All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 461 - Chapter 470

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第461話

蒼空は鼻で笑った。「またそんなこと言うなら、ほんとにうんざりして、もう答えなくなるよ」遥樹は口を開く。声が少し乾いていた。「......蒼空」「なに?」遥樹は視線を落とした。「......お前はあいつのこと、好きだったのか?」この問いは、ここ最近ずっと彼を苦しめてきた。眠れない夜が続き、頭がおかしくなりそうなほど知りたかった。蒼空と瑛司の間に何かあったのか、兄妹以上の関係に発展したのか。蒼空はしばらく黙った。答えない。遥樹は心臓がゆっくり沈んでいくのをはっきり感じた。喉が詰まり、息が苦しい。やがて、蒼空の声が聞こえた。その答えを耳にした瞬間、遥樹は、自分の聴力なんてなければよかったと思った。――聞きたくなかった。でも、質問したのは自分だ。苦しい。でも知りたい。それが本音だった。「そうだよ」遥樹の心臓は、一気に底まで落ちた。口を開こうとしたが、声が喉につかえる。呆然と蒼空を見つめるしかできなかった。ずっと恐れてきた事実が、現実になった。しばらくして、やっと言葉が漏れた。「......そう。じゃあ、お前たちは......」「ないよ」蒼空はきっぱり言う。「私と彼は何もない。付き合ってもないし、進展もない。好きだったのは昔のこと。変な想像しないで」遥樹はまったく安心できなかった。無理やり冗談めかして言う。「ならよかった。あいつに得させるのだけは嫌だし」車内に沈黙が広がる。どういう顔をすればいいのか、どう向き合えばいいのか分からない。蒼空が瑛司を好きだった――松木家で一緒に過ごした数年の間に、自分の知らないことがたくさんあったことを、考えれば考えるほど......嫉妬で頭がおかしくなりそうだ。そんな過去なんてなければよかったとすら思う。でも否定できない。松木家はあの頃、蒼空にたくさんの助けを与えていた。その事実は消せない。だからこそ、余計に苦しい。蒼空はふっと笑う。「なんだよ、その顔。魂抜けたみたい」遥樹の目は深く、うっすらとした悲しみが宿っていた。蒼空は一瞬息を呑む。――どうしてこんな表情を......眉を寄せて訊く。「遥樹、どうしたの?」遥樹は深く息を吸う。次の瞬間、寂し
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第462話

遥樹の危機感は一気に高まり、蒼空のすぐ後ろについて車を降りた。今はまだ夏、灼けつく日差しの下、秘書は太陽の下に立って額も背中も汗で滲んでいる。小声で言う。「松木社長、会議まであと一時間です」瑛司は答えない。秘書は明らかな圧を感じ、給仕と困ったように目を合わせた。瑛司の視線の先を追う。そして目が止まる。蒼空が車を降りている。隣には、容姿の整った若い男。車の前にはスーツ姿の中年男性が立っていて、ボンネットを開け、身を屈めて何かを探している。蒼空と若い男は並んでそちらへ行き、小声で何かを尋ねていた。この若い男は......秘書の額にさらに汗がにじむ。彼はこの男を知っていた。調査資料の中で何度も見た名前だ。時友遥樹。時友家の御曹司。家柄も学歴も申し分なく、十九歳で大学を卒業して以来、ずっと蒼空のそばにいた。丸五年。蒼空が松木家を離れ、摩那ヶ原を離れた五年間、提出した調査資料のすべてに、この男の姿があった。数多くの写真、数多くの出来事――どれも、遥樹が必ずそこにいる。つまり、この五年の間に、瑛司の位置を誰かが埋めたということ。若い男女が五年も一緒に過ごせば、何かが生まれ、情が育つのは当然だ。この五年間で瑛司が蒼空に対してどんな心持ちだったのか、秘書には分からない。ただ、今の様子を見る限り、瑛司が蒼空を気にかけているのは確かだ。そうでなければ、彼に蒼空の五年間を細かく調べさせたりしない。「彼があの時友遥樹か」瑛司が唐突に低く言う。秘書は頷く。「はい」瑛司が意味深に鼻で笑う。秘書の心臓が跳ね、さらに頭を垂れた。少し離れた場所で、蒼空と若い男が並んでボンネットの中を覗き込み、真剣に車の状態を確認している。二人の距離は近く、親密さを感じさせる。近い距離にいられる関係であることが明白だ。瑛司は表情を動かさず、その様子を見据えていた。瞳は静かで、一片の波もない。秘書は腕時計に視線を落とし、再び言う。「松木社長、面会は一時間後です。野原社長の飛行機は二時間後に離陸しますから、この機会を逃すと次は来月になります」瑛司は別のことを言い出す。「何かあったか聞いてくれ」秘書は一拍遅れて理解する。「......わかりました」
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第463話

二人の視線がふとぶつかり、長く見つめ合ったまま、どちらも先に視線をそらさなかった。一方は黒く深い瞳、感情を見せず静かに沈む光。もう一方は薄い青色を帯びた茶色の瞳で、同じく揺るがない静けさ。街に並ぶ、極限まで整った容姿の二人の男。その姿は否応なく多くの視線を引きつけた。蒼空は二人の間に立ち、頭を垂れて運転手の田中が車の前で作業するのを見ていた。彼女は、すぐそばの二人の男の間に火花が飛び散りそうなほどの視線の応酬が起きていることに気付いていない。ただ一人、瑛司の秘書だけがその視線に気付き、息を呑み、息をすることすらためらった。遥樹の軽い笑い声が蒼空の耳に落ちた時、蒼空はちょうど苛立っていた。車は故障、しかもよりによって瑛司が何を思ったのか話しかけてきて、苛立ちは倍増。彼女は不機嫌に言う。「うるさい」熱を帯びた気配が腕に寄り添う。蒼空のまつ毛が揺れる。遥樹がすぐそばに寄り、耳元に顔を近づけ、親密すぎる距離でくすくすと笑いながら囁く。「この人が松木社長?」蒼空は怪訝そうに彼を見る。「そうよ」遥樹はとっくに知っているはずだ。遥樹は気怠げに笑い、薄く笑みを宿した目で言う。「松木社長、自己紹介が遅れました。蒼空の友達の、時友遥樹です」瑛司は短く応じた。「松木瑛司だ」蒼空が故障の原因を探していると、突然横から腕が伸び、彼女の肩に置かれた。遥樹が馴れ馴れしく寄りかかる。「蒼空、それはさすがにないだろ」蒼空は額を押さえる。「今度は何」遥樹は不満げに舌打ちする。「仲いいのはいいけど、ちょっとは俺に面子立てろよ」蒼空は小さく白目を向く。「はいはい。で、私また何をしたの?」瑛司は黙って、肩を寄せ合う二人を見ていた。表情にも視線にも一切の揺らぎはない。まるで彼らを全く知らないかのように。遥樹は笑いながら言った。「この遥樹様が、教えてやるよ」蒼空が言う。「手短にどうぞ」遥樹は彼女の額を指で軽く突く。「お前さ、松木社長と仕事するのに準備もしてない。もうすぐ松木社長と奥様の結婚五周年記念日だろ?ちゃんとプレゼント用意した?」瑛司の目が細くなる。蒼空は一瞬きょとんとし、ちらりと瑛司を見る。そういえば、数日後が瑛司と瑠々の結婚記念日だ
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第464話

「言ったはずだ」瑛司の声は低く、どこか気だるげな確信を帯びていた。「準備する必要はない。数日後、蒼空が松木家へ戻ってくれればそれでいい」遥樹の表情が一瞬止まる。彼は蒼空を見下ろす。「お前、松木家に戻るのか?」蒼空は頷き、落ち着いた目で言う。「後日、結婚記念の贈り物を必ずお届けします。今日はこれで失礼します」遥樹は低く問う。「本当に行くのか?」蒼空は軽く頷くだけで、余計な説明はしない。瑛司はもう一度、遥樹が蒼空の肩に置いた手を見やり、「そうか。手伝おうか?」と言った。蒼空は薄く笑う。「いえ、松木社長はお急ぎでしょうから。これは自分で何とかします」今回は、瑛司は迷いなくその場を離れた。彼が車に乗って去っていくのを見届けてから、蒼空は表情を変えず視線を戻す。「もういいわ、専門の人呼んで。とりあえずレッカー頼んで運んでもらって。ここお願い、私はタクシーで帰る」田中は汗を拭きつつ応じる。「はい、お気をつけて」蒼空は頷き、スマホを取り出してアプリを開こうとする――が、その手からスマホがすっと奪われた。蒼空は腕を下ろし、手のひらを横に出す。「返して」遥樹は画面をロックし、無言でそのスマホを彼女の手に押し戻す。蒼空が受け取った瞬間、今度は手首を掴まれ、別の方向へ引っ張られる。遥樹の歩幅は大きく、力も強い。蒼空は少しよろけ、手首が痛む。「遥樹、なにするの」遥樹は黙ったまま歩き、角に差し掛かったところで、ぐっと力を込めた。一瞬、視界が揺れ――次の瞬間、蒼空は壁に押し付けられていた。思わず目を閉じ、すぐに開く。壁と後頭部の間には、遥樹の手がある。彼は顔を伏せ、綺麗な瞳で蒼空を真っすぐに見据え、唇を固く結ぶ。明らかに機嫌が悪い。尋問めいた近さに、蒼空は不快感を覚えた。「今度は何」蒼空は甘やかさない。遥樹はしゃがれた声で、苛立ちを隠さず言う。「本当に、あの瑛司と松木家に行くのか?」「そうよ。それがどうした」遥樹は唇を引き結び、ほぼ詰め寄るように。「いつ決めた?松木に強制されたのか?行かないとダメなのか?」「あなた、松木家に恨みでも?」遥樹は冷ややかに笑う。「もし松木が無理やり連れてくなら、恨む」蒼空は一瞬間を置
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第465話

遥樹は彼女の後頭部を掴み、顎を無理やり上げさせた。ほとんど睨みつけるように、言葉を吐き出す。「俺は、蒼空のことが心配なんだ」蒼空の心臓が、一瞬だけ落ちたような感覚がした。二人は長く見つめ合い続ける。遥樹は荒く息をし、蒼空は唇を結んだまま、沈黙を選ぶ。静けさが二人を包む。遥樹は蒼空の髪を軽く引いた。「何か返事しろよ」蒼空が眉を寄せると、遥樹は即座に手を離し、そっと頭を撫でた。蒼空の胸の内は複雑で、様々な感情が交錯し、形にならない。鈍い自分でも、いまになってようやく、蓋が開きかけている感情に気づく。彼女は口を開く。声は乾いてひび割れていた。「......黒白ウサギの著作権を取るには、一度松木家に戻らなきゃいけない」遥樹はすぐに冷笑を漏らす。「やっぱりな。じゃあなんでさっき庇った?まだ松木のこと忘れられない?」「何言ってるの」蒼空は眉をひそめる。――忘れられない?ありえない。遥樹の声が急に低くなる。「違うか?じゃあさっき聞いた時、なんで答えなかった。俺があいつを悪く言うのが怖かった?お前の大事な心の中を突かれるのが怖かった?」その瞬間、蒼空は遥樹を強く突き放した。「話すことなんてない。これは私の選択。結果は全部自分で背負うから」遥樹は俯き、低く笑う。「話すことなんてない、か」顔を上げたとき、彼の表情はこれまで見たこともないほど暗かった。「蒼空、お前に心ってもんはあるのか?」その言葉に、なぜか蒼空の心先がびくりと震え、喉も唇も乾き、胸のどこかが罪悪感で疼いた。遥樹はまだ彼女を見ている。蒼空は、何か言わなければと思った。「隠すつもりはなかった。五年前、松木家と確かに揉めて、私は首都に逃げた。でも、五年経った。逃げても終わらない。松木家だけじゃない。ほかにも、清算しないといけない相手がいる。今じゃなくても、いつか戻る日が来る。それだけのことだよ。嘘をついたわけじゃない。瑛司が言わなくても、私はいずれ戻る。それは私の選択だから」一気に言い切り、蒼空は遥樹の揺らぐ表情を見る。「言ってる意味、分かる?」遥樹の表情は目に見えて柔らいだ。だが、どこか気まずげだ。蒼空は続ける。「遥樹なら分かってくれると思った」その言葉に、遥樹の目が
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第466話

蒼空はきっぱりと断った。たぶん今日が遥樹にとって瑛司と初めて顔を合わせた日だったのだろう。けれどたった一度の対面で、遥樹はほとんど発狂寸前みたいに、妙に棘のある言い方ばかりして、何にそんなに腹を立てているのか分からなかった。本当に遥樹を連れて行ったら、松木家の天井まで吹っ飛ばされかねない。「なんで連れて行かないの?一ヶ月間あんたのところで働くんでしょ?そのまま連れて行けばいいじゃん、何かあったら手伝わせればいいし」小春が不思議そうに言う。蒼空は舌打ちするように小さく音を立てた。「小春は知らないでしょ、遥樹、瑛司を見るとすぐにおかしくなるんだよ。変なことばっか言うし、何してんだかこっちが分からない」「変なこと?」小春はしばらく考え、それから目がきらりと光った。蒼空はスマホで仕事のメッセージを返信しながら、曖昧に答えた。「なんかさ、瑛司と久米川の結婚記念日がもうすぐだーとか強調してきて、私にプレゼント準備しろとか言って、めちゃくちゃ嫌味っぽくて。どう見ても瑛司に恨みある感じ」小春は遥樹の心中が手に取るように分かった。思わず笑いを堪えながら言う。「そりゃ恨みあるでしょ」蒼空は顔を上げ、少し驚いた。「何か知ってるの?」小春は悪い笑みを浮かべて反問した。「逆に聞くけど、蒼空は知らないの?」蒼空は更に困惑。「知らないよ、二人に何の因縁があるの?」小春は堪えきれず爆笑した。蒼空は眉を寄せ、ますます訳が分からない。「ちょっとなに?面白いとこあった?」小春はなんとか笑いを抑え、蒼空の肩をぽんと叩いた。「何でもない、遥樹に聞きな。私が言ったら殴られるから」「二人して何の悪だくみ?」蒼空は疑いの目を向ける。小春は鼻を鳴らす。「ま、とにかくね、私は遥樹を連れて行くのをオススメする」蒼空は少し考えた。「そうすべき理由を聞かせて」小春は顎に手を当てた。「久米川と瑛司がラブラブしてるときに、遥樹の方が明らかに若くてイケてる顔で、あいつらに勝てるから」蒼空「?」小春はぱちっとウインク。「どう?説得力あるでしょ、関水社長?」蒼空は無表情。「却下」小春は「えー!」と悲鳴を上げた。――とはいえ蒼空は「却下」したはずなのに、空港へ向かう当日、なぜか
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第467話

蒼空のスーツケースは遥樹が持っていて、彼女は両手を空にしたまま、淡々と言った。「私、まだ用事があるので、松木社長にお伝えください。今夜松木社長と奥様の結婚記念パーティーに出席します。その時に、贈り物をお渡しします」秘書は困ったように眉を寄せた。「松木社長から、本日必ずお連れするようにと......松木社長のお考えでは、数日は松木家に滞在していただきたいとのことで、お部屋も整えてあります。その......」蒼空が口を開くより早く、横から遥樹が顔を寄せ、空いた片手で彼女の肩を抱きながら笑った。「仕方ないよね。こっちも大事な用事があるんで。松木社長なら器が大きいし、気にしないでしょう」秘書は言葉に詰まった。「そ、それは......」遥樹は蒼空の肩を抱く力を少し強め、軽く促すように言った。「ボーとしないで、行くよ」蒼空が小さく頷くと、遥樹に肩を抱かれたまま、二人は空港の外へ向かった。出口の前、黒いベントレーの窓がゆっくりと下がる。細長い黒い瞳が冷静に、そして静かに、最も目を引く男女の背中を見つめていた。鋭く整った横顔は、車内の薄暗さに沈み込んでいる。空港の反対側から秘書が戻り、報告した。「松木社長、関水社長は用事があるので、今夜いらっしゃると......」瑛司の声は冷ややかに短い。「分かった」秘書は息をそっと吐き、運転席に腰を下ろす。バックミラー越しにそっと瑛司の表情を伺った。――よかった、怒ってはないように見える。しかし、窓は開いたまま。瑛司は、遠ざかっていく男女をずっと見ていた。――わざわざ迎えに来たのに、彼女は断った。本当に信じられない。秘書は額の汗をそっと拭い、小声で尋ねる。「では出発しますか?」遠くの車に二人が乗り込むのが見える。瑛司は目を伏せ、視線を戻した。「行こう」しばらく走ると、瑛司はふとスマホを見て、淡々と言った。「先に佑人を迎えに行く」「遊園地ですか?」と秘書。瑛司は画面を閉じる。「モールだ」「承知しました」秘書はハンドルを切り、方向を変えた。車が停まる前から、瑛司は入口で待つ瑠々の姿を見つけた。車が止まると、自ら降り、彼女の方へ歩み寄る。わずかに険が取れ、声も柔らいでいた。「佑人は?」瑠々は
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第468話

佑人は瑠々が五年前に産んだ子だ。時間を計算すると、ちょうど五歳になったばかりで、まさに活力溢れるの年頃。それに、生まれてからずっと敬一郎に目の中の宝のように扱われ、欲しいものは何でも与えられ、まさに風を呼び雨を動かす勢い。好き放題できる、威張り盛りの時期だ。佑人が生まれてから、瑛司の重心は明らかに変わった。以前の瑛司は典型的な仕事人間で、一日中会社にいて、家に帰らないことも多かった。だが佑人が生まれてからは、家庭と子供により多くの時間を割き、前よりもずっと忍耐強く、佑人のお願いにはほぼ何でも応えた。ただ、教育の要所ではきちんと厳しくする。瑛司と比べると、敬一郎と瑠々のほうがより甘やかしていた。その差もあって、佑人はむしろ瑛司の言うことをよく聞く。というより、瑛司を怒らせるのが怖かった。そう考えると、瑠々はこっそり笑いながら言った。「佑人さっき、絶対パパに居場所を言っちゃダメって私に言ってたのよ。あとであなたを見たら、きっと腰を抜かすわ」「沈着さがまだまだ足りない」瑛司は淡々と評価する。「何言ってるの。佑人はまだ五歳の子どもだよ。そんな年でどうやって沈着になんてなるの?誰も瑛司みたいに、子供の頃から黙ってて、騒ぎもしないわけじゃないんだから」瑠々は少し不服そうに、指で彼の腕をつついた。瑛司はそれ以上言わなかった。話しながら二人は子供用の遊び場に着き、一番高く跳ねている小さな男の子がすぐに目に入った。小さなスーツは遊び倒してくしゃくしゃ。ショッピングモールの冷房が効いていても、額には大粒の汗、前髪にぺったり張り付いている。首に掛けていたはずの汗拭きタオルは、いつの間にかどこかへ飛んでいったらしい。瑛司は眉をひそめ、入口のスタッフに何か指示する。少しして、怯えた男の子が手を引かれて連れ出されてきた。整った顔立ちの可愛い男の子だったが、その表情はあまりに緊張していた。佑人は父親の顔色をうかがい、見るなり口をすぼめ、スタッフの後ろに隠れる。「パパ来ないって言ったのに!ママの嘘つき!」瑛司の顔色が沈む。「その態度は何だ」佑人の目にあっという間に涙が溜まる。瑠々はティッシュを持って近づき、スタッフの後ろから佑人を引っ張り出し、額の汗を拭いた。「佑人、遊ぶのは
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第469話

瑠々は笑いながら彼の手を取り、スタッフから佑人の上着を受け取った。「じゃあ行きましょ。おじいちゃんと一緒にご飯よ」佑人は素直に頷き、この時ばかりは甘え方を心得ていて、幼い声で「うん」と言った。ショッピングモールは松木家からそれほど遠くない。だが車が走り出して間もなく、佑人は瑠々の腕に寄りかかり眠ってしまった。眠っている時の佑人はとてもおとなしく、泣きも騒ぎもしない。小さく可愛い顔立ちで、瑠々は見ているだけで頬が緩み、そっと背中をトントンと撫でた。けれど、次第に瑠々の口元の笑みは消えていく。小さく声を落とし、「瑛司、あの人を迎えに行ったんでしょう?」瑛司は眠る息子に一瞥を送り、冷淡に答えた。「いや。用事があるらしい」瑠々は喜べず、胸の奥が重く沈む。「前から聞きたかったの。どうして彼女に戻ってきてほしいの?」瑛司の視線が瑠々の顔に移る。瑠々はこの五年間ずっと松木家で暮らし、飲食から衣服まで全て整えられ、時の流れに侵されるどころか、さらに可憐さを増していた。皺も苦労の影もない。この五年、完全に城の中の無垢な姫だった。騎士である瑛司が全てを処理し、彼女はピアノの練習時間と、いつ佑人にご飯を食べさせ、寝かせるかだけ考えていればよかった。瑛司は自分が彼女に欠けたものがないと理解しており、隠すつもりもなかった。「彼女は『黒白ウサギ』のゲーム著作権を買いたいと」瑠々は少し驚き、目を瞬いた。「黒白ウサギ?」「ああ」瑠々は唇を引き上げ、優しい声で言う。「『黒白ウサギ』のゲーム著作権は私のために買ったんじゃなかったの?それに会社で作ってるゲームももうすぐリリースでしょ?どうして彼女に売るの......?」笑みは少し引きつっていた。――あれは自分と佑人だけのものだって言ってくれたのに。瑛司は静かに彼女を見つめた。「売るつもりはない」瑠々の目がかすかに輝き、胸のつかえがひとつ抜ける。「そう......そうなのね。蒼空はそのことを知っているの?それじゃかわいそうだよ、蒼空は......」「そうだな」瑛司はあっさり認めた。瑠々はこそばゆそうに笑う。「最近の瑛司、どんどん意地悪になってるよね」瑛司は顎を少し上げた。「着いた。降りるぞ」――「用事って、何
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第470話

蒼空は言葉を失った。遥樹は理屈は通らなくても気だけは強く、ホテルの部屋のドアをがっちり塞ぎ、まるで「俺を連れて行かないなら、お前も行かせない」という構えだ。蒼空は動じず、鋭い視線で遥樹に圧をかける。遥樹の顔はどんどん不機嫌になり、ついに最後の手段を繰り出した。「ちょっと考えてみろよ。部屋は二つ取ったのに、ホテルに入ってからずっと蒼空の荷物まとめてたの誰?俺だよな?で、入ってすぐベッドでスマホいじってたの誰?蒼空だよな?こんな扱いひどいだろ、俺、超傷ついてるんだけど......」遥樹にまくし立てられ、蒼空の揺るぎない眼差しにも、少しばかり居心地の悪さが滲んだ。遥樹は「飴と鞭」のタイミングを心得ている。声を柔らかく落とした。「それにさ、俺ってそんなに見せたくない存在?ね、蒼空。連れてってよ」結果、遥樹は満足げに蒼空について行き、昔の友人とやらに会うことになった。ふたりは店員に案内されてレストランに入り、遥樹が彼女の耳元で低く聞く。「どんな友達?男?女?」彼は警戒していた。瑛司に対してだけじゃない。蒼空の周りの「全てのオス」に対してだ。内心では、蒼空が会うのが昔の恋人や元カレじゃないことを祈っていた。もしそうなら、派手に騒ぐつもりだった。質問しながら、遥樹は店のガラスに映る自分をじっくり確認する。――うん、今日も完璧。眉のラインを綺麗に見せる中分けのショート、上質な仕立てのダークグレーのスーツに深紅のネクタイ。どこを取っても非の打ち所なし。これなら敵は一撃で沈むな。遥樹は満足し、胸を張って蒼空の隣を歩く。蒼空は店内を見渡しながら言う。「女の人、私の先生。あとでちゃんと大人しくしなさい。変なこと言わないで」そう言った瞬間、視線が前方で止まり、店員に声をかける。「見えました。案内ありがとうございます」店員は頭を下げて去っていく。「先生か」遥樹はさらに顎を上げ、口元に自信を浮かべた。「じゃあなおさら、俺がちゃんと良い印象残さないと」蒼空は疑私げな目で彼を見る。「何を『良い印象』よ。余計なこと言わなきゃいいの」「大丈夫、ちゃんと空気読むから」蒼空は口を尖らせる。――その「空気」が自分の思ってる空気と同じならいいけど。そう思いながら歩み寄り、声
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