紗夜は、たった一言で文翔の理性を現実へ引き戻した。欲に飲み込まれていた動きが、ぴたりと止まる。つい先ほどの怒気に頭が真っ白になり、彼は危うく忘れるところだった――紗夜は今、妊娠しているのだ。紙のように真っ白な彼女の顔色を見て、文翔は眉をひそめて身を起こす。自分でも気づかぬほどの焦りを滲ませながら問いかけた。「どこが痛い?」紗夜は唇を噛み、下腹を押さえながら、風が吹けば消えそうなほど弱い声で呟いた。「お腹......すごく、痛い......」それがただの不安からくるものなのか、自分でも分からない。だが、胸の奥に嫌な予感が湧き上がる。まさか――子どもに、何かあった?その言葉を聞いた瞬間、文翔の表情はさらに固くなる。彼は紗夜を横にさせ、動くなと軽く制してから、ハンドルを握った。病院に着くや否や、待機していた医師たちが担架を押して駆け寄り、紗夜を迎え入れる。下腹を押さえたまま、紗夜は隣を一歩も離れない文翔を見ていた。顔色は白く、感情の影は微塵もない。理久を身ごもっていた時にも、腹痛はあった。だが、あの時はいつだって一人で病院へ来た。文翔は現れもしなかった。まるで忘れられた存在のように、興味すら持たれなかったのだ。なのに今は、受付から検査室までずっと寄り添っている。医師でさえ思わず感心するほどに。「長沢さん、本当に奥様のことを心配なさっているんですね。お二人、仲がとても良くて――」仲がいい?それは、彼女が聞いたどんな皮肉より鋭かった。紗夜は視線を逸らし、文翔を見ようともしない。文翔は薄く唇を結び、医師へ短く問う。「今の状態は?」「奥様は感情が高ぶっただけで、子どもに問題はありません」それでも彼が聞きたいのは、もっと別のことだった。「身体の方は?」「体調自体は良好です。ただ、無理は禁物です。特に妊娠初期は......性行為は控えてください」紗夜は目を閉じ、頬に熱が灯る。文翔はわずかに間を置き、静かに返した。「分かった」医師が注意点を説明すると、文翔は珍しくスマホを取り出し、真剣にメモを取った。紗夜は横目でその横顔を見て、眉根を寄せる。――偽善者。医師が出て行き、紗夜は病室のベッドにもたれたまま静かに腹に触れた。赤ちゃんは無事
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