ドアを開けた瞬間、部屋の冷たい空気が肌に触れた。美咲は、湿った息を喉の奥で飲み込んだ。薄暗い照明の下、ダブルベッドが一つ、静かに置かれている。シーツは綺麗に整えられていて、枕も二つ並んでいた。けれど、その部屋には佐山の姿がなかった。「……いないね」自分でも驚くほど乾いた声が出た。佐伯は無言のまま、扉を閉めた。静かに、けれど確実に鍵がかかる音が耳に残る。その音が、美咲の背筋を僅かに震わせた。ソファが一つ、ベッドの隣に置かれている。美咲はそこに視線を落としながら、足を動かした。ヒールの音を立てないように、ゆっくりと歩く。コートを脱ぐか迷ったが、そのままソファの端に腰を下ろした。佐伯も、無言で向かいの一人掛けに座った。互いに目を合わせることができなかった。バッグの中のスマートフォンを握りしめる。佐山から送られてきたのは「803号室で待ってます」の一文だけ。こんな偶然が、あるはずがない。「……偶然、だよね」美咲は、自分に言い聞かせるように呟いた。けれど、胸の奥はざわめき続けている。ソファのクッションが、佐伯の体重で少し沈む音がした。彼はネクタイを緩め、首筋を指先でなぞった。その仕草すら、どこかぎこちない。「まさか、な」低い声で呟いたのは佐伯だった。彼もまた、内心では理解している。こんな偶然が起こるはずがない。佐山が意図的に呼び出したのだと、うすうす気づいている。けれど、それを言葉にしてしまえば、何かが壊れる。だから、互いに黙っていた。室内の時計の針が、静かに時を刻んでいる。秒針の音が、心臓の鼓動と重なって響く。湿った空気が部屋に満ち、呼吸が浅くなっていく。美咲は、膝の上で手を組んだ。その指先が、僅かに震えている。佐伯はそれを横目で
Last Updated : 2025-10-26 Read more