正道に権力を奪われ、追いやられたのは、たしかに彼への負い目があったからだ。彼には命を救われた恩がある。彼が自分の会社を取り戻したいなら、くれてやればいい。それで、自分は彼に対して何も負わなくなる。だが、権力を奪い返したからといって、雲井グループが正道ひとりのものになるわけではない。ようやく安定した会社を、たった一人の女のために正道がかき回すことなど、株主たちが許すはずもない。正道は嫌悪を隠さず言い放った。「鈴の言う通りだ。やはりお前は、腹の底の読めない女だな」その言葉は、夜の胸に鋭く刺さった。それでも彼女の笑みは、なおも静かだった。「分かっているなら、それでいいわ。権力を手にしたからって、何をしても許されると思わないことね」正道の顔がみるみる陰っていくのを見て、夜は自分の狙いが当たったと知った。彼女は立ち上がると、そっと正道の頬に手を添えた。声は限りなく甘く、情を含んでいる。だが、その目は骨の髄まで凍らせるように冷たかった。彼女は囁く。「正道、あまり私を怒らせないほうがいいわ。あなたたちを潰す方法なんて、いくらでもあるんだから」正道は彼女の手首を掴んだ。視線は氷のように冷えきっている。顔を寄せるその仕草は、傍から見れば親密そのものだった。けれど互いの目には、冷たさと嫌悪しかなかった。彼は彼女の目を見据え、一語ずつ噛みしめるように言った。「夜。俺に付け入る隙を見せるなよ」夜は気にも留めないように微笑んだ。彼には守るものがある。だが彼女には、ない。子どもたちのことなら――あの子たちは彼の子でもある。もし彼が鈴のために、子どもたちを傷つけるような真似をしたなら、そのときは――そのときは、正道にも、最愛のものを失う痛みを骨の髄まで思い知らせてやれる。「あなたたち……何をしているの?」そのとき、入口のほうから聞き覚えのある女の声が響いた。夜と正道は同時に振り向く。真っ白なワンピースを着た鈴が、いつの間にか戸口に立っていた。信じられないといったように目を見開き、涙を滲ませ、顔にはこの世の終わりのような痛ましい表情を浮かべている。まるで、自分の夫の浮気現場を目の当たりにしたかのような悲しみぶりだった。正道の顔色が変わり、すぐに夜から手を放して、鈴のもとへ急いだ。
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