All Chapters of Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜: Chapter 21 - Chapter 30

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Nox.Ⅳ『死神のデビュタント』I

   ヴィオレタとのある意味、いつものやり取りを終えたレイフは、彼女から|死神《リーパー》や|冥界《オルクス》といった、知っておくべき知識についての解説を受けていた。  話を聞くレイフの表情は真剣そのものだ。    まずは状況を把握した上で、今後の指針を決めなければいけないだろう。  ヴィオレタの説明は意外なほどに丁寧なものだった。    もしも少しでも彼女に〝やる気〟というものがあるならば、意外と教師という仕事は向いているのかもしれない。   「なるほどな……。いろいろと理解が追いつかねぇってのが本音だが、人が死んだあとに行く、|冥界《オルクス》って場所があるってことで良いのか?」   「えぇ、死後に肉体から離れた魂が辿り着くのが〝冥界〟。そこで善良と|見做《みな》された魂は、神々の暮らす世界〝|天界《カエルム》〟へと昇っていくわ。でも、悪しき魂は冥界から出ることを許されず、犯してきた罪の重さに相応しいだけの時間、裁きを受けることになる」 「その冥界を管理して守護するのが、あんたら〝|死神《リーパー》〟ってわけか」 「〝あんたら〟じゃなくて、〝貴方〟もよ……」  ヴィオレタは呆れたようにレイフのことを指差してくる。  「人を指差すな」と軽く払うと、彼女はムッとした|表情《かお》をしてみせる。  いつもどおりのくだらない戯れ合いがはじまりそうになった、そのとき、ヒューッと静かに吹き抜ける秋風に乗せて、女性のものと思われる悲鳴が|微《かす》かに響いた。  気怠げな雰囲気を|纏《まと》っていたヴィオレタの表情が一瞬にして、真剣なものへと様変わりする。 「かなり遠くから聞こえたな……」 「死神の聴力は人間のそれよりも遥かに優れているわ。そしてこのタイミング……」 「さっきのあいつらか?」 「えぇ、あなたにはちょうど良い練習相手かもしれないわね。説明の続きは移動しながらするわ、戦ってもらうわよ。覚悟はいいかしら、新人くん?」 「はっ! 当然だ!!」    レイフとヴィオレタは、夜の街を屋根|伝《づた》いに駆け出す。 「っ――!?」    人間だったときには、とても出せなかった速度や跳躍力にレイフは思わず息を呑んだ。  だが、動揺したのも一瞬のこと――身体の軽さに慣れてくれば、それを楽しむ余裕も生まれてくる。  視線を
last updateLast Updated : 2025-07-25
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Nox.Ⅳ『死神のデビュタント』II

  「なんとかするのは、私たちじゃなくて〝貴方〟ね……」 「おい、マジか、あんた。今さっき死神になったばっかの生徒を普通一人で戦わせるか?」 「死神の戦い方は移動中に教えたでしょ……。獅子は我が子を谷に突き落とすものよ……」 「めんどくさいだけだろ?」 「……寝たわ(寝言)」 「(寝言)をそのまんま言うんじゃねぇよ……」  ヘレンシアの頭部に気持ちよさそうに寝っ転がる彼女は、どうやら本当に手出しをする気はないらしい。    ついには、うっすらといびきまで聞こえてきた。  呆れ混じりの嘆息を漏らした後、レイフは視線を迫り来る男たちの方へと向ける。  こちらの出方を伺いながら四人の男たちは二組に分かれ、左右からじわじわと距離を詰めてきていた。 「やるしかねぇか」 「お前は俺達の狩りを邪魔した。殺す……」  研ぎ澄まされた剣のような殺意が男達の瞳から放たれ、ちりちりとした感覚がレイフの背筋を駆け抜けた。     クロヴィスが所有する|離魂剣《アエテリス》により魂を奪われた彼らの身体には、冥界から脱走した罪人達の魂が|憑依《ひょうい》している。   「お前らの不幸には同情するぜ? けどよ、もう元の魂が戻るわけじゃねぇんだ。それにこれ以上、誰かが犠牲になるのも見たくはねぇ。だから、こっちも手心を加える気はねぇよ」  レイフは懐から漆黒のカードを一枚取り出すと、それを上空へと勢いよく放り投げた。  瞬く間に宙を舞うカードからは、瑠璃色の幻想的な紋様が刻まれた魔法陣が展開する。    魔法陣の中から最初に現れたのは、瑠璃色の輝きを放つ宝石が先端に付いた鎖分銅だ。  その後、徐々に漆黒の柄が姿を見せてゆき、最後には黒と瑠璃の|二色《ツートン》に分かたれた刃が出現する。  〝鎖鎌〟と呼ばれる東方の国々で、使われる暗殺に適した武具だ。    だが、これはどちらかといえば扱いこそ難しいものの、近接戦への対応能力や殺傷力も向上させた|大鎌型《デスサイズ》だ。      レイフの死神としての〝|鬼才《グロリア》〟――【|貪婪なる王の宝物庫《アワリティア・コレクション》】    これは|冥界《オルクス》に古の時代から存在する宝物庫より、カードを媒体として様々な武具を呼び出すものだった。    東方の国々で暮らしたこともないレイフ
last updateLast Updated : 2025-07-26
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Nox.V『その悔恨は毒のように』I

◆◇◆◇ 夜闇の訪れとともにヴァルメール学院からは、人の気配が、すっかりと消え去っていた――。  建物の窓からは蒼月の淡い薄明かりだけが、ただ淋しげに射し込んでいる。 ふと、廊下の最奥に位置する|臙脂色《バーガンディ》の扉の部屋に光が灯った。 そこは学院に新しく歴史教師として赴任してきたヴィオレタ・ウルバノヴァに与えられた執務室だ。 執務室とは言うものの、机は彼女の意思によって撤去され、その代わりに天蓋付きの豪奢なベッドが部屋の中心を占領していた。 部屋の主人たる女性は、ベッドに腰掛けると冷艶な容貌を微かに歪める。 桔梗の花弁のような唇に、ほっそりとした指を添えるその姿は、彼女の苦悩を表していた。 扉から右側の壁に背を預け、腕を組み沈黙を守るレイフは、ヴィオレタの表情を横目に見つめていた。  クロヴィスとの戦いまでの|猶予《ゆうよ》は、残りわずか一日しかない。 彼の所有する|離魂剣《アエテリス》は、殺害した相手の魂を奪うことで所有者の力を高める〝魔剣〟と呼べる代物だ。 このような武具を創り出した者が、正常な倫理観を持ち合わせているはずもない。  レイフが抱いたクロヴィスという|死神《リーパー》への印象は、純粋無垢な〝悪〟だ。 どこまでも愉悦を追求する子供のように無邪気で歪んだ存在。「ヴィオレタ先生、俺にもっと詳しくあいつ――クロヴィスのことを教えてくれ」「そうね……。どこから話すべきかしら」 静かにベッドより腰を上げたヴィオレタは、しばらく言葉を探す様子を見せた|後《のち》に「少し歩きましょう」とレイフを誘う。 二人は部屋を出ると、蒼白い月明かりが照らす長く続く廊下を、歩幅を合わせて歩いてゆく。  「クロヴィス・リュシアン・オートクレール――彼の目的は、|冥界《オルクス》・|現世《サエクルム》を支配して女神たちが棲まう|天界《カエルム》へと戦争を仕掛けることよ」 彼女の口から発せられた言葉にレイフは、思わず息を呑んだ。 「〝何のためにか〟ということは聞かないのね。まぁ彼に直接会った貴方なら想像はつくでしょうね。これは大義名分もなければ、私利私欲のためなどでもない。純粋な〝好奇心〟からあいつは動いているのよ」 レイフの背を冷たいものが、駆け抜けてゆく。  それは予想していたとおりの答えであり、最も最悪の答えでも
last updateLast Updated : 2025-07-30
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Nox.V『その悔恨は毒のように』II

◆◇◆◇ その日――冥都ルイーナは、炎に包まれていた。 |燕尾服《テイルコート》の袖や裾を、ちりちりと焦がしながら、一人の女性が業火の中を進んでゆく。 「ウルバノヴァ様……」 掠れた声が耳朶を打ち、女性――ヴィオレタ・ウルバノヴァが振り返れば、地面を血で染めながら一人の男性が倒れているのが見えた。 もう長くはないだろう。 ヴィオレタは彼の側に寄ると、その場に屈み込んで男の最後の言葉に耳を傾けた。 「……クライン様が、近衛隊を率いて|死霊庁《プルガトリオ》に居ます」 「そう……。ならば、私も向かうわ」 彼女が踵を返すと、まだ微かに男の声が聞こえた。 「どうか……|冥界《オルクス》を、この世界をお守りくだ……」 「そんな大層なものを人に背負わせて逝かないでよ……」 熱気を含んだ風が、彼女の|言の葉《ことば》を攫い、紺青色の髪が煙とともに空を舞った。 ――「冥王の犬どもを殺せ! これからは俺たちの時代だ!!」 「クロヴィス様に勝利を! 歯向かう者には死を!!」 「や、やめろ! お前たち、気が狂ったの……がはっ!!」 わずかに離れたところから風に乗せ、狂気に満ちた叫び声と断末魔が聞こえた。 クロヴィスが、多くの|死神《リーパー》を従えて叛乱を起こしたのだ。 クロヴィス・リュシアン・オートクレール――もとは冥界南西部一帯ヴァルモリア公国を統治し、〝|公爵《ドゥクス》〟の称号を持つ貴族だ。 そんな彼の行動と言動は、他者の目には狂人のようにさえも映るものだった。 だが、彼は同時に不思議なほどに人を惹きつける天賦の才を持っていた。 他を寄せつけない強さと、もとから人ではなかったのではないかと錯覚させるほどの美貌。 そして、何よりも彼は人の心の異常性を煽ることに長けていた。 どんなに理性的に振る舞っている人間にも、心のどこかには〝渇き〟がある。 他者のものを奪いたい、誰かを傷つけたい、屈服させたい――そんな願望を力のままに自由に叶えてみたい。 それは簡単にできることなのだと、クロヴィスは彼らの前で次々と実演してみせたのだ。 日に日に、彼のもとを訪ねる死神は増えてゆき、クロヴィスは彼らからは神のように崇められるようになっていった。 クロヴィスが発した号令により、冥界各地で叛乱は起こり、はじめ
last updateLast Updated : 2025-08-03
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Nox.V『その悔恨は毒のように』III

そこから先、なにが行われたのかをヴィオレタ自身は、ほとんど覚えていない――。 気がつけば、目の前には黒狼に身体を喰い千切られたクロヴィスが倒れていた。 だが、その口元には、如何にも愉快だという笑みが浮かんでいた。 ヴィオレタも同様に瀕死と言って良いほどの傷を負っていたが、激戦の中で感覚さえも麻痺したのか、もはや痛みさえもろくに感じなくなっていた。 「いやぁ〜、まさか君の方が化け物だったとはねぇ。まだまだ、世界は僕の知らない愉しみに溢れているようだ。うん、実に愉快だ!!」 「狂人ね……」 ――「どうやら失敗したようですね」 その瞬間、|刻《とき》が止まった。 脳に直接、語りかけるように響く声音は、夜空の深みに溶け入るような静謐さと、聞く者を屈服させるような冷然さを内包していた。 その者は文字どおり、〝上空〟から降りてきた。 まだ、十代半ばの少女と言えるような外見だ。 だが、ヴィオレタは直感的に彼女が自分たちとは、〝別の世界に棲む存在〟であることを感じ取った。 少女は蒼白い月明かりのような長髪を羽衣のように、はためかせながら瑠璃色の瞳でヴィオレタ達を|睥睨《へいげい》した。 その身に纏うドレスは、|日没直後の夜空《ブルーアワー》を想起させる。 少女のほっそりとした白百合のような足が地面に触れたとき、冷気を内包した衝撃波が波紋のように広がった。 「うっ――!?」 まだ身体を動かすことさえもできずにいたヴィオレタは、いとも簡単に紙屑のように吹き飛ばされてゆく。 「あ、いたたた……。やぁ、君か……」 ヴィオレタ同様、身体を吹き飛ばされたクロヴィスはそれでも笑顔を絶やすことなく、旧友に向けるような態度で少女に話しかける。 「ごめんねぇ〜。せっかく機会をもらったのに僕は、ここまでのようだ」 「大丈夫です。期待はしていませんでしたから。それに、どちらにせよ面白いものは見れました」 「手厳しいねぇ。まぁ、運よくまた機会があったら頼むよ。 はぁ〜、もっと遊びたかったなぁ……」 「貴方達、さっきから一体なんの話を……」 ようやく身体が動かせるようになったヴィオレタは、杖を支えに立ち上がり、突如乱入してきた未知の力を持つ少女へと鋭い視線を向ける。 「あはは! 名高い〝|虚無の悪魔《ソリトゥス
last updateLast Updated : 2025-08-13
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Nox.V『その悔恨は毒のように』Ⅳ

◆◇◆◇ 「話は、これでお終いよ。その500年前の戦いを最後に私は、あの暗君に申し出て隠棲することにしたわ」 長い昔話を終えて嘆息を漏らすヴィオレタと、その隣でかけるべき言葉を探るレイフを蒼月の淡い月明かりが照らしていた。 廊下の気温が先ほどよりも、心なしか下がった気がする。 心を預けてきた仲間たちを失い、信じてきた|主人《あるじ》には裏切られ、彼女は一体どのように生きてきたのだろうか。 彼女と比べるようなものでもないが、孤独な人生を送ってきたのはレイフも同じだ。 だが、自分には姉がずっと側に居てくれた。 そして、今は多くの仲間と言える存在が周囲に居る。 それは彼女――ヴィオレタのおかげだ。 だが、彼女には長い間、その哀しみを分かち合うことができる存在が居なかった。 そしておそらくは、想いを寄せていたであろう相手と彼女は――。 そこまで考えたとき、レイフの心の奥に、わずかに針で突っつかれたような痛みが走った。 「俺は……あんたの側から居なくならねぇよ。もう二度と、死んでやる気もさらさらねぇし、あんたのことも……その、俺がこれから護ってやる」 言った後で顔に熱いものが込み上げてくる。 今、ヴィオレタがどのような|表情《かお》をしているのか、それを見る勇気がなく、思わず目を逸らしてしまう。 数秒の|後《のち》――聴き違いでなければ、微かな苦笑を含んだ嘆息が耳朶をくすぐり、頬に心地良く、冷たいものが触れた。 振り向けば、ヴィオレタの白く、ほっそりとした指に頬を突っつかれていた。 そこには、ある意味で予想どおりの無表情があるだけだった。 「生徒が、なにを生意気なことを言ってるのよ。黙って、子供は大人に護られていれば良いのよ」 「子供扱いすんじゃねぇ……。死神なんだから、もう大人も子供も関係ないだろ。見た目も変わらねぇし」 レイフは、軽くヴィオレタの指を振り払うと、頬をわずかに朱に染めて、ぶっきらぼうに言葉を返す。 「17年しか生きてない子供には変わりないわよ。屁理屈を並べないの」 「あんたにだけは、言われたくねぇよ……」 今まで、どれだけ滅茶苦茶な理屈で、こき使われてきたのかを思い出し、レイフはげんなりとする。 ちょっと、そういう雰囲気になったかと思えば、このようにいつもの調子に
last updateLast Updated : 2025-08-19
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Nox.VI『最後の授業』I

◆◇◆◇ 学院でのヴィオレタとの話を終えたレイフは、家の私室へと戻ってきていた。 制服は既に脱ぎ、首元の開いた黒のカットソーに同色の細身のパンツという動きやすい格好だ。 扉を開けた瞬間、レイフは顔をしかめる。 「親父の野郎、また増やしやがったな……」 真紅の壁には所狭しと、著名らしき画家の絵や高価な皿などが飾られている。 価値の高い絵や食器、装飾品をレイフの両親は財力に物を言わせて、世界各地から買い集めていた。 その数は毎年増えてゆき、こうしてレイフの部屋まで侵略している。 両親の貴族趣味はレイフには全く理解し難く、目がチカチカしてたまったものではないというのが正直な感想だった。 「ったく、成金の悪趣味もいいところだぜ」 彼は一度嘆息を漏らした|後《のち》に椅子へ深く腰掛けると、厨房から持ってきた|林檎《りんご》を宙に投げて弄ぶ。 クロヴィスが率いる叛乱軍との戦いまでの猶予は、残りわずか一日しかない。 およそ500年前にも同様に彼が起こした叛乱は、ヴィオレタやルーカスといった|死神《リーパー》たちの命懸けの抗戦によって失敗した。 だが、彼が持つ才を惜しんだ冥王家は、クロヴィスの命を奪わずに幽閉した。 実際にクロヴィスは、この500年の間、冥界に自身の知識によって急速な発展をもたらしてきたようだ。 さらに|離魂剣《アエテリス》のような魔剣には及ばずとも、強大な力を持つ武器も量産されてゆき、今では死神たちに普及している。 最も、冥界に魔剣のような武器は本来ならば必要ではない。 冥界の基本的な役割は、死者の魂――その中でも罪深く、天界に|行《ゆ》くことを許されなかった魂を管理することだ。 だが、過去には冥界の内部で争いが起きたり、クロヴィスのように死者の魂を悪用することを試みた者も居た。 また、いつそのような考えを持つ者が現れるとも限らない。 さらに言えば棲み分けこそされているものの、天界や現世との力関係を気にする声があるのも事実だ。 人であろうと神であろうとも、世を動かす|仕組み《システム》に〝意志〟が介在する限りは、武力が必要でなくなることはない。 |冥界《オルクス》・|天界《カエルム》・|現世《サエクルム》は、天界が主導権と力を持ちつつも、互いに警戒し監視し合うような関係となって
last updateLast Updated : 2025-08-25
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Nox.VI 『最後の授業』II

◆◇◆◇ 「そんで連合国は一度は分裂の危機を迎えたわけだが、王国伝説の|諜報員《スパイ》であるコードネーム〝ダブルイーエイト〟ことジャン・ペルロが、ゼピュロス王国宰相ヴィクトル・イェジェクと、帝国側の繋がりを裏付ける証拠を潜入中に発見したことによって流れは変わっていく……んで、あぁ、そうだ」 教卓では、レイフが黒板に書かれた項目を自分なりの言葉でまとめ、ときには例え話なども挟みながら解説している。 「これにより、帝国による連合国分断計画も失敗に終わったってわけだな」 拙さはあるものの、そこが逆に応援したくなるようで、クラスメイトたちは、なにか微笑ましいものを見る目で彼を見つめていた。 生徒たちの中に居眠りをしたり授業に集中せず、よそ見をしているような者も居なかった。 最も、国内屈指の名門校であるヴァルメール学院ではレイフのような不良生徒の方が稀だ。 一通りの説明を終え、首を回して肩の凝りをほぐしたレイフは、何か補足することはあるかと隣に立つヴィオレタへと視線を向けた。 レイフの隣で壁によりかかる彼女は、目を閉じて腕を組みながら、静かにレイフの講義に耳をすましていた。 「…………」 「おい」 「…………すっー、すっー」 「起きろ、ニート教師!」 「……っ!? なかなか、良い講義だったわ……」 レイフの怒声を受けた彼女の瞳が、カッと音が鳴りそうなほどの勢いで見開かれる。 |咄嗟《とっさ》に表情を取り繕った彼女は、レイフの方に向き直ると意味ありげに頷いてみせた。 「はぁっ……。あのなぁ、立ちながら器用に寝んじゃねぇよ」 「それもそうね」 彼女はレイフの言葉に首肯すると、教卓の椅子を引き、深く腰掛けた後、机に突っ伏して目を閉じた。 「誰が、ガッツリ寝ろって言ったんだよ!?」 「何をしても怒られる……。そういえば、机で寝るとき専用の枕があるらしいわよ。レイフ、ちょっと走って買ってきなさい」 「行かねぇよ! ってか、そもそも秘書の仕事で、教師の代わりに授業するなんて聞いたことねぇんだよ!!」 「ふっ――免許皆伝よ、もう何も教えることはないわ。成長したわね」 「何が免許皆伝だ……」 レイフは嘆息を漏らした後に、時間をかけてセットした自慢の髪を掻き乱し、生徒達の方へと向き直った。
last updateLast Updated : 2025-08-26
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Nox.VII『放課後の密会《デート》』I

◆◇◆◇ 空が茜色へと染まってきたころ、マリーヌ川沿いの小さな乳白色のカフェのテラス席では、二人の人物が向かい合い、ケーキと紅茶に舌鼓を打っていた。 月白色の制服を着崩した鋭い目つきの少年の前には、所狭しと店自慢のケーキが並べられている。  「あぁ、それでジャックとレオノールは付き合うことになったんだが、今じゃ誰もが羨む仲良しカップルだ。毎日、あんな熱々っぷりを見せつけられるこっちの身にもなってほしいぜ」 「ジャックってのは、あのお調子者の友人だね〜」「そうそう、あの年中、やかましいバカだ。んで、ニコラ、あのいけすかない|真面目美男子《エリートイケメン》な。あいつは、どうやらエミリーに気があるらしくてアプローチをかけてるみたいだぜ」「良いなぁ、僕はそういう〝|青春《アオハル》〟っていうの経験したことないからね。街ゆく学生たちの楽しそうな姿を見てると、こう……グッとくるものがあるよ〜」 そう軽快な調子で応じるのは、少年と同様にヴァルメール学院の制服――それも女子生徒用のものを身に纏う中性的な容貌の麗人だった。 ――「お待たせしました〜。ご注文の『太陽のマドレーヌ』30個です。……というか、これ数合ってますよね?」 少年――レイフと、そう変わらない年頃であろう可愛らしい容貌の|給仕係《ウェイトレス》の少女が、こんもりと山のように盛られたマドレーヌを運んできた。 「あはは! ごめん、驚かせちゃったよね。彼が甘党でさ、今日は僕が奢るよって言ったらこれだよ」 注文が入って運んできてみれば、席に座るのは細身の鍛えられた身体の少年と、華奢な美女の二人のみ。 30個のマドレーヌを、この二人が平らげるとは誰も思わないだろう。 訝しむ様子の少女の方を、レイフとの会話に夢中になっていた女性が振り返る。 星の光を吸い込んだような煌めきを放つ|白金色《プラチナブロンド》の髪に、|菫青石《マリアライト》を想起させる幽玄な輝きを放つ|菫色《ヴィオーラ》の瞳。 口元には、相手の警戒心を一瞬で溶かすような涼しげな微笑みを携えて、申し訳なさそうに手を合わせる美女に少女は思わず頬を染めた。 「うわ……すごい美人……。って、ごめんなさい! ははは、でもこんな美人で理解のある彼女さんが居るなんて君も幸せ者だね」 慌てた様子でレイフへと視線を移した少女は、マドレ
last updateLast Updated : 2025-08-27
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Nox.VII『放課後の密会《デート》』II

その表情には、どこか寂寥感が浮かんでいた。 レイフの瞳にはクロヴィスの姿が一瞬――ヴィオレタと|重なって《ダブって》見えてしまい、必死にその空想を否定する。 先ほどの彼女とは別の|給仕係《ウェイトレス》が、クロヴィスの席に牛乳がたっぷりと注がれた|紅茶《テ・オ・レ》を運んできた。 彼は給仕係に一言、お礼を告げると、角砂糖をひとつ、またひとつと紅茶へと運んでゆく。 気がつけば、その量は小さな山ができるほどになっていた。 甘党のレイフですら、げんなりとするような量の砂糖が溶けた|紅茶《テ・オ・レ》を口に含むと、口角をわずかに上げて彼はレイフを見つめた。 「レイフ……君は何をもって、人は〝生きている〟と言えると思う?」 「それは……」 クロヴィスの問いにレイフは、すぐに答えることができなかった。 〝何をもって生きていると言えるのか〟――そんなことを過去に考えたことはなかった。 「レイフ――」 「っ――!?」 次の瞬間、彼はレイフの右手を取り、自分の胸元へと押し当てていた。 「聞こえるかい、この鼓動が? 死神にも確かに命があるだろう?」 どくんどくんと、高鳴る心音と幻惑的な光を放つ、切なげな菫色の瞳に思わず頬が熱くなり、必死に腕を振り払おうとするもクロヴィスの力には敵わない。 「僕はね、こう思うんだ。生きているかどうか、それは――〝この与えられた命を燃やし尽くすほどの美しく、無垢で醜悪な激情に、身を委ねることができているかによる〟と! その感情が愉悦でも悲哀でも、恋慕だろうとも、なんでも構わない!!」 クロヴィスが身を乗り出したことによって、唇が触れ合うほどの距離に高揚した美貌が迫る。 「僕はね、生まれついたその瞬間から〝正常〟を失っていたんだよ。自分の中に生まれた感情を満たさずにいられない。はじめて自分が、壊れているとわかったのは……そうだ、まだ僕がほんの十歳になるかどうかの子供だったときだ」 柘榴を想起させる唇から、甘美な吐息とともに|物語《フォークロア》が紡がれてゆく。 「むかーし、むかーし、とある村では領主が、それはそれはひどい悪政を敷いていました。凍えるような風が吹く冬、代官と兵隊が、この惨劇の舞台となる村へとやってきた。彼らは「年貢を納めろ」と怒声を上げて、村人たちに笑いながら、ひどい暴力を振るっ
last updateLast Updated : 2025-08-29
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