All Chapters of 神殿育ちの嫌われΩは、隣国の伯爵αに蕩ける愛を刻まれる: Chapter 61 - Chapter 70

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第60話 皇太子ティエリーの事情

     ティエリーは悪びれた様子もなく、テーブルを挟んだ向かい側の椅子に腰掛ける。 「報告書を読んでたのか?」 「ああ」 「それにしては、上の空だったようだが?」  ティエリーは笑いながら、ルシアンを見る。  テーブルに用意されていたグラスにワインを注ぎ、勝手に飲み始めた。 「で、その地味な袋は何だ?」 「野暮なことを聞くな」  ルシアンは素っ気なく答え、お守り袋を懐にしまいこむ。 「あの聖樹からもらったのか」  ティエリーが興味を示すが、ルシアンは黙っていた。   無視したのに、ティリーは興味深そうに尋ねてくる。 「何をもらったんだ? 手紙か?」  見せろ、と手を差し出すティエリーを、軽く睨む。  ルシアンが頑なに拒むのを見て、ティエリーは肩をすくめた。 「そんな顔で睨むな」 「……何か用があったんじゃないのか」  ルシアンが不機嫌な顔で尋ねると、ティエリーは楽しげな顔になった。 「なに、お前が王子と揉めたと聞いてな」 「その件は、すでに処理したはずだ」 「報告は聞いている。バカバカしい主張だったそうだな。尊い聖樹を、一介の貴族が案内に使うのは、冒涜だとか何とか」  ティエリーの言葉に、ルシアンは冷ややかに答えた。 「こじつけも良いところだ。王太子には話を通しているというのに、恥知らずにも抗議してくるのだからな」 「主人が無能なら、部下も無能か。さすが、ランダリエの問題児だ」  嘲笑を浮かべるティエリーに、ルシアンは苛立ちを含んだ声で答えた。 「ランダリエ王家も、あのような恥晒しをよく表に出せたものだ」  ルシアンは、ティエリーの前だからこそ、容赦なくレオナールを批判した。 「上位の者に媚び、下の者には横柄にふるまう。俗物な小物だぞ、あれは。王族の権威に増長し、自惚れが強い……君の名を出して、ようやく静かになったくらいだ」  奥庭園で会った時、レオナールは明らかにルシア
last updateLast Updated : 2025-08-01
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第61話 番にしろ

    (あの俗物な性格を考えれば、第二王子で間違いないだろう)  ルシアンはそう確信していた。  だが、あの無能なレオナールが悪事を主導しているとは考えにくい。レオナールの立場と権力を利用し、裏で悪事を働いている者がいるはずだ。 「うまく捕らえて、君の反抗勢力も一掃しなければな」  ルシアンはうっすらと笑った。  黒幕が帝国の貴族と通じていた証拠を押さえ、ティエリーの基盤を強固にすることが、今回の最終的な目的だ。ついでに、ランダリエのサファイア原石をティエリーが抑えれば、軍部での影響力を強めることができる。  そのために、わざわざこんな小国までやってきて、秘密裏に動いているのだ。 (予想外のこともあったが……)  ルシアンはグッと拳を握る。  任務の為に近づいた、可憐な白い花。  それなのに、ルシアンは本気で、あの花が欲しくなってしまった。 「ルシアン」 「なんだ」 「聖樹から、情報を引き出したのだろう?」 「ああ。……あの男の代わりに、執務を行っているようだ」  エマから直接聞いたわけではないが、レオナールが仕事を押しつけていることは明白だ。 「さすがだな、ルシアン」  ティエリーは軽く口笛を吹き、楽しげに言った。 「あの聖樹は、使えるな」 「書類は把握しているようだから、情報ならまだ聞き出せるだろう」 「いや、物証を盗ませるのにちょうど良い」 「!?」  ルシアンは思わず顔を上げた。  ティエリーは口端を上げて、ルシアンに命令する。 「ルシアン。お前が、あの聖樹を番(つがい)にしろ」 「ッ、できるわけないだろう!? 王子の婚約者だぞ!」 「まだ番っていないのだろう? お前が先に番にしてしまえばいい」 「戦の火種を投げ込むつもりか?」  ルシアンは険しい顔でティエリーを咎める。  ティエリーはグラスを揺らしながら、愉しげに笑った。 「この国では聖樹と崇めている
last updateLast Updated : 2025-08-02
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第62話 手に入れるべき

   「なぜ、不幸になる前提なんだ?」 「……」 「お前……まだ、ソルティアン大公を恨んでいるのか?」 「当然だろう! ミシェルを不幸にしたんだぞ?」  ルシアンは怒気を含んだ声で答えた。  ティエリーは、さらに呆れた顔になり、ため息をついた。 「本人同士が納得していることを、お前がいつまでも恨むな」 「……許したくないんだ。ミシェルは夢を奪われただけじゃない。命まで狙われて、大怪我もした」  ルシアンは拳を握りしめ、堪えるように歯を食いしばった。 「私は、あの子を……ミシェルのように不幸にしたくない」  ルシアンは、懺悔するように声を絞り出した。 (私のせいで、エマが不幸になってはいけない)  オメガは、弱い生き物だ。  アルファと番(つがい)になり、守ってもらわないと、生きていくことが難しい。  エマを守りたいと思うたびに、泣いていたミシェルの姿が脳裏に浮かんだ。 「ルシアン。不幸かどうかは、本人が決めることだ」 「……分かっている」 「今のお前なら、オメガ一人くらい守れるだろう?」  どうやら、ティエリーは励ましてくれているようだ。  ルシアンもグラスにワインを注ぎ、一口飲む。 (私が、エマを守れるのか?)  ルシアンは一度目を閉じて、エマを思い浮かべた。 『ありがとうございます。ルシアン様』  ふわりと笑う姿が、花のように愛らしかった。  甘い声で啼く姿も。ルシアンの手で乱れて、絶頂に達する姿にも。ルシアンは激しく興奮したのだ。 (あの子が欲しい)  アルファの本能が、強く訴えかけている。  あのオメガを、手に入れるべきだと。 「ルシアン」  ティエリーがグラスを傾け、微笑を浮かべる。 「あの聖樹と番(つが)いたくなったら、いつでも手を貸してやる」  それだけ言うと、グラスの中身を一気に飲み干した。  + + +&
last updateLast Updated : 2025-08-03
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第63話 馬がけ

     ティエリーの希望で、ダリウは王宮の外にある野外訓練場の砦へ向かう。接待時の移動は馬車を使うが、今回は馬がけを楽しむのが目的だった。  砦の向こうには森があり、狩りもできる。森の反対側は広い平野になっていて、馬がけをするには良い場所なのだ。  ダリウは久しぶりに愛馬に跨がり、野を駆ける。ティエリーの乗馬の腕も大したもので、一時間ほど休まずに走ったのに、息も乱れていない。  部下たちは後ろからついてきているが、ティエリーとダリウの近くには寄らず、離れて見守っている。それも、ティエリーが希望したことだ。 「ここは良い場所だな、ダリウ」  ティエリーが親しげに話しかけてくる。  ランダリエ国内で、王太子であるダリウを呼び捨てに出来るのは、国王と王妃くらいだ。皇太子であるティエリーに名を呼ばれるのは新鮮で、心地よく感じた。 「ありがとうございます。私のお気に入りの場所です。子どもの頃はよく、王宮を抜け出してこの辺りまで馬がけにきました」 「ほう。そのようにやんちゃな時代があったとは驚きだ」  ティエリーはダリウを見て、からかうように言った。ダリウの見た目からは、想像がつかないのだろう。  金髪に青い瞳の、童話に出てくるようなキラキラと輝く王子様。それが、世間から見たダリウの印象だ。  品行方正で思いやりのある優しい王太子は、貴族や平民からも絶大な人気がある。次期国王として、皆に歓迎されていた。  聡明で賢く、剣の腕も確かだと評判のダリウだが、それは幼い頃から努力を続けてきた成果だ。   しかし、己の努力だけでは、どうにもならないことがある。   ダリウは馬に跨がったまま、隣のティエリーに視線を向けた。王宮の厩舎にいる軍馬の中でも、とりわけ気の荒い大きな馬を、見事に乗りこなしている。  馬上で相手を見ると、身分や立場を超えて、その人自身がよく見える。だから、格上の相手でも、馬上では臆せず話すことができた。 「ティエリー殿下。先日は、愚弟がデイモンド伯に失礼な態度を取ったと伺いました。誠に申し訳ござい
last updateLast Updated : 2025-08-04
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第64話 腐った果実

    「素直なところは、平民らしいな」 「元々の性格でしょう」 「だったら、なおさら良い。ランダリエの聖樹には、興味があったからな」  ティエリーの台詞に、ダリウは目を見張った。 (まさか……今になって夜伽を命じるつもりか?)  ティエリーは今まで、エマヌエーレに興味を示す素振りはなかった。公式の場で挨拶した以外では、顔を合わせたこともないはずだ。  レオナールの公務を代わりに任せたせいで、ティエリーの目に留まってしまったのだろうか。  ダリウはあわてて、ティエリーに言った。 「ティエリー殿下。夜伽をお望みでしたら、他に相応しい者を用意させますので、どうかエマヌエーレはご容赦下さい」  ダリウは必死の思いで頭を下げる。 「何故だ? あれはまだ番(つがい)を得ていないだろう?」  番のいるオメガは、他のアルファに性的な反応を示さなくなる。  そのため、ランダリエの聖樹は、正式に婚姻し子をなすまで番関係を結ばないよう婚約時に取り決められていた。もし子をなす前に離縁された場合、番がいては再婚が難しい。今回のように賓客の夜伽を務めるのにも、支障がでるからだ。  しかし、ここで未婚のエマヌエーレが夜伽を務めれば、聖樹としての価値が下がってしまう。それはエマヌエーレの将来を台無しにする行為だ。 「エマヌエーレは、まだ子どもです。ティエリー殿下を満足させることはできません」 「ダリウは、ずいぶんあの聖樹を買っているようだな」  ティエリーは楽しげな口調で問う。  ダリウは何と答えるべきか悩んだ。 (エマヌエーレは……おそらく未経験だ。閨事など知っているはずがない)  それに、レオナールがエマヌエーレとの婚約を破棄して、公爵家のカミラ令嬢と結婚したがっていることも、把握している。   本来ならば、レオナールに「早くエマヌエーレと子を作れ」と叱って急かすべきだ。  しかしダリウは、エマヌエーレはレオナールにはもったいない、立派すぎる相手だと考えるようになった
last updateLast Updated : 2025-08-05
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第65話 手を貸してやる

     王太子のうちに、敵を始末しておけと言っているのだ。即位してからでは、遅いと。 「ですが……エマヌエーレが、どう関係するのですか?」 「あれは害虫の巣にもっとも近い位置にいるのだろう? うまく使って証拠を集めれば良い」 「ティエリー殿下のご意見はもっともです。ですが、エマヌエーレに危険な真似はさせられません」  ダリウは首を振って答えた。  エマヌエーレは素直で嘘のつけない純粋な子どもだ。スパイの真似ごとなど、できるはずがない。  だが、ティエリーは冷たく言い放った。 「情に流されては、国を治めることなどできぬ。駒だと思ってやるのがよかろう」 「……ご忠告、痛み入ります」  そう答えたものの、ダリウは割り切れない。  もし失敗したら。もし侯爵側に気取られたら……そのときは、エマヌエーレを切り捨て、無関係を装わねばならなくなる。  あの不憫な聖樹を、これ以上、傷つけたくはない。  苦悩するダリウに、ティエリーはふっと表情を和らげて言った。 「それほど気が進まぬなら……未来のランダリエ国王のために、俺が手を貸してやろう」 「殿下が、私に?」 「ああ。聖樹に、デイモンド伯をつけてやる。あいつに任せれば、其方の手を汚さずとも、証拠をつかめるだろう」 「それは……私にとっては有り難いお話ですが……ティエリー殿下の利になるのでしょうか?」  何の見返りも無しに提案するはずがない。  ダリウはジッとティエリーを窺い見る。  警戒するダリウに、ティエリーは深紅の瞳を細めて、ますます楽しげに唇を歪めた。 「むろんだ。報酬は……そうだな。とりあえず、くだんの聖樹をもらい受けようか?」 「!?」  ダリウはサッと顔色を変えた。  ティエリーの指す聖樹とは、エマヌエーレに他ならない。 (エマヌエーレを……王家所有の聖樹を、譲れと言うのか!?)  『聖樹』は、ランダリエ王家の大切な駒だ。エマヌエーレがレオナールと婚約破棄した場合で
last updateLast Updated : 2025-08-06
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第66話 王太子からの文

     その瞳にはレオナールへの怒りが見て取れたが、エマは気付かない振りをした。  昨夜、レオナールから折檻を受けたあと、離れからの出入りを禁じられたのだ。 『男とみれば、すぐ尻を振って媚びるからな。節操なしのメス犬め!』  激しく罵倒されて、胸が痛んだが、エマに逆らう術はない。  どんな無茶な命令でも、従うしかないのだ。 (どうせすぐ、公務に差し障りがでて、僕に代わりをさせる)  いつまでもエマを離れに閉じ込めておけるわけがない。  レオナールが自由気ままに出歩き、放蕩三昧で過ごすためには、王族としての仕事を代わりにこなす人間が必要だからだ。 (皇太子殿下が帰国してからになるだろうけど……)  昨日は、これで最後と思って、ルシアンの面影をしっかり心に刻んだ。ルシアンと過ごした幸せな時間も。 (ルシアン様……また、お会いできたらいいのに)  叶わぬ想いを胸に抱きながら、エマは再び眠りについた。          夕方になると、エマの熱は下がり、体力も戻ってきた。   やはり、連日の公務やレオナールの折檻が原因で、疲れから熱が出ていたようだ。   エマはたまっている書類仕事の続きをやろうとしたが、ナタリナに怖い顔で止められる。 「エマ様? 今日は公務をお休みしたのですから、お仕事をしてはいけません」 「でも、ちょっとでも進めておかないと……」 「いけません。休めるときに、しっかり休んで下さい」  そう言って、エマをソファーに座らせる。  ナタリナの話によると、昼間にレオナールの補佐官が仕事を持ってきたそうだが、追い返したらしい。そんなことをしたら、レオナールの機嫌を損ねるのではと心配したが、ナタリナは強かった。 「どうせ、第二王子は仕事内容など把握していません。無理やり押しつけるようなら、王太子殿下の名前を出して黙らせます」
last updateLast Updated : 2025-08-07
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第67話 会えるかもしれない

    「エマヌエーレ様。明日、王太子殿下とお会いしたさいは、ぜひ見舞い品のご感想をお伝え下さい」 「あ、はい」  エマはぺこりと頭を下げた。  侍女長がエマを睨んでいたようだが、無視する。  補佐官が控えの間を出て行くと、侍女長は目をつり上げて怒鳴った。 「レオナール様のご命令に背くなど、何を考えているのです!」 「申し訳ございません、侍女長」 「仮にもレオナール様の婚約者という栄誉ある立場に置いて頂きながら、王太子殿下に取り入るとは、なんと浅ましい!」  エマは頭を下げたまま、侍女長の罵倒を受け流した。  いくらエマが違うと言ったところで、レオナールと同様に聞く耳を持たないのは分かっている。 「まったく、けがれた平民に見舞いの品など、王太子殿下もお情けが過ぎますわ! 受け取りを確認するなんて……!」  侍女長は怒りに顔を歪め、その場にいた侍女に命じて見舞い品を持ってこさせた。ナタリナに向かって、投げ捨てるように渡す。 「もっておいき。王太子殿下に余計なことを話したら、容赦しませんよ!」  侍女長はエマヌエーレのものを奪っておきながら、詫びることもなく、脅しをかけてくる。レオナールに近い人物ほど、卑劣で陰険だ。 「はい」  エマは頷いただけで、反論はしない。 「侍女長。私は王子殿下の婚約者としての公務を、全うさせて頂きます」  エマはしおらしく答えると、逃げるように離れへ戻った。  しかしナタリナは、離れの部屋に戻るなり、侍女長への怒りを露わにする。 「毎度毎度、無礼な女ですわ! エマ様への贈り物を横取りしたあげく、非難するなんて!」 「ナタリナ、いいよ。侍女長が王子びいきなのは、今に始まったことじゃないんだから」 「エマ様はお優しすぎますわ!」 「ナタリナが、代わりに怒ってくれるからだよ」  エマが微笑むと、ナタリナが表情を緩める。  そして、エマを優しく抱きしめた。 「エマ様……必ず、私がここから出して差し
last updateLast Updated : 2025-08-08
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第68話 王都へ案内

    「エマ様……カミラ様が仰った言葉を気になさる必要はございません」  ナタリナが慰めるように、エマの背中を撫でた。  平民のエマには後ろ盾がないから、衣服はすべて支給品のみで、私服もなく装飾品も持っていない。  貴族出身の『聖樹』は、法衣でも、宝石をちりばめて美しく着飾っていたし、ブローチや指輪もつけていた。西殿(さいでん)では、ときどき聖樹同士でお茶会が開かれるが、その際は法衣以外の服装も許されている。  お茶会に呼ばれたことは片手で数えるくらいしかないけど、いつもエマは法衣のまま出席した。他の服を持っていなかったからだ。 「僕は王子の婚約者なのに、質素な法衣しか持ってない……カミラ様は素敵なお召し物で、とても美しかったのに」 「カミラ様は公爵令嬢ですから、比べても仕方ありませんわ」 「うん……」 「第二王子は、エマ様を貶めて喜ぶような男です。エマ様は何も悪くありません」  優しく背中をさする手に、エマもコクリと頷いた。 (王子やカミラ嬢の言うことは、気にしないようにしなくちゃ……)   いちいち傷ついていては、ナタリナまで悲しませてしまう。   エマは支度を調えると、ナタリナを連れて天耀宮(てんようきゅう)へ向かった。           北殿(ほくでん)の天耀宮へ到着し、控えの間で待っていると、ルシアンがやってきた。  銀色の長い髪を一つに結び、赤い瞳が穏やかにエマを見つめている。  今日の服装も素敵だった。  春の時期に相応しい、深緑色の外套に、生成りのハイカラーシャツと、薄いグレージュのベスト。ボタンには琥珀色の石があしらわれていて、とても洒落たデザインだった。 (ルシアン様は、いつも素敵なお召し物だ)  洗練された貴族らしい格好に、美しいルビーのような赤い瞳が魅力的で、つい見惚れてしまう。  そんなルシアンに比べると、自分の服装が
last updateLast Updated : 2025-08-09
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第69話 変装してもらう

     ルシアンの言葉に、エマはワクワクしてきた。  皇太子も王太子もいないので、失敗を恐れて緊張する必要もない。 (ルシアン様をご案内できるなんて……しかも、二人きりって!)  憧れのルシアンと、一緒にいられるのだ。  エマは浮かれそうになったが、脳裏にレオナールの姿がよぎる。 「ぁっ……でも……」 「どうしました?」 「その……先日、ルシアン様をご案内させて頂いた件で、王子に酷く叱られてしまいまして……」  もし、ルシアンと一緒にいると知られたら、レオナールは激しく怒るだろう。  いくら王命だと言っても、レオナールは自分勝手な理屈でエマを責める。このことが知られたら、どんな仕打ちを受けるか分からない。  エマは俯いて、両手をぎゅっと握りしめた。 (また、折檻を受けるかもしれない……っ)  思い出すだけで、身が竦む。  尊厳を踏みにじられ、苦痛に泣き叫んでも、許してもらえない。  あの時の恐怖に怯えるエマは、気付かぬうちに体を震わせて黙り込んだ。 (やっぱり、体調が悪いって言って、断った方がいいのかな……)  ルシアンなら、エマが断っても許してくれるだろう。  せっかく、好きな人と一緒にいられる機会だったのに、それを手放さないといけないなんて。 「……も、申し訳ないのですが、」 「エマ」  そっと頭を撫でられる。  優しく呼ぶ声に、おずおずと顔を上げた。 「エマ、大丈夫ですよ」  ルシアンが優しい顔で微笑んでいた。  見惚れるほど端麗な顔に、輝く赤い瞳。間近で見つめられ、エマの胸が高鳴った。 (ルシアン様っ)  ドキドキしていると、ルシアンがまたエマの頭を撫でる。 「心配することはありません。第二王子が狭量な人間なのは承知してます。エマは今日、王太子殿下の補佐として、馬がけに行っていることになっていますから」 「えっ?」 「王太子殿下にも、了承を得ています」
last updateLast Updated : 2025-08-10
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