All Chapters of 火葬の日にも来なかった夫、転生した私を追いかける: Chapter 1261 - Chapter 1270

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第1261話

それは果てしなく続く白い世界だった。礼央は二枚の紙を握りしめ、広い墓地に立っていた。一枚は火葬通知書で、もう一枚は離婚届だった。紙の上に書いてある文字は鮮明で、署名欄には彼の署名があった。なぜ署名したのか、彼は思い出せなかった。ただわかっているのは、真衣も千咲もすでにいないということだけ。彼は二つの冷たい骨壷を抱えている。小さくて軽いのに、彼はそれをとても重く感じた。彼は果てしなく続く道を一歩一歩進んだ。耳元では海風が唸り、潮の香りが鼻を突き、喉が締め付けられるように痛んだ。どこへ向かうのかわからない。ただ、二人を連れて行くだけはわかっていた。誰にも見つからない場所へ。二人ともう二度と離れないように。荒れ狂う波が岸を打ちつける音は、真衣の押し殺した泣き声に似ていた。あるいは千咲が「パパ」と呼ぶ声のようでもあった。「パパ、抱っこして」「礼央、私を見て」それらの声は無数の針のように彼の心を貫き、礼央は痛みで身をよじった。突然、押し寄せる海水。冷たく、潮臭く、彼の口や鼻から激しく流れ込んできた。全身が窒息しそうだった。「ゲホッ――」突然、彼はむせるほど咳き込んだ。鉄臭い液体が舌先に溢れ、口元から流れ出て、真っ白な枕カバーを赤く染めた。礼央の目は恐怖に満ち、彼は大きく目を見開いた。激しく上下する胸。呼吸するたびに引き裂かれるような痛み。悪夢の光景が脳裏を駆け巡り、いつまでも消え去らない。「礼央!」真衣の声は闇を切り裂く光のようだった。彼女が駆け寄ると、礼央は全身の力で彼女を引き寄せ、抱きしめた。まるで真衣を自分の身体に溶け込ませるように、ただ力強く彼女を抱きしめた。ふいに熱い涙が真衣の鎖骨にこぼれ落ち、彼女の胸を震わせた。「ごめんな……本当にごめんな……」礼央はかすれた声で言った。「全部俺のせいだ……署名なんてするんじゃなかった……お前と千咲を離すべきじゃなかったのに……」真衣は力強く礼央に抱きしめられて息が苦しかったが、離れようとはしなかった。真衣は彼の体の震え、声に滲む絶望と恐怖、そして劫火をくぐり抜けた後のような恐怖に震える心臓の鼓動を、はっきりと感じ取っていた。真衣は手を上げ、そっと彼の背中を撫でた。「礼央、どうしたの?何を言ってるの?言葉の意
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第1262話

「私たち二人とも無事だし、あなたから離れたりしないわ」礼央は動きを止め、真衣を抱く力を少し緩めた。礼央は背筋を伸ばした。その瞬間、礼央は突然激しく咳き込んだ。真衣は礼央の胸元が震えているのをはっきりと感じられた。礼央は真衣の服の裾を必死に握りしめ、力んだ指の関節が白くなっていた。次の瞬間、温かい液体が真衣の手に飛び散り、血の匂いが漂った。真衣はその場に凍り付いたようになった。青白い灯りの下、飛び散った鮮やかな血を見て、真衣の心は痛んだ。「礼央!」真衣は手を伸ばして礼央を支えようとしたが、彼は顔を背けた。礼央は真衣に背を向けたが、肩はまだ激しく上下していた。その後も礼央は激しく咳き込んだ。しばらくして、ようやく咳が落ち着くと、礼央は言った。「俺は……大丈夫だ」礼央の声はひどくかすれていた。真衣は胸が苦しくなり、深く息を吸った。礼央の痩せた背中と、首に浮いた血管を見つめ、真衣の脳裏にあることがよぎった――礼央は氷原を歩いていた時にも血を吐いていた。しかしその時、真衣は高熱にうなされ、そのことを深く考えられなかった。うつ病や凍傷では、喀血はしないはずだ。礼央は何か他に、自分の知らない病を患っているのかしら?そう考えると、真衣の背筋が凍ったように寒くなった。真衣はそれ以上考えるのが怖くなり、下唇を噛みしめた。礼央は真衣の異変に気付き、振り返った途端、また激しい咳に襲われた。礼央は身体を丸め、片手でベッドの縁を支えた。彼の額には冷や汗が浮かんでいた。胸から心臓へと広がる刺すような痛みは、呼吸するたびに肺を削られるようだった。礼央は真衣に惨めな姿を見られたくなかった。彼女を心配させるのを恐れ、彼は苦痛を必死に耐えた。真衣はもう我慢できず、慌てて携帯を取り出した。真衣は総士や麗蘭に電話をかけようとした。彼らは礼央が信頼する医者であり、きっと彼を救う方法を教えてくれるはずだ。しかし、彼女は緊張で手が震え、何度も番号を押し間違えてしまった。ようやく総士の番号をダイヤルし、通話ボタンを押すと、画面に「圏外」の表示が現れた。その文字は、真衣の心の最後の希望を一瞬で消し去ってしまった。真衣は携帯の画面を見つめ、ベッドに苦しそうに眉をひそめながら横たわる礼央を見て、自分の無
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第1263話

「もうこれ以上は話さないで」真衣は礼央を見つめながら言った。「少し休んで、体力を温存して」礼央はじっと真衣を見つめた。灯りに照らされた彼女の目は充血しており、目の下にはうっすらとした青黒いクマがあった。この数日、礼央のそばを離れず看病し続け、無理を重ねて体をすり減らしてしまったのは明らかだった。礼央は真衣を見つめ、何か言おうと唇を動かした。しかし結局、ただ軽く頷いてこう言った。「わかった」しかし実際は、心の中でいろいろな感情が渦巻いていた。様々な苦痛と、苦い思い出、そしてうまく言葉にできない温もり。真衣はしばらく座っていたが、やはり気がかりで仕方なかった。真衣は立ち上がり、そっと彼の掛け布団を整え、病室を出て行った。廊下は静まり返り、非常灯だけが微かな光を放っていた。真衣は他の部屋を訪ね歩き、咳止めの薬やのど飴を持っていないか尋ねた。メンバーの多くが礼央の部下であり、彼らは真衣の様子を見て状況を察し、鞄の中を探し始めた。間もなく、真衣は咳止めの薬とのど飴を手に入れることができた。真衣は礼を言い、急ぎ足で病室に戻ると、ぬるま湯を注ぎ、礼央に薬を飲ませた。「薬を飲んで。少しは楽になると思うわ」しかし礼央はわかっていた。これらの市販薬は彼の病にはまったく効果がないのだと。それでも礼央は薬を飲み、のど飴を一つ口に含んだ。爽やかなミントの香りが口の中に広がったが、喉の奥の血の匂いは消えなかった。夜が更けるにつれ、病室には二人の浅い呼吸音だけが響いていた。礼央の容態は改善せず、彼は時折むせるような激しい咳をし、その度に胸に鋭い痛みが走り、額に細かい冷や汗が浮かんだ。真衣は礼央の傍で彼の汗を拭い、片時も目を離さなかった。真衣は、たとえ一瞬でも目を離せば、取返しのつかない事態になるような気がして怖かった。礼央はそんな真衣の頑なな姿を見つめていた。礼央は言った。「俺はもう大丈夫だ……お前は部屋に戻って休め」真衣は首を振り、もう一度礼央の手を優しく握った。「あなたが心配なの」病室は再び沈黙に包まれた。礼央の閉じたまぶたや青白い唇を見て、真衣はこの夜が永遠に続くように感じた。真衣はためらいながら口を開いた。「ここ数年のことについて、良かったら話してくれない?」礼央は微かに眉をひ
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第1264話

礼央の声はかすれていたが、昨日よりは明るくなっていた。「もう起きていたのか?」真衣は少し安堵し、連日の張り詰めた気持ちが和らいだ。真衣は頷き、手を伸ばして掛け布団を整えながら言った。「咳は止まった?」「ああ、いつものことだ」礼央は言った。「時間が経てば落ち着く」彼は詳しく語らず、真衣も深くは尋ねなかった。ただ、血色を取り戻した礼央の顔を見て、真衣はようやくほっと一息つくことができた。真衣は立ち上がって白湯を注ぎ、礼央が少しずつ飲むのを傍で見守った。しかし、この束の間の平穏は、すぐに別の事態によって破られてしまった――行方不明のチップの手がかりは、依然として掴めずにいた。観測所の会議室は、窒息しそうなほど重苦しい空気に包まれていた。隈川は最前列に立ち、眉をひそめながら一同を見回した後、彼は真衣に視線を向けた。「寺原さん以外、我々は全員観測所から離れていません」「チップが紛失した当日、外出していたのは派遣要員の寺原さんだけです」この言葉に、会議室に囁き声が広がった。一同が探るような目で真衣を見つめた。真衣は落ち着いた様子で、背筋を伸ばし、椅子に腰かけていた。真衣は隈川に言った。「隈川さん、私を疑うのなら、証拠を提示して下さい」「チップの紛失は重大な問題です。根拠のない推測で結論を出すべきではありません」「根拠?」隈川は冷笑した。「道路が封鎖され、通信手段も途絶えているのに、どうやって証拠を手に入れろと言うのですか?」「唯一疑わしいのは、あなたなんですよ」「もういいだろ」礼央の声が突然響いた。彼はいつの間にか会議室の入り口に立っていた。顔色はまだ優れなかったが、声には威圧感があった。「証拠がない以上、他人を疑う権利はない」「真衣は俺が招いた専門家だ。彼女の人柄は俺が保証する」隈川は動揺しながら、礼央の顔を見つめていた。隈川は結局、言いかけた言葉を飲み込み、ただ冷ややかに鼻を鳴らして顔を背けた。真衣は礼央の方を見た。彼女はわかっていた。彼が今言った言葉は、どんな弁解よりも説得力を持っているのだと。会議は微妙な空気が流れたまま終わり、会議室には真衣と礼央の二人だけが残った。窓の外では吹雪がまた激しくなっていた。「通信機器は修理できそうか?」礼央が先に口を
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第1265話

チップを早急に回収するため、利用可能な全てのリソースを調整し、彼らに次の指示を待つよう待機させる必要がある。電話を切り、真衣は安堵のため息をついた。真衣は通信室から出ると、こちらに向かって来る礼央とすれ違った。礼央は手に持っていたコートを真衣の肩に掛けて言った。「風が強いから、風邪を引くなよ」真衣が礼央に礼を言おうとした時、彼女のポケットの携帯が鳴った。着信は麗蘭からだった。通信は途切れていたが、彼女の声を十分に聞き取ることができた。真衣は電話に応じるため、場所を変えた。「寺原さん、そっちの通信環境は復旧したのね?」麗蘭は声を落して尋ねた。「礼央の様子はどう?喀血したって聞いたけど?」真衣は足を止め、傍にいる礼央を一瞥して言った。「今はだいぶ落ち着いているわ。咳き込むこともなくなった」「麗蘭さん、礼央の体調について教えてもらえるかしら?彼はなぜ喀血をするの?喀血はうつ病による症状ではないはずだよね?」麗蘭は電話の向こうで少し沈黙した後、話し始めた。「心臓の血管が損傷しているの」「ここ数年は薬で体調を維持してきたけれど、南極の過酷な環境で、恐らく身体が疲弊し、風邪も重なって持病が再発したんだと思うわ。喀血は心臓血管の損傷が悪化している兆候なの」真衣の心は沈んだ。つまり礼央は数年の間、このような痛みや苦しみに耐え続けていたのだ。真衣は電話を切った後、礼央の部屋に向かって歩き出した。ドアを開けた瞬間、真衣はその場に凍りついた。礼央は分厚い設計図を前に、机に座っていた。「通信環境も復旧したことだし、作業を再開しようか?」礼央は続けた。「チップの問題を遅らせるわけにはいかない。私的な理由でプロジェクトを止めるわけにはいかないからな」「でも、身体はまだ完全に回復していないわ」真衣は礼央の傍に歩み寄り、彼の青白い顔を見つめて眉をひそめた。「もう大丈夫だ」真衣は言った。「チップの件だけど、かなり謎が多いわよね」礼央は表情を曇らせて頷いた。「確かに。観測所の警備は厳重で、外部の者は入れない」「チップが消えたということは、恐らく問題は観測所内部にあると見て間違いないだろう」その時、ドアの外で足音が聞こえた。隈川が苛立った様子で言った。「高瀬社長、寺原さん、政府から連絡が入り、観測
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第1266話

礼央は、何か言おうとしたが真衣に遮られた。「説得しても無駄よ。考えは変えないわ」隈川は二人のやり取りを見てため息をつき、それ以上は何も言わなかった。隈川は礼央の性格や、真衣の決意を読み取り、何を言っても無駄だと悟ったようだった。観測所の他のメンバー達は次々と荷物をまとめ、礼央と真衣に別れを告げた。車は雪煙を巻き上げながら、白い雪原の果てに徐々に消えていった。広々とした観察所は一気に静まり返り、二人の息遣いだけが響いていた。真衣は礼央の痩せた背中を見て言った。「やっぱり、市街地の方の病院に行かない?体調が回復してから戻って来ても遅くないわ」礼央は振り向いた。「自分の身体のことは自分が一番よくわかっている」礼央は言った。「ずっと前からの持病なんだ、二日も休めばよくなるさ」真衣が何か言おうとすると、礼央は彼女の肩にそっと手を置いた。「心配しないで。ここには十分な物資がある」礼央は物置きを指さして言った。「缶詰、クラッカー、飲料水。半月は持つだろう」「発電機も稼働しているし、暖房や照明も問題ない」真衣が物置きに目をやると、少し開いた扉から積み上げられた物資が確認できた。その瞬間、真衣は気付いた。礼央はとっくにここに残る準備を整えていたのだ。礼央は窓際に立ち、窓の外に広がる果てしない雪原を見つめた。「紛失したチップは、やはり見つからない」「だがこの研究は止められない」真衣は白湯を注いで、礼央に差し出した。真衣は離れたメンバーの表情を思い出し、礼央に言った。「メンバーの中には残りたいと思っている人もいたみたいだけど?」礼央は白湯を受け取って頷いた。「俺が彼らに去るように言ったんだ」「上司が残るから、彼らは去りづらいと感じたのだろう。だがここにいても、リスクが増すだけで意味がない」礼央は部下たちに自分と一緒に危険を冒してほしくはなかった。ましてや、この極寒の地で、自分と共に時間を浪費してほしくなかった。真衣は礼央の横顔を見つめ、からかうように言った。「あなたは会社の経営や社長としての役割しかできないと思っていたけれど、部下を気遣うこともできるのね」礼央は真衣を見つめ、わずかに微笑んで言った。「俺は救援航空機のチッププロジェクトの責任者なんだ」「俺は、初期のモデリングからその後のプロ
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第1267話

真衣は礼央を見て言った。「あなたは私のこと、簡単に騙せる子供だとでも思ってるの?」礼央は真衣の言葉を聞いて、少し笑った。礼央は真衣を見つめて言った。「時々、お前が本当に簡単に騙される子供みたいだったらいいのになって思うことがある」少なくともそうなら、真衣が自分についてこの泥沼に足を踏み入れることはなかった。この吹雪の中、一緒に留まることも、この渦巻く危機に巻き込まれることもなかった。真衣が口を開いて何か言おうとした時。礼央は話題を変えた。「今晩、何が食べたい?俺が作るよ」「何でもいいわ」真衣は少し驚いて、すぐに頷いた。真衣はここにある食材が限られていることに気付いていた。温かい食事を用意するだけでも大変だろう。「食材はそう多くないから、二品ほど簡単な料理を作ろうか」礼央はそう言うと、物置きへ向かって歩いた。礼央の足取りはふらつき、身体も痩せていて、明らかにまだ完全に回復していなかった。真衣は立ち上がって礼央の後を追った。「私も手伝うわ」「いいよ」礼央は振り返って真衣を見た。「座って待っててくれ。疲れちゃうだろ」礼央は一人でキッチンに入り、不慣れな手つきで食材を探した。真衣は複雑な気持ちで、キッチンで忙しく動き回る礼央の背中を見つめた。礼央が料理をする姿など、真衣は今まで一度も見たことがなかった。彼は普段から、華麗にスーツを着こなし、様々なビジネスシーンを駆け巡っていた。そんな彼の庶民的な姿など、想像すらできなかった。キッチンからは鍋や食器がぶつかる音や、時折礼央の咳き込む声が聞こえた。真衣は思わずキッチンに駆け込んで言った。「礼央、無理しないで、こっちで休んで」エプロン姿の礼央は振り返って微笑んだ。「無理なんかしてない」礼央は少し間を置いて言った。「それに、もう長くはもたないだろうから」真衣は彼の言葉の意味が理解できず、眉をひそめた。身体が弱っているせいで、気落ちして言っただけだろうと思い、真衣はそれ以上は尋ねなかった。その後、礼央の簡単な手料理が運ばれてきた。ピーマンとお肉の炒め物と、トマトと卵の炒め物だった。礼央はエプロンを外し、真衣の向かいに座ると、彼女がお箸を取る様子を見つめた。真衣がお肉を一口食べると、身体が少しずつ温まっていくのを感じた。真衣は
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第1268話

ドアが静かに閉まり、部屋の暖かさを遮断すると、同時に真衣の安心感も奪われた。真衣は椅子に座り、ソワソワしながら入り口を見つめた。一分、二分、十分……時間が過ぎていくが、礼央は一向に戻ってこない。真衣の心はどんどん沈んでいき、もはや座っていられなくなった。真衣は上着を掴むと、速足で入り口に向かい、ドアを開けた。夜は墨を流したように暗く、雪明かりが空の半分を照らしていた。真衣が目を細めて遠くを見ると、その場に凍りついた――雪原に、ぼんやりとした数人の人影が観測所に向かって歩いてくるのが見えた。明らかに野生の動物ではない。彼女らを狙ってやって来たのだ。その恐怖に、真衣の全身が震えあがった。深く息を吸い込み、振り返ってドアをロックしようとした瞬間、突然手首を掴まれた。振り向くと、礼央がこちらを見ていた。礼央はいつの間にか背後に立っており、その手は冷たかったが、力は驚くほど強かった。「落ち着いて」礼央は声を潜めて言った。「奴らは俺たちを狙っている。すぐに荷物をまとめて、ここから離れよう」真衣は礼央の目を見て、すぐに状況を理解した。あの連中は、チップの失踪と無関係ではないだろう。真衣は頷くと、礼央に引っ張られるようにして、急いで屋内に駆け込んだ。暖かな灯りはまだついており、テーブルの料理は湯気を立てていたが、二人には食事を楽しむ時間も余裕もなかった。礼央は真衣を引き連れて寝室へ直行し、ベッドの下から事前に準備されたリュックを引きずり出した。中にはクラッカー、飲料水、救急キット、そして最も重要な――衛星電話とGPS端末が入っていた。「これを着て」礼央は分厚い防寒服を真衣に渡し、自分のリュックを彼女の手に押し付けた。「これを持って、ついて来るんだ」真衣は急いで防寒着を着ながら、不安げに礼央に尋ねた。「どこへ行くの?」「クレバスだ」礼央の声は恐ろしいほど冷静だった。「あの地形は複雑で身を隠すのに適している。奴らもすぐに見つけることはできないだろう」ドアの外では足音がどんどん近づき、人の話し声まで聞こえてきた。真衣の心臓は激しく鼓動し、リュックのストラップをぎゅっと握りしめた。礼央は荷物を点検し、問題ないことを確認すると、真衣の手を握った。「心配しないで」礼央は真衣の
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第1269話

礼央は真衣の手を強く握りしめながら、雪の中を駆け抜けるように進んだ。冷たい風が顔に吹き付け、雪で視界は遮られ、一面が真っ白な銀世界だった。「真衣」礼央は微かに震える声で言った。「この先何か状況が変わったら、別々に行動しよう」「俺が連中をおびき寄せる。お前はここを離れて、チップの紛失を政府に伝えてくれ」真衣はよろめきながら礼央の顔を見上げた。礼央は驚くほど冷静で、表情も落ち着いていた。彼はまるでこの展開を、前もって予測していたかのようだった。真衣は嫌な予感がし、思わず尋ねた。「彼らの狙いはあなた?それとも私?」本来であれば、観測所にいる人間はとっくに離れており、残された物資も取るに足らないはずだ。彼らが吹雪を冒してまで追ってくるということは、間違いなく誰か特定の人物を狙っている。「今は余計なことを考えるな」礼央は彼女の視線を避けて言った。「しっかり掴まって」礼央はまた言った。「連中は数が多い。明らかに準備をしてきている」「この先の分岐点で、お前はクレバスへ行け。あの地形は複雑だから隠れるには絶好の場所だ」「俺が連中を引きつける」「私たち二人のうち、誰かが犠牲にならないといけないの?」真衣の声は微かに震え、胸の奥で何かが詰まったように、息苦しい痛みを感じた。礼央の微かに震える身体や、青ざめた顔を見て、真衣の胸は苦しくなった。完全に身体が回復していない彼に、どうして連中を引き付けられるのかしら?礼央は足を止め、真衣を見た。「これは犠牲じゃない。作戦なんだ」「俺は今、自由に動けない。身体も完全に回復していない」礼央は声を低くして続けた。「俺の傍にいたら、お前を危険に晒してしまう」背後の足音はどんどん近づき、やがて、彼らの話し声まで聞こえるようになった。彼らは周到に準備をしてきたようで、雪の中を進む速度も二人よりずっと速かった。真衣は下唇を噛んでいたが、突然止まり、礼央の手を振りほどいた。「それなら私が彼らの気を引き付けるわ。あなたはクレバスにいて。状況が落ち着いたら落ち合いましょう」真衣は危険性を十分に理解していた。恐らく自分は彼らに捕えられてしまうだろう。しかし、真衣は礼央の体調が心配だった。何より、彼は千咲の大切な父親なのだ。礼央は困ったように、手を伸ばして真衣の腕を
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第1270話

「もう時間がないんだ!」礼央は、再び真衣の手を強く握りしめた。「いいか、クレバスまで走るんだ。俺が奴らの気を逸らしておく」「忘れるな。生きて、政府に連絡するんだ」礼央は話を終えるとすぐに、真衣を無理やり脇道の方へ押しやった。「走れ!」その声に、真衣の耳がズキズキと痛んだ。真衣はよろめきながら数歩後ずさりし、礼央が向きを変えて反対方向へ走り去っていくのを見守った。「礼央!」真衣は彼の名を大声で叫んだが、声は吹雪と共に飲み込まれてしまった。真衣の視界は涙でぼやけていた。彼女は懐中電灯の光をを頼りに、礼央の進んだ方へ向かって歩き出した。彼女は時折立ち止まった。凍えるような寒さの中、涙が何度も頬を伝った。だが、彼女は思い直した。礼央から託されたことをやり遂げなければならないと。真衣は深呼吸をして涙を拭い、向きを変えてクレバスに向かって走り出した。吹雪が顔に当たって痛かった。真衣は少し進んだところで突然足を止めた――観測所にスノーモービルがあったはずだわ!礼央は連中を反対方向に誘導している。今観測所に戻れば、一緒に逃げられるかもしれない。それが生き残る唯一のチャンスだと思った。真衣は歯を食いしばって向きを変え、身を切るような冷たい風に逆らって走って戻った。かすむ視界の中、雪は膝まで積もり、一歩一歩が鉛のように重く感じられた。ようやく、少し遠くに観測所が見えた。真衣は息を止めてしゃがみ、壁に近づきなが周囲の動きを注意深く観察した。辺りに誰もいないことを確認すると、真衣はガレージに駆け込み、スノーモービルを覆っているシートを引き剥がした。エンジンは轟音を立てて始動し、吹雪の壁を突き破った。真衣はハンドルをしっかりと握りしめ、礼央が去った方向へ急いだ。スノーモービルが雪の中をひた走る中、真衣は胸に強い思いを抱いていた――必ず礼央を見つけ出し、一緒に彼らの手から逃げてみせるわ。一方。礼央の足取りは次第に重くなり、一歩踏み出すごとに、傷が痛んだ。背後から迫る追手が徐々に包囲を狭め、礼央を取り囲んだ。「高瀬社長、逃げてももう無駄だ!」先頭の男が冷たく笑い、陰険な声で言った。「どうせ逃げられないんだ。それに、あんたには守りたい女がいるんだろ?」礼央は冷ややかな表情で四
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