でそれがなにか、勘付いた。「っ、優さ……」「先に、帰ってて」優さんはそれだけ言って、私の横をスッと通り過ぎた。彼が残した微かな風を頬に感じながら、私はそっと手を開いた。そこにある彼のマンションの鍵を目にして、無意識に顔が綻ぶのを、抑えきれなかった。連日忙しく仕事に明け暮れ、ようやくお盆の一斉休暇を迎えた。初日に当たる今日、私は優さんと約束をしていた。午前十時。今日もすでに太陽は猛威を奮っている。朝からうだるような暑さの中で身支度して、マンションまで迎えに来てくれた優さんの車の助手席に乗り込んだ。「暑い中、ごめん」シートベルトを締める私に、彼はサングラスをかけながらそう言った。初めて見る何気ない仕草に、ドキッと胸が跳ねてしまう。エアコンが程よく効いている車内は快適なのに、頬が火照ってしまいそうだ。「いえ……」とっさにそう答えて、私は彼からソワソワと目線を外した。車が走り出すと、今度は窓の外の風景を気にして、フロントガラスと助手席の窓の間で目をきょろきょろさせてしまう。実は今日どこに行くか、私は彼から行先を教えてもらっていない。誘われたのは、数日前、オフィスの廊下ですれ違った時のこと。『君を連れて、行かなきゃいけない場所があるんだ』初めてのデート……!と浮かれることはできなかった。だって、優さんの表情からもお誘いの言葉からも、絶対に普通のデートじゃないとわかる緊張感が伝わってきたからだ。だから私も、助手席でしゃっちょこばって肩に力を入れていた。それを、気付かれてしまったのか。最初の赤信号で停止した時、優さんがふっと表情を和らげた。「夏帆。そんなに緊張しないで」気遣う声を耳にして、私はそっと顔を上げた。「ごめん。俺のせいだな。変な誘い方したから」彼は指先で軽くサングラスを持ち上げて、目尻を下げて苦笑した。またレアな仕草にはドキッとしながらも、私はほんのわずかにホッと息をつ
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第90話

優さんは、東京郊外にある墓苑の広い駐車場で、車のエンジンを切った。シートベルトを外す彼を横目で窺ってから、私は窓の外を眺める。お盆休みという季節柄か、駐車場はほぼ満車状態だ。「夏帆」先に降り立った彼に促され、私も外に出た。優さんは後部座席のドアを開けて、花束を取り出している。先に立って歩き出す優さんの背中からは、車を運転していた時よりも、緊迫感が滲み出ている。だから私は、花束を手に、整備された石畳の通路を進んでいく彼の後を、伏し目がちに歩いた。やがて、優さんは通路から逸れ、墓石が並ぶ一角に入っていった。彼の歩調は変わらない。でも、私は無意識のうちに歩を緩め、遅れ出した。優さんが、一番奥まった黒曜石の墓石の前で立ち止まった。私も間隔を開けたまま、彼とほとんど同時に足を止める。優さんは墓石をジッと見つめた後、足元の石畳に静かに片膝をついてしゃがんだ。丁寧に両手を合わせ、目を伏せる。私は立ち尽くしたまま、祈る彼を見守っていた。回りに他に人はおらず、とても厳かで静謐な空気が漂っている。遠くから木霊する蝉時雨の中、私は呼吸音すら憚って、息を潜めていた。ほんの少しでも動いて、彼が纏う空気を揺らしてはいけない。そうやって、気持ちを張り詰めていた。やがて、優さんが無言で顔を上げた。彼から離れたところで、無意識に胸の前で両手の指を組み合わせていた私を、軽く手招きする。「おいで、夏帆」彼の言葉に促され、私はゆっくり足を踏み出した。そこに立っていたのはほんのわずかな時間だったのに、まるで根が生えたかのような抵抗を感じる。優さんは、しゃがみ込んだまま、地面で花束を解いていた。彼の隣に歩み寄り、両足を揃えて止まった私を見上げることなく、口を開く。「俺の、親友の墓だ」その一言を聞いた瞬間には、私ももうわかっていた。優さんには反応を返さず、ただ黙って黒く光る墓石を見つめる。彼は花を生けながら、「約束……守れなくて、ごめん」墓石に向かって謝罪した。そこに、どんな意味が込められているか。それは私にもよくわかる。胸がグッと揺さぶられ、私は思わずそこを握りしめた。優さんは、わずかに顎を上げ、墓石を見上げる。「俺と玲子、ここからは別々に歩むことにした」墓石に語りかけるその様子から、優さんが何度もここを訪れ、安らかに眠る『彼』に、玲子さんとの結婚や生活を、逐一報告してきたことが窺える。「お前の大事な玲子を
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-02
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