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夜半ー。春奈は悠一の会社のビルにある、災害時用の地下シェルターにもなる部屋に閉じ込められていた。「……?」男は何かいつもと違うような雰囲気のビル内を、春奈の手を握って足音を殺して歩いていた。誰もいないから大して警戒はしていないが、地下に集まっている仲間にバレないよう移動しなければならない。「あの…こんな堂々と歩いてて大丈夫ですか?」「ん?あぁ…大丈夫。警備には残業で取り残されてた社員がいたって言ってあるから。」「そうですか…」ほんとに大丈夫?罠じゃないよね?この人、ちょっと人良すぎじゃない…??「だから、それ。連絡しても大丈夫だよ。堂々としてた方が、かえって怪しまれない」「……」春奈は少し不安に思いながらも、唯一手に持っている携帯の電源を入れた。画面に表示されたのは、十数件の着信履歴。その全てが、23時以降の並木廉からのものだった。彼女がその一つに折り返そうとした時、また着信した。「もしもしー」小さな声で応答すると、向こうから焦ったような声がした。『やっと繋がった!どうしたんだ?なんで繋がらなかったんだ!?』「電源切ってたの。廉くん、迎えに来れる?」『行けるさっ。何処に行けばいい?』興奮気味に訊かれて、春奈はこの男に連絡した事を少し後悔した。なんでそんな興奮してんのよ。こっちはバレたらただじゃ済まないってのに、静かに動けるんでしょうね!?まったく……。彼女は一つため息をついた。「静かにして。悠一兄さんのビル、わかるわよね?その近くのコンビニ、知ってる?」『わかる』「じゃあ、そこに来て。どれくらいで来れる?」『……15分くらい』「10分で来て。お店のトイレに入ってるから。来たらまた連絡して」それだけ言うと、春奈は通話を切った。男は彼女のその姿を見て、「けっこうしっかりしてるな…」と思った。ビルを出て、100メートルくらい先にコンビニの灯りが見えた。春奈は男に手を振り、店まで歩いた。夜半ということで人通りは殆どないが、車の往来は割とある。そこを歩くと不意にライトが彼女の顔を照らして行くが、そこにあるのは真剣な、厳しく顰められた表情だけで、いつもの柔和な可愛らしい顔ではなかった。あと少し。もう少しで逃げられる。春奈は一歩一歩足を進めながら、ふと、これからどうなるのだろう……と不安になった。だが、立
last updateLast Updated : 2025-06-30
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「そこまでだ」突然背後からかかった声に、春奈はビクッと立ち止まった。恐る恐る振り返ると、そこには想像通り那須川悠一が立っていた。彼は上下黒のシャツとスラックスで、ネクタイを外し、ボタンを2つ外した気怠げな格好だった。羽織ったトレンチコートの裾を風に靡かせ、その両手はスラックスのボケットに突っ込んでいた。「ゆ、悠一兄さん……」春奈の引き攣った笑顔と悠一の無表情が対照的で、その場にいる他の人間の肝を冷やした。じり…と後退る春奈と、それをじっ…と見ている悠一。我慢できず、先に口を開いたのは、やっぱり春奈だった。「もうやめて…」「?」瞬間的にその瞳に涙を浮かべて、彼女は懇願した。「お願い、子供たちに会わせてっ。会わせてくれるなら何でもするから!」「……」悠一は、目の前の彼女の芝居を何の感慨もなく眺めた。時々彼女の視線が周りを彷徨う事に、フッ…と嗤った。「お願いしまー」「何の芝居だ?」「……」これから溜めた涙を流そうと思ってたのに、そのタイミングをずらすように訊かれて、彼女のゆるゆると振られていた頭がピタリと止まった。「俺は、お前のクソみたいな芝居を見に来たんじゃない。逃げ出したネズミを捕まえに来たんだ」「ネズミ…」呆然と呟くと、悠一は近くに立っていた男に言った。「お前が捕まえろ」「………」男は俯いて唇を噛み締めていた。春奈を見送って、持ち場に戻ろうと振り向いたところで、そこに立つ仲間たちに囲まれた。そしてゆっくりと近づいて来るボスの姿に、彼の顔は血の気が引いて真っ白になった。男はその場で跪かされ、ガッと髪の毛を鷲掴みにされて無理矢理上向かされた。「なぜ逃がした?」上から覗き込むように顔を近づけてそう尋ねる悠一の、深淵のような瞳に男はブルブルと震えだした。「に、逃がして…ません…」「は…?」「逃がしたんじゃありませんっ」男は上半身をガバッと起こし、悠一の手に縋りついて叫んだ。「逃がしたんじゃありませんっ。彼女は!ただ、子供に会いに行きたいってっ……。二度と会えなくなる前に、会って!抱きしめて!謝りたいって!そう言ったから…私は……」悠一はその言葉を静かに聞いていた。「そ、それに!必ず戻って来るって言いました!だから!!」男の必死な言い訳に、悠一は只々静かに問うた。「信じたのか、それを?」「……」
last updateLast Updated : 2025-06-30
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自分の腕を取ろうと近づいて来る男の目を見ながら、春奈の瞳からはポロポロと涙がとめどなく流れていた。彼女はまだ、この男をコントロールできると思っていた。「やめて…」男は春奈の腕を取り、静かに言った。「もう諦めた方がいい。ボスもきちんと話せばわかってくれるさ。子供に会いたいならー」言葉の途中から春奈はゆるゆると頭を振り、掴まれた腕を取り戻そうと身体を引こうとした。正にその時ー。キキキーッ!!派手なブレーキ音をたてながら、1台の車がコンビニ駐車場に入って来た。そして彼女の前に助手席側を向けて急停止し、開いた窓から叫んだ。「春奈!早く乗れ!!」「廉くん!」春奈はその声を聞いた途端に反応し、驚いて力の抜けていた男の手を振り解くと、タタッと走った。「廉くん!」「よしっ、乗ったな!」そうして2人を乗せた車が急発進した。その場にいた皆は呆然とそれを見送り、ただ一人、真木宗太だけが冷静に携帯を操作していた。「社長、並木廉が現れて彼女を連れ去りました。捕らえますか?」既にその場を去っていた悠一は、その知らせを受けてハハッと嗤った。「どのみち逃げられん。後でいいさ。それより、例の件、徹底的にやれ。遠慮は要らない」「了解しました」通話を切って周りを見渡した彼は、未だ動けずにいる男たちに冷たい視線を遣りながら言った。「何してるんです?撤収しますよ」決して大きくはない声だったが、シン…と静まり返ったその場には重く響いた。真木はそれ以上もう何も言わず、くるりと背を向け、スタスタと歩き去って行った。翌日。朝一番で悠一のオフィスに顔を出した真木は、今日の予定を述べた後、ついでのように報告した。「例の件ですがー」その言葉を聞いて、書類に目を通していた悠一が視線を上げた。「彼女のカードは無効に致しました。口座の方も凍結の準備はできております。出金のデータを取り次第、残りの金の回収と合わせて致します」そう言うと、悠一は「面倒だな」と言い、今すぐの残金の回収と口座の解除を指示した。それに真木は首を傾げた。「離婚が成立したら、また新たに開設するのですか?」「いや、その必要はない。契約を破った以上、あれにやるものはもうないな。あとは不動産と土地と、この1年余りにあれが使った金の回収だ。徹底的にやれ」「宝石類も回収しますか?」尋ねると、彼は意
last updateLast Updated : 2025-07-05
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「ねぇ、雪乃」白川麻衣は、コツコツとスケッチブックに鉛筆を打ちつける雪乃に言った。「何を描いてるの?」「ん〜。今年の秋冬用の全身コーデ」デスクに肩肘をつき、その細く綺麗に尖った顎を支えながら眉を顰めていた雪乃は、「ちょっと、休憩」と言って立ち上がり、応接スペースの柔らかいソファに身を沈めた。友香から差し出された紅茶に口を付けて、はぁ…とため息をついた。「うちのお父さんに言われたの?」麻衣に尋ねられて頷いた。実際、通常のスケジュールなら、今年の秋冬物はもうそろそろカタログに載っていても不思議ではない。そもそも雪乃はこんなに早く自分のデザインが市場に出るとは思ってなかったので、来年辺りから本格的に売り出せるように、今年はひたすらデザイン画を描くことに努めようと思っていたのだ。思いがけず麻衣の父親に気に入られ、試しに見せたデザインの権利をその場で売り、それらは既にそれなりの利益を生み出していた。ただそれらはオールシーズン用で、言ってみれば普段使いに近いものだった。なので、もし可能ならば今年の秋冬に使えるような、お出かけコーデを……。との依頼だったのだ。雪乃は迷っていた。正直、頭の中には沢山のデザインが詰まっている。前世、子供たちが幼稚園に通い出した頃から、僅かではあったが彼女にも自分の時間というものがあった。ただその時間も彼女は自分の為ではなく、家族のことに費やしていた。特に子供服のリメイクやデザインに面白みを感じていた彼女は、その時間に子供たちに着せてみたい服のデザインを描いたりしていた。それでもその趣味ともいえる時間に没頭する事を防ぐ為、彼女は一週間に1日だけ、スケッチブックに向かうことを自らに許していた。子供たちが幼稚園に通い始めてから自分が命を落とすまで、一週間に1日、7〜8年。数としては充分にある。しかも前世、もう古くなってしまったデザインも、今世はまだ新しい。使わない手はない。でもー。「ごめんなさい…」雪乃は、同じようにソファで寛いでいる麻衣と友香に怖ず怖ずと言った。「デザイン案はあるの。でも…。こんな事今更言うのは申し訳ないんだけど、私…本格的に動きだすのは、来年辺りからでもいいかしら…?」2〜3年先に流行るデザインを、今出して受け入れられるのか分からないし。それなら焦らず、少し寝かしといた方がいいんじ
last updateLast Updated : 2025-07-05
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麻衣は父親でもあるSTグループ社長白川哲司に会いに行き、雪乃の考えと、あと今年の秋冬物の代わりにオールシーズン用のベビー服を、シリーズものでデザインする事を伝えた。「いけそうか?」哲司は娘の感性を信じていた。幼い頃からこの娘がほしいと言ったものは、外すことなくよく売れた。STグループの通販事業がここまで伸びたのは、麻衣の功績が大きい。その娘が自信を持って紹介してきたデザイナー。藤堂雪乃を逃すはずがない。通常であれば無視するような案件も、彼女が〝大丈夫〟だと言えば、多少無理をしてでも受け入れる。それくらいグループにとって、彼女の意見は絶対だった。「わかった。シリーズものなら、スペースはどれくらいいる?」「2頁あれば十分よ。形は同じで、デザインが違うだけだから。でも、いけるから。彼女の名前もきちんと出してちょうだい」麻衣の表情は明るかった。哲司にはベビー服にどんな違いがあるのか全く分からなかったが、娘がいけると言えば信じるだけだ。「いつ持って来れる?」尋ねると、彼女はウ~ンと少し考え、「週明けかな」と言った。哲司はそれに頷き、契約書の準備を秘書に指示した。結果として。麻衣の提案は当たった。と言っても爆発的に売れた訳では無い。ただこれらはオールシーズンものだったし、基本、乳児の服に流行の形などない事から着替えやすさや肌触り、吸水性などが揃っていて、尚且つ安価で可愛らしいデザインだった事からお試しも含め、購入してみる人が多かっただけだ。売り手側としても、1年を通して販売する事ができ、時々新しいデザインのものをシリーズ新作として出せばいい〝定番商品〟として扱える。一年中、子供は何処かで産まれるのだ。必要となくなる心配がない。しかも、このブランドのベビー服を気に入って使った人は、その子供が成長する度サイズアップしていく服の購入を考える時、同じブランドを手にする可能性が高い。〝一度安心感を得た物は余程気に入らなくなるか、他に良い物が出ない限り使い続ける傾向にある〟雪乃はそう言った。「彼女、子供がいるの?」「まさか。新婚よ」そう言うと、哲司は首を傾げた。「子供がいないのに、こんなに親目線で考えられるの?」彼の疑問に、麻衣はため息をついて答えた。「お父さん。私は彼女が口にしたがらない事を、いちいち根掘り葉掘り訊いたりしないわ
last updateLast Updated : 2025-07-05
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ある日ー。以前雪乃がまだ住み始める前にマンションを管理していた会社の担当者から、彼女宛にメッセージが届いた。『そちらのマンションのお部屋を1室購入したいとご希望される方がいらっしゃるのですが、いかがなさいますか?』「……」なにそれ。別に売りになんて出してないのに…。怪しい…。雪乃は即答でお断りの返信をした。すると相手はそれ以上言ってくることはなく、その日はそのまま終わった。だが後日、またその担当者が今度は直接訪ねて来て、雪乃を説得しだした。「先様は言い値で良いと仰ってます。見たところ空いているお部屋もあるようですし…。どうでしょう?」「……」しつこい。雪乃は事務所の応接スペースで対応していたこともあり、しつこい相手に「仕事があるから」と追い返すこともできず、苛ついていた。「何度言われようと、売る事も貸す事も致しません。空き部屋は何れ使う予定がありますので。……これ以上仰るなら、管理会社を変えさせていただきますよ?」そう言うと、相手は慌てたように両手を前に出して振った。「いえいえっ。もう言いません!申し訳ありません!た、ただ、これだけは、お受け取りくださいっ…」そうして雪乃に向かってサッと差し出された名刺にはー。〝那須川悠一〟の名前があった。雪乃はそれを受け取ることもせず、胡乱な目で見つめていただけだったが強引に手渡され、その担当者は逃げるように帰って行った。なに?結納で渡した物を買い戻そうって?何の意味があるの?雪乃は、上質な紙に印刷された悠一の名前をじっと見てからゴミ箱に捨て、それから携帯を取り出した。『今日、時間ある?』すぐにくるとは思ってなかった返信が、殆ど待つことなく送られてきた。『いつでも空いてる』なに言ってんの?忙しいくせに。雪乃はイラッとした。『無理しないで。本当に空いてる時間を教えて』今度は少し待たされた。『仕事終わりに連絡する』……。やっぱり忙しいんじゃんっ。まったく…。雪乃はため息をついて『了解』と送った。悠一は。雪乃からの最後のメッセージをしばらく見つめて、これ以上なにもこないと分かると画面を消した。「社長?」悠一のデスクの前に立ち、メッセージのやり取りを見ていた真木宗太は、彼の僅かに上がった口角に相手を察した。「奥さまですか?」尋ねると、悠一はちらりと彼を見て言った。「
last updateLast Updated : 2025-07-05
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はぁ……雪乃はポイッとスマホを応接スペースのテーブルに投げ置いて、頭を抱えた。もう…何なの、この人?いちいち面倒くさいんですけど。雪乃が邸を出て以来、毎日欠かさず彼からメッセージが届いていた。朝の『おはよう』から始まり、夜の『おやすみ』に至るまで、やれ『今日は暑くなりそうだ』『今日は雨が降りそうだ』って…お天気お兄さんか?てのよっ。何なら『何してる?』てー。ほんとストーカー!時々くる食事の誘いも、無視するとしつこくメッセージを送ってくることから、雪乃は『NO』や『✖』だけ送り返していた。だが、メッセージは適当に返すとその日はもう送ってこなくなるからいいものの、さすがに今日の件は見過ごせない。はぁ……雪乃はもう一度ため息をついて、もうそろそろはっきりさせなければいけないと改めて思い、目を閉じた。「雪乃さん?どうしました?」友香は応接スペースに入ったまま出てこない雪乃を案じて、ヒョイと覗いてみた。そこには、ソファの上に座って上半身だけ倒した雪乃が疲れたように目を閉じていて、彼女は焦って駆け寄った。「雪乃さんっ」そっと彼女の肩に触れ軽く揺すると、雪乃はパチッと目を開け、それから友香の顔を見てふっと微笑った。「心配してくれる人がいるって、やっぱり嬉しいものね」「………」友香はその言葉に眉を顰めた。なぜ令嬢として何不自由なく生きてきたような彼女がそんな事を言うのか、全く分からなかった。彼女は別に虐げられて育ったようには見えない。彼女のスタイルは素晴らしいし、髪も、肌も、爪も充分に手入れされているように見える。誰もが望んで手に入れられる訳ではない生活を送ってきたはずの彼女が、なぜこんなにも寂しそうな顔をするのか。友香の胸がきゅっと切なく痛んだ。「私で良ければいつでも頼ってください。大したことはできませんが、側にいることはできます。あ、愚痴も聞けますっ」そう言うと、雪乃は一瞬キョトンとして、次にふふっと微笑った。「ありがとう。嬉しいっ」突然彼女に抱きつかれて、友香の頬がほんの少し赤らんだ。雪乃は自分よりも歳上の大人なのに、3歳になる息子の事を思い出した。友香も彼女を軽く抱き返し、その背中をぽんぽんっと叩いた。「何してるの?」そこへ突然声をかけられて、2人はハッと顔を上げ、現れた麻衣にパチパチと瞬きをした。彼女は2人を
last updateLast Updated : 2025-07-05
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『30分後、迎えに行く。食事をしよう』そうメッセージがきて、雪乃はスケッチブックを閉じると3階の自室へ戻った。予想よりも早くきたメッセージに、雪乃は『1時間後にして』と返信し、軽くシャワーを浴びて身体を解した。そして改めて化粧をし、綺麗めなタイトワンピースを着て髪の毛を簡単に纏めた。支度を終えて一息ついた頃ドアチャイムが鳴り、出てみると、久しぶりでも洗練された男の魅力をまとった悠一が立っていた。彼は雪乃を上から下まで見て、フッ…と微笑った。「綺麗だな」「……」そうして、小さな花束を差し出した。「どういうつもり?」雪乃は眉を寄せて悠一を見上げたが、彼は微笑みを崩さず「土産だ」と言った。「……」また土産…。ほんとに一体どうしたの?もしかして、お土産買うのがマイブームなの???訳がわからなかったがとりあえず食事に花束は邪魔なので、雪乃はそれをそのまま玄関の棚上に置き、靴を履いた。そういえば前に邸でもらったギフトボックス、どうしたっけ?雪乃は唐突に思い出して、今日帰ったら探してみようと思った。20分後。着いた処は、隠れ家的な小さな一軒家のようなレストランだった。「へぇ…初めて来た。よくこんな処知ってたわね?」そう言うと、悠一は片眉を上げて「俺も初めて来た」と言った。首を傾げると、「真木のお勧めなんだ」と言い、まるでエスコートするかのように雪乃の腰に手を添えてきた。2人が店の入り口に向かって歩いて行くと、チリリン…とドアが開き、店主らしき人物が恭しく出迎えてくれた。「いらっしゃいませ。お待ちしておりました」そう言って、にこやかに店内に誘導してくれた。「え…」中に足を踏み入れて、そこに自分たち以外誰もいないことに驚いた雪乃が悠一を見ると、彼は小声で「貸し切ったんだ」と囁いた。嘘でしょう…?無駄遣いがほんとに過ぎるわ!雪乃は無駄に雰囲気の良い場に辟易しながら、悠一とテーブルについた。2人はそれぞれにメニューを見て、それぞれに注文した。雪乃は思った。きっと前世の自分だったら、悠一に全てを任せて控えめな女を装っていた。でも今は違う。食べたいものを食べることが大事だ。相手にどう思われようが構わなくなると、なんて自由で素敵なんだろう!雪乃は一人満足気に頷いた。「どうした?」「ん?ふふっ…なんでもないわ」訝し
last updateLast Updated : 2025-07-07
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雪乃はナプキンで口を拭い、目の前でワインに口をつけている悠一に言った。「ところで、なんであそこの部屋が欲しいの?」その質問に、悠一はゆっくりとグラスを置いた。「いきなり本題?」「他に何を話すのよ?」ふんっと鼻を鳴らした雪乃に、悠一は少し残念そうにため息をつき、だが軽い調子で言った。「意味はないさ。あそこは会社と自宅のちょうど中間地点だからな。帰るのが面倒な時とか、近くに部屋があれば便利だと思っただけだ」「本当に…?」疑わしそうに目を眇める彼女に自然に頷いてみせたが、信じてもらえてないようだ。悠一はコホンと咳をして、真剣に雪乃の目を見た。「信じて」「……」しばらく2人で見つめ合って、その状況に気がついた雪乃が耳まで赤くして、慌てたように口を開いた。「わ、わかったわ。2階でいい?」「3階」「…」「3階」譲らない態度に、ため息をついた。「いいわ。ただし、高いわよ?」そう言うと、悠一は可笑しそうにその目を細めた。「俺があげたのに?」「今は私のよっ。嫌ならー」言いかけると、悠一がそれを遮って頷いた。「いくらだ?」「いくら出す?」「……」やれやれ…。とんだ交渉術だ。惚れた弱みをついてくるとは!悠一は苦笑して、それでもその目に愛おしそうな気持ちを滲ませて、彼女の白くて細い手を取った。「君の欲しいだけ言って?」その深い声音に、雪乃の頬が瞬時にぶわわわっと赤くなった。それを見て、益々彼女を可愛らしいと思った悠一が言った。「いくらでも出すよ。君は俺の妻だから、俺のものは君のものだ」「!」だがそう言った途端、雪乃の赤くなった顔がサーッと冷たく固まった。そして悠一の掌の中から自分の手を引き抜き、はっきりと言った。「私はあなたの妻じゃない」「雪乃…」困った様に眉根を寄せるが、彼女は揺らがなかった。「1億5000。適正価格よ」「……」それだけ言うと彼女はさっさと席を立ち、「帰りましょう」と言った。悠一は仕方なさそうに立ち上がり、店主に一つ頷くと、雪乃に続いて店を後にした。外に出ると彼女は車の側に佇み、静かに空を見上げていた。その横顔がとても綺麗で、でもどこか淋しげで、悠一の胸の内をざわめかせた。彼が近づいたのを足音で知ったのか、雪乃が振り向き、手を差し出した。「お酒、飲んだでしょ?運転してあげる」「あ
last updateLast Updated : 2025-07-07
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「なにするの!?」目の前に迫る悠一の顔に、雪乃は怯えた。前世での彼の冷たい態度や表情、そして一切の接触を許さない冷淡さを思い出して、彼女は泣きそうになった。「放して…」実際に、彼女の瞳は潤んでいた。悠一は、彼女のそんな顔を見て堪らない気持ちになり、強引に唇を奪った。「うっ……!」急いで抵抗しようとする腕を押さえ込み、逸らそうとする顔を強く固定した。「や、やめて…っ」息をする為か、口を開けたところに益々深く唇を重ね、悠一は積年の想いをぶつけるかの様に、夢中で彼女を貪った。「悠一!!」それでも激しく抵抗し、とうとう押さえつけられていた腕を自由にした雪乃が彼の顔を思い切り両手で引き剥がし、涙目で怒鳴りつけた。「あんたなんて最低よ!大嫌い!!」そう言ってドアをバッ!と勢いよく開け、転がるように外に出た。「雪乃!」「来ないで!」雪乃は足が立たず膝をついていたのだが、心配して車を降り、駆け寄ってきた悠一を睨みつけた。「なにもしない。悪かった…。ケガをしてないか心配だから、見せてほしい」優しく語りかけるが、彼女は頷かない。焦れた悠一がゆっくりと近づいたが、雪乃は俯いたまま一切目を向けてくれない。「ごめん……」悠一は小さな声でそう言って、雪乃の側に屈んでケガがないか確認した。幸い膝に小さな掠り傷がある程度だったが、捻挫でもしていたら大変だと、そっと抱き上げた。「なにするの!」怯えて暴れる雪乃に、悠一はできるだけ優しく聞こえるようゆっくりと話した。「なにもしない。足を痛めていたらいけないから、こうしてるんだ。運転手を呼ぶから、少し後ろで休んでて」そう言って悠一は先ほどの店に戻り、しばらくして、冷水で絞ったタオルと保冷剤を持って車に戻って来た。「ほら、これで冷やして。腫れたりしないように」優しく気遣うように言ってタオルを差し出した。「あなたのせいでしょ…」鼻声で悠一を非難する彼女の瞳にはまだ涙があって、恐る恐る足首をタオルで冷やす様子は、幼い子供のように震えていた。悠一はその姿に居た堪れなくなり、くるりと背を向けると運転手の立野誠に連絡をした。そしてタバコに火をつけて、一口吸ったところで雪乃が咳込み、慌てて揉み消したのだった。雪乃との関係は、これでただの〝幼馴染〟には戻れまい。吉と出るか凶と出るか…。それはわからな
last updateLast Updated : 2025-07-07
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