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第3話

Auteur: 星乃 ゆえ
再び目を覚ますと、美和は病室のベッドの上にいた。

ぼんやりとした視界の先で、佐藤医師が赤くなった目を伏せ、申し訳なさそうに告げた。

「……ごめんね、美和さん。赤ちゃんは……助からなかったわ。……でも、大丈夫。またきっと授かるから」

この数年、美和がどれほど痛みに耐え、どれほどこの命を望んでいたかを、佐藤医師は誰よりも知っていた。

手術を終えた後、佐藤医師は看護師たちの噂話の一部を耳にし、診察室の外で起きたことを初めて知った。

医師としては何も言えず、ただ無力に慰めることしかできない自分を、佐藤医師は歯がゆく思っていた。

美和は放心したまま天井を見つめ、かすれた声で呟いた。

「……もう、次なんて……ありません」

佐藤医師はため息をつき、「ゆっくり休んで」とだけ告げ、そっと病室を出ていった。

ひとり残された病室で、美和は布団を引き上げて顔を覆い、声を殺して泣いた。

あれほどまでに、子どもの誕生を心待ちにしていた自分が、今、その喪失に押し潰されている。

心が裂けるように痛み、呼吸さえままならず、まるでこのまま死んでしまいそうな錯覚に囚われた。

唇を噛みしめながら、心の奥で叫んだ。

――言弥……どうして、そんなに冷たいの。

やがて泣き疲れた美和は、深い眠りに落ちた。

目覚めたのは翌朝だった。美和はようやく現実を受け入れたのだ。

最も近しい人に、自分のすべてをかけて守ろうとしていた夢を、あまりにも簡単に打ち砕かれた。

夢は砕け散り、自分もまた目覚めるときが来たのだ。

美和はスマホを取り出し、虚ろな目で恩師へメッセージを送った。

【先生、海外研修に同行させてください。手配をお願いします】

恩師からの返信はすぐに届いた。

【了解。ビザは一週間で下りるわ。旦那さんとはよく話し合っておいて。行ったら、一年は帰れないから】

旦那さんと話す……?

もうすぐ、旦那ではなくなる──

一瞬ためらったが、美和はすぐに【わかりました】とだけ返信した。

入院は五日間に及んだ。

その間も、言弥からは以前と変わらない調子で、毎日欠かさずLINEが届いた。

【美和、今日は残業でクタクタだ。本当は君と一緒にいたい】

【美和、君がいないと、大好物の酢豚を食べてくれる人がいなくて寂しいよ】

【美和、まだ怒ってる?帰ってきてくれないか?会いたいんだ】

一言一句に愛情が溢れていたが、美和は一度も返信しなかった。

なぜなら、さやかのSNSで、全く別人の姿を見てしまったからだ。

【藤原社長って本当に優しい。ベビー服も一緒に選んでくれた】

【社長の作る料理って本当に最高!今まで食べた中で一番美味しい酢豚!】

【社長が自ら用意してくれた子ども部屋。これから一緒に暮らせるね】

それは明らかに、美和へ向けられた挑発だった。

一度奪ったものを誇示しながら、さらに奪おうとしている。

その気持ちすら、美和には痛いほど理解できてしまった。

だが、何よりも耐え難かったのは、五年間共に暮らし、寝食を共にした男の演技の巧妙さだった。

「愛している」と囁きながら、他の女に子を宿し、世話を焼いている。

どちらが本当の言弥なのか、もうわからなかった。

本当に、私だけを愛してくれた言弥なんて存在したのだろうか――

最後に、美和はスマホの録画ボタンを押し、淡々とSNSの画面をひとつずつ録画していった。

退院の日、佐藤医師だけが病室に訪れ、タクシーを手配してくれた。

「退院しても無理は禁物よ。何があっても、あなたの健康が一番だから」

美和の瞳に涙が光り、強く頷いた。

最も助けを求めた時、彼女の心を唯一温めてくれたのは、この白衣の天使だけだった。

一方で、「一生守る」と誓った男は、別の女性と笑い合っている。

もう二度と、彼を必要とすることはないだろう――。
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