All Chapters of 元夫の初恋の人が帰国した日、私は彼の兄嫁になった: Chapter 881 - Chapter 890

929 Chapters

第881話

「先に傷の治療をしないと」賢は有無を言わせぬ口調で言った。しかし、今の隼人は、大切な客をもてなすことしか頭になく、自分の怪我処理なんてどうでもいいことのように思っていたのだ。だから、隼人は有無を言わせぬ口調で言った。「どけ」すると、前を歩いていた月子が突然立ち止まり、振り返った。彼女は隼人をあざけるように見つめて言った。「私はあなたに謝ってもらわなきゃいけないの。話の途中で目の前で死なれたら、あなたの命の責任を私が取らされることになるんじゃないの?」理由は分からないが、月子の皮肉や嫌味を聞いて、隼人はなぜか嬉しかった。昔付き合っていたころ、月子は自分を本気であざ笑うことなんてなかった。でも今、こうして本当に見下されても、まったく辛いとは思わない。むしろ、彼女がまだ自分にこんな風に話してくれることが、彼には嬉しく思えたのだった。隼人は月子の目を見つめて言った。「心配するな、お前に迷惑はかけない」月子の顔色はさらに険しくなり、口調も荒くなった。「あなたが私に迷惑かけなくても、あなたの兄弟は?あなたのお母さんは?傷の手当てをする時間くらいあるでしょ。自分の命さえ大事にしないなんて、私から見ればただの馬鹿よ。頭がおかしいんじゃないか。自分の体をそんな風に扱うなんて、もう本当にどうかしてるんじゃないの」月子は隼人と8ヶ月付き合っていたが、彼が自分を傷つけるようなことを好むなんて気づかなかった。自分の体を大切にしないなんて、彼女にとっては絶対に許せないことだった。どんなことであれ、命を危険にさらすようなことはしてはいけないのだ。月子も昔、恋愛のことしか頭になかったせいで、静真と3年間も無駄な時間を過ごした。それでももし静真が月子の健康や命を脅かすようなことをしたのなら、彼女はその時点で身を引いただろう。だから、自分の身を守るのは人間の本能なのに、どうしてこんな簡単なことがわからないのだろうか。賢が何度も説得しているのに、隼人は聞こえないふりをしているのだから。月子は本来、隼人に構ってあげたくなかった。でも、どうしても心に渦巻く怒りを抑えられなかったのだ。隼人のその見知らぬ一面、そして彼のやったことや自分の子供を盗んだことを月子はまだ飲み込めずにいたのだ。だから、ただでさえたまりにたまった怒りをぶつける場所を見いだせないでい
Read more

第882話

隼人が去ると、賢は言われた通りに月子の相手をする役に回った。ほどなくして、二人は洋館の方へと案内された。そして、賢は月子の相手をしながら、隼人が医師と共に去っていく後ろ姿を見て、ようやく安堵のため息をついた。隼人が月子の言うことを聞いてくれてよかった。あいつが意地になると、誰も手がつけられないからな。月子も……隼人のことを心配しているんだろうか?でも、月子のあの冷たい態度からはそうは見えない。それに、彼女はずっと一樹と一緒に行動している。二人は今、付き合っているらしい。正直、賢には信じられなかった。本当に月子は一樹と付き合っているのか?もし本当に付き合っているなら、隼人はどうやって月子にアプローチするんだ?人の彼女を奪う気か?今の隼人の精神状態なら、本当に人の彼女でも構わず奪いにいきかねない、と賢は思った。だって隼人が別れてからの様子を見る限り、彼はきっと月子を諦めないだろうから。賢は使用人に紅茶を用意させようとしたが、月子は子供のことだけが心配で、すぐに会わせてほしいと頼んできたから、賢は言われた通りにした。この数日間、月子は静真にテレビ電話をさせていたけど、変わった様子に気づくことができなかったのもあって、彼女は不思議に思っていた。でもベビールームに入って、その理由が分かった。ここのベビー用品は、K市の別荘にあったものとほとんど同じだったのだ。二人の子は生まれてまだ2ヶ月も経っていない。大人たちが何を騒いでいるかなんてわかるはずもない。お腹がすいたらミルクを飲んで、眠くなったら寝て、どこか気持ち悪かったら泣くだけだ。月子が入っていくと、彼らはベビーベッドですやすやと眠っていた。その小さな体からはいつものミルクの匂いがした。ぷくぷくのほっぺと、むちむちの短い手足を見ていると、彼女の心はすうっと落ち着いていった。まだ手がかかる年頃ではないけど、月子と子供たちの間には、かけがえのない絆がとっくに生まれていた。もし彼らに何かあったら、自分がどうなってしまうのかなって想像もつかないのだ。月子はしばらく静かに子供たちの寝顔を見ていた。それで気持ちが落ち着いた。子供たちが無事なら、あとはどうでもいいことなのだ。今の彼女にとって子供たちが一番大切なのだから。10分ほど穏やかな時間を過ごした後、月子はベビールームを出て応接間
Read more

第883話

賢は一樹の口のうまさに、まったくお手上げだった。でも、月子はもう怒りでいっぱいで、ずっと我慢している。子供のことまで心配させてしまっては、彼女の気持ちを無視できない。「隼人が、子供たちの面倒を見たいと……」一樹は聞いた。「どうしてですか?彼の子供でもないのに」賢は言った。「子供たちを使って、静真を罰するためです」一樹は静真のことをよく知っているから、それを聞いて頷いた。「それは確かにいい方法かもしれませんね。急所を突いていますし、あいつの自業自得ですからね」そして彼はますます顔色が悪くなる月子に視線を移し、それから危険な目で賢を見据えた。「でも、あの二人の揉め事は、本人たちだけで解決すればいいでしょう。子供まで巻き込むなんて、やりすぎじゃないですか。子供の気持ちは?月子の気持ちは?それは考えに入れてなかったのですか?」一樹の言葉はまったくその通りで、賢は何も言い返せなかった。一樹はさらに問い詰めた。「鷹司社長が子供の面倒を見るって決めたのは、一時的な気まぐれですか?それとも、長期的な覚悟があってのことなんですか?例えば、いつまで面倒を見るつもりなんて……1か月?2か月?それとも、もっと長いんですか?」月子もそれが知りたかった。今の彼女には、隼人の考えがまったく読めない。そして、彼の考えはいつも月子の予想を超えていた。それは全く見知らぬ人を相手にしているような感覚なのだ。それを聞かれて、賢は答えるしかなかった。「成人するまでです」その答えには月子も一樹も、衝撃を受けた。一樹はしばらく言葉を失った後、やっと口を開いた。「鷹司社長って人は、よくもそんな突拍子もないことを思いつきますね。静真さんがみんなに内緒で子供を二人も作ったのは、確かにひどい話だし、鷹司社長が追い詰められた気持ちも分かります。静真さんに仕返ししたいのも理解できるんです。でも、成人まで面倒を見るなんて、あまりに無茶じゃありませんか。彼を止めようとしなかったんですか?あの子たちは鷹司社長の子供じゃないんですよ。なのに、どうしてそんな風に当たり前かのよう成人まで育てるなんて言えるんですか?そもそも、あなたが説得していれば、防げたはずじゃないでしょうか」月子も同じように理解できなかった。隼人が何を考えているのかわからないからこそ、彼女の心の中にじわじわと焦りが
Read more

第884話

しかし、この時月子は隼人に対して、まだ怒りが収まらなかったから、今彼が何を言っても、冷静でいられるはずがなかったのだ。それに、月子にとって今一樹は彼氏として一緒に来ているわけだし、しかも、彼はここに来る直前まで、隼人に軟禁までされて自由を奪われていた。なのに隼人はそれに対して謝りもせず、説明もしない。それどころか、こんな高圧的な態度で彼を追い出そうとするのだから、月子は、考えるまでもなく言い返した。「一樹は私の彼氏よ。あなたの話彼が一緒に聞いてもいいでしょ」そう言われて、隼人は少し目を伏せた。怒りで不満げな月子を見て、彼は思わず、昔のように物分かりのいい人を演じそうになった。だが、そうすればこれまでの覚悟が台無しということになるだろう。たしかに、今まで月子と接してきた態度を一気変えることはでいないが、それでも隼人は、もう昔のように曖昧な態度をとるつもりはなかった。そんなやり方では、彼女に本当の気持ちが伝わらないと分かったからだ。だから隼人ははっきりと言った。「月子、子供たちはまだ俺が預かっているんだ、だから俺の考えを聞きたければ、佐藤さんに出て行ってもらわないと」その言葉に、月子は耳を疑った。だが、隼人の表情を見れば、そこに紛れもない冷酷な脅しであることは明らかなのだ。こんなショックを受けたのは今に始まったことではないが、それでも月子にとって、他人から聞いた話と直接のやり取りをして感じたのとはやはり違うので、彼女は未だに隼人のこの見知らぬ一面を実感できていなかった。しかし今この瞬間、月子はそれをはっきりと感じ取った。そして、そう感じたことによってなんとも言えない痛みが……胸を襲った。月子はふと思った。もしかして、隼人が今まで見せてくれた優しさは、すべて演技だったのではないか。彼は本当は、静真のように冷酷で高圧的なのに、自分の前ではそれを隠していたのではないか。だから、別れた途端隼人はまるで別人のような一面を見せるようになった。彼女は目の前にいる8ヶ月も一緒にいた元彼を見つめながら、その変わりように強い違和感を覚え、これまで楽しかった思い出さえも崩れ去っていたような気がした。そう感じて、月子の顔は完全にこわばっていた。そして、彼女の反応を見た隼人は思わず拳を握りしめながら、やはり本当の自分を見せたら、きっと月子に
Read more

第885話

月子は隼人に尋ねた。「どうして、私を監視して子供を奪えば、私とよりを戻せるなんて思ったの?」隼人がこんな行動に出たのは、幼い頃に見捨てられた経験からくる、染み付いた考え方のせいだった。月子に別れを切り出されたことは、隼人にとっては見捨てられたのと同じだった。彼は生きる気力さえ失い、どうやって引き留めたらいいのかも知らなかったから、何もできなかったのだ。子供の頃、隼人はどうして両親が会いに来てくれないのか尋ねたこともあったかもしれない。でも、聞いても解答を見いだせなかったから彼は次第にそれをある種の運命として受け入れるようになっていた。だから隼人の中では、月子に別れを切り出された以上、自分にはもう彼女に近づく資格はない、と思い込んでいた。それは囚われた考えとなり、次第に彼を月子に話しかけることさえ許さず、彼女の前に姿を現すことなどもってのほかだという禁錮へと追い詰めていった。しかし、それと共に隼人は月子を失うことを受け入れられなかった。子供の頃のように運命を受け入れることはしたくなかったが、どうしても月子に会いに行く勇気は出なかった。だから人を遣い、こっそりと見守ることしかできなかった。しかし、思いが積もりに積もって彼の中でそれだけでも満足できなくなってしまった。すると、月子に戻ってきてほしくて、彼女を傷つけてでも取り戻そうとした。何か強引な手段を使わないと、月子は自分の元には戻ってこないと思い込むようになってしまった。だから子供をさらい、ついでに静真にも罰を与えようとした。でも一樹と話して、隼人はふと子供の頃からの考え方が、必ずしも正しいとは限らないと気づいた。自分から月子に会いに行って、素直に自分の気持ちを全部打ち明けてみれば、月子は受け入れてくれる可能性だってあるはずだ。しかし、それに気づいた時には、もう全ての間違いは起こしてしまってた。だから、今の隼人にはその結果を受け止めなければならないのだ。そして、彼はこれを機に、月子に本当の自分を知ってもらうたいとも思った。だが、その一方で隼人は子供たちが自分の手のうちにあるからこそ、月子は自分に説明の機会を与えているのだということも分かっていた。だから、たとえ今ここで自分の境遇に同情を買おうとして、情で訴えたとしても、月子にとっては脅し同然なのだろう。自分の子供の
Read more

第886話

月子は眉をひそめた。「状況が違うじゃない。そんなの比べようがないでしょ」「愛してるかどうかって話だよ。お前は静真の方が好きなんだ。あいつがお前にとって、初めて本気で好きになった相手で……俺はちがう。後から出会った男だから」それを聞いて、月子はぎゅっと拳を握りしめた。「鷹司社長、そんな風に比べるのはやめて。あなたと一緒にいた時、私は精一杯の気持ちで向き合ったつもりよ。あなたが静真を自分と比べたら、自分を貶しているだけでなく、私が二人を天秤にかけて気持ちを弄んだひどい女だと言っているようなものじゃない……そもそも出会ったきっかけが違うんだから、比べられるわけがないでしょ?」その言葉に隼人の顔色が一瞬で変わり、その表情にはありありと苦痛が浮かんでいた。月子は呆然とした。こんなに感情をあらわにする隼人を見るのは、初めてだったからだ。自分、何か彼を傷つけるようなことを言ったかしら?本当のことを言っただけなのに。でも、隼人の苦しそうな様子を見ていると、胸が締め付けられて息も詰まりそうになり、彼女は顔をそむけた。すると突然彼女は、隼人に腕を掴まれた。以前はあんなに熱かった彼の手が、今はひどく冷たい。その冷たさに月子はびくりと震え、思わず隼人の手のひらを見た。そこには全く血の気がなかった。もしかして、足の怪我で血を失いすぎて、体温まで下がってしまったのだろうか?隼人の声に、月子ははっと我に返った。「月子、俺は静真が妬ましい。どうしてあいつがお前に先に出会ったんだ。なぜ俺じゃなかったんだ。もっと早く、お前を見つけられていれば……」それを聞いて月子の心は、激しく揺さぶられた。「あなたが静真に嫉妬……」隼人といえば、落ち着き払っていて、気品があって、控えめな人だ。周りから見れば、まさにエリート中のエリートだった。それもあって、月子は、自分と隼人の間にある差をずっと感じていた。先ほど車でこの広大すぎる別荘に近づいたときも、改めて二人の隔たりを痛感したのだ。それは、権力という彼が生まれ持ったもので、努力で埋められるものではない。もともと、隼人の立ち位置は多くの人にとって手の届かない存在なのだ。それに、彼は静真の兄でもある。二人は不仲だが、いつも冷静なのは隼人の方で、兄としての落ち着きと威厳を保っていた。彼は静真の子供じみた挑発など、まる
Read more

第887話

でも、やっぱりどこか距離感を感じてしまうのだった。だから、彼女はつい及び腰になってしまているのだ。しかも、今はもう別れた仲だから、彼女からすればどうしても一歩引いてしまうのが、正直な気持ちなのだ。なにより今の月子には、そんな恋愛にのめり込む気力がもうなくなっていて、ただ穏やかで、ありふれた毎日を過ごしたいという気持ちの方が強いわけだから、一樹と付き合うような軽い関係のほうがちょうどいいのだ。そう思って月子は自分の手を引き抜き、隼人がそれ以上触れるのを拒んだ。「ごめん。私今、一樹と付き合ってるから」それを聞いて、隼人の表情が一瞬こわばった。「月子、それは嘘だろ」それを言われて、月子はカッとなった。「私が一樹と付き合い始めた途端に追いかけてきて。きっと、誰かに見張らせてたんでしょ。彼とキスしてるところも、撮られてるんじゃないの?キスまでしてるのに、嘘なわけないでしょ?鷹司社長。私のプライベートな決定まで口出しをしないでもらえる?」隼人は彼女の拒絶に満ちた顔を見て、絶望的な気持ちになった。でも、もう失う自分にはものはないのだと思って言った。「お前の選択は尊重する。だけど、俺もお前を諦めない」そう言われて月子は、きょとんとした。「諦めないって、どういうこと?」隼人は彼女をじっと見つめ、さらに本心をさらけ出した。「俺の人生に、お前がいないなんて考えられないんだ、月子。俺だって佐藤さんに負けないくらい、お前を幸せにできる自信がある。二股をかけられたってかまわない。だから、俺も選択肢にいれてくれ」口ではそう言ったものの、隼人の心の中では決めていた。必ず一樹を追い出してやる、と。どんな手を使ってでも、月子の心も体も、自分のものにしてみせる。だが、月子は考えもせず断った。「そんなのできるわけないでしょ」そう言われて、隼人の胸に痛みが走った。「どうしてダメなんだ?ほんの少しのチャンスも、くれないのか?」月子は、なぜダメなのか分かっていた。隼人のことを、本気で愛していたからだ。本当に好きだったからこそ、もう一度彼に触れられたら、心が動かないはずがない。肌が触れ合うだけで、昔のことを思い出してしまう……それは紛れもなく「本当に好き」という気持ちなのだ。だからこそ、また心が掻き乱されてしまたら、疲れ果ててしまうだけなのだ。そう思
Read more

第888話

それを聞いて隼人の表情は、目に見えてさらんいこわばっていた。でも、その深く鋭い眼差しからは感情を読み取ることはできず、ただ黙って二人を見つめているだけだった。そして彼はふと、二人がつないでいる手に視線が落ちた。自分だけの彼女だったはずが……どうして他の男に手を握られているんだ?そんなこと、許されるはずがない。「鷹司社長。もう一つ言っておきます。月子の子供は、あなたの子供ではありません。だからあなたに親権はないんですよ。母親である月子が自分の子供を連れて帰るのは当たり前のことです。あなたの許可なんていりません」一樹は感じていた。月子は、静真に対する時のように、隼人には強気に出られない。どうしても受け身になってしまい、彼のペースにのまれがちだ。でも、さっき近づいた時に聞こえてきた言葉を思い出すと、一樹は隼人が本当に女性の扱いが下手だと思った。こんな状況では、なによりもまず月子の考えを優先してあげることがが先決だろう。彼女を喜ばせてから、いいタイミングを見計らって少しずつ詰め寄れば、チャンスを見出すことができるはずだ。だから、とりあえず月子の警戒心を解いて、ゆっくり攻めていくべきだ。しかも隼人は少なくとも静真のように嫌われているわけでもなければ、元カレという有利な立場にいるんだから月子の彼に対する態度も違うはずだ。だが、残念なことにこの兄弟は二人ともそういった面での知恵が欠けていた。隼人がまだマシなのは、自分を省みて改善しようとするところだ。何一つ変わろうとしない静真とは違う。それもあって、違う行動をとっているように見えるのだが、結局隼人のやることは、静真のしていることと大して変わらないのだ。一樹の言葉を聞いて、月子は彼が一緒にきてくれたことに心から感謝した。何はともあれ、一樹は頭の回転が速く、すぐに状況を理解したうえで話を進めてくれるから、隼人を前にしても、彼がいれば自分は気持ちをしっかり保てるのだ。なぜだか分からないけれど、隼人のあんな姿は見たくないし、あんな言葉は聞きたくなかった。心が大きく揺さぶられてしまうからだ。それに、彼の今まで知らなかった一面を見てしまって、月子はまだそれを消化しきれていなかったのだ……そう、ここまで変わり果てた隼人を受け入れるのには、時間が必要だった。そこを一樹に言われ
Read more

第889話

一樹も体を鍛えていて、たぶん格闘技も習っているだろう。でも、屈強なボディーガードの前では、武器でもない限り無力だったから当然のように連れて行かれてしまったのだ。一方で、一樹がいなくなっても、誰もその場には近づけなかった。この家の主人である隼人が怒っていたからだ。普段は怒らない人が、ほんの少し怒りを見せただけでも、それはまるで嵐のようだった。月子はK市にいた頃、静真との身分の差を分かっていた。なぜなら彼は、自分の欲望や嫌な部分を隠そうとしなかったからだ。静真の考えは、その横暴な態度に全部表れていた。でも、隼人は違う。彼は落ち着いていて、感情を表に出さない。会社でも部下に対して、威圧的な態度を取っていなかった。だけど、それでも彼には社員全員を黙らせるには十分な風格があった。だが、彼はそれを表に出さなかった。取引先と会う時も、どんな話題にも合わせることができた。隼人は何事もそつなくこなし、人間関係もうまく立ち回る。だから、周りからは落ち着いていて、懐の深い、成熟した強い男だと思われていた。そのおかげで、彼に会った人はほとんど、彼を褒めたたえた。でも、完璧な人間なんていない。隼人の落ち着きは、彼の心の奥深さを物語っていた。本当に隼人を理解できた人はいなかったのだ。彼の心の壁は、それほど厚かった。月子は、今それを痛感している。8ヶ月も一緒にいたのに、隼人の本当の壁を乗り越えられたことは一度もなかったのだ。そして今、その壁の向こう側がほんの少しだけ見えた。たったそれだけでも、彼女は背筋が凍るほどの圧迫感に直面したのだった。かつて、静真が隼人のことを「いい人じゃない」「上っ面だけの男だ」と罵っていたのを、月子には理解できなかった。でも、今ならわかる。隼人は、自分を偽るのがとてもうまい。必要なら、上品で穏やかな人にだってなれる。でも状況が悪くなれば、容赦なく牙を剥いて攻撃的になるのだ。そんな隼人は、ちょっと指示するだけで、一樹を目の前から消し去ることができた。彼のほんの少しの行動で、月子は権力がもたらす圧迫感を痛いほど感じた。隼人の破壊力は、彼女の想像をはるかに超えて恐ろしかった。フリーリ・レジデンスで8ヶ月間一緒に暮らした隼人は、温かくて、包容力があった。人間味のある、目の前の彼とは全く違う人にように
Read more

第890話

「俺の何が怖いんだ?」「静真に銃を向けてた姿も、有無を言わせない冷たい態度も怖い。それに、すべてが私の知らないあなたであることが怖いの……なにもかも、私の想像を超えてて……あなたの考えも、どこまでする人なのかも、全然分からない。だから、怖いの」そう言いながら、月子の目には涙が滲んできた。隼人の目にも涙が浮かんでいた。彼は唇をきつく結び、月子の方へ歩み寄った。190センチという長身の彼は、まるで山のようだった。月子は170センチを超える身長だけど、それでも体格差は歴然としていた。隼人が目の前に立つと、彼女の体はすっぽり隠れてしまうほどだった。それにここは隼人のテリトリーだ。彼がしたいように、何でもできてしまう……隼人が黙ったまま、じりじりと距離を詰めてくる。そのせいで、月子の恐怖はさらに増していった。彼女は後ずさるしかなかった。でも月子が一歩下がると、隼人はすかさず一歩詰めてきた。とうとう月子は壁際に追い詰められ、隼人に完全に囲まれてしまった。月子の瞳が激しく揺れた。目の前にいるのは隼人だから自分を傷つけたりはしないはず。でも、彼の見知らぬ恐ろしい一面が頭をよぎると、心臓が口から飛び出しそうだったから、彼女は目に涙を溜めながらも、強い警戒の色を浮かべていた。そんな彼女をみて隼人は完全に打ちひしがれたかのように言った。「月子、本気で俺がお前を傷つけると思ってるのか?」月子は震える声で言った。「しないって言えるの?もし私を傷つけるつもりがないなら、どうしてこんな所まで追い詰めるの……」この前みたいに、有無を言わさずキスをして、唇を噛み切って。あんな風に、力ずくで押さえつけるみたいに……隼人は手を伸ばし、彼女の頬に触れた。指先が目尻をなぞると、その瞳が充血しているのが分かる。目の下には隠しきれない隈ができていて、その顔には疲れと不安、そして恐怖が滲んでいた。「すまなかった。一睡もさせてやれなくて。朝早くから、俺と静真がやりあうところを見せて……今度はまた、俺と二人きりで向き合わせるなんて……」そう話し終わらないうちに隼人は突然月子の腰を抱えて持ち上げた。抱き上げた瞬間、彼女が以前よりずっと軽くなっていることに気づいた。彼女の頬はこけ、その目にも隠せないほどの疲労が浮かんでいるのだった。1年前
Read more
PREV
1
...
8788899091
...
93
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status