「悠真、今年のこのラン、すごくよく育ってるね。香りもすごくいいの。明日、誠司さんに頼んで、一番きれいに咲いてる株をあなたのオフィスに運んでもらうわ。一日中働いて疲れるでしょ?オフィスに花があると、気分も少しは和らぐと思うの。……」悠真が目を開けると、自分が別荘の玄関に立っていた。ここは星乃と五年間暮らした家だ。リビングの奥から、聞き慣れた星乃の明るい声が聞こえてくる。ドアは半開きになっていた。その隙間から、まぶしいほどの白い光が漏れている。手を伸ばして押し開けると、星乃がリビングのランを見つめながら、楽しげに独り言を言っていた。その少し後ろにいる「悠真」が彼女の声に気づいて、ほんの一瞬だけ顔を向け、冷たく視線を投げた。「うん」短く、冷ややかな声。彼の足は止まらない。無表情のまま階段を上り、寝室の方へ向かう。まだスーツ姿のままだから、仕事から帰ってきたばかりなのだろう。それが、いつもの二人の帰宅後の短いやりとりだった。悠真は覚えている。当時、自分は星乃が結衣をいじめたことを根に持っていて、彼女と関わるのが嫌だった。その頃は何とも思わなかったが、今、こうして自分の態度を目の当たりにすると、胸の奥がざわついて仕方がなかった。隣にいる星乃を見る。彼女も悠真の冷たさを感じ取っていたようだ。けれど、それに慣れてしまっていたのか、手のひらをぎゅっと握りしめてから、また笑顔を作り、階段の方を見上げて声をかけた。「今日、会社すごく忙しかったんでしょ?晩ごはん食べる時間もなかったって聞いたの。さっき、あなたが帰ってくる前に少し作っておいたの。ちょっとでも食べて」「いらない」返ってきたのは、やはり冷たい一言。それでも星乃はあきらめず、かすかに甘えるような声で続ける。「私もまだ食べてないの。一緒に少しだけ食べようよ」「悠真」の足は止まらない。星乃は少し考えてから、また言葉を探すように続けた。「この前からずっと経済ニュースを見てたの。冬川グループの決算報告に、少し気になるところがあったの」悠真にはわかっていた。彼女はただ、話すきっかけが欲しいだけだ。その頃の彼は、星乃への態度を急に冷たくしたせいで、彼女が戸惑っていたことも知っている。彼女は不安から、こうして何とか会話をつなごうとしていたのだ。
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