All Chapters of 元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった: Chapter 281 - Chapter 290

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第281話

本当のところ、潤は静真の相手の名前すら知らなかった。しかし、この発言を聞いた瞬間、颯太と霞は共に言葉を失った。確か離婚後も、静真は以前と変わらなかった。だが、以前より冷たくなったなど、小さな変化もあった。とはいえ、静真の結婚から離婚までを知っている人は少なく、離婚が彼に大きな影響を与えたというわけでもなかった。潤は、場の空気が変わったことに気づき、「どうしたんだ?」と尋ねた。静真は「離婚した」と答えた。「……余計なことを聞いてしまったな」静真は「別に構わない」と気に留めていなかった。霞は静真の様子を注意深く観察し、本当に気にしていない様子だったので安心した。しかし、彼はまだ彼女とお揃いのペアリングをしていない。それでも、彼女は気にしないようにした。だって、もうすぐ全てが元通りになるはずだから。月子という邪魔ものがいなくなった今、彼女と静真はきっとすぐにでも関係を進展させられるだろう。霞はいろいろ熟慮した末、隼人を除けば、静真は自分が知っている中で最も地位の高い男性だ。颯太と潤も家柄はいいが、両親や姉に頭が上がらず、一族における発言権があまりない。それに比べ、静真は既に大きな権力を握っており、地位も能力も違う。一樹はというと、何を考えているのか分からない性格で、きっと付き合う相手が誰であろうと不安を感じてしまうだろう。静真こそが、彼女にとって最適な相手だ。霞は静真の妻になりたかった。しかし、焦ってはいない。中学時代から静真のグループに入れてもらえたのも、全て彼女の一歩ずつ抜かりなく計画を図った成果なのだから。ここまで来ればもっとじっくり練り込むだけの自信を彼女は持っているのだ。……一方、別の個室。隼人は強いオーラを放っているが、威圧的な態度はとらないので、周囲も次第に緊張が解けてきたところだった。月子は隼人に何度も接待に付き合っている。他の席では、周りの人間が隼人におべっかを使うが、彼は他人の気持ちを気にしないので、全体的な雰囲気は重苦しいものだ。しかし、今夜は違う。月子は、隼人が積極的に周りに合わせているのだとわかった。ただ、それも事情を知っている人だからこそ、これがどれほど珍しいことか分かることなのだ。洵は相変わらず、大人しくしているつもりでも時
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第282話

洵にとって、これほどの痛手は久しぶりだった。しかも今回は打撃は大きかったのだ。彩乃は言った。「洵、月子に感謝して。今まで何度助けてもらったと思っているの?」隼人も言った。「確かにそうだ」陽介は慌てて洵を立たせ、大きな声で言った。「月子さん、ありがとう!」そしてこっそり洵に歯を食いしばりながら、声を潜めて言った。「このバカ!もう余計な真似するなよ!」洵は今、かなり凹んでいたのだ。これほどの仕打ちは今まであっただろうか。誰にもこの悔しさは分かるまい。隼人、この腹黒オヤジ。月子は言った。「待ってるからね、早くして」洵は生気のない声で言った。「……月子、ありがとう。本当にありがとう。お前がいなかったら、俺はどう生きていけばいいか。もう一生お前から離れられない」彩乃は口を押さえ、肩を震わせて笑った。隼人もそれを見て薄っすらと笑みを浮かべた。月子は洵の額を思いっきり叩きたいと思った。この口達者には本当に参る。しかし、まず最初に隼人の様子を見た。洵の突拍子もない行動に隼人が気分を害していないか、気になって仕方がなかった。月子はなぜ隼人の前で自分のイメージを気にするのか、説明できなかったが、とにかく心配だったのだ。すると、偶然にも彼の目に笑みが見えた。月子がそちらを見たのと同時に、隼人も月子の方を見た。二人の視線が偶然にも合った。隼人の視線は鋭く、見つめ合っても目をそらすことはなかった。だから、目が合ってから思わずそらしたくなったのは、自信のない月子の方だった。まるでやましいことをしているみたいだった。月子はすぐに我に返り、無理やり隼人の方を見た。隼人は視線を逸らさずにいたので、また彼の視線に捕まってしまった。そして、心の中にあったやましい気持ちを隠そうと月子は平静を装って、堂々とした態度で言った。「鷹司社長、お恥ずかしいところを見せてしまいました」それを聞いた洵は途端に不満そうに言った。「彼の前で恥をかかされたと思ってるのか?」「ただあなたの大胆さに驚いただけよ。鷹司社長が寛大でよかったわね」月子は確かに恥ずかしいと思っていたが、みんなの前で洵のメンツをつぶすようなことはしなかった。叱ったり叩いたりするのは二人きりになった時だ。よほどひどいことをした時以外は、面と向かって注意することはないのだ
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第283話

月子は彼がそんなにも素早く反応するとは思っていなかった。視線がぶつかった瞬間、彼女は思わず一瞬膠着した。遠くから静真が冷たく沈んだ視線を向けて来た、そしてその視線を車内へと移すと、彼の表情はさらに険しくなった。隼人は月子の動きが一瞬止まったことに気づき、彼女の視線の先を追った。そこには、静真の冷たく鋭い視線があった。彼は思わず眉をひそめた。そして、彼の視線もまた冷たくなった。以前は隼人も遠慮していた。それは月子がまだ静真と離婚していなかったからだ。しかし、今はとなってはもう彼らは関係のない赤の他人になったので、彼もまた静真を気に掛けることがなくなった。張り詰めた空気の中、二人は視線を交わし、一体何について張り合っているのかは彼らのみが知っていた。そんな状況に静真は唇をきつく結んだ。そして、間もなく彼の視線は月子によって遮られた。それは月子が車に乗り込んだからだ。さっきまで、彼女は二人の男の視線のちょうど真ん中にいたのだ。それもほんの数秒の間だったため、彼女はこの二人の間の起きた駆け引きに全く気が付いていなかった。月子がシートベルトを締め、隼人がアクセルを踏んだ。車が走り出し、カーブを曲がった瞬間、月子は挑発するように静真を睨みつけた。せっかく隼人がここにいるんだから、利用しない手はない。ただ、一緒に車に乗って立ち去っただけかもしれないが、それでも静真を苛立たせるのは十分だっただろう。しかし、それだけでは彼女が満足しなかった。月子は、さっき、一瞬だけ隼人の頬にキスをして、静真を激怒させようという危険な考えを浮かべていたのだ。多分自分がそうしても隼人は何も言わなかっただろう。だって、彼は以前こういう接触が起きてもいいと言っていたからだ。すると月子は急にひどく後悔し始めた。キスぐらいなら、しても良かったのに。だが、すでに遅すぎたので、残念だ。そう思い更けていると、隼人は「機嫌が悪いのか?」と声かけて来た。そう言われると月子は「……いいえ」と答えるしかなかった。「その表情はなんだ?」隼人は更に問いただした。月子はポーカーフェイスのつもりだったが、鷹司社長の洞察力はさすがだった。仕方なく彼女は白状した。「少し後悔しています」隼人はハンドルを握りしめ、「彼と離婚したことを後悔して
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第284話

こうなると、月子は逆に言葉を失った。月子が動かないので、隼人は首を傾げた。「お前から試さないなら、俺からしてみようか。今度またお前が反応できなかったときは、俺からできるし」彼のその行動に月子は呆気に取られた。さすがは一流企業の社長、まさに行動はと言えるのだ。彼女がそう思っていると、隼人に片手で顎を掴まれ、頬に優しくキスを……いや、もう少しで頬が触れ合うというところで、隼人は動きを止めた。そうしていると、彼の温かい吐息が彼女の顔にかかった。さらに、耳元では彼の声が響いた。「嫌か?」月子の心臓は激しく鼓動し、頭の中は真っ白になった。ほんの数秒後、隼人は彼女を解放し、冷淡な口調で言った。「お前は経験がないのではなく、勇気がないだけだ」彼は黒く深い瞳の奥底で読めない感情を沸き正せながら彼女を見つめた。「月子、お前はまだ俺に心を開こうとしない。だから、こんな絶好のチャンスがあっても、お前にはできなかったんだ」月子は何か言い訳したかった。隼人は言った。「お前はまだ、静真を本気で苦しめようとは思っていない」この言葉を聞いて、月子は急にカッとなった。これまでもずっと、隼人は彼女が静真に未練があると思い込み、離婚しようという彼女の決意を疑っていたのだ。彼女の周りの人間で、彼女を試すような真似をするのは隼人だけだった。月子は隼人を尊敬していたからこそ、何度も説明したのに、まだ疑われていることが辛かった。「違います」月子は初めて強い口調で言い返した。「なら、証明してみろ」それでも信じないのか?「分かりました!」そう言うと、月子はシートベルトを外し、彼の前から手を伸ばして左肩に回し、後頭部を抱え込んだ。同時に隼人を引き寄せ、ためらうことなく彼の頬にキスをした。そして素早く距離を取った。「鷹司社長、証明しろとおっしゃいましたわね!」月子には少なからず、隼人を懲らしめたいという気持ちがあった。しかし、キスをした後、少し後悔した。なぜなら、キスをした後、隼人は彼女の顔から視線を外さず、むしろその視線はさらに深まっていき、まるで何かが溢れそうだったからだ。月子は彼と目を合わせることができず、彼の唇を見ながら、彼の言葉を真似て言った。「嫌?」すると、信号が青に変わった。月子が何も言わないうちに
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第285話

彼はアクセルを踏み込み、猛スピードで追いかけた。彼女のオンボロ車は見覚えがあったし、四駆ですぐにそれと分かるので、最初は見失う心配もなかった。しかし、この時間帯は交通量が多く、何台も車を追い越した静真は、交差点を曲がったところで流れ込んだ多くの車に阻まれ、停車せざるを得なくなった。この時になって初めて、静真は自分がどれほど焦っていたかを自覚した。月子に会う前まで、彼はいつもと変わらず仕事をこなし、友人と会っていた。だが、エレベーターを降りた時、前方にぼんやりと見覚えのある人影が見えた時、彼は一瞬であれは月子だと確信した。彼女を見た途端、静真は自分自身を制御できなくなった。役所での離婚時の冷淡な態度、ホストを指名していたこと、電話越しに挑発してきた声……それらが次々と脳裏に浮かんだ。以前のように、月子のことなど気にしないと思っていた。しかし、実際に会ってみると、再び感情がコントロールできなくなった。一体どうなってしまったんだ?静真は唇を固く閉じ、ハンドルを握りしめ、何とか前へ進もうと試みた。この時の彼は必ず月子に追いつきたい一心だった。追いついたらどうするのか。何も考えていなかった。ただ、月子を隼人と一緒に行かせるわけにはいかなかった。彼の車は高級車だったため、周りのドライバーも静かに道を譲った。一台分車間を詰め、辺りを見回すと、ようやく月子の車を見つけた。少し距離があったので車線変更を試みたが、赤信号で前へ進めなくなってしまった。車が止まった瞬間、静真は月子と隼人が何をしているのか知りたくなった。すると、真っ先に月子が隼人の頬にキスをする場面を目撃した。その信じられない光景に、静真は言葉を失った。激しい怒りと、深い戸惑い。言葉で表現できない様々な感情が一気に湧き上がったのだった。月子は自分だけが好きだったはずだ。結婚するために、あらゆる手段を使おうとしていた。全てを捧げようとしていたはずだ。離婚してまだそんなに経っていないのに、一体どういうつもりだ?よりによって、一番憎い男にキスをするなんて……歯を食いしばった静真は血の味を噛みしめた。唇が切れたようだが、そんなこと気にする余裕はなかった。全身の細胞が震え、怒りが込み上げてきた。そして激しい怒りのあまり、胸が締め付けられるような痛みを
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第286話

しかし、隼人は花を買いに行った……月子は彼と知り合ってから、こんなに長い間、彼が花を買っているのを見たことがなかった。だから、そんな風に考えたのだ。それでも月子は冷静さを保ち、どんな結果になってもいいように、あらかじめ心の準備をしていた。そう思った矢先、隼人が花束を抱えてやってきた。月子は彼が自分のほうへ向かって来るのが見え、車の窓を下げた。隼人は彫りの深い顔立ちで、黒い服を着ていた。花の色と黒のコントラストが、とても上品だった。花屋を背景に、彼が歩いてくる姿は、信じられないほど魅力的だった。「持っててくれ」隼人は月子に花を渡した。月子はすぐに、この花が自分への贈り物ではないことが分かり、ホッとした。花を受け取ると、隼人は車の前に回り込んで乗り込んだ。ドアを開けた瞬間、追いかけてきた静真が目に入った。隼人は表情を変えずに車に乗り込んだ。そして、フリーリ・レジデンスへと車を走らせた。月子が隼人にキスをしたのを見て、静真は認めたくないある可能性を思い浮かべた。それに加えて隼人はまた花を……静真は怒り心頭を突破したせいか、花を贈るだけではさっきのキスほどのダメージはなかった。彼はただ、顔面蒼白になりながら、二人の後を追った。しばらくして、二人がフリーリ・レジデンスに入っていくのが見えた。静真はここに家を買っていなかったので、中に入ることができなかった。彼は路肩に車を停め、遠くから地下駐車場の様子を窺っていた。まるでストーカーのように、月子の車が現れるのを待っていた。月子はもう隼人と付き合ったのか、それとも秘書として彼を送って行っただけなのか、彼はどうしてもそれを確かめたかったのだ。静真は、子供の頃、隼人への嫉妬や好奇心から、物陰に隠れて彼の行動を監視していたことを思い出した。そして、今もまた同じことをしている。今回、彼が待っているのは月子だ。月子。かつては眼中にもなかった女。静真は、なぜ急に彼女をこんなに気にするようになったのか分からなかった。自分はここで何を待っているのかも分からなかった。たとえ二人が一緒に住んでいなくても、あのキスは彼に深い傷を負わせた。もう耐えられなかった。だから、待ち続けても、事態が悪化するだけだ。状況が好転することはない。待っても待たなくても、意味がない。
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第287話

月子はすぐに眉をひそめた。「私をつけ回していたの?」女の冷淡で嫌悪に満ちた視線に、静真は再び胸を刺された。以前なら、彼の突然の訪問は月子にとって嬉しい驚きであり、彼女の瞳には喜びが溢れていたというのに。だから、家族の集まりがあるたびに、彼女は嬉しそうにしていた。それはこういう時だけ、彼は普通の夫婦のふりをして、彼女と手をつなぎ、人前で簡単な会話を交わすようにしていたからだ。以前はそんな表面的なやり取りだけでも、月子は長い間喜んでくれていた。今は、静真は彼女のためにここに来たというのに、彼女の瞳には一欠けらの愛情も情熱も見つけることができなかった。静真には、こんな状況は耐えられなかった。まるで心臓を針で深く刺されたような、激しい痛みを感じた。その痛みで、静真は少し冷静さを取り戻した。「話がある」「何?」「来月、おじいさんの誕生日がある。お前も一緒に来いと言われている」「私たちは離婚したのよ。どうして私が行かなきゃいけないの?」静真は何も説明せず、ただ言った。「離婚したからってなんだ。おじいさんの誕生日に、お前は来るのか、来ないのか?」月子はすぐに決断を下した。「行くわよ。でも、あなたとは一緒には行かない。以前と同じように、知らないふりをしよう」数日前まで、静真は月子の気持ちが落ち着けば、素直に戻ってきてくれると期待していた。しかし、彼女が隼人とキスしているところを目撃し、確信が揺らいだ。彼は、月子がまだ自分を愛しているのかについて、疑い始めた。しかし、この考えを深く掘り下げることは恐ろしかった。月子が自分を愛していないかもしれないと考えるだけで、彼は苛立ち、自分自身をコントロールできなくなるからだ。まさか嘘をついて、月子を従わせようとする日が来るとは、静真は思ってもみなかった。以前なら、彼の視線一つで、彼女は素直に従ったというのに。静真はこの落差を受け入れるのが難しかった。苛立ちを抑えながら、彼は尋ねた。「離婚のことを、なぜお前は直接おじいさんに言わなかった?本当に俺と縁を切りたいなら、とっくに皆に公表していただろう?」月子は冷笑した。「私たちの結婚を知っている人がそんなにいるみたいな言い方ね」静真は言葉を失った。「入江家の中で、私が大切に思っているのはおじいさんだけ。でも、彼を失望させたくな
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第288話

彼の真意を探ろうとしていた。静真はさらに尋ねた。「以前はカップを集めてたなんて話は聞かなかったが?」月子は眉をひそめた。「私の好みを聞いてるの?」静真は真剣な顔で答えた。「ああ」月子の胸は、何か重いもので殴られたようにずきりと痛んだ。そして、それが皮肉のようにも感じた。以前の彼女は、静真とこんな風に語り合うことを夢見ていた。お互いのことをもっと知り、理解し、彼の魅力を発見していくことを……しかし今、月子は真剣に考えた。この話題自体は友達と話すなら楽しいものだった。だが、相手が静真だと、これ以上話すには全くなれないのだ。むしろ無駄話のようにさえ思えた。そう思うと、彼女は冷たく言った。「あなたには関係ないことよ」静真は彼女を見つめた。「自分のために買ったのか、それとも誰かにあげるのか?」月子は彼の目を見返した。「だから何?自分で買おうが、誰かにあげようが、あなたに関係あるの?」静真は冷静さを保とうと努めていたが、月子の煮え切らない態度に苛立ちが募っていた。本当は喧嘩したくなかったが、つい厳しい口調で命令してしまった。「教えろ!」「あなたに教える義務はない」静真は、突然月子の手からショッピングバッグを奪い取った。まさか彼がバッグを奪うとは思っていなかった月子は、声を荒げた。「返して!」そう言って、バッグを取り返そうとした。静真は彼女の片手を掴み、冷徹な視線を向けた。「一体誰にあげるんだ?言え!」「パチン」と音が響き、月子は静真の頬を叩いた。静真は顔をそむけ、呆然とした。頬の痛みで我に返り、ゆっくりと振り返った。怒りで顔が赤くなった彼女の瞳には、激しい怒りが宿っていた。そこには焦りの色も見えた。そして、彼女はこの上ない冷たい声で言った。「静真、揉めたくない。私のものよ、返して!」静真はその一瞬夢から覚めたようだった。彼は冷たい表情を一層強張らせて冷たい声で、一語一句、強い憎しみを込めて言った。「こんなに焦るのは、隼人にあげるからなんだろう!」月子は彼以上に冷淡な視線を向けた。「あなたに関係ないでしょ!」完全に逆上した静真は、何も言わずに月子を抱き上げ、店を出て行った。店員は唖然とし、静真を止めようとしたが、彼の威圧感に圧倒され、近づくことさえできなかった。一歩でも歩み寄るものなら
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第289話

三年も住んでいたとはいえ、月子はこの別荘で温もりを感じたことは一度もなかった。彼女はここに帰るのを嫌がり、今のように、かすかな居心地の悪さを感じていた。彼女が過去の恋愛から立ち直れないのではなく、まるでトラウマの後遺症のように、過去の感情に囚われてしまっているのだ。静真は彼女の顎を掴み、無理やり視線を自分に向けさせた。月子は彼を見ざるを得なかった。静真は彼女の表情を見ながら、「ここが嫌なのか?」と尋ねた。「ええ」と月子は答えた。顎を掴む指に力を込め、静真は冷笑しながら言った。「前はこんなことなかっただろう?いつも俺が早く家に帰るのを待っていたくせに」「もし私が前のままだったら、あなたと離婚なんてしていない」静真は目を曇らせ、彼女を数秒間見つめた後、顎を放してあげたが彼の目には依然と激しい怒りが宿っていた。彼が何か言おうとしたその時、高橋が駆けつけてきた。彼女は静真を待っていたのだが、助手席に月子を見つけた。最初は確信が持てなかったが、何度も見て、ようやく月子だと分かったのだ。高橋は驚いた顔でドアを開けた。彼女は「奥様」と呼びかけようとしたが、離婚したことを思い出し、すぐに「月子さん、帰って来たんですか?」と笑顔で言い直した。しかしそう言い終えるとすぐに、ベルトで縛られた月子の手首に気づいた。高橋の笑顔は凍りつき、彼女は慌てて静真の方を見て、「静真様、これは、どういうことですか?」と尋ねた。「邪魔するな!」月子は過去の人間と関わりたくなかったので、高橋の方を見ようともしなかった。すると、高橋は突然手を伸ばし、ベルトを外そうとした。月子は驚いて彼女を見つめた。高橋は持病持ちだったが、静真の言うことは何でも聞き、決して彼を怒らせることはなかった。彼女がこんなに逆らうのは初めてだし、ましてや面と向かってだ。「何をしているんだ?」静真の顔色は最悪だった。ここにいる全員が、自分に逆らうつもりなのか?高橋は震え上がり、すぐに手を止めた。彼女は静真の顔を見ることができず、どもりながら言った。「静真様、月子さんの手首が真っ赤になっています。きっと、痛いはずです……」それを聞いて静真は視線を落とし、そして表情を硬くした。月子の手首は細く白く、彼は怒りのあまり、彼女が動かないようにきつく縛っていた
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第290話

しかし、すべては彼の思惑通りにはいかなかった。予想外の出来事と、制御不能な事態ばかりだった。だから、静真自身も、まさか月子を別荘に連れ帰ることになるとは思ってもいなかった。連れ帰ったはいいが、その後はどうする?二人は既に離婚している。どうすればいいんだ?静真は何をすればいいのか分からず、途方に暮れていた。隼人のせいにして、二人の仲を見たくないから月子を家に連れ帰ったと言えば、十分に納得できる理由になる。しかし、月子は彼の腕の中で抵抗こそしなかったものの、嫌悪感を隠そうともしていなかった……彼女の感情を身をもって体験した時、静真は月子を家に連れ帰ったのは、隼人のせいではないことに気づいた。彼はただ、以前のように素直で、穏やかに話せる月子を見たかっただけだった。そうすれば、自分きっと落ち着きを取り戻せる。こんなにイライラして、自制心を失わずに済むはずだ。静真は、月子に宥めてもらおうなんて思ってもいなかった。しかし、彼女は彼のそんなわずかな期待にすら応えることはなかった。静真ははっきりと覚えていた。昔の月子は彼の顔色を伺うのがとても上手だった。彼が怒ると、彼女はすぐに機嫌を取って、少しでも彼の態度が和らぐと、大胆にも彼の腕に抱きつき、腰に手を回した。彼が抱き返そうとしなくても、彼女は手を離さず、額を彼の首筋に擦り寄せてきた……それを考えると、静真の胸は締め付けられ、表情も曇った。彼は自分がこんな些細な出来事まで覚えているとは思ってもいなかった。静真は思わず月子を強く抱きしめ、ソファまで運んで、彼女を下ろした。彼女を下ろした瞬間、胸にぽっかりと穴が空いたような気がした。それは心臓に小さな穴を開けられたみたいだった。何かを失ったような感覚は、とても居心地が悪かった。しかし、静真には、もう彼女を抱きしめておく理由がなかった。彼はそのままソファに座り、ショッピングバッグからグラスを取り出した。何重にも巻かれた緩衝材を外すと、松の木のような形をした透明なグラスが現れた。「触らないで」月子が丹精込めて選んだグラスは、隼人への贈り物だった。静真がそれを手に取って弄ぶのを見て、気に入っていたはずのグラスが、彼の嫌な雰囲気に染まっていく気がした。静真はグラスを握りしめ、顔を青ざめた。「隼人への贈
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