All Chapters of 火葬の日にも来なかった夫、転生した私を追いかける: Chapter 1571 - Chapter 1580

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第1571話

「失せろ」時正は絞り出すように言った。その声は冷たく、一切の感情がなかった。琴美は恐怖のあまり身体がふらつき、それ以上近づくことができなかった。医者と救急車が、現場に駆け付けた。救急隊員が部屋に突入し、直ちに麗蘭の救命措置を開始した。心電モニター、酸素、心肺蘇生……彼らはあらゆる手段を講じた。「患者は自発呼吸がない上、心拍もなく、同行が開いています……」「長期間絶食していたようで、極度の衰弱が見られます。また、それによる臓器不全、或いは急性中毒の疑いも……」「すぐにICUへ送ります!緊急措置の準備をお願いします!!」耳をつんざくような警報音が鳴り響いた。麗蘭は担架で運ばれた後、急いで救急車に乗せられ病院へと向かった。時正も救急車に乗り込み、冷たくなった麗蘭の手を握りながら言った。「私が間違っていた、もう止めたりしない。だから、どうか生きて……」救急車はサイレンを鳴らしながら、道路を疾走した。麗蘭の顔は青白くなり、生気がなく、死に瀕していた。時正は彼女の傍に座り、まるで深淵に突き落とされたような気分に襲われた。彼はただ彼女を生かすために、極端且つ残酷な方法で彼女を傍に留めようとした。しかし今、彼は自分の手で、彼女を死に追いやった。病院には、青白い明かりが灯っていた。集中治療室のドアが、ゆっくりと閉まった。それは、生と死を隔て、彼のすべての希望をも断ち切るようだった。琴美は別荘のリビングで、うなだれていた。彼女は自分が喜びに満ち、開放感に包まれるだろうと思っていたが、麗蘭が運び出され、死の淵に立たされたその瞬間、ようやく自分がした事の重大さを痛感した。彼女は人を殺した。時正は、決して彼女を許さないだろう。-病院では。時正は救急室のドアの外に立っていた。彼の黒いスーツはすでにしわくちゃで、襟はだらしなく開いたままだった。彼は麗蘭を救急車に乗せてから、微動だにしなかった。それから四時間、医者や看護師が険しい表情で慌ただしく出入りしていた。彼は一言も言葉を発さず、ただドアをじっと見つめていた。まるで鋭い視線で、彼女を死の淵から引き戻そうとするように。彼は今まで、これほど恐ろしい思いをしたことはなかった。恐怖のあまり、指先が冷たくなり、息が震え、「処置中」
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第1572話

辺りにいた者は、皆その場に凍り付いた。これは絶食による衰弱によるものではない。身体がもたなかったわけではない。毒を飲まされたのだ。時正の目の前で、麗蘭の命を狙う者がいる。時正の胸の奥に、天を貫くほどの凶気が沸き起こった。時正は拳をぐっと握りしめた。「誰がやった」それは質問ではなく、宣告だった。「現在調査中ですが、毒物が最近摂取されたことは確かです」医師は言った。「すでに胃洗浄を行い、解毒剤を投与しています。バイタルは今のところ安定していますが、まだ危険な状態は脱していません。直ちにICUに移し、二十四時間体制でのケアが必要です」「中に入る」時正はかすれた声で言った。「彼女に会いたい」「時正さん、今はまだ――」「私は、彼女に会いたいと言ってるんだ」時正の目は恐ろしく冷たく、ほとんど制御を失いかけていた。医師は時正を止められず、ただ頷くと、簡単に掃除させてから、彼を中に通した。ICUの内部は真っ白で、機器からは冷たい空気が漂っていた。ベッドに横たわる麗蘭の身体には複数のチューブが挿入されており、人工呼吸器によって呼吸をしている状態だった。彼女は目を閉じながら、苦痛の中でもがくように眉をひそめていた。気高く、決して屈しない強さを誇っていた麗蘭は今、触れると割れてしまうガラスのように脆くなっていた。時正はベッドの傍へ行き、ゆっくりとしゃがみ込むと、彼女の手をそっと握りしめた。その手は冷たく、薄くて力が入っていなかった。「必ず調べます」時正は低い声で呟いた。「誰がやったのか。必ずその者に償わせます」「頑張って」「あなたが生きている限り、私はどんなことも叶えてみせます」「あなたを解放し、もう二度と監禁しない。どこへ行こうと、もう止めたりしない……」時正は、まるで懺悔をするように、何度も何度もそう繰り返した。彼は、彼女を傍に閉じ込めておけば、安全だと思っていた。しかし今になって分かった。最も危険な場所は、彼が彼女のために作った檻だったのだ。三十分後、麗蘭は無事にICU集中治療室に移された。ドアが閉まると、時正は廊下に立ち、ようやく安堵の息をついた。彼は携帯を取り出し、番号をダイヤルして言った。「調べろ」「麗蘭さんが今日口にしたもの、接触した人物、部屋
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第1573話

その光景が、琴美の脳裏で次々と蘇った。彼女は恐怖のあまり、息が詰まりそうだった。琴美は、すべてうまく行くと思っていた。麗蘭は何日も断食していて衰弱しており、突然死したとしても、誰もが臓器不全によるものだと考えるはずだ。まさか、彼女のように心優しい婚約者が毒を盛るなどと思うだろう?しかし、麗蘭が生きていることは想定外だった。彼女は一命を取り留めている。さらに恐ろしいのは――中毒であることが判明したことだ。中毒という言葉が、鋭いナイフのように、琴美の心に激しく突き刺さっていた。捜査が進み、スープや麗蘭が接触した人物を辿れば、真っ先に疑われるのは琴美だ。彼女が自ら麗蘭に届けた手作りのスープ。琴美はそれを自分の手で麗蘭の口に入れた。彼女は最後に麗蘭と至近距離で接した人物だ。証拠は確かで、弁解の余地はない。琴美は、時正の手口をよく知っている。彼は普段は冷静に見えるが、一度でも一線を越えれば、相手が誰であろうと情け容赦しない。もし時正に、自分が麗蘭を毒殺しようとしたことを知られたら、彼は自分を死ぬよりも辛い生き地獄に突き落とすだろう。彼は一切手加減しない。「ダメよ……気付かれるわけにはいかない……」琴美は青ざめた顔でそう呟くと、涙が抑えきれず、こぼれ落ちた。彼女は刑務所に入るわけにはいかない。名声を、すべてを失うわけにはいかないし、時正に憎まれるわけにはいかないのだ。何か策を講じなければならない。狂気じみた考えが、彼女の心に芽生えた。――身代わりを見つければいい。自分の罪を代わりに背負ってくれる人を探さなければならない。それは、麗蘭と接触し、毒殺する機会を得られる人物。平凡な身分で、問題が起きても疑われないような人物でなければならない。琴美が一番に思い浮かべたのは、二階のゲストルームの清掃を担当し、毎日麗蘭に水と食事を届けるメイド――梅崎志帆(うめざきしほ)だった。志帆は真面目で臆病な性格で、家庭の事情が厳しく、家には病気を患う母親と学生の弟がおり、彼女が一家の生計を支えていた。何より重要なのは――今日の午後、麗蘭の異変に気付き、助けを求めたのが、その志帆だということだ。誰もが、彼女に機会があり、手を下す時間があると考えるだろう。琴美は胸に渦巻く恐怖と罪悪感を
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第1574話

琴美は電話を切り、ぐったりとソファに座り込むと、涙が静かに頬を伝った。彼女は、罪のない人に責任を負わせようとしている自分が、冷酷であることを自覚していた。しかし、琴美には他に選択の余地がなかった。生き延びて、時正の傍に残るために、そして彼女が持つすべてのものを守るために、彼女はそうするしかなかった。志帆、ごめんなさい。恨むなら、あなたの運命を恨んで。-深夜十一時。時正は別荘に戻った。別荘は静寂に包まれ、皆青白い顔をして、息を殺していた。彼がドアを開けると、屋敷内にはたちまち、重い空気が漂った。「時正さん」執事が声を震わせて言った。「調査はすでに始まっており、現在、防犯カメラの映像を確認中です。川上さんと接触した人間は、全員事情聴取を受けてもらいます」時正は彼を見ず、リビングに目をやり、ソファの上で不安げな表情を浮かべる琴美を見た。彼は足を止めると、心に潜んでいた疑念が再びよぎったが、それを無理やり押し殺した。「麗蘭さんの容体は?」そう尋ねる琴美の目は赤く腫れていた。「彼女のことが心配で……まさか毒を盛られるなんて。誰がそんなひどいことを……」琴美の振る舞いは非の打ちどころがなく、優しく、善良で、心配し、怯えているようだった。彼女は、普段通りの大人しく、従順な婚約者を完璧に演じた。時正は琴美を見て言った。「まだICUにいて、危険な状態が続いている」「どうしてこんなことに……」琴美は口を覆い、涙を流した。「午後、私がスープを届けた時は元気だったのに……」琴美は自ら、自分がスープを届け、麗蘭と接触したことを話すことで、却って時正に率直な印象を与えようとした。時正は眉をひそめて尋ねた。「そのスープはどうした?」「私が、下げて碗を洗ったわ……」琴美は目を逸らさず、即座に答えた。「麗蘭さんは飲みたがっていなかったから、片づけたの。こんなことになるとわかっていたら、彼女の傍を離れるべきじゃなかった……」琴美は自分を責めるように話し、頬を涙で濡らした。時正はそれ以上は何も尋ねなかった。「部屋に戻って休め。これは君には関係のないことだ」「いいえ」琴美は時正の腕を掴んで言った。「私はあなたと一緒に、麗蘭さんの知らせを待つわ。あなたたちのことが心配だもの……」彼女は従順で思いやりが
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第1575話

「もう一度聞く」時正は冷ややかに言った。「君が麗蘭に毒を盛ったのか」傍で尋問していた担当者が小声で言った。「時正さん、彼女の携帯を調べたところ、彼女は最近借金を負い、かなりのプレッシャーを感じていたようです」「そして……彼女は以前川上家から解雇された経験があり、ずっと恨みを抱いていた」動機、機会、時間、手がかり。すべてが揃っている。琴美は少し離れた場所に立っていた。手のひらには冷や汗が滲み、心臓が激しく鼓動していたが、弱々しく心配そうな表情を崩さなかった。これでいい。すべてが彼女の計画通りに進んでいる。志帆はついに崩れ落ち、地面に突っ伏し、涙を流して言った。「はい……私です……」「私が川上さんを毒殺しようとしました……」「私は彼女を憎んでいて……川上家も……それに借金があって、生きているのが辛くて、彼女と一緒に死のうと思ったんです……」「他の人は関係ありません。すべて私一人でやったことです……」志帆は絶望した様子で、何度も何度も、暗記させられた証言を繰り返した。彼女の証言を、皆が信じた。傍にいたお手伝いさんや執事、調査員も。その証言が、志帆の家族の安否と、莫大な金銭と引き換えに得た嘘であることを、琴美だけが知っていた。時正は地面にひざまずいて泣きじゃくる志帆を、冷たく睨みつけた。彼はためらわず、淡々と言った。「連れて行け」「あとは警察に任せよう」「彼女をどう、裁くべきか」「それから、彼女の家族についてだが……」時正は少し間を置き、冷ややかに言った。「全員この街から追い出せ」志帆は泣くのをやめ、全身をこわばらせたが、結局、反論も弁明もしなかった。彼女は部屋から引きずり出されていった。リビングは、再び静寂に包まれた。琴美はゆっくりと息を吐き、壁にもたれ、涙を流して言った。「なぜ志帆が……真面目な子だと思っていたのに。こんな残酷なことをするなんて……」「時正、あまり怒らないで。身体に障るといけないから……」琴美は時正を慰めようと、彼の腕を支えようとした。しかし、彼女の指先が触れかけた瞬間――時正は突然、身体を逸らした。振り上げた手が宙で止まり、琴美の心は重く沈んだ。時正は琴美を見ようとせず、ただ、その場に立ち尽くしていた。しばらくして、時正は口を
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第1576話

時正は何も言わず、琴美を見つめていた。彼には証拠がない。琴美がやったことを証明する直接的な証拠が一切なかった。すべての手がかりと供述は、どれも志帆の犯行を裏付けるものだった。琴美は最初から最後まで、非の打ちどころがなく、優しく率直で、無垢だった。しかし、時正は信じない。彼の直感、幾度の困難を乗り越えて培われた警戒心、そして密かに感じていた琴美の印象が、彼にこう告げていた――違う。志帆ではない。犯人は、目の前で頬を涙で濡らしている、この無垢な女だ。彼が自ら選び、傍に置き、婚約者という立場を与えた女なのだと。「疲れた」結局、時正はそう言うと、視線を逸らし、彼女を見ようとしなかった。「病院に行ってくる」「家の問題は、ひとまず保留にしておく」時正は振り向いて、入り口に向かって歩き出した。琴美は全身が冷え切り、ぐったりと地面に座り込んだ。時正は自分を疑っている。彼は明らかに自分を疑っているのに、問い詰めず、追及もしなかった。しかし、それは直接罵倒されるよりも、却って琴美を恐怖に駆り立てた。それは――彼がもう彼女を信用していないことを意味している。彼は彼女を、危険人物として見ているのだ。-病院、ICUの外。時正は窓越しに、意識不明のままベッドで横たわる麗蘭を見ながら、携帯を取り出し、ある番号にダイヤルした。「調査を続けろ」「志帆について調べろ。最近連絡を取った人物、金のやり取り、彼女を脅した人物をすべて洗い出せ」「それから、琴美の通話記録、送金記録、接触した人物も調べてくれ」「必ず、突き止めるんだ」「私は真相を知りたい」相手は、受話器の向こうで丁寧に返事をした。「はい、時正さん」-病院の廊下。時正はICUの外に立ち、もう丸一日、ろくに眠っていなかった。スーツはしわくちゃで、襟元は開き、あごには無精ひげが生えていた。普段の冷徹なオーラは消え、顔には隠し切れない疲れが滲んでいた。時正はその場を離れられなかった。目を閉じる勇気すらなかった。病室で、チューブに繋がれたまま、昏睡状態でいる麗蘭のことを考えると怖くなった。麗蘭はまだ目を醒まさない。胃洗浄、解毒、継続的なモニタリング……医師は一命を取り留めたと言っていたが、体力を著しく消
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第1577話

時正は身体の横に垂らしていた手を、わずかに握りしめた。彼は言い訳せずに言った。「わかっています」「わかってる?」真衣は言った。「わかっていたのに、こんなことをしたのね?時正さん、あなたは彼女を守ると言ったのに、この有様は何なの!」真衣はベッドに横たわる麗蘭を指差すと、目を赤くした。「彼女は誇り高く、海外で国境なき医師団として活躍したかった。それが彼女の夢で、人生だったのに」「なぜ彼女を監禁したりしたの?なぜ彼女の翼を折るようなことを?どうして彼女をあなたの言う安全な檻の中に閉じ込めたりしたの?」「その結果、彼女は毒を飲まされ、命を落すところだったのよ!」「これが安全だと言える?」「これが、あなたが全力を尽くして、彼女を引き留めた結果なの?」時正は青白い顔をしたまま、何も言わなかった。すべて、真衣の言う通りだった。彼のせいだ。すべて自分のせいだ。「こんなことになるなんて、思っていなくて」時正はかすれた声で続けた。「私はただ、彼女をF州に行かせたくなかったんです。彼女が命を落すのが怖くて、それで……」「命を落すのが怖いから、彼女を生き地獄に突き落としたの?」真衣は彼の言葉を遮った。目の前にいる時正を見て、真衣は失望した。真衣は、時正が麗蘭を心から想っていると信じていた。たとえ彼が偏執的で、強硬な手を使っていても、それは麗蘭の幸せや安全を思うからこそなのだと思っていた。しかし、今ようやくわかった。彼の愛は、あまりにも利己的で、偏執的で、相手を傷つけるものだった。時正は、その愛を口実に、麗蘭を監禁した。麗蘭を護ると言って、彼女のすべてを破壊した。「時正さん、あなたには失望したわ」「今日から、麗蘭さんのことは、もうあなたには一切頼らない」「私が全力で、彼女を助け、守る」「彼女が目を醒まして、あなたに会いたくないと言ったら、私は彼女を遠くへ連れて行く。二度とあなたには会わせないわ」「あなたは、彼女が無事に目を醒ますことを祈っていて」「さもないと、あなたを許さないから」時正はうつむいて、目を閉じた。彼は、真衣が有言実行の人間であることをわかっていた。そして、彼が真衣の信頼を完全に失ったことも。礼央は口を挟まず、真衣の傍に立っていた。彼は、真衣をなだめ
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第1578話

礼央には時正の葛藤や苦しみが理解できた。しかし、麗蘭が受けた傷は、取返しのつかないものだ。「道ならある」礼央は時正に目を向けた。「ただ、君が目を背けているだけだ」「俺たちに事情を話し、俺たちと一緒に方法を考えれば、彼女を守ることができるはずだ」「君がすべてを胸の内に秘めたままにするなら、結局君たちは共倒れになるだけだ」時正は目を閉じて、黙っていた。どうしても、言えないことがある。言えば、麗蘭はさらに危険に晒されてしまうだろう。-真衣は、時正ともう話したくはなかった。彼の顔を見るたび、失望した。真衣はガラス越しに、昏睡状態の麗蘭を見つめた。「麗蘭さん、どうか目を醒まして」「目が醒めたら、連れて行ってあげるから」「もう二度と、こんな辛い思いはさせないから」麗蘭の容体がひとまず落ち着いていることを確認すると、真衣は礼央に言った。「帰ろう」礼央は頷き、黙ってその場を後にした。二人はエレベーターに向かって歩いた。真衣は冷たい表情を浮かべていた。彼女は本当に時正に失望していた。-エレベーターはゆっくりと下降し、地下駐車場へ向かった。病院の地下駐車場。礼央は真衣を気遣いながら、彼女の手をしっかりと引いて歩いた。「怒らないで」彼は小声で慰めた。「麗蘭はきっと目を醒ます。目を醒ましたら、彼女を連れてここを離れよう。もう二度と時正に彼女を傷つけさせたりしない」真衣は赤い目をして頷いた。「私はただ、麗蘭さんのことが心配なだけ。なぜ彼女が、こんな目に遭わなきゃならないの?」「大丈夫」礼央は真衣を抱きしめた。「きっとすべて、うまく行くさ」真衣は礼央の胸に顔を埋め、気持ちを落ち着かせようと、深く息を吸った。その時――真衣はふと、駐車場の奥の人影に目を留めた。黒いワゴン車が、ひっそりと隅に停まっている。窓は薄暗く、中がよく見えなかった。しかし次の瞬間、ドアが微かに開いた。一瞬、ドアの隙間から、よく知った横顔が視界をよぎった。男は黒いコートを着て背筋を伸ばし、長年権力の座に居続ける者特有の威圧感を放っていた。ほんの一瞬だった。ドアが再び閉まり、隙間が消えた。真衣の身体はこわばり、全身から血の気が引いた。彼女は驚いた表情で、その車を見つめた。心臓が、
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第1579話

宗一郎だ。なぜ彼がここに?なぜ彼が病院の地下駐車場にいるのだろう?真衣と礼央の後をつけて来たのか、それとも……彼の目的はまさか麗蘭?恐ろしい疑惑が、真衣の心に渦巻いていた。麗蘭は毒に侵され、命を落すところだった。時正は、誰かが麗蘭の命を狙っていると言っていた。そして宗一郎が、病院の駐車場に姿を現した。これは、ただの偶然なのだろうか?真衣は、それ以上考えることができなかった。もし麗蘭の一件が、宗一郎と関係しているとしたら……事は、彼らが想像しているよりもずっと、恐ろしく危険なものになる。礼央の表情も、険しくなっていた。彼は真衣をよく知っている。彼女は単なる見間違いで大袈裟に騒いだりはしない。真衣が宗一郎を見たと言うのなら、それは宗一郎に違いない。そして、宗一郎が姿を現したのは、決して偶然ではない。「慌てるな」礼央は真衣の手をしっかりと握って言った。「俺がついてる」彼は辺りを見渡し、声を潜めた。「彼が何のためにここへ来たのかはわからないが、とりあえずここを離れよう。気付かれてはいけない」「でも麗蘭さんは……」真衣は不安そうに言った。「すぐに人員を派遣する」礼央は重々しく言った。「病院の警備を強化し、二十四時間ICUを監視する」「もし山口社長が本当に来たら、彼の標的は恐らく麗蘭だろう」「行こう」礼央は真衣を支え、自分の車に向かって歩きながら言った。「帰ったら、すぐに対策を練るんだ。山口社長が現れた以上、もはや時正一人の問題ではない」真衣は頷き、礼央に寄り添いながら振り返り、黒いワゴン車を見つめた。車は依然、眠る猛獣のように静かに停まったままだった。車の中にいる人間も、窓越しに、静かに彼らを見つめているような気がした。そう考えると、背筋が寒くなった。礼央はドアを開け、真衣を先に乗車させた。真衣は助手席に座り、再度駐車場の奥を見た。黒いワゴン車には、何の動きもなかった。しかし、先ほど見た横顔が、真衣の脳裏に焼き付いていた。彼女は悟った。麗蘭の一件は、始まりにすぎない。宗一郎の出現こそが、本当の危険なのだ。彼らは皆、すでに終わりの見えない渦に巻き込まれている。車はゆっくりと駐車場を離れた。真衣は椅子の背に寄りかかり、目を閉じたが、心臓はまだ
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第1580話

時正は入り口に釘付けになったように立ち尽くしていた。ひげは伸び、目は充血し、スーツはしわくちゃになっていた。彼はその場を離れられなかった。眠ることもできなかった。医師から何かよくない知らせを聞くのではないかと思うと怖かった。あの日、真衣と礼央が去ってから、彼の心は一度も安らぐことがなかった。麗蘭が生死を彷徨い、琴美の犯行の証拠はまだ掴めておらず、さらに駐車場の異変まで――時正は、その人影が誰なのかを、誰よりもよくわかっていた。宗一郎。彼が現れると、事態はもはや投獄や嫉妬、毒殺といった単純な問題ではなくなる。もはや命取りになる。-同じ頃、高瀬家の書斎では。フロアランプが灯る部屋には、重苦しい空気が漂っていた。真衣はソファに腰かけていた。目を閉じると複数のチューブに繋がれた麗蘭がICUのベッドに横たわっている姿が頭に浮かんだ。「礼央」真衣は言った。「あれは見間違えじゃない。私は確かに山口社長を見たわ」礼央は濃い色のシャツに身を包み、背筋を伸ばして、窓際に立っていた。「わかっている」礼央は振り返り、静かに真衣を見つめた。「彼が現れたのは偶然じゃない」「麗蘭に毒を飲ませたのは、琴美一人の仕業ではない」「彼女の背後に、協力者がいるんだ」真衣は顔を上げた。「つまり……琴美さんは山口社長から毒を受け取ったということ?」「恐らく」礼央は続けた。「山口社長はここ数年、海外で違法薬物に触れる機会を多く得ている。無色無臭で、捜査が困難なあの手の薬品は、彼の得意分野だ」「琴美のような素人が、あのような薬を手に入れる人脈を持っているはずがない」真衣は絶句した。真衣はただ琴美が嫉妬心に狂っているだけだと思っていたが、まさか彼女が宗一郎と繋がっていたとは思ってもいなかった。「でもどうして山口社長は麗蘭さんを標的にしたのかしら?」礼央は少し沈黙してから言った。「彼は俺の父の私生児なんだ」真衣は呆然とした。それは、口外してはならない高瀬家の極秘情報だった。「当時の事情は、お前も知っているだろう。彼はずっと恨みを抱き続けていた」礼央は拳を握った。「川上家、細貝家、そして高瀬家。皆が彼の道を阻んでいた」「彼は麗蘭だけを狙っているわけじゃない。俺たちに関係するすべての人間を狙っている
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