All Chapters of 元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった: Chapter 841 - Chapter 850

929 Chapters

第841話

「仕事、終わった?」一樹は口角を上げて尋ねた。「だいたいね」月子は手を軽く引きながら尋ねた。「そんなに楽しいの?」「あなたは俺にとって宝物みたいなものなんだ。だからあなたのすべてを知りたくなるんだ」一樹は優しい声で言った。月子の仕事がもうすぐ終わるとわかると、一樹は長い腕を伸ばしてキャスター付きデスクの椅子を彼女ごと自分の目の前まで引き寄せた。そして彼はソファに座り、月子の手を握ったまま、彼女を見上げていた。「疲れた?マッサージしようか?」一樹が尋ねた。「マッサージ」という言葉に、月子の脳裏に過去の光景がよぎる。だめだ。隼人のことは、身も心も、完全に忘れなくちゃ。「あとでいい。今は、あなたと話したいの」一樹みたいなタイプの男性と触れ合うのは、月子にとって初めての経験だった。彼といると、過去の誰とも違う感じがして、すごく新鮮だった。すると一樹は、真剣な表情で姿勢を正した。こんな風に辛抱強く話を聞いてくれるなんて、静真にはなかったことだ。それに、この温かくて親しみやすい雰囲気は、隼人にもなかった。だから本当にいい人を選んだんだ、と月子は思った。過去忘れるためにも、これからは一樹との思い出で毎日を埋めていこう。「あの時、あなたが送ってきた動画、わざとだったのね」一樹は一瞬気まずそうな顔をしたが、すぐに落ち着きを取り戻した。「あの時はきっとあなたを傷つけた。ごめん。でも、俺はそれでも送ってよかったと思ってるんだ」あの動画のおかげで不幸な結婚生活から早く抜け出せたと、月子は一度一樹に感謝していた。でも、今はあえてからかうように言った。「テニスコートでばったり会ったっていうのも、嘘だったんでしょ」一樹は笑った。「あはは、俺って本当に意地悪なやつだね」そう言って彼はまた笑った。「あの時はあなたに気に入られたくて、距離を縮めたくて……月子、あなたに近づくために、俺はあらゆる手を尽くしたんだ」一番嫌いないとこの忍にまで会ったのも、すべては月子の日常に接点を持つため。実際、それも彼女に近づくための計画の一部で、そのために一樹は忍は利用したのだ。それを聞いて月子は一樹の手を握り返した。「洵の会社に投資したいって言ったのも、私のため?」「もちろん。未来の義理の弟に、今のうちから気に入ってもらわないとね」「数十億円も
Read more

第842話

「俺と静真さんは親しいけど、性格はまったく違う。彼のやり方のほとんどは、俺の好みじゃないんだ。それに、静真さんのことはよくわかってるだけあって、もし俺があなたのことを好きになったら、その気持ちを一生胸にしまっておかない限り、あなたに近づこうと思った時点で、いずれは仲違いになるに違いないというのも分かっていたさ」一樹は静かに言った。「だから、あなたに告白したのは、無鉄砲だったわけじゃない。そうなった時の覚悟は、とっくにできてたんだ」月子はそんな一樹の行動に、彼の決断力の高さを感じた。確かに、彼らのような社会的に地位のある人は、どんなに穏やかに見えても、いざとなると強引で決断が早いものだ。普段はにこやかでも、何かあった時にはこういう一面が顔を出すんだろう。それから月子は、一樹とひとしきり話し込んだ。そして彼女は彼と話していると身も心もリラックスできて、とても楽しい気分でいられるんだなと改めて感じた。少し考えればわかることだけど、イケメンが根気よく話を聞いてくれて、しかも、言葉の一つひとつが心をときめかせてくれる。一緒にいるだけで、甘い空気を感じられるのだから、普通に考えて、女性なら誰もが一樹のこんなアプローチに靡かないはずはないのだろう。それに、一樹がかつて自分を振り向かせようとしていた時について語っているわけだから、本来なら彼の気持ちに、心が揺さぶられるのも当然のはずだ。でも、月子は自分の気持ちに嘘をつけなかった。一樹とこうして話していると、ますます彼を友人としてしか見られないと感じるのだ。本当は、目の前にいるのが隼人であってほしかった。でも、隼人はもうJ市社交界の御曹司として彼が本来居るべき世界に戻ってしまった。将来はきっと鷹司家の後を継ぐのだろう。そんな大企業の社長で、権力もすごい人は自分の生活とは到底かけ離れた存在なのだから。今の月子の願いは、いい母親になることと、早く隼人のことを忘れることだった。一樹は、その彼を早く忘れるための、都合のいい相手でしかないけど、彼はまさにその役に打ってつけなのだ。でも、いきなりきっぱり忘れるなんて、無理な話だ。まあ、一樹と一緒にいても、ときめくことはないけれど、すごく居心地がいいんだから、焦らないで行こう。誰かと楽しく過ごせば気分も良くなるし、そうすれば、つらいことも自然と考え
Read more

第843話

一樹が顔を近づけると、途切れ途切れでよく聞き取れなかったが、「隼人さん」という言葉だけが耳に入った。彼は一瞬、顔をこわばらせたが、すぐに合点がいった。ああ、彼女は自分を隼人だと勘違いしてるんだな。一樹は、静真とは違う。かつて最高なものを手に入れたのに、それを失ったことを受け入れられない、なんてことはない。一樹にとって月子はもともと手にしていなかったのだから、一緒にいられるチャンスがあるなら、彼はそれをとても大切にするし、むしろ感謝したいくらいだった。だから、たとえ彼女が別の男のことを考えていても、そばにいられるのが自分なら、それだけで十分だと思っていたのだ。そこで、一樹も改めて、月子がなぜ自分とつかの間の関係を持とうとしているのか、その理由を察したのだ。彼女はきっと、隼人のことを忘れたいのだろう。忘れられないのが辛くて、他の誰かの力を借りようとしているに違いない。すべてを理解した上で、一樹はやはり月子のことが不憫でならなかった。子供たちの存在は月子の生活を大きく変えた。それなのに、元凶である静真は父親という立場を利用して、毎日彼女の前に現れる……あいつは一体いつになったら罰を受けるのだろうか。一樹は静真の親友だが、いくら親友でも気に食わないことはある。特に、静真がこれまでにしてきたことは、ろくでもないことばかりだった。だけど、静真がろくでなしだったおかげで自分にチャンスが回ってきたことも、否めないのだ。しかし、月子が受けた傷は本物だ。静真は隼人と張り合うあまり、本当に月子の気持ちを考えたことがあるのだろうか。一樹は月子の寝顔を見つめ、その手をそっと握り返した。そしてソファのそばに座り、静かに彼女に寄り添ってあげた。月子がしたいことなら、自分はなんでも受け入れるつもりだった。そんな決意を胸に、一樹はただ、月子の笑顔を少しでも見たいと思った。いつかは本物の恋人になりたいと思っているが、女性付き合いの経験が豊富な彼は、月子が自分に抱いているのが友情だけだと気づいていた。彼女が友達の関係を望むなら、自分もそれに合わせるつもりだった。もちろん、今は恋人という立場なのだから、手を繋ぐことくらいはできる。普通の友達よりは、少しだけ近い関係だ。だが、それもほんの少しだけ。道でしたキスは、一樹から仕掛けた
Read more

第844話

そして、まるでパラレルワールドに迷い込んだかのように、隼人はすべてがひどく非現実的であるように感じてしまった。これは、まったく予想もしていなかった事態だったから。ずっと月子の様子を見守ってきたが、彼女と一樹との間に接点はなかったはずだ。どうして急にこんなに親しくなっているんだ?たった1日で、一体何があったというんだ?そうだ、ほんの半日で、慶と寧々は元の住まいからJ市にある自分の別荘に移動していた。この山の一帯は、結衣が隼人に贈ったものだ。ずいぶん前に建てられたが、誰も住んでおらず荒れ果てていた。彼は2ヶ月かけて前もって修繕させたのだ。実は、静真が代理出産を依頼したと知った時、隼人は子供たちの代理母親を探し出そうと考えた。しかし、妊娠8ヶ月にもなって手出しをするのは、あまりにも残酷だと思った。それに、彼らは兄弟だからお互いのことはよく分かっている。静真があんなに早くこのことを月子に打ち明けたのは、たとえ計画がバレても子供たちを無事に産ませる自信があるからだ。だから隼人は、最初から子供たちをどうこうしようとは思わなかった。そのせいで子供たちが生まれてくるのを、彼には止めることができなかった。それに月子は、この二人の子供のために自分を捨てた。子供たちがいる限り、自分と月子の間には、決して解けることのないわだかまりができてしまったのだ。だが、別れを告げられても、隼人はほとんど……習慣のように、そのすべてを受け入れた。彼は子供の頃からずっと、誰からも必要とされない存在だと思っていた。だから、人から捨てられる運命をあっさりと受け入れ、抵抗したり、引き留めようとしたりすることはなかった。引き留める自信がある人間というのは、きっと静真のような奴のことだろう。静真は生まれながらにして完璧な御曹司で、誰もが彼を祝福した。多くの期待を一身に受け、入江家や母方の実家、みんなが静真を可愛がり、愛した。数えきれない人々に大切にされて育った静真の世界では、手に入らないものなど何一つなかったのだ。誰かが彼から奪おうとしない限りは。だから静真は、自分のものを誰かに奪われることを決して許さなかった。そういう闘争心こそが彼の生まれ持った本性なのだ。一方、隼人は日陰で育った子供だった。父親からは認知されず、少し大きくなって鷹司家に引き取られても、結衣
Read more

第845話

このことは、隼人にとってあまりにも受け入れがたいものだったのかもしれない。彼の反応は一瞬遅れた。それが嘘ではないと気づいた瞬間、とてつもない苦しみが隼人に襲いかかった。信じられない。いや、信じたくなかった。衝撃と苦しみの他に、消化しきれない巨大な感情が彼の中で渦巻いていた。それはかつて隼人が味わったことのない感情の起伏であって、その感情とは、つまり怒りなのだ。隼人自身、信じられなかった。なぜ自分がこんなにも怒り、感情的になっているのか。心の奥底に抑え込んでいた怪物が、まるで目覚めようとしているようだった。しかも、自分が一番嫌う姿に――静真のように理性を失い、後先を考えず強引になる姿に。隼人は、自分の本能的な反応に驚いた。だが、彼は静真ではない。たとえ心の中が荒れ狂っていても、それを表に出すことはなかった。それにしても、なぜこんなことになったんだ?一樹は静真の友人ではなかったのか。どうして一樹が月子に近づけた?誰も彼の異常さに気づかなかったのか?隼人は一樹と親しくないから、気づかなくても仕方がない。だが、静真は?彼も知らなかったというのか?隼人は、恋愛において自分は愛される価値がないと思い込んでいる。それは彼の魂に刻まれた欠点だった。しかし、男同士の競争となれば話は別だ。隼人はとっくに熾烈な戦いを勝ち抜いてきた勝利者である。だからビジネスの世界では非情なまでに決断力があり、いろいろな駆け引きにも長けていた。別れてからの3か月半、隼人が落ち着いて見えたのも、彼は、月子が静真と結ばれることはないと固く信じていた。いわば安全な状況の中、陰でチャンスを待っていたのだ。だから耐えることができた。だが、今は状況が変わった。月子はもはや、静真と結び付けられる存在ではなくなったことは確かなのだが、その代わりに、一樹と一緒になってしまったのだ。事態の展開は隼人の予想を超え、外部の要因が完全に変わってしまった。隼人の敵は、もはや静真だけではない。一樹も加わったのだ。一樹、忍のいとこか。あの遊び人が、月子に好かれたというのか?随分と運がいいじゃないか。隼人にとって、静真との争いは厄介だった。感情的な足枷が多すぎる。例えば、静真が握る権力は正雄が築き上げたもので、軽々しく手出しはできない。それに、静真は実の弟だ。だが、そ
Read more

第846話

隼人の冷たく重い声が響き、賢は息が詰まる思いだった。改めて隼人の顔を見ると、その表情はただ事ではなかった。まるで逆鱗に触れられたかのような、すさまじい怒りが滲んでいた。これほどあからさまな感情を、隼人が見せることはまずない。だが今は、それがむき出しになっていた。隼人は一語一句、言葉を区切るように言った。「賢、俺にこんな一面があったなんて、自分でも知らなかった」その言葉とともに、隼人はもう外へ向かって歩き出していた。彼は今すぐに、夜を徹してでも月子のもとへ飛ぶつもりだろう。隼人のこれまでの人生は、ただ受け身なだけだった。誰かに選ばれたことがなかったから、彼は自分のことをぞんざいに扱ってきた。世間が求めるままに、ただ勉強し、仕事に打ち込んだ。できる限りの高みを目指して。目的もなく生きてきた人間が、進むべき道を見つけたんだ。それはまさにその人にとっての命綱であって、手放すはずがないのだ。一樹という予想外の存在が現れたのなら、その存在を消せばいいだけのこと。賢は、隼人の大きく逞しい背中を見つめた。今引き留めようとしたら、きっと一瞬で喉を締め上げられるだろうと、直感的に思った。この時になって初めて、賢は隼人と静真がある面では似ていることに気がついた。一方は、狂気が分かりやすく表に出るタイプ。もう一方は、狂気を内に秘めているタイプだ。隼人はめったにそれを見せない。よほど追い詰められない限りは。賢は、隼人が誰かを本気で想う姿を初めて目にした。いつも冷静沈着な彼が、一人の女性を取り戻すために、いてもたってもいられず夜行便に飛び乗るなんて。でも、本当にただ「いてもたってもいられない」だけだろうか?本当は、怖くなったんだろう。別れてからの数ヶ月、隼人はまだ平静を保っていた。しかし今、彼は崖っぷちに立たされている。賢はすぐに後を追った。万が一、隼人が暴走したら、自分が止めなければならないと思った。そして、隼人が衝動的に動いて、月子に嫌われてしまうのだけは避けなければ。それにしても、相手の弱みにつけ込むとは、一樹もたいした男だ。賢はそう感心していた。しかも、まんまと成功させている。一樹の女を口説く手腕は、本当に大したものだ。もし月子が先に一樹と出会っていたら、静真や隼人の出る幕はなかっただろ
Read more

第847話

月子も一樹も、一瞬にして察しがついた。今ドアをノックしているのは、月子を監視している人物かもしれない。月子は最初、遥の可能性も考えた。以前、渉に薬を盛られ、静真のもとへ送られそうになった夜、遥と出くわしたからだ。でも、こんなに慌てて駆けつけてくるなんて、昨夜何があったかを知っているに違いない。だとすれば候補は二人。静真か、隼人かだ。もし静真なら、彼は一樹と親友だから、まず電話で確認するはずだ。ということは、隼人……月子はわずかに眉をひそめた。そう考えると現状からして隼人の可能性が一番高いのだが、でも、どうして?この前偶然会った時、月子は隼人に無理やりキスをされた。別れを切り出されたことに腹を立てて、仕返しをしたいのかもしれない。あるいは、まだこの関係を断ち切れていないのかもとそう思った。でも、あの時は静真が現れると、隼人は何も言わなかった。それどころか、K市を離れるとだけ伝えてきたのだ。今や、隼人がJ市に引っ越してからもう2週間になる。静真も言っていた。もし男が別れたくないなら、何らかの方法で引き留めようとするはずだと。隼人が引き留めなかったのは、彼もこの関係から抜け出したかったということだろう。もう気持ちの整理がついたはずなのに、J市からわざわざ自分を監視しに来るなんて。一体どうして?子供たちが生まれた日、隼人がすぐに知ったのは、静真の動向を追っていたからかもしれない。でも……ずっと自分のことを見ていた可能性もある。そう思うと月子の胸がどきりとした。まさか、隼人はまだ自分とのことを引きずって抜け出せずにいるのだろうか?もしそうなら、こっそり監視なんてしないで、直接会いに来ればいいのに。自分だって、そんなに無情な人間ではない。隼人は自分にとって特別な存在だったから、静真にするような酷い態度はとらない。普通に話すことくらいはできる。別れを切り出したのが自分だからって、もう会わないつもりだったのか?それもおかしい。男性がアプローチするなら、もっと積極的になるべきだ。でもどうも腑に落ちない。隼人はもう前を向いているの?それともまだ引きずっているの?そう思いながら月子の表情が更に強張っていった。この前会った時も、隼人からどこか知らない人のような印象を受けた。穏やかですべてを包み込むような温か
Read more

第848話

もし月子と本当に一緒になるなら、それはまさに戦友になれる関係なのだろう。「わかった」一樹は月子のことも、信頼していたからあっさり承諾した。一樹はパジャマ姿のまま月子の部屋を出てドアを閉めた。そして、哲平と一緒に自分のスイートルームへ戻った。だが、ドアを開けたとたん、一樹の額には銃口が突きつけられた。危険な空気が一気に張り詰めた。一樹は、こうなるとは思っていなかった。どうりで哲平があんなに怯えていたわけだ。脅されていたんだな。一樹は一瞬呆気にとられたが、すぐに全く動じない様子を見せた。そして、いつの間にか部屋にいた隼人に視線を向けた。「鷹司社長、久しぶりですね」一樹は両手を挙げた。哲平も彼にならって、降参のポーズをとった。隼人はソファに座り、賢がその背後に立っている。その構図だけで凄まじい威圧感を放っていた。以前の一樹は、隼人と静真がいがみ合うのを傍から見ていただけだ。しかし今は、自分が隼人と敵対する側に立っている。なんとも不思議な気分だった。一樹は決して暴力的な人間ではない。できれば話し合いで解決したいタイプなのだ。「手荒い歓迎はどうも、でも、こんな物騒なことをする必要はないんじゃないですか」隼人は目でボディーガードに合図した。ボディーガードは一樹からわずかに距離を取った。だが銃を下ろすことはなく、ただ一歩下がっただけだ。もう一人のボディーガードがドアを閉めた。隼人が本気で自分を殺すはずはない。そう確信した一樹は、かえって余裕の笑みを見せた。「鷹司社長、そういえば私たち子供の頃に顔を合わせた間柄です。だからこんな風に睨み合う必要もないでしょう。銃を下げさせてください。コーヒーでも淹れますから」だが隼人は、深い眼差しで一樹をただ観察しているだけだった。一樹がどういう人間かなんて重要ではない。重要なのは、なぜ月子が彼を好きになったのかだ。一樹は確かに明るく社交的だ。子供の頃から人当たりが良く、あらゆる年代の女性に好かれていた。月子は、自分とは全く違うその温かさに惹かれたのだろうか?月子は、こういう男がタイプだったのか?どうすればいいんだ。自分は一生、一樹のようにはなれない。隼人は心の動揺を抑え込んだ。この瞬間、彼は静真の気持ちが初めてわかった。失うことへの恐怖、自分の力ではどうにもならな
Read more

第849話

慶と寧々が生まれてから、一樹はよく月子と一緒にいた。隼人が月子と別れてから、一度も彼女に会いにこなかったことを、一樹はよく知っていた。隼人の行動からは、彼が一体月子をどう思っているのか、誰にもさっぱり分からなかった。明らかなのは、隼人が振られて腹を立て、ヨリを戻す気なんてさらさらなかった、ということだ。もとと言えば、誰も寄せ付けないほどクールな彼が女に振られるなんて、あまりに恥ずかしかったのだろう。そして、プライドの高い隼人が、自分から頭を下げて月子のもとに戻るなんて許せなかったのでしょう。別れたならもう赤の他人だ。それが傍から見て隼人が月子との関係に対する態度なのだ。そんなヨリを戻そうとも、関係を保とうとする努力もしなかった相手が、今さら月子の恋愛に指図をしてくるのは一樹にとってどうしても納得がいかなかった。もし隼人が最初から月子を取り戻そうとしていたのなら、まだ分かる。でも、彼は月子を引き留める気も未練もない様子だったのに、彼女の隣に他の男が現れた瞬間発狂しているのだから、それはあまりにも身勝手すぎるとしか言いようがないのだ。自分が手放したくせに、他の誰かが月子を幸せにすることも許さないなんて。これでは静真と何ら変わりない。月子は自由だ。誰と付き合おうと彼女の勝手だろう。隼人に、そんなことをする権利がどこにあるんだ?「あなたの言い分は、間違ってはいないようですね」隼人は視線をわずかに下げ、一樹が着ているパジャマに目を落とした。その表情からは相変わらず感情が読み取れないものだった。一樹もここまで話して、隼人はやはり静真とは違うことに気が付いた。これだけのことを言われたら、静真ならとっくにキレていただろう。だが、隼人は怒るどころか、むしろ礼儀正しく認めさえした。いつもは弁が立つ一樹も、これには数秒、言葉を失った。はっと我に返ると、隼人の凍てつくような瞳と視線がぶつかった。やはり、彼は怒っていた。ふっ、隼人も月子のこととなると、普段の落ち着きを失うんだな。一樹は、確かに子供の頃から隼人を知っていた。彼は幼い頃から普通の子とは違って早熟で、物分かりがよく、我慢強かった。子供らしい無邪気さは、全く見られなかった。一樹はかつて、そんな隼人を可哀想に思ったこともあった。しかし、性格が合わないうえに
Read more

第850話

ちくしょう、本当に読めないやつだ。一樹は2秒ほど黙った後、歯を食いしばって言った。「鷹司社長、まさか、私たちを引き裂くおつもりですか」隼人は低い声で言った。「ええ」一樹は鼻で笑った。「あなたが、私と月子の関係に口出しする資格なんてあるんですか?別れてもう4ヶ月で、ただの元カレですよね?鷹司社長、あなたは月子に振られたんです。もう何の関係もないじゃありませんか。なのに、どうしてそんなに偉そうに、月子の選択に口出しできるんですか?」「だから、あなたに会いに来たんじゃないですか。身を引いていただくために」隼人が言い終わると同時に、ボディーガードが瞬時に力を込めた。一樹は両腕を後ろで押さえつけられていたため、さらに苦しさが増していった。もう少し力を入れられたら、肩が外れてしまうかもしれないと感じた彼の顔色は一気に悪くなった。一樹はもう平静を装ってはいられず、歯を食いしばった。「月子は今隣の部屋にいます。私たちが付き合ってるのがそんなに気に食わないなら、直接本人に聞いてみたらどうですか?」すると、隼人から放たれていた氷のようなオーラが、ふっと揺らいだ。なんと彼は、黙り込んでしまったのだ。一樹はようやく隼人の弱点を見つけたようで、驚いたように言った。「あなたでも恐れていることがあるんですか?」それを聞いて隼人は眉をひそめた。一樹は自分の推測が正しかったと確信した。信じられないことだったが、ここ最近の隼人の行動を思い返すと、妙に納得できる気もした。彼は思わず笑い出しそうになった。まさか、そういうことだったとは。それに気が付くと、一樹はもう怖がる様子がなくなった。「正直に言うと、月子はあなたのことをすごく高く評価していましたよ。別れた後も、かなり傷ついていたみたいで……それは、月子があなたの優しさを覚えていたからです。でも、もし月子があなたの静真さんそっくりな一面を見たら、それでもまだあなたを好きでいられると思いますか?」静真はよく、隼人は猫をかぶるのが得意だと言っていたが、一樹はもともと信じていなかった。だが今、この目で確かめることができた。こんなにも悪質で横暴な一面を月子に見せられないのは、彼女に嫌われるのが怖いからだろう。隼人はなんて臆病なんだ。付き合っていた時でさえ、月子の前で本当の自分を見せたことがなかったん
Read more
PREV
1
...
8384858687
...
93
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status