診察室を出たばかりの高橋美和(たかはし みわ)は、胸の高鳴りを抑えきれずに夫の藤原言弥(ふじわら ことや)に電話をかけた。しかし、その着信音が人混みの中から響き渡った瞬間、彼女は固まった。視線の先に映った光景は、彼女の心を粉々に砕くものだった。――数日前、出張で付き添えないと言っていたはずの言弥が、そこにいたのだ。その隣には、少し膨らんだお腹を抱えた若い女性が、親しげに言弥の手を自分の腹の上へと導いていた。やがて言弥の顔に、驚きと安堵が交じった表情が浮かぶ。それは、美和が何度も夢見た――彼が自分の妊娠を知った時に見せるはずだった表情、そのものだった。しかし、現実はあまりにも残酷だった。美和は言葉を失い、その場に立ち尽くす。喉に何かが詰まり、声すら出せなかった。鳴り止まない着信音を前にしても、言弥はスマホを取ろうとはしなかった。震える手で、美和はもう一度電話をかけ直した。言弥はようやく女性の腹からそっと手を離すと、眉をひそめてスマホを取り出した。画面に浮かぶ美和の名前を確認した瞬間、彼の眉間の皺はさらに深まり、背を向けて電話に出ようとした。だが視線を上げた途端、少し離れた場所で青ざめた美和と目が合った。その瞬間、言弥の瞳に一瞬だけ焦りがよぎった。「美和……君が、どうしてここに?」言弥の声に反応し、隣の女性も振り向いた。それは、彼の秘書を務めている中村さやか(なかむら さやか)だった。大学を卒業したばかりで、家計に余裕のないさやかを、特別採用したのは美和だった。かつては美和に深く感謝していたさやかの瞳には、今は理解できない得意げな光が宿っていた。美和は、鉛のように重くなった足を運び、一歩ずつ言弥へと近づいていく。ほんの数歩の距離なのに、まるで半生をかけて歩んでいるかのように感じられる。胸の奥で渦巻く想いは言葉にならず、どう受け止めればいいのかもわからなかった。「君だけを愛している」と言ってくれた男が、他の女に子どもを授けていたなんて――言弥の表情は、最初の焦りから徐々に冷静さを取り戻し、覚悟を決めたようだった。そして美和が目の前に立つ頃には、いつもの穏やかな顔へと戻っていた。言弥は手を伸ばし、優しく抱き寄せようとしながら、心配そうに語りかける。「美和、どうして病院に?体
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