All Chapters of 魔女リリスと罪人の契約書: Chapter 21 - Chapter 30

94 Chapters

共通の記憶、解かれる扉

落下の感覚は長く続いた。重力に引きずられるというより、魂そのものが底なしに吸い込まれていくような感覚だった。次に足裏に何かが触れた時、そこはもう〈刻罪の砂漠〉でも台座でもなかった。どこまでも広がる漆黒の虚無。風はなく、音もなく、匂いすら存在しない。ただ、足元だけが淡く光を放っていた。その光は水面のように揺れ、踏みしめるたびに柔らかく波紋が広がっていく。波紋の中には、一瞬だけ色や形が浮かんでは消えた──血に濡れた玉座、鎖に繋がれた牢獄、見覚えのある街並み。「……ここは、どこだ?」カインの声が虚無に溶け、遠くまで響く。返事はなかった。代わりに、甘く低い声が空間全体を満たす。『ここは二人の記憶が交差する場所。この核は、その交差点から扉を開く鍵を探す』サティーナの声。だが姿は見えない。近くにいるのか遠くにいるのかもわからず、音だけが全方位から降ってくる。リリスは足元の光を見つめた。波紋の中に、ほんの数秒だけ、自分の過去が映り込む。黒契王として玉座に座る自分、そしてその隣に立つ白銀の髪の女。瞬きの間に消えたかと思えば、今度は牢獄の鉄格子越しに座り込むカインの姿が現れ、また消える。「……記憶が、滲んでる」呟いた途端、足元の波紋が強く脈動し、眩い光が二人を包んだ。光はやがて境界線を描き、二人の間を引き裂く。「別々に行け、ってことか……」カインが短く息を吐き、腰の剣に手を置く。リリスは一瞥をくれただけで、無言のまま境界をまたいだ。瞬間、視界が白く塗り潰される。リリスの鼻腔を満たすのは、薔薇と香の混じった重く甘い匂い。同時にカインの方も、鉄と油の混ざった匂いに包まれていた。『さあ──あなたたちの“奥”を、覗かせてもらうわ』サティーナの声が、虚無全体を震わせ、記憶の扉を開け放った。白に塗り潰された視界が徐々に色を取り戻すと、そこはかつての玉座の間だった。天蓋の下、燭台の炎が揺れ、紅い絨毯が階段を覆っている。その最上段に──過去の自分が座っていた。黒契王の冠を戴き、冷ややかな目で階下を見下ろす、血よりも濃い黒の瞳。その視線の先に立つのは、白銀の髪を流した女。サティーナ。今よりも若く、艶やかな笑みを浮かべている。「……初めて会った時の」リリスは息を呑む。あの日、彼女は契約核の番人として現れ、強い魔力と挑むような視線で、まだ
last updateLast Updated : 2025-08-09
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渇きの深淵、契約の刃

門を抜けた瞬間、肌を焼くような熱風が全身を叩きつけた。砂漠の乾いた熱とは違う──もっと刺すようで、呼吸を奪う熱。リリスは思わず片手で口元を覆い、視界の先を細めた。そこは果てしない灼熱の領域だった。地面は金色の砂に覆われ、ところどころから黒曜石の刃のような結晶が突き出している。その結晶は太陽のような光を反射し、目に焼き付くほど鋭く輝いていた。「……ここが、核の本体が眠る場所か」カインが低く呟く。中央には、砂漠の真ん中には似つかわしくない巨大な水面が広がっていた。水面は一切波紋を立てず、鏡のように二人の姿を映し返す。しかし、その中には微かに脈動する光があり、まるで呼吸をしているかのようだ。「見せてあげる……“渇きの深淵”を」サティーナの声が、どこからともなく響く。姿はない。だが声だけが、熱とともに周囲を包み込む。その響きは甘く、そしてどこか愉しげだった。足元の砂が突然ざわめいた。静かだった水面が、中心からじわりと膨らみ、液体が立ち上がるように形を成す。それはやがて砂と骨をまとった巨人の姿となり、無機質な眼窩から淡い光を放った。「……あれが、この核の守護者」リリスが短く息を呑む。巨人はゆっくりと腕を振り上げた。振り下ろされるその一撃は、地面を波打たせ、黒曜石の結晶を粉々に砕くほどの質量を帯びていた。砂塵が舞い上がる中、サティーナの声が再び響く。「ここで生き残れば、核はお前たちのもの──ただし、片方では足りない」巨人の影が砂上に落ち、その巨大な足が一歩踏み出すたびに地面が沈んだ。振り下ろされた腕が空気を裂き、熱風と砂粒が弾丸のように飛び散る。カインはとっさに横へ跳び、黒曜石の結晶を足場にして距離を取った。「重いだけじゃない……あの砂、動きが速い」巨人の足元では、砂が渦を巻くように蠢き、踏み込む相手の動きを鈍らせる。リリスは短く詠唱し、魔力の刃を放つが──砂に触れた瞬間、その光が吸い込まれるように薄れ、刃は巨人の装甲にかすり傷すら残せなかった。「……魔力が、砂に喰われてる?」リリスの眉間に皺が寄る。その隙を狙ったかのように、巨人の腕が唸りを上げて横薙ぎに振るわれる。結晶の足場ごと吹き飛ばされ、リリスは後方へと身を翻す。「じゃあ近くまで行って──!」カインは叫びながら、巨人の足元へ突っ込んだ。だが渦巻く砂
last updateLast Updated : 2025-08-10
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代償の刻印、核は目覚める

全ての感覚が、消えていた。光も、音も、熱も、冷たささえも──ただ、真っ暗な水の底に沈んでいるような感覚だけがあった。ゆっくりと瞼を開けると、そこは闇に包まれた円形の空間だった。天も地もなく、上下の感覚すら曖昧な中、ただ一つだけ確かなものが浮かんでいる。巨大な契約陣。紫と黒の光が脈動し、その中心に、心臓のように鼓動する塊があった。濁った水面の奥から覗くような、底知れぬ紅の光──第3契約核《渇きの深淵》。「……ここが、核の中か」カインの声は、自分の耳の中で直接響いたように聞こえる。空気はないのに、息ができる。不自然さが、全てを夢のようにぼやけさせていた。「ようこそ」背後から、甘く、しかし刃のように冷たい声が降りてきた。振り向けば、白銀の髪を揺らすサティーナが、暗闇の中に立っていた。その足元には影がなく、まるで闇そのものから生えているかのようだった。「核は代償なしには目覚めないわ。あなたたちは、ここで何を差し出すかを決める」サティーナはゆっくりと二人の間を歩く。「代償は……魂でも、記憶でも、能力でもいい。ただし片方の負担だけでは釣り合わない。均等でなければ、片方が消える」リリスの瞳が細くなる。「つまり、私たち二人の間で、何を失うかを選べということね」「ええ。選択を誤れば、残るのはどちらか一方だけよ」契約陣の脈動が一際強くなり、足元の闇が波打った。核が、二人の答えを待っている。「なら、答えは簡単だ」カインは一歩前に出て、迷いなく言った。「俺の命を差し出す。お前が核を手に入れれば、それでいい」リリスの眉がわずかに動いた。次の瞬間、冷たい声がその言葉を切り捨てる。「バカを言わないで。私が欲しいのは核であって、屍じゃない」カインは唇を引き結び、視線を逸らさずに言い返す。「じゃあ他に何を差し出す。お前の力を削れば、お前は戦えなくなる」「それでも……あなたを失うよりはいい」言葉は静かだが、奥底に微かな震えがあった。サティーナは二人のやり取りを楽しむように、紅い瞳を細めた。「美しいわ。互いを守ろうとして、互いを壊そうとしている」ゆっくりと二人の周りを回りながら、さらに追い打ちをかける。「選択を間違えれば、ここで片方が消える。名前も、存在も、何一つ残らない」契約陣の光が不安定に瞬き、足元の闇が波紋を立てる。脈動は
last updateLast Updated : 2025-08-11
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砂漠を越えて、囁きと熱

夜の砂漠は昼間の灼熱とは別の顔を見せていた。空は濃い藍色に沈み、月明かりが砂丘の稜線を白く縁取っている。熱を孕んだ風はすでに和らいでいるはずなのに、肌をかすめる空気は乾きすぎていて、喉の奥に砂が張り付くようだった。リリスはフードを深く被り、背中に収めた契約核の欠片の脈動を感じながら歩いていた。その鼓動は彼女自身の心臓とは別のリズムで、けれど隣を歩くカインの足取りとは妙に同調している気がする。(……代償。欠けた記憶はもう戻らない)彼女は視線を前に固定し、敢えて思考を打ち切った。「もうすぐだ」カインが短く告げた先、砂丘の向こうに小さな光が幾つも揺れている。オアシス都市マルジア──交易商と傭兵が昼夜問わず集う、砂漠北端の水源地。二人は言葉少なに歩みを早める。砂を踏む音と、遠くから聞こえる祭囃子のようなざわめきが徐々に重なっていく。やがて風に乗って、香辛料と酒、それに焼いた肉の匂いが漂ってきた。それは旅の疲れを誘うと同時に、どこか警戒心を鈍らせる甘い香りだった。「……表は賑やかでも、裏は牙を剥いてる街よ」リリスは低く警告を漏らす。カインも頷き、無意識に剣の位置を確かめた。砂丘を下りきった二人の前に、ランタンの灯りと市場の喧騒が一気に広がる。マルジアの夜は、まるで昼のように明るく、そして危険な匂いに満ちていた。マルジアの正門をくぐった瞬間、喧騒と熱気が押し寄せた。露店が通りを埋め、香辛料の山や布地の束が積み上げられ、商人たちが大声で客を呼び込む。異国の言葉が飛び交い、酒場の扉からは笑い声と楽器の音が漏れ出していた。「……ずいぶんと賑やかだな」カインが呟くと、リリスは視線だけで返した。その瞳は楽しげでも安心しているわけでもなく、むしろ人混みの奥に潜む何かを探るように動いていた。表通りを抜け、薄暗い路地に入る。石壁には油煙がこびりつき、鼻を突く匂いが漂っていた。待っていたのは、顔の半分を布で覆った細身の男──情報屋だった。「死者の森に、妙な気配がある」男は周囲を気にしながら低く告げ、羊皮紙を差し出した。そこには森の北端に記された×印と、簡単な経路が描かれている。「契約核かどうかは知らねえ。ただ、近づいた奴は皆、声を聞くと言って戻ってくる」リリスは紙を受け取り、銀貨を二枚投げた。その瞬間、通りの影から鋭い気配が走る
last updateLast Updated : 2025-08-11
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死者の森、蠢く影

夜明け前の冷気が、肌を薄く刺す。マルジアを発った二人は、北へ延びる原野を歩き続けていた。乾いた土の上を渡る風は、砂漠の熱を運ぶこともなく、代わりに湿った匂いを孕んでいる。地平線の向こう、黒い塊が横たわっていた。近づくにつれ、それが鬱蒼とした森であることが分かる。だが普通の森と違い、そこには鳥の声も虫の音もなく、代わりに薄く白い靄が漂っていた。朝日が昇っても、その靄は溶けることなく、森全体を包み込んでいる。「……あれが、死者の森」リリスがフードを深く被り、低く呟く。カインは背後を振り返り、誰かの追跡を確かめるように視線を巡らせた。「帝国の連中、来てると思うか?」「ええ。……ただ、ここに入ったら、そう簡単には出られないわ」森の外縁は、黒ずんだ木々が不規則に並び、幹には爪痕や焼け跡が無数に刻まれていた。まるで何かが逃げようとして爪を立て、そして焼き払われた跡のようだ。二人が足を踏み入れた瞬間、周囲の空気が変わった。一歩ごとに靄が濃くなり、音が奪われる。さっきまであった風の感触さえ消え、聞こえるのは自分たちの呼吸と心音だけ。「……核の気配がする。でも、広すぎる……森全体に染み込んでる」リリスは目を細め、感覚を研ぎ澄ませた。その顔に、これから何かが起こることを予感する影が差していた。森の中は、まるで陽の光が届くことを拒むかのように暗かった。高く伸びた木々の枝葉が空を覆い、時折差し込む光も灰色の靄に溶けていく。踏みしめる地面は柔らかく、足を沈めるたびに冷たい湿気が靴の中へ染み込んだ。「……腐ってやがる」カインが低く吐き捨てる。足元の土を蹴ると、黒ずんだ腐葉土の中から虫の死骸がぼろりとこぼれた。しかし不思議と、どれも長い間そこにあったかのように乾ききっている。リリスは視線を走らせながら歩く。幹の表面には古い爪痕が刻まれ、その上から焦げ跡が覆うように残っていた。「……この痕、昔、森ごと焼き払おうとした形跡ね。けれど……焼け
last updateLast Updated : 2025-08-12
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囁きの森、記憶の番人

死者の森は、その名の通り静寂に包まれていた。しかし完全な無音ではない。耳を澄ますと、遠くから聞こえてくるのは風の音でも葉擦れでもない——誰かの囁き声だった。「……帰れ……」「……ここは……終わりの場所……」「……彼女を連れて……逃げろ……」カインは思わず足を止める。声は複数あり、男女の区別もつかないほど掠れていた。まるで何十年も前に死んだ者たちの残響のように、木々の隙間から断続的に響いてくる。「気にしないで。ここは”記憶の森”よ。死者の声じゃない——過去に囚われた者たちの、心の叫び」リリスは立ち止まることなく、濃い靄の中を進んでいく。彼女のフードから覗く髪が、薄暗い森の中で妖しく光を反射していた。「過去に囚われた……?」「契約核の影響よ。この森には”記憶の核”の欠片が眠っている。そこに引き寄せられて迷い込んだ者たちが、自分の過去に囚われたまま彷徨い続けているの」歩みを進めるにつれ、囁き声は次第に鮮明になっていく。そして時折、その中に聞き覚えのある声が混じることに、カインは気づいた。「……助けてくれ、カイン……」「……どうして俺たちを見捨てた……」その声の主を知っている。かつて共に戦った騎士団の仲間たち——処刑の日に、誰一人として彼を庇おうとしなかった男たちの声だった。「……くそ」思わず呟くと、リリスが振り返る。その瞳には、理解と憐れみが混じった色があった。「あなたの記憶も、この森が掘り起こしている。でも騙されてはだめ。それは幻よ」「分かってる。だが……」言いかけて、カインは言葉を飲み込んだ。分かってはいるが、胸の奥が痛むのは止められない。リリスはそっと彼の手を取り、温かな魔力を流し込む。「もう少しで核の本体に着く。それまでは、私だけを見ていて」森の奥へ向かう道のりは、まるで迷宮のようだった。真っ直ぐ進んでいるつもりなのに、気がつくと元の場所に戻ってきている。木々の配置も、足元の落ち葉の模様も、まったく同じ光景が繰り返される。「空間が歪んでるわね」リリスは立ち止まり、周囲を見回した。そして懐から小さな紫の水晶を取り出し、それを掌の上で浮遊させる。水晶はゆっくりと回転しながら、一定の方向を指し示した。「魔力の流れは……あちら。森の中央部」指差した方向には、他の木々よりもひときわ大きな古木が立っていた。幹は黒ずみ、枝という枝
last updateLast Updated : 2025-08-13
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荊の礼拝堂と痛みの使徒

死者の森を抜けた先に広がっていたのは、見渡す限りの荒野だった。赤茶けた大地に点々と岩が転がり、遠くには山脈のシルエットがかすんで見える。空は鉛色に曇り、湿った風が頬を撫でていく。「次の核の反応は……北東」リリスは手にした羅針盤のような魔導具を見つめながら呟いた。針は一定の方向を指し、微かに震えている。記憶の核を取得したことで、他の核との共鳴がより強くなったのだろう。「随分と殺風景な場所だな」カインが荒野を見回しながら言う。生きているものの気配がまったく感じられない。草一本生えておらず、虫の声も鳥の鳴き声も聞こえない。「痛みの核が眠る場所よ。生命を拒絶するような土地になるのも当然でしょうね」二人は荒野を歩き続けた。足音だけが乾いた響きを立て、それ以外に音はない。時折吹く風が、遠くから何かの匂いを運んでくる。鉄錆のような、血のような、そして焼けた肉のような……。「……嫌な匂いだ」「ええ。痛みの核は、苦痛そのものを糧にして力を蓄える。きっと、この土地で多くの者が苦しみ、死んでいったのでしょう」リリスの声は静かだったが、その奥に微かな怒りがにじんでいた。彼女もまた、かつては多くの苦痛を味わってきたのだ。歩くこと数時間、ようやく目的地らしき建物が見えてきた。それは礼拝堂——いや、かつて礼拝堂だったものの廃墟だった。石造りの建物は半ば崩れ落ち、屋根には大きな穴が開いている。そして最も印象的なのは、建物全体を覆い尽くす荊の蔦だった。鋭い棘を持つ蔦が、まるで生き物のように建物に絡みつき、脈動している。「荊の礼拝堂……」リリスが建物の名を口にすると、荊の蔦がざわめくように動いた。まるで彼女の声に反応しているかのように。「あの荊、普通じゃないな」カインが剣の柄に手をかける。荊の一部が地面を這い、彼らの方向に向かってゆっくりと伸びてきているのが見えた。「血を吸って成長する荊よ。触れれば棘が肉に食い込み、血を抜き取られる。そして……その苦痛が核の力になる」二人が礼拝堂に近づくにつれ、荊の動きは活発になっていく。地面から新たな蔦が生え、空中でうねりながら獲物を待ち構えている。その時、礼拝堂の入り口に人影が現れた。「ようこそ、迷える子羊たちよ」声の主は、黒いローブに身を包んだ男だった。フードで顔は隠されているが、その声には妙な若々しさがある。そして何よ
last updateLast Updated : 2025-08-14
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鏡の迷宮と幻影の誘い

痛みの核を手に入れてから三日。リリスとカインは山間の古い街道を歩いていた。石畳の道は長年の風雨に削られ、ところどころ苔が生えている。両側には背の高い針葉樹が立ち並び、木々の隙間から差し込む陽光が複雑な影の模様を作り出していた。「この先に……“鏡の塔”があるはずよ」リリスが手にした魔導羅針盤を見つめながら呟く。針は一定方向を指しているが、時折不規則に震えることがあった。「鏡の塔?」「幻影の核が眠る場所。そこは現実と虚構の境界が曖昧になる、危険な領域よ」カインは腰の剣を確認する。これまでの戦いとは違い、今度は物理的な力だけでは太刀打ちできない相手との戦いになりそうだった。「気をつけて。この先からは、何が本物で何が偽物か分からなくなる」リリスの警告通り、街道を進むにつれて周囲の景色が微妙に変化し始めた。最初は気のせいかと思ったが、同じ木が複数の場所に現れたり、通り過ぎたはずの岩が再び目の前に現れたりする。「……おかしいな。さっきあの岩、左側にあったはずだが」「幻影魔術の影響ね。核の力が強くなっている証拠よ」そして、森を抜けた先に現れたのは——異様な光景だった。高さ百メートルはあろうかという巨大な塔が、宙に浮いていた。塔全体が鏡のような素材でできており、太陽光を乱反射して眩い輝きを放っている。そして最も奇妙なのは、その塔の周囲に無数の鏡の破片が浮遊していることだった。「あれが……鏡の塔」塔の根元には、まるで迷宮のように入り組んだ鏡の回廊が広がっている。高さも形もバラバラの鏡が不規則に配置され、その表面には様々な映像が映し出されていた。二人が迷宮の入り口に近づくと、鏡の一つに人影が映った。「あら、お客様?」振り返ると、そこに立っていたのは美しい少女だった。プラチナブロンドの髪を三つ編みにし、水色のドレスを着ている。年齢は十代半ばといったところか。無邪気な笑顔を浮かべているが、その瞳の奥には何か計算めいたものが光っていた。「私はティセ=アルフェリーナ。この鏡の迷宮の案内人よ」少女——ティセは優雅にスカートの裾を摘まんでお辞儀する。「案内人……?」「ええ。幻影の核に辿り着くには、この迷宮を通らなければならないの。でも一人で進むのは危険だから、私がご案内するわ」ティセの提案に、リリスは警戒の色を隠さない。「あなた……何者?」「ただの
last updateLast Updated : 2025-08-14
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真実と偽りの境界線

無数の鏡に囲まれた円形の部屋で、カインは困惑していた。目の前には十数人のリリスがいる。どれも本物そっくりで、表情、仕草、声まで完璧に再現されている。幸せそうに微笑むリリス、冷酷に見下ろすリリス、悲しげに涙を流すリリス——すべてが彼女の可能性の姿だった。「カイン……」複数のリリスが同時に彼の名を呼ぶ。その声も、すべて本物と区別がつかない。「どれが……本物なんだ?」カインは剣を構えるが、攻撃することができずにいた。万が一、本物のリリスを傷つけてしまったら——その不安が彼の動きを鈍らせる。一方、リリスもまた同様の状況に陥っていた。彼女の周囲には、様々なカインの幻影が立っている。帝国騎士として誇り高く立つカイン、絶望に打ちひしがれるカイン、復讐に燃える冷酷なカイン——それぞれが、異なる人生を歩んだ可能性の彼だった。「リリス……俺を、信じてくれ」「リリス、一緒に帝国を倒そう」「リリス……なぜ俺を裏切った?」複数のカインが、それぞれ異なる言葉で彼女に語りかける。その中には、本物のカインが言ったことのある言葉も、決して言わないであろう言葉も混じっていた。「ふふふ、どう? 混乱してるでしょう?」部屋の中央で、ティセが楽しそうに手を叩く。「これが幻影の核の力よ。可能性の数だけ、あなたたちは存在する。そして、どれが本物かなんて、誰にも分からない」ティセの言葉に、カインは歯噛みした。確かに、論理的に考えれば区別する方法はない。すべての幻影が完璧すぎるのだ。だが——「いや、分かる」カインは突然、剣を下ろした。「俺には分かる。本物のリリスがどれか」そして、迷うことなく一人のリリスに向かって歩いていく。それは、他の幻影たちのように派手な表情を見せるわけでもなく、ただ静かに立っているリリスだった。「どうして分かるの?」ティセが驚愕の声を上げる。
last updateLast Updated : 2025-08-15
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心の深淵、隠された真実

セイルが手を振ると同時に、部屋の景色が一変した。壁も床も天井も消え去り、二人は無限の闇の中に立っていた。足元だけが淡く光る透明な床になっており、その下には深い深い暗闇が広がっている。「ここは君たちの心の奥底だ」セイルの声が四方八方から響く。その姿はもはや見えず、ただ声だけが存在していた。「表面的な愛情や絆などではない。隠された本音、秘密、そして——恐れているものすべてが現れる場所」闇の中から、ぼんやりとした光が浮かび上がる。それは記憶の断片のようで、二人の過去と現在、そして未来への不安がランダムに映し出されていく。「カイン……」リリスが不安そうに彼の名を呼ぶ。この空間では、どんな秘密も隠すことができない。互いの心の奥底まで、すべて見られてしまう。「大丈夫だ。俺には隠すことなんて——」カインが言いかけた時、闇の中に一つの映像が浮かんだ。それは、リリスと契約した直後のカインだった。地下牢を脱出した夜、一人になった瞬間の記憶。『……この女、本当に信用できるのか?』過去のカインが心の中で呟いている。『魔女だぞ。いつ俺を裏切るか分からない。でも……今は利用するしかない』現在のカインは青ざめた。確かに、最初の頃はそんな疑念を抱いていた。リリスを完全に信頼していたわけではなく、むしろ警戒していたのだ。「カイン……」リリスの声が震える。彼女もその記憶を見てしまった。「あの時、あなたは私を……」「違う!」カインが慌てて弁解しようとするが、闇はさらなる記憶を映し出す。今度はリリスの秘密だった。契約の初期、カインが眠っている間に、リリスが一人で考え込んでいる場面。『この男……いつまで利用できるかしら』過去のリリスが冷たい目でカインを見下ろしている。『所詮は人間。魔女の力に魅せられて、いずれ狂っていく。そうなったら……処分するしかないわね』今度はカインが息を呑む。リリスもまた、最初は彼を道具としか思っていなかった。「そんな……リリス、お前も……」二人の間に重い沈黙が落ちる。互いの隠された本音を知ってしまった今、どんな言葉をかければいいのか分からない。「ふふ、どうだい? これが君たちの真実だ」セイルの嘲笑が響く。「互いを疑い、利用し合っていた関係。それが君たちの絆の正体さ」「違う……」リリスが小さく呟く。「確かに、最初はそう
last updateLast Updated : 2025-08-16
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