引き戸の木がゆっくりと動く音が、春の空気の中にわずかに響いた。微かに軋むその音に、尾崎はふと顔を上げる。佐野も同じように手を止め、そちらへと視線を向けていた。白椿の香りとほうじ茶の余韻がまだ残る中、店の入り口に立っていたのは、見慣れない若い女性だった。ショートボブの髪がわずかに揺れ、眉間にほんの僅かに緊張の影が浮かんでいる。服装は控えめで、袖口を指で掴むようにしながら、躊躇うように一歩を踏み出した。「…こちら、占いもしていただけるんですか?」その問いは思い切ったように発せられたものの、声はか細く、どこか確信を持てずにいた。店内の静けさがその声をすぐに吸い込み、空間に新しい気配だけが残された。佐野は席を立ち、湯のみを盆に戻す手を自然な動きで止めると、女性に向き直る。口元には、いつもの柔らかな笑みが浮かんでいた。光の差す方向が変わったことで、作務衣の袖が少し金色を帯び、彼の輪郭がほんのりと温かく見える。「はい。よければ、お茶でも飲んでからにしましょか」その一言に、店の空気がすっと和らいだ。女性の肩がふと下がり、眉間の緊張が溶けていく。視線を床から佐野の顔へと移した彼女は、戸惑いながらも頷き、そっと履物を脱ぐ。畳の感触に戸惑うように足を運ぶその様子は、初めての場所に馴染もうとする誰かの姿そのものだった。尾崎はそのやりとりを静かに見守りながら、茶をすすっていた手を膝に戻した。自然と目が佐野の背中を追う。細身の肩幅、静かに動く肩甲骨、客へと向かう歩幅の均整。それらすべてが、ごくあたりまえのもののように、場に溶け込んでいた。かつては少し背負いすぎていたようにも見えたその背中が、いまは肩の力が抜け、自然体に見える。女性は店内の空気に少し安心したのか、近くの椅子に腰をかけた。佐野は湯を新たに沸かしながら、声をかけるでもなく、背を向けて準備に取りかかっていた。無言のうちに伝わるものがある。湯が沸く音、茶葉を計る音、そして器を置く音。どれもが丁寧で、日常の一部としてそこに存在していた。尾崎はそっと視線を中庭に移した。椿はまだ咲き誇り、風が枝を撫でている。光が射し、影が動き、ふと風が止まると、白い花弁がひとつ、音もなく地に落ちた。その落ちる様が、何かを終わ
最終更新日 : 2025-08-01 続きを読む