菜々の口調はねっとりと甘く、完全に甘えと憧れが入り混じった態度だった。美穂は思わず笑い、指先で菜々の口元を軽くつつく。美羽は微妙な表情で黙り込んだ。――自分はただの挨拶のつもりで声をかけただけで、菜々に美穂の話題を出させるつもりなどなかった。美穂が綺麗かどうかなんて、どうでもいい。だが視線をちらりと向けると、美穂は淡いグレーのセットアップに身を包み、トレンチコートの前を開けて立っていた。山風が裾を撫で、衣の端をふわりと持ち上げる。その姿は、どこか飾り気がなく、自由そのものだった。美羽の瞳の色が、瞬時に沈む。それでもどうしても美穂を褒める言葉は口にできず、口角を無理に引きつらせて話題を飛ばし、菜々の幼い頃のエピソードを拾って話し始めた。美穂はあくまで後から陸川家に入ってきた菜々の義姉だ。幼い頃から一緒に育った自分ほど、菜々のことを知っているはずがない。美羽は菜々との会話に夢中になりつつも、忘れずに美穂の反応を窺った。――結果。美穂は何の反応も示さなかった。それどころか、俯いてスマートフォンを弄り始め、まるで義妹を取られることよりも大事なことが画面の中にあるかのようだった。美羽は、手応えのなさに、喉の奥が詰まるような不快感を覚えた。まもなくレースが始まる。審判がコースのスタート地点でグリーンフラッグを掲げ、エンジン音が地面を震わせた。菜々はいつの間にか赤白のレーシングスーツに着替え、和彦の前に近づくと、ふいに言った。「ねえ和彦兄さんも、走ってみない?」美穂は清霜に返信している最中で、声を聞いて眉尻をわずかに上げ、少し不思議そうにする。美穂の印象では、和彦は常にスーツ姿で、隙のない人物だ。野性味あふれるこのサーキットとは、どこか隔たりがあるように思えた。「そうよ、和彦」美羽も自然に話を継ぎ、未開封のミネラルウォーターを手に持って差し出す。声は水のように澄んで柔らかかった。「昔はあんなにレースが上手だったじゃない。久しぶりに腕を見せてくれない?」美穂はスマホの画面を一度確認して、また消した。胸の内に、かすかな驚きが走る。結婚して三年、彼がレースをするなど、一度も聞いたことがなかった。若い頃の和彦は確かに遊び好きで、だからこそ鳴海が和彦の友人になれたのだ。だが和彦の祖父が病に倒れてから
Read more