午後五時過ぎ、雨上がりの空は、まだ湿り気を帯びた曇天の合間に、夕焼けの名残をわずかに滲ませていた。京都支社の会議室前、尾崎は誰もいない廊下の窓辺に立ち、外の石畳が淡く光を返すのをじっと見つめていた。ガラスには彼の指先が静かに触れていた。なぞるように動かしたその跡は、すぐに曇りに消え、また淡く滲む。何かを描くわけでもなく、何かを伝えるでもなく、ただそこに在ることを確かめるように。彼の背後、すぐ近くの応接室では、くぐもった声がぶつかり合っていた。社外のクライアントと思われる声が強く響き、途中から若い社員の声がそれに重なった。声の調子から、言葉の端々から、尾崎にはすぐに状況が見えた。理不尽なクレーム、それに動揺する部下、そして黙って見過ごす選択を迫られる自分。尾崎はその場から一歩も動かず、窓の外に視線を向けたままだった。彼は言葉を発しないまま、心の中で何度も天秤を揺らしていた。あの部下は、まだこの支社に来て半年。慣れない業務と独特の取引慣行に戸惑いながら、それでも誠実に仕事に向き合っている。ミスをしたのなら、指導で正せばいい。ただ、今応接室で飛び交っている言葉は、それでは済まない類のものだった。社内で波風を立てたくないという意識が、尾崎の足を留めた。かつて東京本社で、ある言葉が一瞬にして自分を破壊したように、たった一度の判断が人の評価を変えてしまうことを、彼は嫌というほど知っていた。だが、それでも。このままやり過ごすことが、かつての自分のような後悔を、誰かに背負わせることになるなら。尾崎は眼鏡の奥で目を伏せ、ひとつ息を吐いた。その視線はもう曇っていなかった。迷いという名の靄を抜けて、今そこにあるのは、誰かを守るという選択肢にすでに手をかけている男のまなざしだった。応接室の扉を、静かにノックした。乾いた音が三度響き、ややしてから中から声が返る。尾崎は躊躇わずに扉を開けた。中には、顔を紅潮させた中年の男性と、頭を下げている若手社員。その場に流れる空気は一触即発というよりも、すでに押しつぶされた後の重苦しさがあった。「失礼します。尾崎です」 尾崎は穏やかな声で名乗り、部屋の奥に進んだ。若手社員の目が驚きと
Terakhir Diperbarui : 2025-07-12 Baca selengkapnya