All Chapters of Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜: Chapter 51 - Chapter 59

59 Chapters

Nox.XIV『蒼月の女神からの招待』II

最初に感じさせられた冷然とした響きではない。 むしろ、わずかながらの親しみを感じさせる調子の言葉で、まるで友人に秘密を打ち明けるように少女は自らの正体を明かした。 それは、ここに来てからずっと予想していたものでもあったために、特別驚くほどのものではなかった。 だが、想像する限り、最も厄介な相手にどうやら自分は捕まってしまったらしい。 〝|蒼月の女神《ヴェスペリア》〟――|天界《カエルム》・|現世《サエクルム》・|冥界《オルクス》、本来分離されている三つの世界を繋げる存在。 ヴィオレタを自身の好奇心のために寿命という枷から解き放った元凶。 目の前の少女によって、どれだけヴィオレタが苦しむ羽目になったことか。 そもそも、この少女が三つの世界を繋げたりしなければ、このような人類の存亡をかけた争いも起こってはいないのだ。 それを思えば、怒りも湧いてくる。 だが、自分でも不思議なことにレイフは目の前の少女を憎みきることもできなかった。 少女の瞳に微かに浮かぶ〝寂寥感〟――それはおそらく本人さえも気がついていない感情。 自分がここに呼び出されてからというもの、少女はこれも自覚があるのかは定かではないが、心から自分とのやりとりを愉しんでいるように思えた。 そして、その姿はどうしても――〝彼〟を彷彿とさせる。 「私に聞きたいことが、たくさんあるでしょう。構いませんよ、今は不思議と気分が良いですから。時間もたっぷりとあります」 「生憎と、俺には時間がない。俺からの頼みは、ひとつだけだ。俺をもとの世界に戻してくれ。ぶっ飛ばさなきゃいけねぇヤツが居るんでな」 一瞬、少女は意表を突かれたように息を呑む。 だが、すぐに相好を崩し、ケーキを一口頬張った。 「ふふ、私にあなたを生き返らせてあげることができると確信しているような言い方ですね」 「そうじゃなきゃ、ここに呼びつけねぇだろ。なにが望みだ?」 「望みですか。むしろ、あなたが私に何をできるというのですか? 無力なひとりの死神に過ぎないあなた風情が――」 その声音は意図的か、突き放すように冷然とした響きがあった。 だが、その一方で口元に浮かぶ少女におよそ似つかわしくない蠱惑的な微笑みには、この駆け引きに愉悦を感じる抑えきれない狂気が滲んでいる。 それは暗に、つ
last updateLast Updated : 2025-09-21
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Nox.XV『かくして再び両雄は天を踊る』I

◆◇◆◇ まるで母の胎内に居るように、ゆらゆらとレイフの身体は水のなかを漂っていた。 そこは、朝陽が射し込んだ深海のような紺碧の世界――。 |蒼月の女神《ヴェスペリア》の塔に居たときには感じなかった腹部の痛みを、わずかに感じる。 だが、それも徐々に消えてゆき、最後にはもともと傷などなかったように身体が軽くなる。 この心地よさに身を委ねて、永遠に彷徨っていたくなる欲求を跳ね除け、レイフは真紅の双眸を開いた――。◆◇◆◇ ぽたりぽたりと、温かな雫が、レイフの頬を叩く。 かと思えば、か細い糸のようなものが額や頬を撫でる。 ひんやりと心地よく、同時にそれは少し、ぞくぞくとした。 何かに支えられているらしき頭部には、わずかな柔らかさを感じる。 瞳を覆っていた陽光のカーテンを振り払い、|微睡《まどろ》みのなかから覚醒したレイフの視線の先には、上から見下ろす|灰簾石《タンザナイト》の瞳があった。 彼女――ヴィオレタは口元を引き結び、その瞼は、少しだけ赤く腫れていた。  ――あぁ、これはまたジャックの野郎に怒られるな。 どうやら、ヴィオレタに自分は膝枕をしてもらっていたらしい。  ――心配したかって聞くのは流石に野暮だろうな。 「悪い、遅れた」「遅過ぎよ……」 身体を起こしたレイフは、首を回したり、手足をバタバタとさせながら、どこかに異常がないかを探る。「クロヴィスに刺されて落下してゆく貴方の身体が、瑠璃色の光に包まれていって消えたと思ったら、こうして無傷で戻ってきた。一体、どうなってるわけ?」「あぁ、なんつぅーか、新しいダチが助けてくれたみたいだ」「はっ?」 ふざけていると思われたのか、ヴィオレタは露骨に怪訝な視線を向けてくる。「あとでちゃんと説明するよ。今は、|あいつ《クロヴィス》を待たせているしな。ヴィオレタ先生は、いつもみたいにただ〝勝ってこい〟って尊大に命じてくれないか。その方が、俺も気合が入るんだ」 そう語ると、レイフはその場にまるで主君を護る騎士かのように跪いた。「とても引っかかる部分はあるのだけれど……そうまで言うのならいいわ」 ヴィオレタは腕を組むと、おそらくは生来のものであろう傲慢さを、冷艶な美貌に宿し、歴史上のどのような暴君さえも平伏すほどの尊大さを声音に滲ませ、その|命令《オーダー》を口にした。「
last updateLast Updated : 2025-09-22
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Nox.XV『かくして再び両雄は天を踊る』II

「あんたは……メガネ先輩?」「誰がメガネ先輩だ!! 君のそのネーミングセンスは、何とかした方が良いぞ、全く……」 再び、ズレ落ちた眼鏡を直すエマニュエルの背後を、|紫色《ししょく》の閃光が駆け抜けてゆく。  その閃光は狙い違わず、竜の頭部へと飛来した。 『むっ? ぐっ――!?』 爆撃が白竜の頭部を揺らす。 白竜の頭上に立っていたクロヴィスは目を見開き、背後へと跳躍した。 レイフが背後を振り返れば、紫色の魔法陣を足元に展開したソーニャが上空より、|狙撃銃《スナイパーライフル》を構えていた。  一撃目の光球も彼女の狙撃が防いでくれたのだろう。「あなたはクロヴィスをお願いします。あの竜は……私達が倒します!!」 気丈にそう告げるソーニャの身体は震えていた。 呼吸を荒げ、血が出そうなほどに唇を噛み締める。 それでも発せられた彼女の言葉には、そのひとつひとつに確かな想いが込められていた。 エマニュエルとソーニャ――二人の表情は覚悟を決めたもののそれだった。 ――頼もしいな。 〝力〟とは腕っぷしや知識、権力だけのことを指すのではないと思う。 人と人が繋いできた繋がり――それも同じように強さなんだ。 今の自分には、これだけ力を貸してくれる仲間が居る。 だったら、負ける理由などあるはずもない。 「メガネ先輩、ソーニャ先輩、頼んだ。柄じゃねぇかもだけどよ、こんなに頼もしい最高の仲間が居ることを、俺は誇りに思う」「えぇ、任せてください!!」「私だけ、その呼び方なのは納得いかないが任せておけ」――『ほう、主らが余の相手を務めると……。くくっ、いいだろう、一瞬で死んでくれるなよ――!!!!』 天を割らんばかりの雄叫びが響き渡り、竜の双翼が激しく羽ばたいた。  それだけで身体を粉々にされそうなほどの突風が、レイフたちを打ちつける。 レイフとエマニュエルは両手を身体の前で|交差《クロス》させ、突風から身を守り、ソーニャは歯を食いしばりながら、手から落とさぬようにと|狙撃銃《スナイパーライフル》を胸に抱えている。「我々だけではないさ……」 エマニュエルの口角が、わずかに上がる――。  次の瞬間――雲を突き破り、蒼穹に〝それ〟は現れた。『むっ――!?』 背後に現れた存在に白竜が反応した時は既に遅い。 漆黒の巨大な尾が白竜の
last updateLast Updated : 2025-09-23
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Nox. XVI『物語の結末』I

「あぁ、俺にもあんたにも譲れないものがある。だからここで決着だ――!!」 レイフは腰を落とし、鎖鎌の柄を右上段に構える。 クロヴィスの六枚の翼が開き、空に白金色の光が粒子となりて舞う。 古き友に向けるかのような親しみさえも感じさせる微笑みを口元に浮かべ、クロヴィスは離魂剣をレイフへと向けた。 刹那の沈黙の|後《のち》、最初に動いたのはレイフだった――。 漆黒の翼をはためかせ、高度をさらに高く上げてゆき、雲を突き破り、レイフはクロヴィスの上を取る。 クロヴィスは右手に握った剣を下ろし、ただ、静かにレイフを見つめていた。 一呼吸の|後《のち》、レイフは大鎌を上空へと投擲した。 鎖を振り回せば、鋭利な風鳴り音が空に響き渡った。 その|速度《スピード》は次第に加速してゆき、刃のように鋭い風が渦を発生させる。 次の瞬間、勢いをつけた大鎌は上空より弾丸の如き勢いでクロヴィスへと振り下ろされた。「はあぁぁぁ――!!!!」「僕達の最後の|舞踏《サルターティオー》と行こうか――」  振り下ろされた大鎌は、瑠璃の光を纏わせてゆき、それはクロヴィスの頭上に到達するころには、その身体を易々と呑み込むほどに巨大なものとなっていた。――『|断罪の三日月《ルーナス・クレシエンテ》』!! 頭上を見上げるクロヴィスの菫色の双眸が見開かれる。 その|表情《かお》に、以前の余裕さえも感じさせる微笑は既に存在しない。「っ――!?」 間一髪――左へと身体をずらすことで、クロヴィスは斬撃を回避する。 ぽたりと、紅い雫がクロヴィスの頬を伝い、地上へと落ちてゆく。 だが、その次の瞬間、レイフの背筋を冷たいものが駆け抜けた。 クロヴィスの菫色の双眸が爛々と輝き、その表情に歓喜の笑みが浮かんでいたからだ。 彼は、そのほっそりとした指で、自身の頬から血をすくうと、ぺろりと口に含んだ。 まるで上等な|葡萄酒《ワイン》を舌で転がすように。「ふふふっ……あははっ――!!!!」「あんた、マジでイカれてんぜ」「だって仕方ないじゃないか。本当はもっと手間をかけて、じっくりと愛情を注いで君という花を育てたかった。君の命を摘み取ったとき、僕がどれだけ絶望したか君にはわからないだろ?」「わかりたくもねぇな」 「ふふ、残念だな。そうやって〝棘〟があるところも好みなのだけれど。でも
last updateLast Updated : 2025-09-24
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Nox. XVI『物語の結末』II

「くっ……」「むかーし、むかーし、まだすべてが闇の中にあった時代のことです。僕たちが生きるこの|宇宙《ウニウェルスム》。それはひとつの小さな|焔《ほのお》――〝|太陽《ソル》〟の誕生とともに始まった」  激しさを増す|鍔《つば》迫り合いの中で、クロヴィスは我が子に寝物語を語る母のように穏やかな声音で、レイフの耳元で囁く。 レイフは大鎌を握る手に力を込め、|剣《つるぎ》を弾くと、蹴りで距離を取って強引に鍔迫り合いを終わらせる。 そのとき、左眼の視界が新たなクロヴィスの分身の姿を捉えた。「太陽の化身である女神――〝オルテンシア〟は、この宇宙を管理し、秩序を維持するための|歯車《システム》としての役割を担っていた。僕たちのこの宇宙は、あくまでもひとつの生命の可能性であり、その外には夢幻の可能性が広がっている。その並行する世界は、あるひとつの場所に繋がっているとも」 瞬く間に接近したクロヴィスは、レイフの懐へと|剣《つるぎ》を突き込もうとする。 一瞬、後の光景を想像して、レイフの背を氷柱で刺されたように、冷たいものが駆け抜けていった。 だが、レイフは即座にその妄想を思考から振り払う。 これも彼女のおかげだろう。 「ナメんじゃねぇ――!!」 レイフは右手に構えていた大鎌を上空から左側へと回転させてゆき、|絡《から》め取るようにクロヴィスの剣を受け止め、その勢いで上空へと弾いた。 間髪を入れずに右腕を捻り、死神の力で強化された|膂力《りょりょく》で大鎌を上空へと投げる。「っ――!?」  同時にレイフの身体は前方へと動き出す。 「はあぁぁっ――!!!!」「くっ――!?」  一瞬のうちに間合いを詰めたレイフの左足が、クロヴィスの側頭部へと炸裂する。 意識を刈り取られたクロヴィスの身体は、静かに地上へと落下したいった。 だが、次の瞬間には先ほど鍔迫り合いを演じたクロヴィスが剣を構えてレイフへと迫っていた。「オルテンシアは、あくまで世界を維持するための自我なき|歯車《システム》に過ぎない。彼女が自らの〝骨〟から産み落とした女神たちもそうだ。でも、そんな完全無欠のはずだった歯車に、たったひとつの〝|欠陥《エラー》〟が生じた。この宇宙の創造主である太陽の化身――そのさらに上位に位置するであろう存在さえも、予期しなかったであろう致命的な|欠
last updateLast Updated : 2025-09-25
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Nox. XVI『物語の結末』III

 レイフとクロヴィスは、互いの得物を手に構えて、一定の距離を取りながら向かい合う。 ひりひりとした突き刺すような空気に、レイフの額を冷たいものが伝ってゆく。 ぽちゃり。 額から透明な雫が一滴、地上へと溢れ落ちる。 聞こえるはずのない、湖面に波紋が広がるような音が、鼓膜を揺らした。 レイフとクロヴィスは同時に、互いの武器を振るう。――『|断罪の三日月《ルーナス・クレシエンテ》』!! 「「はあぁぁぁっ――!!!!」」 レイフが勢いよく鎖を振るえば、極大の瑠璃色の光を纏う大鎌が周囲の風さえも巻き込みながら、クロヴィス達へと放たれてゆく。 それを迎え撃つように、二人のクロヴィスが振り抜いた|剣《つるぎ》からは、白銀の斬撃波が放たれた。 瑠璃色の大鎌と白銀の斬撃――それは宙で激突し、双方の使い手を吹き飛ばしかねないほどの衝撃波を発生させる。 レイフの表情が歪み、相対するクロヴィスは愉悦を感じさせる微笑みを浮かべる。「感情という致命的な|欠陥《エラー》を抱えてしまった|女神《オルテンシア》は、必然とそれを排除しようとした。最も、効率の良い方法は……それを自身から切り離してしまうことだった。彼女は自身の骨から新たな分身となる女神を創造した。そして自身の欠陥をそれへと移したのさ」  一人のクロヴィスが、女神の|物語《ファーブラ》を紡ぐ間にも、レイフは動き出していた。 かつて、担当教員から「人の話は最後まで聞くように」と注意されたこともあるが、そのようなことを気にする相手でもないだろう。 物語の進行に関係なく、レイフとクロヴィスは踊り続けるだけだ。 夜の始まりを想起させる瑠璃色の光を身に纏い、漆黒の翼をはためかせるレイフの身体は加速してゆく。 瞬く間に物語の語り手となっていたクロヴィスの背へと、レイフは移動した。 風の中で白銀の髪が踊り、敵の命を刈り取らんと大鎌が振るわれる。「甘いね――」 鈴の|音《ね》のような声音が響き、両者の間に割って入ったもう一人のクロヴィスの剣が、レイフの大鎌を受け止めていた。 「俺は甘党なもんでな……」「いや、そんな言ってやったぜ、みたいな顔されてもなぁ〜」 優美な挙動でレイフと鍔迫り合いを演じるクロヴィスが、呆れた様子を見せる。 すると左眼の視界の端が、白金色の閃光を捉える。 それは、こちらを目掛
last updateLast Updated : 2025-09-26
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Nox. XVI『物語の結末』Ⅳ

レイフは鎖を振り抜き、いくつもの斬撃を落とすも、そのすべてを迎撃することはできなかった。 「があぁぁっ!!!!」 避け切ることのできなかった斬撃が、レイフの肩や足に無数の傷を残してゆく。 一瞬、苦痛に意識が飛びかける。 だが、ここで止まるわけにはいかない。 今、ここに立っているのは自分だけの力ではないのだ。 ――道を繋いでくれたヤツらのためにも、俺はこんなところで引けねぇんだよ! 「うおぉぉっ――!!!!」 大鎌に再び、極大の瑠璃の光を纏わせ、レイフはクロヴィスへと投擲する。 一瞬、二人の視線が重なり、レイフはクロヴィスの瞳に先ほどのものと同様の諦観に似た感情を見た気がした。 クロヴィスへと到達する寸前――大鎌は、その刃から光を失った。 それに伴い、勢いも半減した大鎌をクロヴィスは易々と弾き飛ばす。 「っ……!!」 「ふふふ、どうしたんだい、レイフ? そんな殺意が乗ってない刃で僕を斬れるとでも思う? もしかして、僕の境遇を聞いて同情でもしちゃったのかな?」 揶揄うような口調と対照的な自嘲するような微笑み。 その奥に潜めた感情は、自分自身でも気がついていないものなのか、はたまた自ら封じ込めて押し殺したものなのか。 自分にとって、目前に立つ相手――クロヴィス・リュシアン・オートクレールというのは、どのような存在なのだろうか。 彼は蒼月の女神の悪意と狂気から生まれた存在だ。 恩師であり、今は愛する女性でもあるヴィオレタの人生を彼は狂わせた。 |否《いや》、ヴィオレタだけではないだろう。 多くの人々が、彼のせいで命を落とした。 今も、自分が彼を倒すことができなければ、かけがえのない友人や姉、大切な人々が明日を迎えることができないのだ。 だが――。 確かに自分は今、クロヴィスに対して情と呼べる感情を抱いていた。 瞳を閉じれば、この数日間――クロヴィスとともに過ごした時間が甦る。 そして、戦いの|最中《さなか》で幾度となく刃を交えた。 その中で、思い込みかもしれないが、ほんのわずかに彼の心に触れることができた。 自らを狂った欠陥品であると評し、その狂気を隠そうともしない。 常に飄々と振る舞い、その心の奥底は見せない。 そんな彼を理解しているなどということを言うつもり
last updateLast Updated : 2025-09-28
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Nox. XVI『物語の結末』V

「君の身体にこうして剣を突き立てるのは、三度目になるかな」 まるですべての音が止まったかのように――ただ、静かな時間が流れる。 レイフの胸へと剣を突き刺そうとした、クロヴィスの表情にわずかな戸惑いの色が浮かんだ。 レイフの真紅の双眸が大きく見開かれる。 その瞳は、欠片も闘争心を失っていない。 伸ばした右手が、大鎌の鎖を掴む――。 次の瞬間、漆黒の鎖がクロヴィスの手に蛇のように巻きついた。 「なっ――!?」 瞬く間に柄が、レイフの手へと戻る。 「だったら……これで、やっとお前に借りを返せるな」 振り返りざまの勢いのままに、大鎌はクロヴィスの腹部から肩にかけてを斬り裂いた。 「っ――」 まるで熟成された|葡萄酒《ワイン》のように、どこまでも澄んだ血液がレイフの身体にこびりつく。 「ふふふ……」 自身の身体から溢れるそれを手ですくうクロヴィスの表情は、どこか安堵するように穏やかだった。 「お前……」 「ありがとう、レイフ。これで良いんだ。……君の手をとるのは、今からでも遅くはないかな?」 「あぁ、もちろんだ……」 再び差し出されたレイフの右手――それを今度こそ、クロヴィスは取った。 |曹柱石《マリアライト》を想起させる双眸が見つめるのは、レイフと――その背に広がる空だ。 「なんで君に負けたのか、それが今ならわかる気がするよ。レイフ、君のゆく道には数多の光が輝いているのだね」 〝「笑って、私の世界一素敵な弟。大丈夫、あなたはすごく強くて優しい人よ。あなたが選んだ道ならば、どんな闇夜でもきっと、数多の星々の光が照らしてゆくはずだから」〟 脳裏に甦るのは、昨夜の|記憶《メモリア》――。 星々の光のもとで姉が、くれた|宝物《ことば》。 昔は、姉の存在しかなかった。 どんな時も、自分にとっては唯一の|北極星《道しるべ》のような存在。 だが、今は無数の星々が、自分が歩むことができる幾多の道を照らし出してくれている。 「だったら、お前もこれからはそのうちの一つになりやがれ」 「あははっ! それは|好《い》いね。本当に……」 ぐったりと、クロヴィスの手からは力が抜けてゆき、瞳からも精気が抜け落ちてゆく。 その身体が落下せぬようにと、レイフはクロヴィスの背に手を回して支え
last updateLast Updated : 2025-09-29
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Aurora-epilogue-《夜明け》

◆◇◆◇ 冷たく、細い、なにか糸のようなものが頬を撫でる。 柑橘系の凜とした香りが、鼻腔を刺激する。 その香りは、ゆっくりと深みのある甘いものへと変化してゆく。 美酒に溺れるかのような、心地良い微睡みのなかにレイフは居た。 陽光の一切、射さない闇夜にあっても、自然と起きる時間が来たのだと告げるように、身体に血がめぐってゆくのを感じる。 まぶたが開き、真紅の双眸があらわになった。  視線を少し上げれば、そこには夜の光を凝縮したような双眸があり、レイフは思わず息を呑む――。  先を見通すことのかなわない、幽玄な煌めきは|灰簾石《タンザナイト》のそれを想起させる。 黒い革張りの|寝台《ベッド》の上――互いの息が感じられ、香りが混じり合い、唇さえもが重なり合いそうな距離で、レイフはヴィオレタと見つめ合っていた。 レイフの格好は、普段から部屋着としてもよく着る黒いシャツをボタンをはずして羽織り、ヴィオレタはといえば寝巻きであろうサテン素材のネグリジェを着ていた。 特別に鈍い方というわけではないと自覚しているレイフは、即座に状況を察した。  どくどくと、鼓動がやかましいほどに鳴り響き、高まり続ける身体の熱が、さらに酔いを回すように、現実から意識を隔離させてゆく。 高揚する意識は視線を、さらなる悦楽へと導いてゆく。 その先には、桔梗の花弁を想起させるヴィオレタの唇があり、漏れ出る吐息は香り高く深みのある|葡萄酒《ワイン》のそれと似ている。 額や頬に触れる、ヴィオレタの髪から感じる鎖のような冷たさが唯一、レイフの意識を現実へと繋ぎ止めていた。 ――「そろそろ、離してくれるかしら……」 それまで、人形のように目前に寝ていたヴィオレタの唇から、はじめて言葉が発っせられた。 視線をずらし、そこでようやくレイフは気がついた。 自身の左手が力強く、ヴィオレタのたおやかで、ほっそりとした右手を握り締めていたことに。 すっーと急速に熱が身体から引いてゆき、レイフの意識は現実へとようやく引き戻された。 「わ、悪い!!」 身体を起こしたヴィオレタは、身なりを整えながら、聞こえよがしに溜息をひとつ吐く。 おまけに絶対零度の視線を向けながら、右手をひらひらと動かしているあたり、相当にご機嫌はななめのようだ。「その、改めて悪かった……。俺、なにか
last updateLast Updated : 2025-09-30
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