茶碗の中で茶が静かに揺れていた。先ほどよりも湯気の量は少し減り、ほんのりと残る香りが、尾崎の鼻先をくすぐる。熱はもうほとんど指先に伝わらず、それでも手を離さずに器を包み込むようにしていた。「今日は、占いは…」尾崎が口を開いたのは、不意にではなく、むしろ慎重に言葉を撰びながらだった。言いたくないわけではなかった。ただ、言葉にすることで何かが変わってしまうような、そんな予感が喉元に引っかかっていた。その言葉の終わりを引き取るように、佐野はいつもの調子で笑った。「見んとこか」それは、柔らかくて軽い、けれど決して突き放さない応えだった。佐野の京言葉の響きには、どこか間を見守る余裕がある。尾崎の言葉の奥にあるものを、無理に手繰り寄せようとはしない。けれど、決して遠ざけるでもない。尾崎はうっすらと息を吐きながら、視線を茶の表面に戻した。器の中の濃い緑が、ほんの少しだけ揺れている。まばたきがひとつ、またひとつ。先ほどまでよりも、わずかに速度が緩やかになっていることに、自分でも気づいていた。その静けさのなかで、ふと、口元がかすかに動いた。微笑みとは言えない、ほんのわずかな弛緩。けれど、それは確かに「ゆるみ」だった。佐野の言葉が、自分に触れなかったことに対して、尾崎はありがたいと思っていた。誰かが踏み込んでくるたびに、傷は思い出される。問いかけられるたびに、応えられない自分を突きつけられる。それを避けるために、ずっと一歩引いて生きてきた。けれど。何も言わず、ただ「そばにいる」ように見守られる感覚は、これまでに知らなかった距離感だった。拒絶でも肯定でもなく、ただそこにいてくれる存在。佐野は、まるで音のしない椅子に座るように、自分の隣に気配だけを残していた。それが、ありがたくもあり、同時に少しだけ、物足りなかった。思わず、尾崎は器を持ち上げて口元に寄せる。ひとくち分だけ、冷めかけた茶を啜る。味がどうだったかは覚えていない。ただ、その動作を通して、気持ちを整えたかった。「…ここ、いつもこんなに静かなんですね」佐野は手元の湯飲みを拭いてい
Terakhir Diperbarui : 2025-06-29 Baca selengkapnya