All Chapters of 元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった: Chapter 851 - Chapter 860

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第851話

一樹は、隼人が月子に会いに行けない理由を指摘した。それは隼人が思っているような、いつもの我慢強さからではなく、ただ勇気がないからだ。隼人は、自分が感情表現が苦手なことはずっと分かっていた。でもそれが当たり前になっていたから、周りの人にこんな風に言われたことは一度もなかった。だから一樹の言葉は、まるで頭を殴られたかのような衝撃で、隼人を混乱させた。いつものことだからといって、それが正しいわけじゃないんだ。無意識にやってしまう習慣も、もとからそうであるべきではなかったんだ。隼人はある言葉を思い出した。逃げようとしている問題は、決してなくなりはしない。むしろ、もっと大きな代償を伴って現れて、向き合わざるを得なくなるのだと。月子と付き合い始めてから、隼人はこの関係をとても大切に守ってきた。でも徹が現れて、彼の思い描いていた幸せな未来は突然打ち砕かれた。隼人はかつての自分の狂気と抑圧された感情を思い出し、自分がどれほど醜い人間だったかを改めて痛感したんだ。だから、月子にそのことを知られるのがとても怖かった。なぜなら、自分も静真と大して変わらないからだ。どちらも破壊的で暴力的な一面があって、目的のためなら手段を選ばないのだ。同じように、どうしようもなく極端な人間なんだ。静真の悪さは、誰の目にも明らかだ。でも、それを隠している隼人だって、卑劣さでいうと大して変わらないのだ。だけど、本気で誰かと一緒にいたいなら、一生自分を偽り続けることなんてできないのだ。月子が未来の困難に一緒に立ち向かうことを嫌がったのは、もしかしたら自分が本当の自分を見せていなかったから、月子は彼をつかみ取れないと感じたからかもしれない。隼人は最初、自分の目的を達成するために、計算づくで月子に近づいた。偽の恋人になろうと提案したことさえあったんだ。結局、月子の方から告白してくれた。一見すると月子が主導権を握ったようだけど、実はそれこそが彼女を捕らえるための隼人の作戦で、そうすることで隼人は月子に主導権があるかのように見せかけていただけだったのだ。隼人は、月子が離婚で大変な時期に彼女の生活に入り込んだ。そして安心できる頼れる存在を演じることで、月子に好意を抱かせたんだ。すべてを計算していたのは隼人の方なのに、目的を達成した途端、彼はそのすべての企みを
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第852話

自分がこれまでやってきたことは、全部、自分の自己満足でしかなかったんだ。なんて滑稽なのだろう。そう思うと、隼人の胸に激しい苦痛と怒りがこみあげてきて、目の前がぐらぐらするのを感じた。もし、もっとちゃんと好きだと伝えていたら、そうすれば、月子は自信をもって自分と一緒にいることや、結婚まで考えてくれたんじゃないか。そうすれば、子供ができたとき、月子もあんな風におびえて、逃げ腰になることもなかったはずだ。隼人はずっと、自分のどこが間違っていたのか考えていた。でも、今、やっと分かった気がした。でも、それに気づいたのは、別れた後だったんだ。別れ、それこそが自分が払った代償なんだ。それは静真が離婚されてから、ようやく月子のことが好きだと気づいたのと同じだ。隼人は自分と静真はまったく違う人間だと思っていた。でも結局、同じくらい愚かだったってことか。隼人は、ぐっと歯を食いしばった。自分の愚かさが、どうしても許せなかった。なんで別れるまで、こんな簡単なことに気づかなかったんだ……やっぱりな。自分は、これまで誰とも深い関係を築いてこなかった。だから、どうすればいいのか全く分かっていなかったんだ。月子みたいな、こんなにいい子に出会えて、何もかも受け入れてくれたのに……なのに、結局は自分が全部台無しにしちまった。くそっ。マジで、くそっ。今までのことなら、周りのせいにすることもできた。でも、今回は全部、自分自身の問題だ。だからこの瞬間隼人は、自分自身が憎くて仕方がなかった。そんな想いを巡らせながら、隼人の感情は大きく揺れていた。自分への怒りが頂点に達していた。強烈な自己嫌悪と自暴自棄になりそうな気持ちを必死に抑えながら、彼は一樹を睨みつけた。「一体どうやって月子と付き合うようになったんだ……」そう問いただす彼の声は、ひどくかすれていた。一樹は、きょとんとした。彼には、隼人が何かに耐えるように顔をこわばらせていたように見えた。おかしいな。自分のどの言葉が、彼の気に障ったんだろう?隼人が心の中で何を考えているのかは分からない。でも、別に隠すようなことでもない。「普通の告白ですよ。いつから月子にときめき始めたのか、なぜ惹かれたのか、彼女と一緒になるためにどんなことをしたのか、全部、正直に話したんです。私の誠実な気持
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第853話

一樹という男はとても聡明で、何でもお見通しだった。例えば、静真はあれほど性格が悪い。だから、普通の人ならあんな男と仲良くなんてできない。でも、一樹は違った。彼は自分の立ち位置と、相手との距離感をちゃんとわきまえているからだ。それは主に、一樹が早熟で、人付き合いがうまく、とても気が利くからだ。彼がその気になれば、誰とでもすごく良い関係を築くことができるのだ。なんと言っても、一樹は人に尽くすのが好きなタイプだ。それに、リラックスできる温かい雰囲気を作るのも得意。だから彼は一緒にいて幸福感を感じさせられるような相手だ。それに対して、隼人と静真は、二人とも悲惨で恐ろしい子供時代を過ごした。そのせいで、人付き合いにおいて、彼らの性格には根本的な欠点があった。一樹は、そのことがはっきりと見抜いていたのだ。それを聞いて、隼人の顔から一気に血の気が引いて真っ青になった。一樹の言葉の一つ一つが、彼の心の奥深くまで突き刺さった。そして、その後悔をさらに大きくした。自分は今まで、月子に心の想いをきちんと伝えたことが一度もなかった。月子は、なぜ自分が彼女を好きになったのか、まったく分かっていなかった。自分が静真よりも先に彼女と出会っていたことなど、知る由もなかった……あの時月子は、突然現れた二人の子供のことでショックを受けていた。彼女は誰かの助けを一番必要としていた、そんな時に、自分はそばにいなかった。こんなこと、今思い返してみると……許されるはずもないのだ。S市に来る前、隼人は自分がこれほど激しい怒りを感じることになるとは思ってもみなかった。そして今、その怒りは彼自身に向けられていた。その怒りは、とても耐えられるものではなかった。テーブルの上にワイングラスがあった。隼人は暗い目つきになると、突然グラスを掴み、ローテーブルに叩きつけた。グラスは粉々に砕け散った。割れたガラスの破片が、次々と手のひらに突き刺さった。人間には神経があるから痛みを感じる。手のひらの痛みをはっきりと感じたことで、隼人の中に渦巻いていた自己嫌悪の感情が、少し和らいだように思えた。でもまだ、足りない。そう思った彼はさらに強く握りしめた。これらはすべて、一瞬の出来事だった。隼人の様子がおかしいとは言え、ただ恐ろしいほど暗い表情をしていただけ。
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第854話

「どうして私に礼を?」一樹にはわけがわからず、少し眉をひそめた。隼人のこの狂気じみたやり方は、実はもっと恐ろしく、威圧感があった。だって、自分のことさえ傷つける人間が、他人のことなど気にするはずがないだろうから。それでも隼人が礼を言ったのは、一樹の言葉で目が覚めたからだ。隼人の周りの人間は、いつも彼の命令に従うばかりだった。隼人の考えを推し量ろうとすることもなく、たとえ推測したとしても、当たることはまずなかった。一樹は第三者として、そのことをはっきりと見抜いていた。だから彼の何気ない一言で、隼人は月子が別れを切り出した理由に気づいたのだ。一樹には、確かに礼を言うべきだった。でも、なぜ礼を言ったのか、隼人は一樹に説明するつもりはなかった。「10分後、忍から連絡が来ます。身内に不幸があったと聞かされ、あなたはS市を離れて、すぐに実家に戻らざるをえなくなるということになっていますので」血まみれの手を無視すれば、隼人がその言葉を話す時の口調は至って平然そのものだった。だがしかし、その手は無視できるものではないのだから、その光景はなんともぞっとするほど不気味なものだった。それを聞いて一樹はもう、優雅な態度を保ってはいられなかった。「これは……脅迫ですか?」隼人はふっと自嘲気味に笑った。これまでは感情に任せて、月子との問題を過去の経験を基に解決しようとしていた。ただ、彼女が一樹と一緒にいることを、本能的に受け入れられなかっただけだ。でも今、問題の核心に気づいたことで、隼人は自分のすべきことが、かえってはっきりと見えてきた。月子に素直になれないのなら、もう隠すのはやめだ。これからは、自分がどれほど危険で、陰湿で、我慢強く、恐ろしい人間なのか、彼女にすべてをさらけ出してやろう。自分のすべてを知っても、月子はまだ自分を愛してくれるだろうか?確信はなかった。でも、このまま自分を隠し続ければ、月子との未来は二度とないと、それだけは分かっていた。隼人はひどくプライドの高い男だ。賢たちにさえ、一度も本心を打ち明けたことはない。それが彼にとって当たり前だった。でも、愛する人に対して、それではだめなのだ。だから隼人は、月子に本当の自分を分かってもらおうと決めた。そのためにはまず、月子の周りにいる邪魔な男たちを排除しなけれ
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第855話

静真の声は、少ししゃがれていた。徹夜続きで喉でも痛めたのだろうか。「ちょっと待っててくれ。今、疲れてるんだ」と彼は付け加えた。月子は尋ねた。「家政婦は?彼女に送らせればいいじゃない」ごく普通の言葉だったが、なぜか静真を逆上させた。「俺が自分で撮るって言ってるのが、そんなに不満なのか?父親として、子供たちの面倒をちゃんと見たい。ビデオを撮るのも、その一つなんだ。ごちゃごちゃ言うな!」「静真、どうかしてるんじゃない?私が何か悪いこと言った?」静真は大きく息を吐いた。「とにかく、俺が送るから。他の誰にも頼むなよ」電話が切れると、静真は凍てつくような表情で、目の前にひざまずく部下に目をやった。月子からの電話で報告は中断されたが、静真はすでに事の次第を把握していた。ただ、その内容が信じがたかっただけだ。部下が報告を終えると、静真は数秒黙り込んだ。でも、その顔はみるみるうちに険しくなり、目からは殺気が溢れ出さんばかりだった。彼は奥歯をギリギリと噛みしめ、呟いた。「J市だと?隼人!」その怒りを極限まで押し殺したその声に、部下は恐怖で震え上がった。静真は徹夜で捜索を続け、ついに手掛かりを掴んでJ市に範囲を絞り込んだ。J市だというのなら、間違いなく隼人が関わっているはずだ。それは彼の直感だった。静真は大体の場所が分かった時点で、すでに犯人を確信していた。もし自分が隼人だったら、同じ手を使うだろうと思ったからだ。しかし、当然ながら静真は隼人ではない。立場が全く違うのだ。これによってハッキリした事実は、隼人が自分の子供たちを奪ったということだ。数か月連絡がなかったから、てっきり諦めたのかと思った。でも隼人は、水面下でとんでもないことを画策していたのだ。隼人、あの野郎、よくもこんな真似をしてくれたな。静真はそう思いながら、必ず二人の子供を取り戻すと誓った。本来なら、こんな大それた真似をしたクソ野郎を突き止めたら、すぐさま始末してやるつもりだった。一生忘れられない恐怖を味合わせてやるとさえ思った。だけど、まさかその相手が隼人だったとは。今の状況は、静真にとって極めて不利だ。子供たちは、月子とよりを戻すための最も重要な切り札だった。すべては、子供たちにかかっているのだ。その切り札が敵の手に渡ってしま
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第856話

詩織は重圧に耐えかねた様子で尋ねた。「社長、月子さんから言われた動画は、どういたしましょうか?」静真は月子のことを思うと、胸が締め付けられるようだった。もし……もし最悪の事態になって、月子がすべてを知ってしまったら。そして隼人の元へ行くのが避けられないのなら、いっそ、彼女を自分のそばに縛り付けておいた方がいい。月子を永遠にこの手から逃がさないようにする。そうすれば、隼人の思い通りになることは絶対にないだろう……なぜ、こんなところまで追い詰められてしまったんだ?静真は、せっかく良い方向に変わろうとしていただから、こんな極端な手段は取りたくなかった。だが、隼人が彼を崖っぷちまで追い詰めたんだ。こうなっては、自分でも何をするか分からない。詩織も一睡もしておらず、神経が張り詰めたままだった。それでも彼女は再度、静真に確認せずにはいられなかった。「社長、月子さんに言われた動画の件、どういたしますか?」今の静真は注意力が散漫になっていた。彼は強く眉間を擦りながら、少しでも冷静になろうとした。事態はまだ最悪の状況には至っていない。もし、子供たちを先に取り戻すことができれば……だから、まずは月子を落ち着かせなければ。「前に撮った動画の中から、まだ送っていないものを探して、月子に送るんだ」詩織はためらいながら言った。「気づかれますよ」生まれたばかりの子は、日に日に成長している。ましてや月子は、あれほど熱心に子供たちの様子を気にかけていらっしゃる。同じ母親として、詩織には到底ごまかせるとは思えなかった。静真の顔色はさらに険しくなり、冷たい視線で言った。「じゃあ、他にどうしろって言うんだ?今すぐ月子に、子供がいなくなったとでも言うのか!」詩織は恐怖で顔を青くし、それ以上は何も言えなかった。「はい、すぐに探します。なるべく今までのとは違う動画を見つけてみます」静真はもう何も言わなかった。だが、その表情はさらに暗く、全身から重苦しいオーラが滲み出ていた。子供の居場所が分かった以上、静真もこれ以上K市に留まっているわけにはいかなくなり、すぐにJ市へ向かう必要があった。静真が電話をかけると、相手はすぐに出た。その声は驚きに満ちていた。「静真、どうしたんだ?俺から子供へのお祝い、届いたか?」電話の相手は岩崎正人(いわさき
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第857話

これは静真にはとても我慢できるものではなかった。彼は胸に込み上げてくる怒りで、気が狂いそうだった。静真は、思わずスマホを叩きつけそうになったが、月子に動画を送らないといけないことを思い出し、その衝動をなんとか抑えた。隼人。見つけたらただじゃおかないぞ。絶対にタダじゃ済まさない。静真は詩織にスマホを返した。詩織はそのまま彼に動画を送った。静真はさらに、その動画を月子に転送した。そして1分も経たないうちに、静真は月子に電話をかけた。「動画を送ったけど、もう見たか?」「見たよ」静真は目を細めて言った。「俺たちの赤ちゃん、最高にかわいいよな?」月子は言った。「私の赤ちゃんなんだから、可愛いに決まってるでしょ」「月子、俺たちの赤ちゃんだ。俺の遺伝子も半分受け継いでるんだぞ!」静真の声に怒りが滲んでいるのを感じ取った月子は言った。「また何なの?今から私と赤ちゃんの取り合いでもするつもり?」そう言われて、静真は冷静にならざるを得なかった。「月子、俺はただお前に会いたかったんだ」月子は眉をひそめた。「ほかに何か用?」「本当は、今すぐにもお前に会いたい!」「切るわよ」「お前は俺に会いたくないのか、月子?」「もうよりを戻さないって言ったはずよ。そんな話をしたって、意味がないじゃない」静真は苦痛に顔を歪めた。「月子、お前はなんて酷い女なんだ」だが月子はそれ以上何も言わずに、電話を切った。電話が切れたスマホを見つめていた静真だったが、すぐに部下へ指令を出した。月子を監視させ、いつでも身柄を確保できるよう冷静に指示したのだ。これをすれば月子に憎まれるだろう。しかし、静真にはどうしようもなかった。月子と子供たちの両方を失うことなんて、彼には耐えられなかったからだ。傍らでその状況を目の当たりにした詩織は、女としてただただぞっとするしかなかった。静真は、月子に「会いたい」と惨めに請いながら、一方で彼女の自由を奪う命令を冷酷に下しているのだ。以前、静真が月子にアプローチしていたのも、彼の忍耐が続く範囲でのことだったのかもしれない。もし月子がもっと長く拒んでいたら、静真はしびれを切らして今のように力ずくで彼女を自分のものにしようとしただろう。静真は、自分を変えようなどとは思っていない。間違いを自
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第858話

濡れた髪、はだけかけた寝間着、そして体に滴る水滴。一樹のその姿は、彼の持つ妖艶な魅力を最大限に引き出していた。他の男がやれば気色悪いだけだが、一樹がやると、月子でさえ目の保養だと思わずにはいられなかった。でも、彼女にはこれから大事な仕事があった。それに、一樹はもうすぐS市を離れる。「時間がある時にまたね」月子は言った。「ちょっと顔を見に来ただけ。これからチームと合流するから」仕事のこととなると、月子は実に手際が良く、時間を無駄にすることはなかった。一樹は笑ってうなずいた。「こっちの用事が終わったら、あなたに会いに行くよ。あ、そうだ。俺のこと、忘れないでいてくれよ」「うん、忘れないさ」月子の言葉に本心はこもっていなかった。一樹のようなタイプが言う「忘れないで」は、彼女にとって親密な言葉ではなかった。それは「バイバイ」と同じくらい気軽な挨拶で、何の意味もない、ただの社交辞令のようなものだった。でも、もし静真に同じようなことを言われたら、意味が全く違ってくるから、月子は静真に対してそんなことを口にすることは絶対にないのだ。それを聞いて一樹の笑顔がさらに輝いた。「よかった。じゃあ、見送るよ」月子はくるりと背を向けて、その場を去った。月子の姿が見えなくなるまで見送ってから、一樹はドアを閉めた。振り返った瞬間、ボディーガードの銃口が再び彼の額に突きつけられた。部屋の空気は、前回よりもさらに重く張り詰めていた。一樹は再び両手を挙げ、降参のポーズをとった。そしてソファに座り、氷のように冷たい視線で自分を睨みつける隼人に向かって言った。その口ぶりは誠実そうだったが、実際には挑発的だった。「見たでしょう?月子とはうまくいってるのは、嘘ではありません」隼人は一樹のバスローブに目をやった。そして一樹を拒絶しなかった月子の言葉が、まだ耳の奥で響いているように感じた。かつて、月子は隼人の体をとても気に入っていて、いつもその手に触れていた。隼人は今でも、彼女の柔らかい手のひらが自分の胸を撫でた、数々の親密な場面を思い出すことができた。だけどそれはもう、ずいぶん昔のことのように感じられた。一樹の挑発や得意げな態度も、静真のように隼人を我を忘れて逆上させることはできなかった。隼人はただ、簡潔に言った。「​荷物をまとめてください」そう言わ
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第859話

それを見た賢の顔色はみるみるうちに険しくなった。彼は眉間をきつく寄せ、隼人の横顔を見つめた。「あなたの気持ちはわかる。でも、もう二度とこんなことはするな。同僚としてじゃなく、友人として言ってるんだ」「心配いらない。加減はわきまえている」隼人は淡々と答えた。その平然とした様子に、賢はさらに腹を立てた。「あなたの言う『加減』ってのは、自分を傷つけることか?今回は手のひらを刺して、次は手首でも切るつもりか?隼人、問題があるなら解決すればいいだけだ。あなたが俺より有能なのは知ってる。でも俺は自分を傷つけたりしない」彼は滴り落ちていた血の跡を見つめて続けた。「みんながあなたのことを心配してるんだ。こんなこと、もうやめろ!」隼人は、賢の言葉に込められた怒りを感じ取った。彼を一瞥すると、その瞳に心配と怒りが宿っているのが見えた。隼人はもともと、他人にどう思われようと気にしない男だ。自分のことを説明するのなんて、労力の無駄だとさえ思っていた。それに、彼自身も加減はわきまえているつもりだった。でも今は、友人を安心させるために何か言うべきだろう。「さっきは、感情のコントロールが効かなくなった。どうすれば落ち着けるかわからなくてな。身体に痛みを与えれば、頭をからっぽにできる。それでようやく冷静になれた。ただそれだけなんだ」隼人がここまで説明できたのも、先ほど考えを整理できたからなのだ。たとえ月子と別れることになったとしても、彼はこの経験から多くを学ぶことができたと思った。月子と出会って、隼人は初めて、自分でも知らなかったもう一人の自分に気づかされたのだから。「あなたの言い分は到底受け入れられないな。一度でもそんな『鎮静効果』に頼ったら、喫煙みたいにエスカレートするもんだ」賢は、彼の言葉をまったく信じていなかった。そして真顔になって続けた。「隼人、一度カウンセラーに診てもらったらどうだ」それは非常に踏み込んだ発言だった。精神に問題があるからカウンセラーにかかれと、面と向かって言っているようなものだ。とはいえ、今の隼人の状態は危険だった。自分を傷つけるような人間は、精神的にひどく不安定になっているということなのだから、専門家の介入は絶対に必要だ。隼人は、賢がこれほど強い反応を示すとは思ってもみなかった。普段の彼なら、口が裂けても言えないよう
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第860話

月子ならどうするだろう?月子ならきっと嫌悪感を抱くだろうな。それどころか、自分がこんな陰湿で卑劣なことをするなんてって、ショックを受けるに違いない。たとえ好きだったとしても、自分の行き過ぎた不快な行動は許せないはずだ。多くの男は、愛情を言い訳にして相手の行動を詮索しては、また愛情を盾にして理解を求めるのだ。だけど、それは月子の立場になってみれば、ただただ身の毛がよだつだけだろう。それに、深い不快感を覚えるはずだ。隼人は、自分の犯した罪の罰をきちんと受けるべきだ。だけど一樹は月子本人じゃないから、隼人は一樹のその質問に答える必要なんてないと思った。しかし、一樹の目には、隼人の沈黙がとても自己中心的で、尊大な態度に映った。彼から返事がないせいで、自分はまるで踊らされているように感じてしまったのだ。一樹は通常何事にも動じない性格だ。冷たくされても気に病むことはない。だから、相手のこんな傲慢な態度にも耐えられた。でも、これがもし静真のような、自己中心なタイプだったら、絶対に穏便に済まされないだろう。この兄弟は、似ているところもあるけれど、実は全く違う部分も多い。そう思うと一樹は、これから何が起こるのか楽しみで仕方がなかった。だから彼は隼人に無視されても腹は立たなかった。一方で、いつも偉そうで余裕しゃくしゃくのこの男が、全く別の姿を見せるのかどうかもぜひ見てみたいと思っていた。……月子はその日研究室に1日中こもっていた。しかし今日の彼女は、恐ろしいほど冷たいオーラを放っていたので、周囲は誰も彼女の前で口を開くことができず、恐る恐る顔色をうかがうしかなかった。仕事において、月子はいつも几帳面で効率も良いタイプなのだ。問題が起きても積極的に解決し、専門的な能力も非常に高い。だから周りに大きな安心感を与える。その仕事ぶりから、月子は強い信頼を得ており、人望も厚かった。そして、真剣な顔になると、月子はまるで大学教授のようだった。新入りの研究員たちは、思わず身をすくめてしまうほどだ。でも、絵里奈は月子と専門分野で何度も話したことがあり、プライベートでも付き合いがあった。だから彼女の私生活のことも気にかけていた。「社長、何かあったんですか?」絵里奈は月子の顔色が悪いのを見て、本気で心配した。月子は、若干落ち込
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