蒼空はゆっくりと顔を上げた。小百合が険しい顔をしたまま人混みをかき分け、こちらへ歩いてくる。その鋭い視線が、場にいる全員を一人ひとりなぞるように走り、最後に蒼空と礼都の二人で止まった。特に目が留まったのは――蒼空の首筋と礼都の頬。どちらにも、誰が見てもわかるほどはっきりとした赤い痕が残っていた。どういう経緯でついたかなど、考えるまでもない。小百合の顔がさらに硬くなり、低い声で問う。「一体、何があった」蒼空がまだ口を開く前に、礼都がふっと笑った。「この件は、庄崎先生の管轄ではありません」小百合の表情が変わる。礼都の家は名家だ。医師という職業に就いてはいたが、その家系はすでに医薬業界へと進出しており、彼が医者を辞める日には、すぐにでも家業を継げるように整えられていた。彼自身も自社株を持ち、大株主の一人として名を連ねている。その立場を考えれば、小百合どころか、シーサイド・ピアノコンクールの主催者でさえ彼に頭を下げるしかない。蒼空は冷静な眼差しで言った。「庄崎先生、放っておいてください」視線を礼都に向け、静かな声で続ける。「彼が狙っているのは、私です」小百合は眉を深く寄せ、瑠々へと目を向けた。「瑠々、どういうことか説明して」瑠々は答えられなかった。ここで本当のことを話せば、自分が悪者にされるのは目に見えている。だが小百合の眼差しがあまりに鋭く、彼女は思わず視線を逸らす。「それは......」礼都が瑠々の手首をつかみ、自分の後ろに引き寄せた。「彼女は関係ありません」二人とも口を閉ざし、要領を得ない。小百合はこめかみを押さえ、深いため息をついた。「もう夜中よ。みんな部屋に戻りなさい。明日の試合に響くわ」礼都は蒼空に視線を送る。その瞳にはまだ暗い炎が潜んでいた。だが、さすがに主審である小百合の前では無茶はできない。焦ることはない。彼女との決着は、これからだ。礼都は瑠々の手を引いて去っていく。瑠々は振り返りながら慌てて言った。「おやすみなさい、庄崎先生」蒼空は俯いたまま、小百合の脇をすり抜けようとした。その瞬間、小百合が静かに声をかけた。「首......痛まない?」蒼空の心臓がびくりと震える。喉の奥が熱くなり、言
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