All Chapters of 誘拐され流産しても放置なのに、離婚だけで泣くの?: Chapter 451 - Chapter 460

476 Chapters

第451話

だが、芳子はこの子を望んでいなかった。彼女は少し目眩がした。芳子は顔色をわずかに変え、美鈴と一緒に和佳奈を支えて座らせた。和佳奈は芳子の手を握りしめた。「いったいどうしたの?どうして子供を産まないなんて言い出すの?」芳子は苦笑を浮かべたが、何も言えなかった。月乃が鼻で笑う。「律と美鈴が不倫してるからよ。芳子は傷ついて、この子を産みたくなくなったの」「芳子、聞いてね」和佳奈は必死に芳子を諭した。「律と美鈴のことなんて、何年も前の話よ。今はほとんど関わりもないの。律は責任感のある子だから、あなたを裏切るようなことはしないわ」律の人柄なら、和佳奈は胸を張って保証できる。芳子は俯いたまま、沈黙していた。月乃が苛立ちを露わにした。「芳子、いつまでそこに突っ立ってるの?温井家はもともとあなたを大事にしてないのよ。まだ自分から恥をかきに行くつもり?」美鈴はついに堪忍袋が切れ、月乃の前に出た。「大事にしてないってどういう意味ですか?温井家が芳子をどれだけ大切にしてるか、ちゃんと見てください。それに、芳子の人生は彼女自身が決めることで、あなたが指図することじゃありませんわ」「芳子、あんた死んだふりでもしてるの?そこに突っ立って、美鈴が私を侮辱するのを黙って見てるつもり?」月乃は爆発寸前だった。芳子が動きかけたところを、美鈴がそっと腕をつかんで止めた。「芳子、あなたと律のことについては、最後にもう一度だけ言うわ。私は彼とただの友達で、それ以上の関係は一切ない。六年前のことが気になるなら仕方ないけど。あなたが望むなら、律はきっと誠実な、いい夫になるわ。自分の中のごちゃごちゃした不安だけで、自分の家庭を壊さないで」美鈴は、できる限りの言葉を尽くしていた。それでも芳子が納得しないのなら、もう彼女にできることはない。芳子の目には涙が溜まり、どうすればいいのかわからなくなっていた。自分は律のことが好きだ。でも、律は……「離婚しよう」律がドアの前に立ち、疲れ切った様子で、今の離婚という言葉は彼の口から出たものだった。部屋は静まり返った。全員が律を見つめていた。美鈴は自分の耳を疑った。離婚だって?芳子はすでに涙で顔を濡らし、完全に絶望した。和佳奈が最初に反応し、ばっと立ち上がった。「律、何を馬鹿なこと
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第452話

「うちの大事な娘と結婚したのに、あなたは浮気ばかりして芳子を毎日泣かせている。この件について、きちんと説明してもらわないと気が済まないわ」月乃は芳子を連れて出て行った。和佳奈は玄関まで追いかけ、「芳子……」と声をかけた。車が走り去るのを見届けると、和佳奈は律のもとへ戻り、怒り混じりに言った。「律、ちゃんと芳子と話をしなさい。離婚なんて言って……芳子は今、あなたの子を妊娠しているのよ?離婚して、彼女と子供はどうするつもりなの?」律は和佳奈の叱責を黙って受け止め、一言も反論しなかった。和佳奈は怒りで胸を押さえ、荒い息をついた。美鈴はそっと声をかけた。「まず落ち着いてください。私が芳子を説得してみます」美鈴にはわかっていた。芳子はまだ律に未練がある。律の声は冷え切っていた。「説得なんて無駄だ。芳子は結婚してからずっと疑ってばかりで、もう疲れた。離婚したいなら、そうすればいい。これからは一切関わらない」「あなた……何てことを……」和佳奈は言葉を失った。彼女は直感していた。律の様子がおかしい。本来、簡単に離婚を口にする人ではないし、ましてや子供までいるのに。律は家政婦に和佳奈の世話を任せ、美鈴とともに書斎へ向かった。「どうしたの?」美鈴は率直に尋ねた。彼女も律の異変に気づいていた。律はカーテンをすべて閉め、書斎の灯りを点けた。灯りに照らされた彼の顔は、どこか青白い。「夕星の件、真相を突き止めたんだ」美鈴はわずかに眉を寄せた。「まさか、芳子と関係があったの?」でなければ、帰ってきてすぐに離婚などと言い出すはずがない。律はソファに座り込み、頭を抱えながら言った。「最初から榊家の関与を疑っていた。だから芳子と結婚したんだ。この数年、ずっと裏で調査を続けていたんだ。あの火事には、月乃さんと城也さんが関わっていた」芳子は当初何も知らなかった。だが、彼女は榊の苗字を名乗っている。遅かれ早かれ、立場は敵同士になる。美鈴は淡々と言った。「ずいぶん調べていたのね」驚きはなかった。律は数秒沈黙し、こちらを見つめた。「つまり、最初から君も知っていた?」「あなたより少し遅れてね」美鈴が知ったのは出国前のことだった。その時、和佳奈が訪ねてきて、律と芳子の結婚について話したのだ。和佳奈は当時のことを多少知
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第453話

律は衝動を抑えきれずに立ち上がり、美鈴の前へ歩み寄ると、そっと彼女の髪に触れた。「美鈴、これからは私のことをなんでも相談できる兄貴だと思ってくれないか」美鈴の目が少し潤んだ。「気持ちはありがたいけど、私たちは距離を置いた方がいいと思う」凌と雲和の兄妹関係で散々苦しんだのに、また兄だの弟だのと呼ぶ関係になるなんて、他の女性を傷つけるだけだ。そんなこと、もう二度としたくない。律は彼女の思いを察し、低く言った。「でも、君は雲和さんとは違うよ」雲和は身勝手だが、美鈴は分別のある人間だ。あんな誤解が生まれるはずがない。美鈴はふっと笑った。「やっぱり、友達のままでいいよ」律はわずかに肩を落とし、「わかった」と答えた。美鈴は温井家を出て、車に乗り込んだ。運転している凌は、何度か口を開こうとし、ついにこらえきれずに尋ねた。「律とは何を話していた?」胸には、不安が渦巻いていた。美鈴は答えず、窓にもたれて目を閉じていた。凌はそれ以上何も言わなかった。北上市の別荘に着くまで、沈黙が続いた。リビングに入ると、凌は美鈴を抱き上げてソファに運んだ。そして彼女を逃がさぬようソファに押さえ込み、嫉妬にくすんだ瞳で問うた。「美鈴、書斎で律と何を話していた?」美鈴はソファに寝そべり、だらけた姿勢のまま彼を見上げ、唇に皮肉な笑みを浮かべた。「離婚した者同士よ。何を話したと思う?」凌は息を呑み、胸の奥が鋭く刺されたように痛んだ。温井家で、律は迷いもなく離婚すると言った……彼らは、確かにもう独身同士だ。「じゃあ、お前は彼と結婚する気なのか?」凌の声は震えていた。「あなたには関係ないわ」空気は張り詰め、沈黙が重く降りた。凌は彼女の手首を握り締めた。「美鈴、俺たちいつまでお互いこんなふうに刺々しくするつもりなんだ?」少し間を置き、今度は柔らかく続けた。「これから長い時間を一緒に過ごすんだ。毎回こんな喧嘩腰じゃなくてもいいだろう?」美鈴は苛立った声で言った。「なら、私のそばに来なければいいだけでしょ」凌は黙り込み、彼女を放すと袖をまくった。「……何か食べたいものはあるか?作るから」美鈴は、まっすぐな後ろ姿を見つめながら、ますます彼がわからなくなっていた。自分の態度はあれほど冷たかったのに、彼は怒りもせず、た
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第454話

芳子は唇を強く噛みしめた。幼い頃から、月乃が最も大事にしていたのは城也だった。だが、ここまで刺さる言葉を投げつけられたのは初めてだ。「私は電話しないわ」芳子は首を少し傾けて静かに言った。彼女はもう離婚すると決めたの。月乃は娘をビンタしたくて仕方なかったが、今は妊娠中だ。お腹の子のこともある。そう思い、なんとか堪えた。「芳子、責めてるわけじゃないのよ。ただ、私はあなたのことが心配で」月乃は声色を柔らかくした。結局のところ、今の芳子はまだ使い道がある。飴と鞭を使い分けるのが、彼女のいつものやり方だった。芳子の隣に腰を下ろし、月乃は思わせぶりに言った。「榊家で起きたことはもう知ってるでしょ?あなたのおじいさんは老いぼれて、会社をよそ者に渡すなんて。私が動かなければ、私たちは何一つ手に入らないのよ」そして、ようやく本音を明かした。「だから私は、律の力が必要なの」芳子には理解できなかった。「助けが必要なら、ちゃんと話せばよかったじゃない。どうしてあんな言い方を?」月乃の温井家での態度は、頼みに行ったというより、まるで借金取りのようだ。あれでは相手が折れるわけがない。月乃は顔をわずかに曇らせた。芳子はいつも他人のことばかり考えている。「彼らの本音を探りたかったのよ。あなたをどれだけ大事にしているか見たかった。私が強く出て、あなたが妊婦らしく弱々しく振る舞えば、律なんて簡単に手のひらで転がせるはずだったのに」ところが、この愚かな娘が離婚を承諾してしまった。芳子はうつむき、心の中であることに気づいた。自分の母は、美鈴のために動いていたのではない。自分を道具にして利益を得ようとしていた。なんて悲しいことだろう。「律が私の条件を飲めば、彼はあなたを大事にしているという証拠よ」芳子は喉の奥がひりつくのを感じた。「もし彼が断ったら?」月乃は冷たい笑みを浮かべ、情け容赦なく言い放った。「そのときは、もう容赦しないわ」温井家は政治家の家系だ。律と夕星が未婚のまま子を設けたスキャンダル、そして夕星の死。それらは温井家にとって致命的な傷となりうる。だからこそ、温井家は律と安輝を長年迎え入れなかった。芳子は拳を握りしめた。母はいつだって、手に入らないものは壊そうとする。律――彼女は苦しくて、その名を心
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第455話

「これは犯罪よ」芳子は歯を食いしばりながら言った。「こんなことが露見したら、温井家は終わりよ」一家全員が巻き込まれることになる。「何が犯罪よ。ただ手心を加えてもらうだけじゃない」月乃は鼻で笑った。「城也が運んでいるものだって禁制品じゃないわ」「じゃあ、どうしてそんなに隠す必要があるの?」月乃は怒りを爆発させた。「芳子、私はあなたの母親よ。そんな口の利き方がある?」芳子の頬を、無表情のままに涙が流れ落ちた。その顔を見るに耐えず、月乃はひと言だけ吐き捨てて部屋を出ていった。「律を引き止める電話をしないなら、容赦しないわよ。律があなたを嫌うなんてありえない。自分の子供まで見捨てるはずないでしょう」ドアが勢いよく閉まった。芳子は胸を押さえ、ソファへ崩れるように倒れ込んだ。月乃は、子供を盾にして律を縛り付けさせ、律に条件を飲ませるつもりなのだ。なんて巧妙な計算だろう。律は責任感が強すぎる。子供が人質のように扱われていると知れば、きっと……芳子はそっと目を閉じた。でも、自分が拒めば、律と夕星の問題は暴露され、美鈴まで巻き込まれる。どうすればいいの?気づけば、彼女はスマホを手に取り、指を連絡先の上に置いていた。それでも、どうしても押せなかった。そして、携帯をそっと閉じた。翌日、月乃は律に電話をしていないと知ると、たちまち顔を険しくした。「芳子、どうしてそんなに冷たいの?これがあなたの兄の将来に関わっているってわかってるの?」芳子は胸が締めつけられる思いだった。「香水部門で働けと言ったのはお母さんでしょう?私が三年かけて軌道に乗せたのに、城也が帰ってきたら説明もなく私の席を奪った。小さい頃からずっと、私は城也に譲ってばかりだった!」鋭い平手打ちの音が、芳子の言葉を遮った。月乃は激昂して叫んだ。「私たちは家族なのよ。どうしてそんなつまらないことを気にするの?将来、城也があなたを見捨てると思ってるの?」娘は借金取りのように文句を言いに来ただけ。そう思わずにはいられなかった。芳子は顔を背け、涙をこぼした。「これまで私は、城也のために十分すぎるほどやってきた。もう、自分の人生を彼の踏み台にしたくない」彼女はきっぱりと拒んだ。昨夜は一睡もできず、このことばかり考えていた。もしまた自分が妥協
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第456話

喧嘩なのか?芳子は胸の内で悟っていた。自分と律の関係は、喧嘩にすらならない。律は穏やかな性格で、そもそも言い争いにならない人だ。今回、離婚という言葉が出たのは、本気で怒っていたからに違いない。涙を浮かべたまま、上の空でご飯を口に運んだ。霖之助はお箸を置いた。月乃には冷たいが、孫の芳子のことは気にかけている。「芳子、自分で決めなさい。いつまでも周りばかり気にしていたら、これからもっと辛い目を見るぞ」芳子の目尻が赤くなった。「はい。おじいちゃん、ありがとうございます」霖之助は淡々と言った。「何があっても、私はお前の味方だ」芳子が抑えていた涙がこぼれ落ちた。人とは不思議なものだ。ひとりならどんな苦しみでも耐えられるのに、誰かが少しでも気にかけてくれると、小さな痛みでさえ堪えられなくなる。涙を拭い、芳子ははっきりと告げた。「私は律と離婚します」霖之助が動いてくれるなら、月乃も止められない。霖之助はうなずいた。「いいだろう」「ありがとうございます、おじいちゃん」朝食後、部屋に戻った芳子はしばらくぼんやり座り込んだ後、電話をかけた。「はい。手術の予約をお願いします」離婚するなら、これ以上、何の繋がりも残さない方がいい。子供を母の道具にされるのも嫌だ。お腹をそっと撫でた瞬間、抑えていた涙が堰を切ったようにあふれた。霖之助が手配した弁護士は仕事が早く、離婚届はすぐに出来上がった。芳子は丁寧に確認し、問題がないのを確かめて律に送った。三年の結婚生活といっても、利害関係はほとんどなかった。離婚の手続きはあっけないほど簡単だ。まもなく、律から【了解】のメッセージが返ってきた。芳子はその文字を見つめ、胸がざわついた。彼が快諾してくれたことは、良いことだ。けれど、これほどあっさり承諾したのは、最初から自分のことなど心に無かったからだろう。芳子は深い迷いと痛みに沈んだ。それでも理性は保ち、後悔も執着も口にしなかった。彼女は律と区役所へ行く日時を決めた。携帯を置いたところで、月乃がやって来た。このところ思い通りにならないことばかりで、月乃の苛立ちは募っていた。ぼんやり座る芳子の姿に、溜まっていた怒りが爆発した。「芳子、私の言うことを聞かないつもりね?今は温井家の
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第457話

月乃はテーブルの上の物を叩きつけた。階段を下りる途中、霖之助と鉢合わせした。霖之助は冷えた声で言った。「出て行くと言ったんじゃないのか。どうしてまだいるんだ?」月乃は手すりを握り、崩れ落ちそうになるのをこらえた。霖之助にここまで面と向かって言われるとは、完全に体面を潰された形だ。「父さん」「月乃、お前は鷲野(わしの)家に嫁いだ身だ。まず夫の家のことを考えるべきだろう。まして夫が亡くなったばかりで、こちらに居座るとは何事だ」霖之助はそう言い残し、去っていった。月乃は階段に長く立ち尽くし、唇をきつく結んでいた。一方その頃、芳子は手術の予約をすませていた。病院へ向かう途中、胸の奥がざわつき、不安が押し寄せてきた。連絡先のリストを見渡しても、誰に付き添ってもらえばいいかわからなかった。迷った末、美鈴に電話をかけた。美鈴はちょうど会議を終えたところだった。先日の幹部二人への処分は効果を見せ、少なくとも表立って文句を言う者はいなくなった。電話に出ると、美鈴は眉を寄せて言った。「本当に決めたのね?」芳子は「うん」と小さく答えた。「もう決めたわ」美鈴は眉間を押さえ、「わかった、迎えに行く」と言った。秀太に仕事を任せ、病院へ向かった。だが到着した時、芳子の姿はどこにもなかった。医療スタッフに尋ねると、芳子は手術室に入る直前、一本の電話を受け、そのまま姿を消したという。美鈴は眉根を寄せた。よほど大きな出来事が起きたに違いない。でなければ、芳子が連絡もせずにいなくなるはずがない。凌は既に手配をしており、すぐに情報が入った。月乃が交通事故に遭い、今まさに手術中で、芳子はそちらに向かったという。交通事故?美鈴は凌に視線を送った。凌はうなずき、事故の調査を徹底するよう指示を出した。このタイミングで事故など、できすぎている。二人は急いで救急室へ向かった。芳子は処置室の前に座り込み、表情は抜け殻のようだ。美鈴は彼女の肩を軽く叩いた。「芳子?」芳子ははっとして涙を拭い、「来てくれたのね」と言った。美鈴は月乃が嫌いだが、芳子のことは放っておけず、ただ月乃の容体を尋ねた。「医師がまだ処置中なの」芳子は苦笑した。「あんなふうに喧嘩しなければよかった」昨日あんな言葉を月乃に掛け
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第458話

「どうして黙っているんだ?」城也が問い詰めるように言った。芳子は静かに息を吸い、「これは私自身の問題よ」と返した。「俺たちのような立場の人間に自分だけの問題なんて存在しない。お前の行動ひとつが家の将来に直結するんだ」芳子はうつむき、胸が押しつぶされそうだった。自分はこれまでずっと城也のために生きてきた。なのに今もなお、彼は当然のように何かを求めてくる。まるで、彼のために自分を燃やし尽くすのが当たり前であるかのように。実に滑稽だ。月乃は「いずれは城也に頼って生きることになる」と言っていたが――今の芳子には、城也は頼れる存在どころか、いずれ自分を骨の髄まで吸い尽くす吸血鬼のようにしか思えなかった。「離婚の件は、おじいちゃんが弁護士に進めてもらってるわ。あなたはまず、自分の心配をしたら?」彼女は霖之助の名を出し、離婚が彼の了承のもとで進んでいることを城也にわからせたかった。榊家で生きる以上、霖之助の言うことは絶対だ。すると城也は、妙に楽しげな笑みを浮かべた。「母さんがこうなった理由、知ってるか?」芳子は意識のない母を見つめ、何も言わなかった。城也は勝手に続けた。「おじいちゃんが母さんを追い出そうとしたせいだ。精神的に参って、事故に遭ったんだよ。芳子、よく見ろ。おじいちゃんはスメックスグループを外の人間に渡すくらいなら、俺たちを追い払う方を選んだ。まだ気づかないのか?あの人にとって俺たちはもう榊家の人間じゃないんだ」彼の声には奥深い恨みが潜んでいる。芳子には城也の言い分が理解できなかった。「私たちは元々、榊家の人間じゃないわ」苗字は榊でも、血筋は鷲野家だ。榊家の財産を奪おうとするなんて、狂気の沙汰だ。「どうして榊家じゃないって言える?母さんは榊家の人間だろう?今は嫁いだ娘にも相続権があるんだぞ」だから自分にも権利がある、という主張らしい。芳子には言葉がなかった。完全に、正気ではない。「あなたたちのことなんて関係ないわ。でも、私を利用するのはやめて」芳子は冷たく言い放った。「これから先、一切の関わりを断ちたいの」言い終わったその時。病室のドアが勢いよく開いた。芳子が振り返ると、律が見えた。手には花束と見舞いの品。彼は月乃のお見舞いに来たのだ。数日ぶりに見る律の姿に、芳子の胸
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第459話

芳子は振り返りたい衝動を必死に抑えた。どうせ自分と律には、もう話すべきことなど何もない。きっと律も同じ気持ちだろう。だが、足音が背後で止まった。穏やかな男の声がした。「最近、元気にしてるか?」芳子は病室の城也を思い出し、焦りながら表情を引き締めて携帯を見つめた。律を無視する。律は気にした様子もなく、彼女の耳元へ身を寄せ、低く囁いた。「芳子」彼が彼女の名前を呼ぶ声には、幾分かの優しさがあった。芳子は思わず固まった。なぜ今になって、こんな優しい声音なのか理解できない。二人は今、離婚が正式に受理されるのを待っている。近いうちに離婚届受理証明書を受け取る予定なのに。何を考えているの?「律、母を気にかけてくれてありがとう。もう帰っていいわ」芳子は淡々と追い返した。ここには城也がいる。悟られたくない。律は眉を寄せたが、そのまま素直に去っていった。芳子の目には涙が浮かんでいたが、城也が出てきた時には全て押し殺した。「帰ったのか?」答えを知っているくせに城也は尋ねた。芳子は冷たく、「ええ、帰ったわ」とだけ答えた。城也は残念そうだったが、それ以上の言葉はなかった。駐車場では、律も同じく無表情だった。彼はすでに、月乃と城也に対抗する手立てを思いついていた。だが、その方法には芳子の協力が不可欠だった。だからこそ、迷っていた。芳子を利用したくなかった。美鈴はすぐに状況を把握し、霖之助のもとを訪れた。霖之助は椅子に座り、揺られながら目を閉じて休んでいた。誰かが近づく気配に、すぐ目を開けた。「おじいちゃん」美鈴は素直に呼んだ。霖之助は嬉しそうに目を細めた。「美鈴」美鈴が月乃の件を話すと、霖之助は小さくため息をついた。「確かに私が追い出したが、まさかこんなことになるとはな」病院に行きたかったが、体調が悪く行けなかったらしい。どうせ自分は、もう長くは生きられない。そんな予感すらあるようだった。ただ、まだ片付けるべきことが残っているから、無理にでも動いているだけだ。「今回は、しばらくここに置いておくしかあるまい」霖之助は深く息をついた。美鈴は理解した。実の娘があれほどの怪我を負ったのだ。追い出せるはずがない。「わかってます」美鈴は最初から、この結果になることをわかっ
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第460話

食事を終えた美鈴は、一旦穂谷家の実家に戻った。保美が勢いよく飛びつき、彼女の胸に飛び込んだ。「ママ!」小さな子では、なぜママがこんなに長く出張しているのか理解できない。ただ、とにかく恋しかった。美鈴は保美を抱きしめ、何度も頬ずりした。保美は首に腕を回し、お利口さんに尋ねた。「ママ、もう出張には行かないで」美鈴の胸はキュッと痛んだが、はっきりと約束する勇気が出なかった。あの一件がいつ終わるか、まだわからないからだ。保美は口を尖らせ、しょんぼりした。ふと目線を移すと、美鈴の後ろにいる男性に気づき、瞳が大きく開いた。「ママ、このおじさんだれ?」美鈴が振り返ると、凌がいつの間にか家に入ってきていた。外で待っててって言ったのに……美鈴が何か言う前に、凌は先に保美の小さな手を握った。「こんにちは、俺は……」凌は自分の立場をどう紹介すべきか、一瞬言葉に詰まる。傍らの彰が小さくため息をついた。「もういい、家の中には私たちしかいない。マスクを外して」保美に、父親の顔すら見せないままでは不自然だ。凌はマスクとサングラスを外し、整った顔立ちを露わにした。保美はすぐに思い出した。病院で会った、あのおじさんだ。「おじさん」保美は小さな手を伸ばし、凌に抱っこをねだる。凌の胸の奥が一気に柔らかくなった。「保美」美鈴は唇を噛んだが、結局何も言わず、静かにそばで二人を見守った。血のつながりとは、本当に不思議なものだ。保美は生まれた時から、自然と凌を受け入れている。凌はしばらく保美と遊んだ後、彰と書斎に向かった。彰が尋ねた。「あとはどれくらい?」凌はゆっくり笑った。「そんなに焦るな」「美鈴が危険な目に遭うかもしれないんだぞ」彰は妹を心配していた。凌の目が一瞬だけ陰り、気だるい口調で言う。「彼女はいずれ経験しなきゃいけないことだ」「どういう意味だ?」彰は理解できなかった。凌は影を見つめたまま、話を続けずに話題を変えた。「澄香を見つけた」彰の手からグラスが「ガチャン」とテーブルに落ちた。三年ぶりに聞くその名前に、彼は魂が抜けたように固まった。この三年間、彰は川底までさらう勢いで探し続けたのに、澄香の痕跡は何ひとつ見つからなかった。生きている姿も、遺体すらも。彼はす
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