鬼子の柊を担ぐ田鶴さんの足取りは根の上でも普通の道を進むように軽快で、妾はついて行くのが精一杯、何度も平衡を失って流砂穴に落ちかけて冷や汗をかいた。柊林の根元に流砂穴がいくつも口を開け、欲望の舌のように砂を吐いている中、渦中に浮き沈みしながら鈍色の眼をこちらに向けているのが、田鶴が警戒する本物のひだる様なのだった。「右、来ます!」 田鶴の声が掛かる。声が終わらぬうちに右手前方から黒い影が砂を蹴立てて飛び出して来る。その体躯は一つの流砂穴を覆うほど巨大で、これまで戦って来たヒダルの三倍はあった。腕も鎌爪も長く、妾たち全員を一振りで断裁できそうだった。前後から挟撃して来る鎌爪を避けようとしたけれど一瞬鎌爪が早く間に合わず両の腕で受けねばならなかった。ビダルの場合は肉に食い込ませて止められたが、ひだる様の鎌爪はやたらと重く左手の骨を犠牲にしてようやく収まった。かろうじて無事だった右手で骨に食い込んだ鎌爪を引き剥がし、次の鎌爪が振り下ろされる間に首を取るため身構える。「相手にしないで!」 田鶴の声で意識を逃走に切り替え根を蹴って虎口を離脱。二つの流砂穴を飛び越える。目標を失った鎌爪が柊の根に切り込む。大木が倒れ流砂に呑み込まれて行く。その大木を昇って流砂の中から次々にひだる様が現れてこちらに向ってくる。柊の枝を伝って流砂を越え妾の背後に迫る。背中の殺気が膨れあがる。後ろを見ようとしたら、「あの木まで奔れ!」 はっとして前を向くと田鶴が指さしている先に純白に輝く木があった。柊林全体が黒々としている中でその木だけが白く浮き上がっている。そちらに近づいて行ってようやく、それが白い花を咲かせているからだと分かった。辺りには甘く強い香りが漂っている。よく知っている香り。クチナシの花の香り。信夫の香りだった。でも、クチナシの花は六月から七月。
Last Updated : 2025-10-27 Read more