All Chapters of これ以上は私でも我慢できません!: Chapter 71 - Chapter 80

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第71話

おそらく足を捻ってしまったのだろう。玲奈は暫く経っても起き上がることができなかった。誰かが彼女の腕を掴んできた時、彼女はおどろいて後ろを振り返った。そこにいたのは昂輝だった。玲奈はその瞬間目を真っ赤にさせて、鼻の奥をツンとさせた。彼女が伏し目がちにすると、瞳から涙が零れてきた。「どうしてまだこんなところに?」昂輝は彼女の傍に屈んで、満面の笑みで尋ねた。「何も問題なんてないのに、俺に銀行カードをくれてどうしようって?」玲奈はまだ顔を下に向けたまま、後悔したような口調で言った。「実は、私のせいであなたが……」彼女が話し終わる前に昂輝がこう言った。「分かってるよ」それを聞いて玲奈は彼へ顔を向けた。その瞳には驚きと疑惑の色が入り混じっていた。「先輩……」昂輝はこの時まだ微笑んだままで淡々とこう言った。「俺は怖くないよ」院長からクビだと通知されたその瞬間、昂輝は心の奥でどういうことなのかだいたい予想がついていたのだ。昂輝の、この医学界における身分をどうこうできる人間と言えば、きっと新垣智也ただ一人だけだろう。ここ暫くの間に起きたことを繋ぎ合わせて考えてみれば、その原因がどこにあるのか想像するのは難しくなかった。玲奈は顔を下に向け、この時も申し訳ない気持ちでいっぱいだった。「本当にごめんなさい」昂輝は彼女の腕を掴んだまま笑って言った。「どうした?こんなところで夜を過ごすつもりなのか?」それを聞いて、玲奈は昂輝の力を借りて地面から起き上がった。捻挫した足が痛くてたまらず、玲奈は全身に冷や汗をかいていた。彼女は足を地面につけることができず、体のほぼ半分の体重を昂輝に任せてしまっている。そしてこの時、近くから突然店員の声が聞こえてきた。「新垣さん」その声が聞こえて玲奈が顔を上げてそちらを見てみると、ちょうど智也が自分の前方から歩いてきていた。智也はもっと早くに玲奈に気付いていた。彼女がレストランから出てきて、入り口のところの段差で転んでしまったのも目撃していた。それに昂輝がこっそりとカードを玲奈のかばんに入れるところも見ていたのだった。それと同時に智也も昂輝がさっき言ったあの「何も問題なんてないのに、俺に銀行カードをくれてどうしようって?」も聞こえていた。智也はその全てを見て、聞いていたのだった。近頃
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第72話

だから、智也は玲奈に渡したあのカードの利用を停止させることにしたのだ。勝はそれを聞いてとても驚いていた。しかし、その理由を尋ねることはなく、ただ大人しく「かしこまりました、新垣社長」とそれに従うことにした。そして玲奈のほうはというと、花壇に座り、昂輝が彼女の靴を脱がせて足首をやさしくマッサージしてくれるのを見て、緊張して恐縮していた。「先輩、そんなことしていただかなくて大丈夫です。病院はすぐそこだから、薬を塗れば問題ないですから」彼女はそう言いながら、体を傾けて昂輝を引っ張って立ち上がらせようとした。昂輝が顔を上げると、ちょうど彼女の目線とぶつかった。二人の距離はとても近くて、まるでキスをしているかのようだった。そして、このシーンをタイミングよく智也も目撃していたのだ。智也は勝の電話を切ると、くるりと体の向きを変えて個室に入っていった。個室に入った瞬間、薫と沙羅の二人が立ち上がって彼の名前を呼んだ。しかし、智也のほうは顔を暗くしてひとこともしゃべらないので、とても不機嫌であることが一目で分かるくらいだった。そして外では、玲奈は彼との距離が非常に近いことに気づいて、急いで後ろに後ずさったが、昂輝は彼女の踵を掴んだ。彼は全く彼女を見ておらず、ただしっかりと彼女の足を観察して言った。「腫れてるみたいだ」玲奈の顔は一瞬にして真っ赤になった。彼女はなんだか気まずくなったが、彼をどうすることもできず、ただ黙って足を触られるのを見ているしかなかった。その場の空気はとても気まずく、彼女は小声で話しかけた。「先輩、私智也の深津さんに対する気持ちを軽く見ていたのかもしれません。じゃないと、まさかあの人が先輩にここまでやるはずないですから」玲奈はひたすら後悔していた。昂輝は顔を彼女のほうへ向けて微笑んだ。「でも、君への態度は俺自身が決めてやったことだから、君は何も間違ってない。だから、俺に謝ったりしなくていいんだよ」玲奈はそう言われて返事に困った。言葉が出かけて、それでもただ「すみません」と謝るしかなかった。昂輝はこれ以上この話をしたくなかった。上にあげた彼の顔には暖かい光が降り注ぎ、彼の顔の良さをさらに引き立てていた。彼は自然な笑みを浮かべて尋ねた。「おんぶしてあげようか?それとも抱きかかえようか?」玲奈は顔を赤く染め
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第73話

午後、足に薬を塗って、玲奈は仕事に戻った。昂輝は夜、玲奈を春日部家に送った。玲奈が車のドアを開けて降りようとした時、昂輝が先に車を降りてドアを開けた後、彼女のほうへ手を差し出した。「おんぶしてあげよう」「先輩、本当にご迷惑をかけるわけにはいけません。自分で家まで歩けます」と玲奈は申し訳なくて、また断った。昂輝は安心できなかった。「もう家の前まで来たんだ。玄関まであと少しくらいだろう。もし、俺が送ってあげなくて途中でまた転んで怪我でもしたらどうするんだよ。おじさんとおばさんに怒られるかもしれないだろう。今後俺が罪人扱いされるようになったらどうしてくれるんだ?」昂輝が言ったその言葉はもちろん冗談だ。玲奈はもちろん彼の厚意が分かっている。彼が自分の両親まで出してきたので、彼女ももう何も言えなくなった。それで、彼女は自分の手を彼のほうへと差し出して言った。「じゃあ、先輩、お世話になります」昂輝は玲奈の手を掴み、車から彼女の身体を支えて降ろしてくれた。それと同時に、彼は玲奈の前に屈んで、おんぶしてあげると背中を彼女に向けた。玲奈は昂輝におんぶしてもらって家に入るのはどうにも恥ずかしくて、急いで昂輝の手を掴んだ。「先輩、ちょっと私の体を支えてくれるだけでいいですから」昂輝は姿勢を正して玲奈のほうを向いた。彼女が耳まで真っ赤にさせているのを見て、唇をぎゅっと結んだ。「分かった、君の言うとおりにするよ」玲奈は昂輝が彼女に買ってくれた痛み止めを持って、彼に支えられながら春日部家のほうへ歩いていった。この時、陽葵が早くから家の入り口で待っていて、誰かが入ってきたのを見て、急いで小走りでやって来た。そして玲奈を見て、彼女はニコニコと笑った。「おばちゃん、お帰りなさい」陽葵の顔は喜びと純粋さが満ちていた。ただ。玲奈がひょこひょこと足を引きずりながら歩いて来るのを見て、陽葵は眉間にしわを寄せた。「おばちゃん、どうしたの?足、怪我したの?痛い?」陽葵はそう尋ねながら、玲奈の前までやって来て、玲奈が持っていた薬を受け取り、手を繋いだ。玲奈は陽葵がこんなに自分を気遣ってくれるのを見て、心の中が温かくなり、また切なさも感じていた。口を開いて話し出そうとした時、玲奈は無意識に目を赤くさせた。「陽葵ちゃん、おばちゃんは大丈夫よ。うっかり
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第74話

昂輝を見て、家族はそれぞれ微笑んでいた。食事中、健一郎は昂輝と一緒に酒を交わしていた。玲奈はそれを阻止しようとしたが、昂輝が彼女がそれを止めようとする言葉を遮った。「大丈夫、ちょっと飲むだけだから」直子も隣にいて、調子を合わせた。玲奈はそれでもう彼らを止めることができなくなった。秋良はそれを止めることはしなかったが、昂輝に話しかけることもなかった。ただ、食事の最中に、秋良はちらちらと昂輝のほうをうかがっていた。まず第一印象としては、昂輝ははじめてここに来たとうのに手ぶらで来たが、話し方やその所作からはまあまあな印象を受けた。秋良は思わず、昂輝はあの新垣智也のクソ男よりかなり何倍も良く見えると思った。妹がもし昂輝と一緒になりたければ、智也と一緒にいるよりも、幸せに暮らしていけるだろう。玲奈は自分の家族たちが一体何を考えているのかはっきりと分かっていた。それで彼女は食事中ずっと黙々とご飯を食べていて、健一郎と昂輝が一体何を話しているのか聞きに行く勇気もなかった。しかし、聞こうと思って聞こえたわけではないが、玲奈は健一郎が自分の小さい頃の話をしているのが聞こえた。昂輝はその話に真剣に耳を傾け、しょっちゅう視線を玲奈のほうへ向けてきた。そしてそのたびに彼女の皿におかずを取ってあげていた。玲奈は昂輝がとても楽しそうにしているのを見て、さらに彼らの話を遮ることができなくなり、家族のしたいようにさせるしかなかった。みんなゆっくり食事を楽しみ、陽葵はもう眠くなってしまった。この時健一郎と昂輝はまだ飲み続けていた。秋良は娘が眠そうにしているのを見て、立ち上がり陽葵を抱き上げて、本当は何か言うつもりはなかったが、やはり父親に一言注意した。「父さん、そんなに酒を飲むもんじゃないよ。少し嗜むくらいでいいんだから」健一郎は手を左右に振って言った。「分かった、分かったから」秋良はそれ以上は何も言わず、陽葵を抱いたまま上の階に向かった。綾乃も彼と一緒に上にあがっていった。昂輝がまだここにいるので、玲奈も食卓に一緒に付き合うしかなかった。そのまま10時半になって、直子がやっと健一郎に注意した。二人は焼酎を二本飲み、二人で結構な量を飲んでいた。昂輝はそんなに顔は変わっていなかったが、健一郎のほうは年を取っていることもあり、少し吐
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第75話

かなりタイミングよくその電話が鳴り響いた。玲奈もその電話がかかってくれて助かったというものだ。昂輝が何を言うつもりだったのか、彼女ははっきりと知ることはできないが、なんとなく、彼が言おうとしていることが分かったのだ。彼らは先輩と後輩という関係であるのは間違いないが、彼はずっと彼女のことを無条件に大切にしてくれていたので、そのような考えがないとは言えないだろう?この関係が崩れたら、きっと今のままではいられなくなる。視線を携帯のほうへ向けると、それは病院の理事長からの電話だった。ちょうど代行がやって来たので、玲奈はそれに出なかった。「先輩、車に乗ってください。家に着いたら私に連絡してくださいね」昂輝は玲奈を見つめ、何か言いたそうにしていたが、少し考えて、今夜はまだ自分の気持ちを明かすタイミングではないと判断した。それで、彼は心の中にあるその言葉をこの時はまだそこにしまっておいた。こんなに長い時間が過ぎ、昂輝はずっと玲奈に一目惚れした時のことが忘れられなかった。昂輝は車に乗り込み、後部座席から玲奈に言った。「家に戻って、早めに休むんだよ」玲奈は頷いて言った。「はい、先輩も」昂輝は優しい微笑みで返事をした。「うん」車が遠ざかるのを見送り、玲奈はゆっくりと春日部家に戻っていった。この時、誰かが彼女の腕を掴んだ。「義姉さん?」そこにいた人を見て、玲奈はとても驚いていた。綾乃は言った。「お兄さんが私に行けって」玲奈は目を真っ赤にして言った。「ありがとう」「お兄さんが私に行くように言ったのも、実はあなたが東さんのことをどう思っているか聞きたかったからよ」玲奈は少し驚いた。「お義姉さん、私と智也の離婚もまだ成立していないわ。再婚に関しても、今のところ考えられない。それに、バツ一の私なんか誰も好きにならないわ。まずは仕事を頑張って、昇進して、離婚もきちんとできたら、他のことを考えるわ」この世知辛い世の中を生きる者として、玲奈は再婚を考えないわけではない。しかし、再婚するにも、まずはこの世を自分の力だけで生きていけるようになることが前提なのだ。そうすることで、彼女はやっと再婚をしようと思えるのだ。結婚は彼女に何も与えてくれなかったが、仕事は彼女に自信を与えてくれる。綾乃は玲奈の決めたことに口を挟む
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第76話

薫は立ち上がり、自分のジャケットをバサッとはらって言った。「俺は行くぞ」小野は頷いてへこへこと薫を見送った。お偉い様が去ると、小野は心の中でホッとため息をついていた。……春日部家にて。玲奈はベッドの端に暫く腰かけて呆然としていた。すると部屋の静寂を携帯の呼び出し音が切り裂き、彼女はこの時ようやくハッとして体を動かした。携帯画面の表示を見てみると、それは愛莉からかかってきた電話だった。その電話に玲奈はとても驚いていた。以前までは彼女のほうからよく愛莉に電話をかけていたというのに、まさか今娘から彼女のほうにかかってくる日が来ようとは思ってもいなかった。もう今後は娘のことは構わないつもりであったが、それでも彼女は愛莉の母親であることには間違いないので、その電話に出た。電話を取ると、愛莉から尋ねてきた。「ママ、今何をしているの?」玲奈は声を冷たくして言った。「別に何も。そろそろ寝ようとしていたところよ」しかし、この時、寝室のドアが突然開かれた。玲奈が入り口のほうへ目をやると、そこには洗面器に水を持った陽葵が立っていた。「おばちゃん、今電話してる?もしかしてお邪魔かな?」陽葵がふらふらとしながら水を運んで来たのを見て、玲奈は彼女が転ばないか心配になり、立ち上がってそれを受け取り尋ねた。「陽葵ちゃん、まだ寝ていないの?どうしておばちゃんの部屋に来たの?」陽葵は小さめの椅子を引っ張ってきて、そこに座ると、玲奈のほうへ顔を向けて言った。「おばちゃん、昂輝おじちゃんがおばちゃんは足が腫れてるって言ってた。私も前足が腫れた時、ママが水をもってきて冷やしてくれたの。そうするとだいぶ楽になって、そんなに痛くなくなるのよ。だから、おばちゃんにもやってあげたら痛くなくなると思って持って来たの」玲奈は目をうるうるさせて、感動していた。「陽葵ちゃん、本当に良い子だね。おばちゃんのことをそんなに思ってくれてるなんて」立ち上がって水の入った洗面器を受け取りに行く時、玲奈は携帯をベッドの上に置いた。陽葵が彼女のために足を水につけて冷やしてくれると言ってきたので彼女はそれにすごく感激して、愛莉から電話がかかってきていることがすっかり頭から抜けてしまっていた。陽葵は腰を屈め、玲奈の足をその水の中に浸けてあげた。「おばちゃん、お水
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第77話

田舎に行って10日ほど経ってから、玲奈はこの日の夕方、昂輝に会った。田舎の空気は新鮮で、ちょうど秋の気配がしていた。気温はまだ高かったが、夕方になると一気に気温が下がる。村に流れる一本の渓流に沿って散歩をするには、とても気持ちが良い頃だった。川の水はさらさらと流れ、鷺が水辺で獲物を狙い、子供が水遊びをしている。川にかかる橋の上にはたくさんの人が夕涼みに来ていた。大人から子供まで多くの人の声が入り混じり、村で一番にぎわうスポットになっていた。夕焼けが空の半分を染め、沈む夕日の最後の光が木に、あちこちに降り注いでいた。水遊びを楽しむ子供たちの楽しそうな声の中、玲奈はラフな格好をした昂輝を見かけた。真っ白のシャツに、淡いブルーのジーンズを履き、白いスニーカー姿だった。彼は賑やかな人ごみの中、その目線を玲奈一点に注いでいた。二人は互いに目を合わせ、玲奈は少し恍惚としていた。昂輝が近づいてきて、玲奈はこの時ようやく彼は本当に目の前にいて、これは夢ではないのだと思った。昂輝は手を玲奈の目の前で左右に揺らした。「何を考えてるの?ぼけっとしちゃって」玲奈は目を赤くさせて尋ねた。「どうして、ここに?」昂輝は体を少し斜めにして夕日を浴びながら答えた。「ちょっと気晴らしにね」玲奈はもちろん、彼がここに来た理由が気晴らしのためではないことを知っていた。そして彼女は「ご飯は食べましたか?」と尋ねた。昂輝はそれには答えず、彼女の腕を取って言った。「ちょっと連れて行きたいところがあるんだ」玲奈がまだ一緒にそこへ行くと返事をしていないのに、昂輝はすでに彼女の手を繋いで多くの人ごみを抜けて行った。昂輝の言っていたその場所というのは、村を出たある田んぼ道だった。9月の稲穂は青々と茂り、空気はとても新鮮だった。夕日が山に沈み、月が夜空にかかっていた。田んぼの淵に腰かけ、夜風に吹かれていた。星々が夜空に瞬きとても美しい。玲奈は昂輝に尋ねた。「先輩、あとどのくらいここにいる予定ですか?」「市内には戻らない。君と一緒にここで働くよ」玲奈は瞼を下げ、責任を感じた声で言った。「先輩がこんなことしなくてもいいのに」昂輝は別に気にしていない様子で、どうでも良いという感じで言った。「一足早く、退職して老後を過ごしているとでも
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第78話

「おや、玲奈ちゃん、俺のことが恋しくなったのか?」拓海のチャラっぽい声が電話越しに伝わってきた。彼のその低めの声と周りの雑多な音楽とが入り混じっている。須賀拓海という男は後先考えずに行動するようなタイプで、女の噂の絶えない野郎だとみんなが知っている。まるで服を着替えるかのように、女性をとっかえひっかえしている。そしてどの女性への扱いも、常に情が深く、誠実な様子でいるのだ。彼は目に映る女性であれば、すぐに好きになってしまうような男だった。以前、彼も全力で玲奈を落としにかかったことがある。彼女が智也と結婚しないという話が出れば、彼は玲奈を自分のものにするつもりだった。しかし、これはただの冗談であって、玲奈がそれを本気にするわけがないだろう。拓海の口から出てくる言葉の一つも玲奈は信じていない。玲奈はかなり前から、この掴みどころのない、ふわふわした男、拓海に慣れている。彼女はとても真面目な様子で彼に「ちょっと話したいことがあるの」と言った。電話越しに聞こえていた音楽がかなり小さくなり、彼は尋ねた。「どうした?ようやく決意したの?今になってやっと俺が君に相応しい男だって分かったようだね」玲奈は「須賀君、私はずっとあなたのことを友達だと思ってるの」智也と拓海の間にどれほどのわだかまりがあったとしても、玲奈はずっと彼ら二人の事情に振り回されることはなかった。昔、拓海も彼女の手助けをしてくれたことがあって、ずっとその恩を感じていた。しかも、拓海が助けてくれたのは一回ではなかった。拓海は溜まった息を吐き出した。そして携帯の画面から彼の聞こえの良い声が伝わってきた。「何をしてほしいんだ?」玲奈は驚いた。「あ……あなた、どうして分かったの?」彼女がまだ何も言う前に、拓海は彼女がどうして連絡してきたのか分かっている様子だった。拓海は笑って言った。「助けてやってもいいよ。だけど、俺は報酬には他の何でもなく、君をもらいたいね」珍しく、彼は真面目な口調でそう言った。拓海のその要求を聞いたのは、玲奈もこれが初めてではなかった。彼女はそれに従うことはできないのだ。「じゃあ、この電話はなかったことにしてちょうだい」拓海は女に困っているわけではない。彼がさっきあのように言ったのは、恐らく、彼女が智也の妻であるからな
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第79話

薫がその送られてきた動画を受け取った頃、智也と洋がちょうど目の前でプロジェクトの話をしていた。その動画を見終わると、薫は驚いた様子で智也のほうへ目を向けた。視線を感じて智也は薫のほうへ向いて尋ねた。「どうした?」薫は立ち上がり、智也と洋の真ん中に割って入って腰をおろした。それと同時に、薫はその動画を智也に見せた。智也は携帯のほうへ視線を落とし、その動画を見ている時、薫はどうも訳が分からないといった様子で尋ねた。「智也、お前、彼女をベッドで満足させてやっていないのか?この女、同時に二人も探しに行ってんぞ」智也はその動画を見終わった後、何も感じていないかのように表情は変えていなかった。しかし、実際は少し前から心が乱れていたのだった。それにさっき薫が言った話も合わさり、智也は思わず玲奈とのベッド事情を思い出していた。彼と玲奈のセックスに関しては決して良いものとは言えない。毎回たったの3分で終わるのだから。別に智也が下手であるとかそういうわけではなく、毎回できるだけ早く終わらせて、さっさと沙羅と愛莉の元に帰りたいと思っているからなのだ。智也がいつまで経っても話をしないので、薫はもっと大胆な話をし始めた。「智也、まさか本当にベッドの上で彼女のことをちゃんと可愛がってやってないのか?」智也は顔を上げ、冷ややかな目つきで薫を睨みつけただけで、やはり何も言わなかったが、彼の迫力のあるオーラがその場の空気を凍り付かせた。それで、薫は口を閉じた。しかし、彼はそれでも我慢できずに、また智也に近寄って尋ねた。「智也、もうここまで来たんだぜ、離婚する選択肢はないのかよ?」智也は白目で薫を見て言った。「しない」彼が玲奈と離婚しないと言ったのは、別に彼女に対して愛情を持っているからではないのだ。ただ、あの日愛莉が、パパ、ママそして沙羅、みんなから愛してもらいたいと言ったからなのだ。もし離婚などしてしまえば、愛莉にはちきんとした家庭がなくなってしまう。薫は全く智也の考えが理解できず、まだ何か話そうとしていたが、洋がこの時彼の腕を引っ張って言った。「薫、あまりペチャクチャとしゃべるもんじゃないぞ。少しは黙ってろ」しかし薫はそれでさらに解せないと言った様子で「俺、何か間違ったことでも言ったか?智也は別に玲奈さんのことを好きじゃない
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第80話

智也も娘の質問には答えず、ただ彼女の小さな顔を撫でて言った。「もう寝ようね」愛莉は頷いた。「うん」愛莉が寝てしまってから、智也は立ち上がって部屋から出て行った。書斎に来ると、彼は窓の前に暫くの間立っていた。薫が彼に見せてきたあの動画が、この時、彼の脳裏に焼きついて離れていなかった。須賀拓海はずっと彼とはビジネス上で衝突を繰り返してきた。彼らが今までに何度争い続けたか数えきれるものではない。智也と商売で互角に渡り合えるのは、恐らくこの須賀拓海ただ一人だけだろう。そんな拓海が自分のライバルだと知っていながら、玲奈は彼のところに行ったのだ。だから智也の心の中に、怒りの炎が湧き上がらないわけがないだろう。それに玲奈は自分の妻なんだぞ。そう考えれば考えるほど怒りがふつふつと込み上げてきた。智也はいっそのこと玲奈に直接電話をすることにした。呼び出し音がかなり鳴り続けてから、玲奈はやっとその電話に出た。「何か用?」電話に出た彼女のその声は、以前のように恐る恐る彼のご機嫌をうかがうような声でもなければ、電話がかかってきたことを喜ぶような声でもなく、ただ冷ややかだった。智也は直接こう尋ねた。「今何をしている?」玲奈はあまり多くのことを智也に返事する気もなく、ただ彼に「何かあるなら、直接話してよ」と言った。智也は少し戸惑い、適当に口実を作った。「愛莉が明日の朝、君が作った朝ごはんを食べたいって」玲奈はそれを拒否することはなかった。「分かった、いつも食べてる朝ごはんのレシピなら、宮下さんに教えておくから、明日の朝愛莉が起きたら、食べられるようにしてもらうわ」それを聞いた智也は目を細めた。窓ガラスには彼が怒りに歪んだ顔が映し出されている。彼は冷たい口調で「それじゃ意味が違うだろ?」と言った。この時、電話の向こうの玲奈は、拓海の車の助手席に座っていて、電話に出ていたのだった。拓海はちらりと横目で彼女を見た。彼のその瞳には隠すことなく彼女への気持ちが表れている。彼は何かを考えているように口角を上げた。じっと彼女を見つめ、彼は耐えきれず玲奈に近寄っていき、まるで犬のように玲奈の匂いを激しく嗅いでいた。玲奈は拓海が自分に近寄ってきているのを感じ取って、無意識に体を遠ざけようとし、車の天井部分に頭をぶつけてしまっ
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