実は、瑠々が瑛司に車椅子を押されて病室へ戻り、彼が「ちょっと下に行ってくる」と言ったときから、彼女の胸の奥には不安が広がっていた。彼女は忘れていなかったのだ。階下には、蒼空がいるということを。ベッドのそばまで車椅子を押してもらうと、瑠々は薄い毛布の下で両手を握りしめ、自分の太ももの布地をきゅっと掴みながら、かすかに声を出した。「何か用事?私も一緒に行っていい?私はもう大丈夫。歩けるし、迷惑はかけないようにするから」瑛司は無言で、丁寧に瑠々をベッドに移し、膝の上の毛布を取り、布団を整えた。一連の動作が終わると、低い声で言った。「大したことじゃない。すぐ戻る。君はゆっくり休め」その言葉を聞いた瞬間、彼の優しい仕草に潤んでいた瑠々の目が、わずかに曇った。彼女は無理に笑みを作り、穏やかに答えた。「じゃあ、早く戻ってきてね。待ってるから」瑛司は身をかがめ、布団の端を直しながら低く「ああ」と応えた。その姿勢のまま、外から見ればまるで瑠々を抱きかかえているように見える。彼の体から漂う、冷たくも落ち着いた香りが鼻先をかすめ、瑠々の胸が一瞬ときめいた。彼女はその香りに酔いしれ、思わず彼の腰に腕を回し、このままその懐に沈み込みたくなる。だが、瑛司はすぐに離れ、その香りも空気の中に薄れていった。瑠々は唇を引き結び、目を伏せて感情を押し殺す。彼が部屋を出ていくと、病室には静寂だけが残った。ドアが閉まる音が響いたあと、瑠々はしばらくじっとしていたが、ついに我慢できず、スリッパを履いて窓から外をのぞいた。ほんの十数秒しか経っていなかったのに、彼女の目に映ったのは瑛司の背中だけ。一瞬でもその姿が見えなくなるのが怖くて、瑠々は毛布を持たずにそのままドアを開け、廊下へ飛び出した。水に落ちたのは自作自演だ。確かに体は濡れたが、怪我も病気もない。ただ、瑛司の前ではいつも「儚く弱い女」を演じているだけだ。だからこそ、わざと車椅子を使った。今はその仮面を脱ぎ捨て、足早に彼を追いかける。向かった先は、先ほど蒼空と出会ったあの場所。やっぱり。遠くに見える蒼空の背中を見た瞬間、瑠々は奥歯を噛み締めた。瑛司の目的は、彼女だった。木の陰に身を隠し、そっと顔を出して二人のやりとりを聞く。老婦人が「
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