All Chapters of Pale Moon〜虚無の悪魔と蒼月の女神〜: Chapter 11 - Chapter 20

21 Chapters

間章 『闇に蠢く者たち』

◆◇◆◇ 蒼月の薄明かりが照らすのは、人影のない裏通り――。 王都アルジュリュンヌは、夜の化粧をほどこした|後《のち》に、まるで別の|表情《かお》を見せる。 陰謀、快楽、堕落、暴力――。  煌びやかな中心街の陰――その闇は、さまざまなものを覆い隠す。 立派な顎ひげを生やし、仕立ての良いスーツに身を包んだ壮年の紳士が、周囲を警戒する様子を見せながら歩いていた。「ボス、こちらへ――」 声の方へと視線を向けると、黒スーツに身を包んだ怜悧な雰囲気を纏う女性の姿が見えた。「外でその名を呼ぶな。まったく、ここは〝共和国〟ではないのだぞ」「申し訳ありません。例の〝新薬〟ですが、既に旧市街のいくつかのグループへと売り込みをかけています。快楽に飢えた連中ですから、必ず乗ってくるでしょう」「そうか。王国へと逃げてきて、はじめての|大仕事《ビジネス》だ。抜かるなよ?」「はっ――。ところで、交渉の方は、上手くまとまりそうでしょうか?」 二人は、肩を並べて裏通りを闇に潜るように歩いてゆく。 その背には、いつの間にか大柄な黒スーツの男性が二人、付き従っていた。 途中で何人かの物騒な人物とすれ違うも、ただならぬ男たちの雰囲気に多くの者が道の端へと避けてゆく。 男は母国で麻薬や奴隷商売を行い、莫大な富を築いた。  しかし、後ろ盾だった貴族が、権力闘争に敗れたことで、立場が危うくなり、一家ともども王国へと脱出してきたのだ。「何人かの小物政治家の抱き込みには成功したが、とてもまだ安心できるような状態ではない。それこそ、ヘーデンストローム家との繋がりでも持てれば良いのだが、あの男には意外と潔癖なところがある……」 男の苛立ちを露わにするように、握り締められた杖が忙しなく揺れ動く。「余所者同士、協力できることも多いだろうに……。私を侮るなよ、帝国人風情が!」 そこで男は、今まで自分の周囲にあった足音が消えていることに気がついた――。 振り返れば、そこには誰もおらず、自分の隣を歩いていた女性も消えている。「おい! お前たち、どこに行った? ふざけているのか!?」 怒声を張りあげても、それは虚空の先へと消えてゆくだけだ。  背筋を冷たいものが駆け抜け、闇が急速に〝恐怖〟という怪物へと姿を変えて、胸を締めつけてくる。 懐へと手を忍ばせ、愛用の拳銃を取り
last updateLast Updated : 2025-07-14
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Nox.II 『歴史秘書のお仕事』I

◆◇◆◇ ヴァルメール学院では、国内の他の学校には存在しない特殊な制度がある。  それが〝秘書制度〟だ。 各学年、各クラスから教科ごとに〝秘書〟と呼ばれる生徒が選ばれる。 彼らは担当教師のサポート、及びクラスの生徒との橋渡し役を担う。 将来的に国を背負って立つ優秀な人材を育成する学院において、秘書が担う責任は重く、その生徒の評価も自然と高まっていく。 自分の意思とは無関係に、押し付けられた仕事ではあるが、今となってはレイフはこの仕事に、わずかながらの楽しみも見出しはじめていた。 静寂が支配する学院の廊下に、革靴がコツコツと、床を叩くリズミカルな音が響き渡る。 左右に学院の創立に関わった国の有力者たちの肖像画や石像が並ぶ道――レイフはゆっくりと歩を進めてゆく。 月白色の伝統ある学院の制服も、彼が着ているのでは夜の世界の住人が身に纏う仕事着にしか見えない。 深紅のネクタイを外した黒のシャツは、第三ボタンまでが開け放たれ、襟を立てて着る彼の好む|着こなし《スタイル》。 |鈴《ベル》を象った|首飾り《ペンダント》が胸元に揺れ、袖や指先には銀製の|腕飾り《ブレスレット》や|指輪《リング》が、窓から差し込む陽光を受けて輝く。 窓には、すべて濃紺のカーテンが掛けられ、わずかな陽の光が、その合間を縫うように射し込んでいた。 以前ならば、その先には、広大な|並木道《アベニュー》の庭園が広がっていた。 庭園の中央にはエテルヴォワ神話に登場する『霧』の神ブリュメアル、『湖』の精霊ナイサリーヌの石像が印象的な噴水が設置されている。 ここに好きな人を呼び出して告白すれば、恋が実ると女子生徒の間では有名な告白スポットだが、残念ながらレイフはまだ呼ばれたことはない。  左右には均等に馬を象ったトピアリーと、|象牙色《アイボリー》、アプリコット、|深紅《ワインレッド》、レモンイエローと言った様々な色の薔薇を植えた花壇が並ぶ。  これは王国において、伝統的に好まれている|左右対称《アシンメトリー》の庭園だ。  学院の観光名所ともなっている、この見事な庭園が虚構の夜空に隠され、廊下が幽霊屋敷を彷彿させるような雰囲気を放っているのには理由があった。 そう、すべての諸悪の根源は、この先の部屋の|主人《あるじ》だ。 レイフの視線の先に|臙脂色《バーガンディ》
last updateLast Updated : 2025-07-15
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Nox.II 『歴史秘書のお仕事』II

◆◇◆◇「それでは、この|会議《サミット》の際に起きて後に有名な|物語《フォークロア》にもなった、〝アルジュリュンヌの休日事件〟について解説できる者は居るかしら……?」 ヴィオレタは生徒達を見渡した後、レイフの前の席に座る男子に視線を向けた。「ブラン、貴方にお願いするわ」「えっ? お、俺っすか?」 しかし、あてられた金髪の面長の生徒ジャック・ブランは、完全に心ここに在らずだったのか、戸惑いを隠しきれずにいる。「あっー……。えぇっと、そのあれの話ですよね……?」  バシッ——!!「いてぇっ!!」 突如頭部を襲った衝撃に、ジャックが振り返るれば、そこには仏頂面で教科書を振り下ろしたレイフの姿があった。「な、何するんだ、ヘーデンストローム!?」「お前が教師に見惚れて、上の空だからだろ。とりあえず、教科書を開け」「お、おう。……何ページだっけ?」「56ページだ……」 堪えきれないとばかりに、くすくすと教室内に生徒たちの笑い声が伝播してゆく。 緩みきった教室内の雰囲気に、ヴィオレタは溜息をひとつ吐くと、今度はレイフへと視線を向けた。「それじゃあレイフ、貴方が解説してくれるかしら……?」「おう、これは王国がオクタウス連合との関係強化を目的に、首脳達をアルジュリュンヌへと招いて開いた|会議《サミット》の際、連合加盟国のひとつである【ゼピュロス王国】大統領に同行したアンリエッタ王女の|恋物語《リーベ》だな」 ヴィオレタは、無言で彼へ続きを促した。「酒に酔って夜の街に出た彼女は、そこで出逢った|著作家《ライター》の男と恋に落ち、一夜の過ちを犯してしまう。 この典型的な|恋物語《リーベ》には後に様々な|尾鰭《おひれ》がついて、小説や|映画《フィルム》にも今はなっている」 彼の|淀《よど》みない回答が意外だったのだろう。 クラス中の視線が彼のもとへと集まり、中には感嘆の声を漏らすものまで居た。 「ちなみにこの話自体、事実かどうか疑わしく、誰かのでっちあげた噂話という説もある。 まぁ、これは体面を気にしたゼピュロス王家や政府が、そういうことにしてるって説が濃厚だけどな」「正解よ……。チッ!」「おい、なぜ舌打ちをした?」 「不良が付け焼き刃の知識で、イキってるんじゃないわよ……」「教師が生徒の心をエグろうとしてんじゃねぇよ」 
last updateLast Updated : 2025-07-15
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Nox.II 『歴史秘書のお仕事』III

「レイフくん、ちょっと良いかな」 「うん? ローランか、さっきはありがとな」 講義を終えて廊下へと出ようとしていたレイフに声をかけたのは、先ほど紙飛行機を飛ばしてくれた生徒エミリー・ローランだ。 「ううん、まぁ先生にはバレてたみたいだけどね〜」 「いや、あれでバレないって方が無理だろ……」 「あはは! それもそうだね。でもレイフくんって、ヴィオレタ先生と仲良いよね〜」 「はぁっ? どこがだよ?」 「お互いに遠慮なく、何でも言い合える関係って素敵だと思うけどなぁ〜」 「あの教師が、ズレてるからツッコミ入れてるだけだっての……」 ——「くうぅ! おのれヤンキーめ! 俺のウルバノヴァ先生とおぉ!!」 「おい、心の声がダダ漏れだぞ、ブラン……」 声が聞こえた先へと目をやると、クラスメイトのジャック・ブランが射殺すような視線を向けていた。 彼はレイフの前の席に座る生徒だ。 よく言えばムードメーカー、悪く言えばバカであるというのがレイフ評だった。 偏見の目を向けてきたり、陰口を叩いてくる生徒よりは遥かにマシだが、ヴィオレタに憧れを抱いているようで、レイフにやたらと対抗意識を向けてくる。 「そんなことよりもレイフくん!!」 「な、なんだよ、ローラン」 「私の友達に勉強教えるの手伝ってくれない!? 私だけだと手が足りなくてさぁー、ほら、ヴィオレタ先生の問題意地悪だし。 あと私のことはエミリーで良いからね!」 エミリーは教科書を手に、レイフを拝むように「どうか……どうか……」と頭を下げてみせる。 「あっ! 俺も! 今回のマジでヤバそうなんだわ〜。あと俺の事もジャックって呼んで良いぜ。 あ、でも先生のことは譲らねぇからな!!」 「お前はいつもヤバいだろ、あとあいつのことは勝手にしろ」 「その余裕がムカつく!!」 ——「おい、ヘ、ヘーデンストローム……」 声に反応して後ろを振り向くと、声をかけてきたのは、いつも遠巻きにレイフのことを悪く話していたグループだ。 そわそわとしながら、彼らは必死に言葉を探すように目を泳がせる。 彼らが、チラチラと後ろを気にする様子を見せているのは、背後からニコラとレオノールが、鋭い眼光を飛ばしているためだろう。 クラスのカーストトップである二人に睨まれれば、さぞ生きた心地は
last updateLast Updated : 2025-07-16
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Nox.II 『歴史秘書のお仕事』Ⅳ

◆◇◆◇ 夕陽が照らす帰り道——。  王国を象徴する花である百合の季節が終われば、少しずつ緑の葉が紅い化粧を|施《ほどこ》してゆく。  ダリアや|秋桜《コスモス》のような花々は待ち侘びたかのように自慢の花を咲き誇らせ、|象牙色《アイボリーホワイト》やパステルイエローを基調とした街を彩っていった。  アルジュリュンヌの街を左右に分断して貫くマリーヌ川の左岸。 こちらは文化的な施設や多くの観光名所が立ち並ぶ右岸とは異なり、教育施設や食料品を扱う店や雑貨屋など、市民の生活に根付いた施設が多い。 通りには巨大なアパルトマンが建ち並び、王都ということもあり、一定以上の収入がある富裕層が主に生活している。  また、このようなアパルトマンとは、レストランやカフェ、書店のような店が一体化していることも少なくない。 夕方になり、学生や観光客で|溢《あふ》れる左岸は右岸には及ばずとも、活気に満ちあふれている。 いつもこの通りをレイフは、一人で歩いて帰っていた。 左右の岸を繋ぐ巨大な橋の上で騒ぐ観光客を見て呆れたり、娯楽雑誌を読みながら、カフェ自慢の新作パンを食べて笑う同級生を、少し羨ましく思ったりもしていた。「……おい、レイフ。聞いてるのか? レイフ!!」「あっ? なんだよ、ジャック」「なんだよじゃねぇよ! さっきから何回も呼んでるだろ」「あぁ、全然気がつかなかったわ」「ったくよ。まぁいい、それよりウルバノヴァ先生の好きな食べ物、仲の良いお前なら知らないか?」「あぁっ……なんか甘いものじゃね」「甘いものか! それなら今度なにか差し入れてみるかぁ。エミリー、どこかいい店知らないか?」「あぁ、ジャックくん……。ヴィオレタ先生、甘いもの大嫌いみたいだよ」 エミリーの言葉に何かを思い出したかのようにレイフの目が見開かれた。 「あぁ、だから前にケーキを差し入れた時に不機嫌だったのか。おかげで後が大変だったんだよな……」「なにっ!? レイフ、お前適当に言いやがったな!!」 激昂したジャックはレイフに|掴《つか》みかかるも、ひらりと風切り音が響きそうなほどに華麗な動きを見せるレイフに、あっさりと|躱《かわ》されてしまう。「あっ! この野郎! 避けんな!!」  |懲《こ》りずにジャックは、何度も|掴《つか》みかかるも、レイフはその全てをポケ
last updateLast Updated : 2025-07-17
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Nox.II 『歴史秘書のお仕事』V

  ヘーデンストローム家では、使ったお金はすべて明細を残す決まりだった。  当然ながらレイフであっても、好き勝手に家の金を使うことはできない。 だが、このような贅沢品を買うことはある程度許容されている。 寧ろ、ヘーデンストローム家のものが、その場の|服装規定《ドレスコード》に相応しくない格好をしていることの方が、プライドの高い父からすれば許容できないことだろう。 身なりの良い|出迎え係《ポルティエ》が扉を開き、新しい服への|着替え《ドレスアップ》を終えたレイフたちが外に姿を現す。「レイフくん、うん! やっぱり、すごく似合ってるよ!!」「そ、そうか? ありがとな」 店内で試着した時にも絶賛していたエミリーが、改めて制服から着替えて、店から出てきたレイフの姿に目を輝かせる。 レイフが着ているのは、|紫檀色《したんいろ》の|線《ライン》が襟や袖に入った黒の|三つ揃え《スリーピース》だ。 首に締めた|瑠璃色《るりいろ》のアスコットタイは、色合いが気に入って購入したものだ。  レイフは制服でさえも、いつもラフに着崩している。 社交の場も姉とは違い、父に同行することは稀だった。 そのためか、どうにもこういうしっかりした装いは落ちつかない。 だが、エミリーのような女性が、こうも絶賛してくれるのであれば、たまにはこのような格好も悪くないかもしれない。 レイフは身だしなみには、気を使っている方だ。 それに今までは無縁だったが、年相応には女性には興味もある。 自分のセンスで選んだものを、褒められたのならば悪い気はしない。「そういうエミリーも、なかなか似合ってるぜ」「おっ! さりげなく褒め返すとは、レイフ氏もなかなかやりますなぁ〜」「何キャラだよ、それ……」 るんるんと楽しげにレイフに隣を歩くエミリーは、愛らしい薄浅葱色のドレスに黒のクロークを重ねることで、わずかに大人の艶やかさを香らせていた。――「ぷっ! ジャック! なんですか、その格好は! あなたったら、|道化師《ピエロ》みたいですわ」「なっ!? お、お前が選んだんだろっ!」 思考に割って入ってきた声の方へと視線を向ければ、ジャックの服を見たレオノールが口元を手で押さえ、|堪《こら》えきれないといった様子で噴き出していた。「っ……!?」  それに釣られるようにジャックの方へ
last updateLast Updated : 2025-07-18
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Nox.III『再会は甘美な死をともなって』

◆◇◆◇ 店から出てエミリー達と別れると、すっかりと外は冷たい夜の静寂に包まれていた。 友人達と別れ、街からは喧騒が消えてゆき、一瞬だけ、この街には自分以外の人間が居ないのではないかとさえも錯覚しそうになる夜だった。 だが、そんな幻想は一瞬で吹き飛ばされる。 レイフの目前には星々が落ちて、華を咲かせたかのように黄金に輝く|都市《まち》が広がっていた。 陽が沈むと同時に、街灯が淡い明かりを街に灯し、地面に設置された|奏力《ディーヴァ》を利用した照明が、歴史ある荘厳な建築群を壮麗に照らしだす。 それはまるで、愛や喜び、そして哀しみといったものまで内包した、人々の生命の輝きが、街全体を煌めかせているようだった。 街灯に背中を預けたレイフが迎えの車を待っていると、遠巻きに見知った人物の姿が現れた。 「あれは|ニート教師《ヴィオレタ》……? こんな遅くになにしてるんだ?」 レイフが視線を向けた先には、学院にいる時と同様の黒いスーツを着たヴィオレタが歩いている。 それも一人ではなく、複数人の年代も服装も統一感のない男たちに連れられながらだ。 男たちは周囲を警戒する様子を見せながら、人気のない路地裏へとヴィオレタを連れて消えてゆく。 「はぁ〜、ったく、めんどくせぇことになりそうだな……」 彼らの様子に、ただならぬものを感じ取ったレイフは、静かに後をつけることにした。 ◆◇◆◇ 「それで、貴方たちの飼い主はどこにいるのかしら……?」 表通りのまばゆいまでの煌めきが嘘のように、青白い月の薄明かりだけが微かに照らす闇の中で、ヴィオレタと男たちは対峙していた。 「そう焦るな、ヴィオレタ・ウルバノヴァ。|直《じき》に、あのお方も到着される。 だが——生きてお前を案内しろとは、俺たちは一言も言われていない」 「はぁ〜、この前の連中もだけど、クロヴィスは飼い犬の|躾《しつけ》もろくにできていないようね……。 その救いようがないまでの下劣さと、芸術的なまでの三下っぷりにだけは賞賛を贈るわ」 「なるほどな……。その口の悪さも噂に聞くとおりというわけか。 だが、そうでなくては張り合いがないというもの……」 精気に欠ける瞳で中心人物と思われる男を見つめ、手を打ち鳴らして拍手を贈るヴィオレタに、男の表情がどんどんと険しいも
last updateLast Updated : 2025-07-19
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Nox.III『再会は甘美な死をともなって』II

「クソッ!! クロヴィスが来る前になんとかしなければ……」——「おや、僕がどうかしたのかい?」 コトリとグラスに氷が、落とされたかのように|刹那《せつな》の間――静寂が|波紋《はもん》のように広がった。「レイフ、逃げなさい――!!!!」 時が止まったかのような静寂は、ヴィオレタの悲鳴のような一声によって破り去られた。  次の瞬間――冷たいものが背中に触れ、身体を一瞬のうちに悪寒が駆け抜ける。  胸部に痛みと熱が広がってゆき、身体の感覚が失われてゆく。  「うん? なんだ、君だったのか。――やっぱり、僕たちは、また逢う運命だったようだ」「なっ……」 星の光を繋ぎ合わせたような|白金色《プラチナブロンド》の髪に、清麗で神秘的な輝きを放つ、|曹柱石《マリアライト》を思わせる|菫色《ヴィオーラ》の瞳。 耳元で睦言のように囁かれた|言の葉《ことば》に、レイフが視線だけをそちらに移せば、ぞっとするほどに美しい顔が、鼻先が触れ合うほどの距離にあった。  レイフは、その顔の人物をよく知っていた。  顔を合わせていたのは、本当にわずかな時間だ。  それでもあれだけ印象的だった出逢いを忘れるはずがない。 「あん、たは……」   レイフの視線の先に居る男は、以前に姉――スカディと別れた公園で出逢った、人間離れした美貌を持つ、不可思議な男性だった。「う、うぅぅっ――!」 さらに声を振り絞ろうとした次の瞬間、喉に急激に〝何か〟が込み上げてきて、堪えきれずにレイフはそれを外へと吐き出した。 精気を失いつつある瞳を下へと下げれば、石畳の床は暗い〝|朱《あか》〟へと変色していた。  一瞬――自身の真紅の瞳が、そこに転がり落ちているのではないかという錯覚にさえも襲われる。 だが、すぐに現実が痛みを伴って到来した。 視界に映る胸部を貫く鋭利な〝白銀の刃〟が、自身の血を抜き出してゆき、ぽたりぽたりと、それは石畳へと染み込んでゆく。 昏く、深く、|暗晦《あんかい》とした血溜まりが石畳へと広がってゆくのをレイフは静かに見下ろすしかなかった。  それが自身の口から吐き出された血液であると、受け入れるのに彼は、わずかの時を要した。 「こんな形の再会になるとはね……。でも嬉しいよ。僕はね……自分の気に入った相手は、自分の手で息の根を止めて
last updateLast Updated : 2025-07-21
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Nox.III『再会は甘美な死をともなって』III

ヴィオレタは立ち上がると、瞳を研ぎ澄まし、鋭い眼光でクロヴィスを射抜く。 彼は、わざとらしく弱ったように嘆息してみせると、何も知らない相手ならば、それだけで警戒心を解いてしまうだろう柔らかな笑みを浮かべた。 「やぁ、久しぶりだね。ヴィオレタ・ウルバノヴァ——」 「えぇ、できれば二度と会いたくなかったわ。クロヴィス・リュシアン・オートクレール……」 次の瞬間、一陣の風がヴィオレタの身体を突き抜けた――。 「っ――!?」 背後に気配を感じたときには、既に遅い。 クロヴィスのほっそりとした白い手が、彼女の月明かりを浴びた湖面のような紺青色の髪を一房、掴んでいた。 「ふふふ、そう|睨《にら》まないでほしいなぁ〜。美貌は、君の数少ない取り柄なんだから。まぁ、そうして怒っている顔も、また美しくはあるけどね。君と〝また〟――こうして遊べるのを僕がどれだけ愉しみにしていたかわかるかい?」 |柘榴《ザクロ》を思わせる艶やかな唇で睦言を紡ぐように、彼は囁くと、静かにヴィオレタの髪に口付けた。 「言ってくれるわね……。たしかに、私が銀河を新たな戦火で包み込むほどの絶世の美女であることは、疑いようもない事実だけど」 「いや、そこまでは言ってないけどさぁ……」 ヴィオレタはクロヴィスの手を振り払うと、逆手に杖を出現させ、地を打った――。 「おっと!?」 目を見開いたクロヴィスが飛び退いたその刹那、ヴィオレタの足元に|紫色《ししょく》の魔法陣が浮かび上がり、そこから老木を想起させる節くれだった亡者の腕が生まれた。 見た目に反し、敏捷な動きを見せる腕はクロヴィスの身体を飲み込もうと、獣の顎のように指を広げる。 「物騒だなぁ、本当に――」 クロヴィスが軽やかに右手を振り払うと、軌道に従って空間に一条の光が生まれる。 勢いよく放たれたそれは、一瞬のうちに腕を横に両断した。 「くっ……」 「そんなものが、僕に通じないのは誰よりも君が知っているでしょ? まぁ古い友人との再会なんだ。じっくり愉しみたい気持ちは僕もあるけどね」 苦々しい表情を浮かべるヴィオレタに、高揚感を隠すこともなく瞳を爛々と光らせるクロヴィスは、嗜虐的な笑みを口元に作る。 ヴィオレタは再び屈んでレイフの身体を自身の手で支えると、鋭い視線をクロヴィスへと向けた。
last updateLast Updated : 2025-07-22
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Nox.III『再会は甘美な死をともなって』Ⅳ

「|死神《リーパー》……?」 それは先ほど、ヴィオレタが男性たちと話している中で、登場した|単語《キーワード》だ。 「えぇ、肉体という檻から解放された魂が辿り着く世界——〝|冥界《オルクス》〟を守護する者たちの呼称よ……」 なんとか彼女の話を理解しようとするも、脳が既にまともに機能してくれていない。 レイフは、どんどんと自分の意識が、この世界から遠のいていくのを感じていた。 視線の先にあるヴィオレタの顔も、王都が誇る美しき夜の街と星空も、今はそのほとんどが|霞《かす》んで見える。 その中でヴィオレタの抑揚がない気怠げな声だけが、|明瞭《めいりょう》にレイフの|鼓膜《こまく》を揺らす。 |日の出前の夜空《ブルーアワー》の色を映したかのようなヴィオレタの髪が、顔にかかると、ひんやりとした心地良さと、柑橘系の凛とした香りが身体を突き抜けてゆく。 ここがどこか遠い、星明かりに照らされた湖のほとりなのではないかという錯覚に陥り、意識を自ら手放してしまいそうになる。 だが、憂いを帯びたヴィオレタの切なげな瞳が、レイフに視線を逸らすことを許さなかった。 彼女の瞳に浮かぶ孤独な気配はどこか、今も夜空をたゆたう蒼月と似ていた。 彼女の語る話はあまりにも荒唐無稽だ。 とてもじゃないが、簡単に信じて受け入れることようなものではない。 それでも――。 |憂愁《ゆうしゅう》の色を|表情《かお》に浮かべるヴィオレタは、まるで悔恨という名の檻に囚われた囚人のようだった。 今ここで彼女を一人にして眠ることなど、できるものか。 彼女のおかげでほんの少しの間だが、姉以外の人の温かさに触れることができた。 レイフの脳裏に彼女が学院に来てからの記憶が、無数の宝石のように極彩色を纏って甦る。 はじめは彼女の身勝手さに振り回されているだけだった。 学校一、いや、街で最も有名な不良が新人教師にパシリのように扱われていることに、最初は周りも笑っていただけだった。 だが、彼らの見方も徐々に変化してゆく。 勉強を教えた後にクラスメイトから、お礼を言われることが増えた。 最初は怖かっただけだろかも知れない。 だが、段々と〝ありがとう〟と伝える彼らの顔には、まぶしい笑顔が浮かぶようになった。 それはときに、照れたようなものだっ
last updateLast Updated : 2025-07-23
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