All Chapters of 欲しがり男はこの世のすべてを所望する!: Chapter 61 - Chapter 70

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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑭

*** 後部座席で体を小さくしながら、稜のアナウンスに耳を傾けていた。「おはようございます! 朝一番に皆様にご挨拶に伺いました、はなお りょうでございます」「稜、次の信号を右折したらマイクのボリュームを落とす。病院があるから」 地図を片手にチェックポイントに来たら、すかさず声掛けをする。学校、病院、養護施設、療養施設等の周辺はボリュームを抑えるか、無音で通り過ぎるのがマナーなんだ。「わかった……」 マイクを下して前を見据える稜を、微妙な表情で見つめることしかできない。一緒に同乗しているウグイス嬢やスタッフ数名も、そこはかとなく漂う険悪な空気を肌で感じているだろう。 私情のもつれを、こんなところで発揮したくないのに――。「相田さん、はじめは大丈夫なの?」 内心悶々としながら地図に視線を落としていたら、どこか感情を押し殺したような震える声で、稜が訊ねてきた。「車に乗り込んでから直ぐに、二階堂にメッセージしたよ。既読になったが、返事が着ていないな」 ポケットにしまっていたスマホを取り出しチェックしてみるが、未だに返事がない。「深追いせずに戻ってくるように、メッセージしてくれない。なにかあってからじゃ問題になるからさ」「わかった。この信号交差点を過ぎたら、アナウンスを開始しても大丈夫だ」 稜に頼まれた二階堂へのメッセージをしつつ指示を出すと、隣に座っているウグイス嬢が袖を引っ張ってきた。「ここは仕切り直しで、私からアナウンスしましょうか?」「そうだね。さっきと同じ要領で、バトンタッチしてくれ。そういう打ち合わせで、稜もよろしく……」 助手席にいる稜に話しかけた途端に、あからさまなため息を大きくつかれてしまった。彼女と話をしただけなのに、こんな態度をされるのは今から頭痛の種だな。「稜、いい加減に気持ちを切り替えないと、マイクから心情がダダ漏れする恐れがある。候補として、気をしっかり引き締めないと――」「そんなのわかってるよ、わかってるんだ。頭では理解していても、どうにもならないことがあるんだってば!」 膝に置いている両手をぎゅっと握りしめ、悔しさを滲ませる横顔に声をかけにくい。「確かに相田さんの態度でイライラしたのは確かだけど、それよりも年配の有権者に言われたことのほうが、かなりショックだったんだ。俺がゲイじゃなかったら、あんな野次
last updateLast Updated : 2025-08-16
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑮

*** 予定していた時間よりも少しだけ遅れてしまったが、商店街の遊説を行った。 駅前での罵倒に気落ちしていた稜だったが、そんなことがあったことを見せず、常に笑顔で有権者と向かい合い、握手をかわしながら自分をアピールしていた。 その姿をちょっと離れた場所から凝視しながら、心底安堵していたときに、ポケットにしまっているスマホが震えて着信を知らせた。 慌てて取り出して画面を確認したら二階堂からの電話で、タップしながら稜に背中を向けて耳にスマホを押し当てる。「もしもし」『二階堂です。あれから稜さんは大丈夫ですか?』 やはり、稜のことが気になったのだろう。開口一番でそのことを訊ねてきた彼を安心させるべく、目の前の様子を伝えてやる。「最初はふさぎこんでいたが、今は笑顔で商店街の遊説をおこなっている最中だ。それと君のことを心配していた。あれからどうなった?」「さすがは秘書さんですね。稜さんの心の傷を、瞬く間に治してしまったようで良かったです。その後、人に紛れて男をつけました。予想どおりの展開でしたよ」 電話の向こう側で笑う二階堂に、眉根を寄せてしまった。どこの誰かがわかって、後をつけたというのだろうか。「二階堂、それって――」「男は、元村陣営の事務所に入っていきました。よくある嫌がらせの手です」 有権者の中に紛れて、あんな罵声を浴びせるなんて、卑怯なことをしてくれる――。「証拠の写真を撮りましたが、音声が入っていない以上、残念ながら今回は証拠になりません。これからはビデオカメラ持参で、遊説にでかけましょう。秘書さん、すぐに用意はできそうですか?」「ビデオカメラは用意できるが、やはり今回の件は、相手陣営に注意をすることもかなわないのか?」「牽制を込めて、してもいいんですけどね。でもあえてそれを見逃して油断させ、同じ過ちを繰り返したところを捕まえるのが、僕の考えでは得策だと考えてます」 さすがは百戦錬磨の選挙プランナー。傷ついた稜の気持ちを考えて、注意を促した自分が恥ずかしい。「捕まえたあかつきには、名誉棄損罪や他にもなか罪状をつけて警察に突き出し、元村陣営に打撃を与える予定でいます」「それは徹底的に、向こう側の痛い行為につながるだろう」「でも間違いなく、その男をばっさり切りますよ。関係ないって。だから後援会にいる、頭の悪そうなヤツを使ったん
last updateLast Updated : 2025-08-17
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑯

*** 投票日まで残りあと4日になった。遊説で出かけるときには必ずビデオカメラを持参し、稜を囲む有権者に気を配っていたが、あれ以来元村陣営からは妙な妨害もなく、肩透かしを食らった感じで日々が過ぎていった。 二階堂が今日の夕方撮影した駅前での映像をテレビに繋いで、嬉しそうにほほ笑んで眺める。 そこにはマイクを使わずに歌いあげる稜の姿が綺麗に映っていて、その音声が事務所に響いた。『膨らんだ感情を押し付けるように私の中へと深く沈みこんで キツく抱きしめて離さないでいて欲しい 心も身体も蕩けるようにアナタを愛したいから♪』「ハリのある澄んだテノールが聞こえたおかげで、たくさんの有権者の足を止めることに成功しましたね」 レイザップのCMとタイアップした稜のセカンドシングル【アナタをアイシテル】のサビの部分は、俺との行為の最中にいきなりメモを取って作詞したものだったりする。「やめてよ二階堂、大音量で映像を流さないでって」 駅前では堂々と歌った稜が慌てふためいて、二階堂からリモコンを奪取しようと手を伸ばしながら俺をチラ見した。『これを歌うときは、いつも克巳さんを思い出しながら歌ってるんだ。心を込めて歌う俺の気持ちを、きっちり受け取ってほしいんだけど』 そう言われて唇を塞がれたのは、いつのことだったろうか――。 稜からの視線に口元を緩ませたら、くすぐったそうにほほ笑み返して顔を背ける。久しぶりに見る稜の照れた表情を見ることができて、仕事中だというのに不謹慎な気持ちになってしまった。 この場に誰もいなければ間違いなく、歌詞の願いを叶えてあげようと稜を抱きしめていただろう。「相田さーん、お電話です。文藝春冬の記者だっていう方だそうで……」 その呼びかけに事務所がしんと静まり返り、テレビで流れている稜の演説だけが虚しく流れた。「秘書さん、文春にすっぱ抜かれる記事でもあるんじゃ……」 接客用に設置されたソファから腰を上げて二階堂が声をかけてきたが、すぐには答えられなかった。だって――。「ありえない。芸能活動していたときのスキャンダルについては、本人からすべて報告を受けているし、問題も解決したものばかりだ。今さらなにが出ても大丈夫なはずなのに」 事務所にいる者全員が俺に注目する中で、保留中になっている電話をとった。「文藝春冬で記者をしている斎藤と申しま
last updateLast Updated : 2025-08-18
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑰

*** 電話の音が鳴り響く事務所の中――二階堂の指示でとりあえず電話を無視したまま、事務所を立ち上げたときのように机と椅子を設置して、顔を突き合わせた。 俺の視界の先にいる上座の二階堂は、メガネのフレームを持ち上げて大きなため息をついた。 横目でそれを見た陵は意を決した感じで立ち上がり、目の前にいる大勢のスタッフに向かって深々と頭を下げる。「みんなが一生懸命にがんばっているのに、それを無にして本当にごめんなさいっ!」 数秒後、顔を上げてから告げられた謝罪の言葉は、聞いたことがないくらいに落ち込んだ声色だった。だが鳴り響く電話の音に負けなかったのは、陵の声に生気があったからだと感じた。「相田さん、今日の正午に駅前で演説する予定だったよね?」 陵は憔悴しきっている表情をしているのに、瞳を輝かせて話しかけてくる。そんな彼の姿にスタッフだけじゃなく、俺や二階堂も目を奪われてしまった。「相田さん?」 思わず見惚れる俺に陵が柔らかい髪を揺らしながら首を傾げる姿で、やっと我に返った。 彼に訊ねられたことを確認すべく、手元にある予定表が挟まっているファイルを取り出し、慌てて中身に目を走らせた。「ああ。商店街の遊説のあとに、駅前のいつもの場所で演説することになっていはいるが……」「そこで釈明会見をする。内容については、これからはじめと一緒に考えようと思うんだけど、それでいいかな?」 二階堂と内容を考える――それは選挙プランナーとしての彼の手腕を、ここぞとばかりに使おうとする陵の考えだろう。 膝に置いている両手に拳を作り、余計なことを口走らないように我慢した。俺が話し合いに入っても、なんの力にもなれないのだから。「それはベストな判断だと思う。二階堂も彼のためによろしく頼む」「貴方に頼まれなくても、陵さんを支えます」「俺はスタッフと一緒に鳴っている電話に出て、釈明会見について説明するが、それでいいだろうか?」 陵のために、自分ができることを考えた結果だった。「……ありがとう、相田さん。たくさん鳴っている電話に出るのは大変だろうけど、みんなと一緒にがんばってください」 一瞬だけ言葉に詰まらせた恋人の様子に心配したが、それどころじゃないのがわかったので、軽く頷いてみせてから、電話の置かれているデスクへと身を翻した。 選挙戦の終盤で明るみに出た陵の過
last updateLast Updated : 2025-08-19
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑱

*** 生まれてはじめて囲み取材を受けたときに着ていたオーダーメイドの濃い目の色したスーツに合わせて、えんじ色のネクタイを締めた陵は、いつも演説している駅前のとある場所で、マイクを片手に握りしめたまま立っていた。 その表情はとても硬いもので、周囲に控えている仲のいいスタッフすら声をかけられず、それぞれ心配そうな面持ちで眺めている状態だった。 ピンと張り詰めた空気を身にまとっている陵の視線の先には、多くの有権者だけじゃなく、テレビカメラを抱えた取材陣がいい絵を撮ろうとごった返していた。 大盛況なその様子を、後方で二階堂と一緒に眺める。「陵との打ち合わせはどうだったんだ?」 選挙プランナーの二階堂なら、どんなトラブルにも対応できるように、マニュアルくらい作成しているだろうと考えて訊ねてみた。「……まったく話になりませんでした」「何だって?」「僕が提案しても、頑なに拒否されてしまったんです。『はじめが俺を守りたい気持ちはわかるけど、それじゃあ駄目なんだ』の一点張りで」 悔しそうな顔をした二階堂の背中を、一回だけ強く叩いてやった。「わっ!」 かけていたメガネがずり落ち、驚きの表情をありありと浮かべる姿は、普段見る落ち着き払った彼とはかけ離れたものに見えた。きっと陵を思って、緊張していることが要因かもしれない。「君が支える葩御稜という男は、一筋縄ではいかない相手だってことだ。俺も手に負えなくて、かなり苦労させられてる」 くすくす笑いだしたら、二階堂の顔がなにを言ってるんだという表情になる。「秘書さんが苦労させられていることは、僕とは種類の違うものなんじゃないですか?」「そんなことはないさ。俺が秘書という仕事している最中は、スケジュールどおりに動くことがあまりない。陵のサービス精神が旺盛すぎて、気になったところにはすぐに寄り道するし、注意しても「相田さんなら、なんとかできるでしょ」なんて軽く言ってのけて、無理やり時間調整を頼む始末でね」「確かに……。毎回じゃないけれど、時間が押していたときがありましたね」「それに加えて、プライベートでは我儘放題。それが葩御稜という男なんだ」(俺が惹かれて止まない華のような君を、こんなふうに遠くから見つめることしかできないなんて――) 切なく思いながら陵を眺めたとき、遠くを見るように首を伸ばしながら顔をし
last updateLast Updated : 2025-08-20
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑲

 俺が決意の色をその表情で悟った瞬間、陵がその場で腰を屈めるなり左手に持っていたマイクを足元に置く。目の前で行われる彼の奇行に、ギャラリーがざわつきはじめた。 そんなことを気にせずに姿勢を正してから、数秒間きちんと頭を下げて、ふたたび顔を上げる。 盛大に息を吸った形のいい唇が、吸いとった空気を全部吐き出すように大きく動いた。俺の目には、それらの行動がスローモーションのように見えてしまったのは、どうしてだろう。「革新党公認候補の葩御稜です」 張りのあるテノールが、大勢がざわつく声を一瞬でかき消した。芸能人のときにおこなっていたボイストレーニングの効果が、未だに有効なことを思い知らされる。「陵さん、いったいなにを言うつもりなんでしょうか。もしかして今回の選挙を、辞退するなんてことを……」「それはありえない。これまで一緒に戦ってきたスタッフたちの苦労を無にしないように、どんなことがあっても歯を食いしばりながら、そこに立ち続ける男なんだ」 二階堂との話を中断するように、陵が話し出した。「投票日まで残り3日となりました。こうやって皆さんの前に立たせていただくのも、もしかしたら今日が最後になるかもしれません」(――今日が最後って、それって二階堂の考えていたことが現実化するのか!?) 表情を一切変えずに淡々と喋る陵から、どうしても視線が外せなかった。「昨日販売された週刊誌に掲載された私事について、この場にて釈明いたします。今から十数年前、当時の私は未成年でありながら、お酒を飲んだという記事が出ました」 とてもよく澄んだ声が、耳だけじゃなく心にも突き刺さる感じで聞こえてくる。陵の後方に控えている女性スタッフの数人は、両手で顔を押さえながらすすり泣いていた。 大勢の人がいる中でみんな揃って静まり返っているので、女性スタッフの嗚咽する声が妙に響く。複雑な感情を抱えた陵の声を聞くだけで、得も言われぬ衝撃を受けているのが自分だけじゃないことが、目に映るスタッフたちの表情でわかった。「掲載されているものすべてが事実ではございませんが、私がお酒を飲んだことについては認めます。大変申し訳ございませんでした」「ほぉら、言わんこっちゃない! 芸能人だからって、なにをしてもいいと思ってるんだろ!!」 深く頭を下げた陵に向かってヤジを飛ばした声は、聞き覚えのあるものだっ
last updateLast Updated : 2025-08-21
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――⑳

***(克巳さんや二階堂のお蔭で、起死回生のチャンスが巡ってきたのかもしれない――) 未成年者だったときにおこなった悪さが原因で、選挙戦後半の大事なときに実の母親が仕掛けた罠に足を引っ張られ、心の底から肝が冷えた。 だけどそんな自分の感情を、必死になって抑え込んだ。今まで献身的に支えてくれたスタッフや有権者を裏切ることをしたくなかったので変に誤魔化さず、素直な気持ちを言葉に変換して、大勢の人に伝えることができた。 謝罪したその日の夕方と次の日のワイドショーは、そろってその映像をもとに放映された。 今回の騒ぎで迷惑をかけたこともあり、選挙日まで遊説など外出をせずに事務所で謹慎していたので、こうして全国規模で流されるのは、本当にありがたみを感じた。 たとえテレビの内容が自分を叩くことであっても、必然的に多くの有権者の目に入る――それにより選挙の結果がどうなるかはわからないけれど、ワクワクしながら投票日になるのを待った。(――あと数時間後には、今回のことを含めた審判がくだされるんだな……) そんなことを考えつつ、事務所の片隅で克巳さんが二階堂と向かい合って、熱心になにかを喋っている言葉に耳を傾けた。「二階堂、各局それぞれの番組をチェックしてみたのだが、反応はハーフハーフといった感じに見えた」「そうですか? 僕はむしろ、稜さんを賛辞しているところが多かったように思えましたけど。潔く自分の非を認めて頭を下げることは、容易じゃないですからね」 選挙結果を待っている最中になされるふたりの会話を聞いて、思わず口元が緩んでしまった。選挙戦後半になってからは、今のように顔を突き合わせて、話し込んでいる姿がよく目に留まった。 以前なら喧嘩腰で話をすることが多かったのに、ハプニングが起こるたびに、いつの間にかふたりの距離が縮まったらしい関係が、いいコンビだなと実感させられた。 それは、俺が妬いてしまうくらいに――。 彼らの会話にずっと耳を傾けていたいのは山々なれど、つけっぱなしにしているバラエティー番組の隅に映し出されるであろう、開票速報の音も同時に探していた。 画面の中でわいわい楽しそうに騒いでいるお笑い芸人のギャグを見ても、頭の中にまったく入ってこない。開票速報の結果が知りたくて、うずうずしながら膝に置いてる両手を握りしめたときだった。「秘書さん、あの
last updateLast Updated : 2025-08-22
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――㉑

「だったら二階堂、チャンスをあげようか。どうする?」「――チャンス、ですか?」 ちょっとだけ首を動かして、顔を上げた二階堂の表情がわからなかった。メガネのレンズが蛍光灯に反射するせいで、驚いているのか困惑しているのかすら判断ができない。「選挙プランナーを辞めて、陵の補佐をしてほしいと思ってね」「なっ!?」「この選挙に陵が絶対当選すると、俺は予想している。だからこそ、その後のことを考えた結果だ。二階堂、政治家に顔の利く君がいれば、陵がしたい政策がしやすくなるだろう」 克巳さんからの意外な提案に俺だけじゃなく、二階堂も開いた口が塞がらない状態だった。「陵の傍にいれば、いつかはチャンスが巡ってくる可能性だってある。違うか?」「秘書さん、大丈夫ですか? 仰ってる意味を理解しているのでしょうか」「もちろん。陵の秘書として、二階堂がいれば百人力だと考えた。デメリットは、愛しい人が自分よりもイケメンに狙われるということだが、俺はなにがあっても平気だと思ってる」(克巳さん、貴方って人は――) 心配になってふたりの会話に耳をそばだてる俺を尻目に、克巳さんは飄々とした態度を貫く。そんな彼を見て、二階堂が苦虫を噛み潰したような表情をした。「ライバルに堂々とそんな宣言をされて、傍にいられるような図太い神経を、僕は持ち合わせていないですよ。補佐の話はお断りします」「そうか、残念だな」「秘書さんだけじゃなく、陵さんのガードも相当なものですから。押しても引いても、まったくびくともしなかった」 二階堂がパイプ椅子の背に、躰を預けたときだった。事務所にある電話が、けたたましい音を立てて鳴り響く。 電話の目の前にいたスタッフがすぐさま受話器を取り、相手からの要件をしっかりと聞きながらメモを取りはじめた。「もしもし。はい、葩御(はなお)8100。元村16500」 もう一人のスタッフが電話の声に反応して、ホワイトボードに告げられた数字を書いていった。「皆さん、落ち込んでいる場合じゃないですよ。開票は、まだはじまったばかりなんです。陵さんを信じて投票してくれた方が、絶対にたくさんいます。この差が縮まることを信じましょう!」 2倍の差をなきものにするような大きな声を張り上げたはじめに、すっかり気落ちしていた俺は笑うことができた。「ありがとう、はじめ。このままもっと差
last updateLast Updated : 2025-08-23
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――㉒

***「もしもし。はい、葩御(はなお)8100。元村16500」 陵を信じて投票した有権者が自分の予想を超えていたことに、内心安堵のため息をついた。若者よりも年配者の多い地区だけに、スキャンダルな過去の出来事が明るみになった時点で、クリーンな政策を推し進める元村が優勢なのは目に見えていた。 だからこそ、もっと差がつくと考えていたのだが、元村と半数あまりの開票差はまだまだ先が分からないだろう。「二階堂、おまえはこの差をどう見る?」 その場にいるスタッフが陵に労いの言葉をかけている間に、腕を組みながら隣で座っている二階堂に疑問を投げかけた。「そうですね。開票がはじまったばかりなので、こうなるという確証は言えないですが、ギリギリまで陵さんが追う立場になるでしょうね」「その根拠はなんだろうか?」「テレビで例の件が放送されましたが、選挙戦最終日の3日間、地元で遊説せずに追い込みをかけられなかったのが、やはり痛かったと思います。それと昨日街頭で、無記名によるアンケート調査をしてみました」 二階堂のセリフで、昨日午後から彼が不在だったことを思い出す。確か手の空いてるスタッフも、数名ほど一緒にいなくなっていた。「そんなことをしていたなら、俺にも声をかけてくれたら良かったのに」「秘書さんは陵さんの傍で、不安定になっているメンタルを支えてほしいと考えたので、あえて声をかけませんでした」「さすがは選挙プランナー。陵の精神状態から有権者の動向を考えて仕事をするなんて、俺には絶対に真似ができない」「僕では陵さんの傷ついた心を癒すことはおろか、支えることもできませんから。秘書さんには敵いません」 互いに目線を合わせて苦笑いしているときに、ふたたび電話が鳴った。これ以上の差が開きませんようにと願いながら、電話に出たスタッフの声に耳を傾ける。 二階堂は眼鏡のフレームを上げながら、ホワイトボードに鋭い視線を飛ばしていた。耳からの情報と共に数字で現状を把握しようとしているのが、真剣な横顔から伝わってくる。 追う立場になると言いきった二階堂の言葉を思い出しながら、スタッフの返答を待つ。「もしもし、葩御25800。元村42000……」 微妙すぎる得票差を聞いて、事務所にいるスタッフ全員が険しい表情になった。「すごいね。俺に2万5千人も票を入れてくれた人がいるんだ」
last updateLast Updated : 2025-08-24
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白熱する選挙戦に、この想いを込めて――㉓

 なにを言えば陵が納得するかを考えていたら、渋い表情の二階堂がやれやれと先に言葉を発した。「僕としては最初からぶっちぎりの得票差で勝つよりも、今みたいにハラハラしながら追い上げていく選挙が好きです」「はじめには聞いていないのに、どうして口を出してくるかな」「なにを言うかと思ったら。仲のいいところを見せつけられる、僕の身にもなってほしいです。口出しの一つや二つくらいしたくなりますよ」 軽快なやり取りをするふたりを、俺は漫然と眺めるしかなかった。 最初よりも差が縮んでいるとはいえ、それがもっと縮まるという保障はどこにもない。このまま、元村が逃げ切る可能性だってある。 そんな不安を抱えるせいで、いつものように会話することができない。「秘書さん、いい加減にそろそろ、眉間のシワをとっていただけませんか。陵さんを心配する気持ちはわかりますが、最終的な結果が出るまでは、できるだけ笑顔を心がけていただけると助かります」 不安な表情をズバリと指摘されたので、自分なりに笑顔を作ってみたのだが、どうしてもうまくいかず、引きつり笑いになるのがわかった。「済まない。選挙プランナーの君の意見をきちんと聞かなければいけないことくらい、頭ではわかっているのに」「克巳さん、無理しなくていいよ」「陵……?」 自分を見つめる陵の眼差しはどこまでも澄んでいて、不安の欠片がまったく見当たらないものだった。「俺の代わりに克巳さんが、マイナスの感情をわざわざ背負ってくれている気がするんだ。そのおかげでどんな状況でも、ポジティブに考えられる。ありがとね」「そんな、こと――」(こんなときだからこそ、大事な君を支えなければならない言葉のひとつくらい、かけることができたらいいのに)「さぁて、凄腕の選挙プランナーの得票予測数を見たいんだけど、用意しているんでしょ? はじめならやっているよね?」 二の句が継げられず困惑して固まってる俺を解放するためなのか、陵は二階堂に話しかけながら、ホワイトボードのあるところに向かう。頼もしいその背中を、ただ見送るしかなかった。「さすがは陵さんです、当然予想していますよ。僕の考えによる、奇跡の道程をお見せしましょう」 弾んだ声に導かれるように、スタッフも二階堂の傍に集まった。 がらりと雰囲気が変わった事務所のおかげで、俺の中にある不安もかなり癒され
last updateLast Updated : 2025-08-25
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