All Chapters of 妊娠中に一緒にいた彼が、彼女を失って狂った話。: Chapter 121 - Chapter 130

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第121話

蓮司が聞く耳を持たないのを気に留める様子もなく、杏奈は涼しい顔で言った。「天音は、あなたと恵里の浮気をとっくに知ってるわ」蓮司は、その言葉を聞いてハッと杏奈の方を向いた。冷たい視線には、危険な香りが漂っていた。「嘘だろ?」「天音の反応は、あなたが予想してたのと違ったでしょ?きっと、裏切りを責め立てて、泣き叫んで、離婚を迫ってくると思ってたんじゃないかしら?」杏奈はクスッと笑った。「彼女は、静かにあなたの元を去ろうとしていたのよ。これは本人から聞いたことよ。この間、天音が何者かに連れ去られた事件、覚えてる?白樫市中を封鎖したせいで、連れ去ることができなくなって、結局戻ってきたっていう。あなたのお母さんから話を聞いたんだけど、監視カメラには何も映ってなかったらしいの。でも、天音はその時、2階の寝室に一人でいたのよ。シーツを使って窓から抜け出したとしか考えられないわ」蓮司の視線がますます冷たくなるのを感じながら、杏奈は続けた。「天音は、自分で逃げ出したのよ。あなたに気づかれることなく姿を消そうとしてたの。二度と見つからないようにね」杏奈は冷笑した。杏奈は自分が不幸なら、皆も同じく不幸でいいと思ったのだ。蓮司は、大智と直樹を病院に連れて行った時のことを思い出した。後から病院に行った蓮司は、天音と龍一が話しているのを偶然耳にしたのだ。天音は、数日後にはいなくなると言っていた。蓮司は大股で階段を下りながら、最近の天音の不可解な行動の数々を思い返した。バラバラだったピースが、一つにつながっていくような気がした。キッチンに入った蓮司は、天音の細い腰に手を回し、強く抱き寄せた。彼女の肌に自分の吐息がかかり、蓮司の胸はざわめき波打っていた。そして、低い声で彼女を呼んだ。「天音」「キス!キス!」周りの友人たちは、ぴったりと寄り添う二人を見て、囃し立て始めた。蓮司は、不安げな目で天音のやつれた顔を見つめ、何か少しでも不審な点を見つけ出そうとしていた。もし彼女が、自分と恵里の事を知っていても、怒り狂ったり、泣き崩れたりせず、ただ黙って去ろうとしているのだとしたら、答えは、一つしかない。天音はもう自分を愛していないのだ。天音はいつものように、恥ずかしそうに蓮司の胸に顔を埋め、甘えるような声で言った。「恥ずかしいから、何とかしてよ」
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第122話

天音の方からキスをされて、蓮司の心は激しく動揺した。しかし、彼はそっと顔をそらした。天音は手術を受けたばかりだ。激しい感情の起伏は心臓によくない。蓮司は天音の顔を胸に押し当て、耳元で熱い吐息を漏らした。まるで、彼女を骨の髄まで溶け込ませようとしているかのようだった。天音は、体中が燃え上がるような気がした。顔が紅潮する。だが、彼女の目に宿るのは、冷たい光だけだ。書斎から出てきた恵里が、杏奈と並んで立っている。まるで、また共謀でもしているかのようだ。「キス!キス!」囃し立てる声が大きくなる。天音の顔が優しく持ち上げられ、蓮司の穏やかな顔が目に入った。彼の瞳からは、清らかな泉のように愛情が溢れ出ている。しかし、天音は何も感じなかった。「天音、薬の時間だ」「うん」天音はそっけなく返事をして、蓮司の腕から離れた。しかし、彼に手をしっかりと握られていた。蓮司は天音をキッチンから連れ出し、皆に言った。「天音をからかうな。彼女は休まなければならない」誰も逆らえるはずがない。「蓮司さん、天音さんをそんなに大事に思ってるんだから、俺たちがからかうわけないですよ」「天音さん、本当に羨ましいわ」一人の女性が、羨望の眼差しを向けた。「私も、蓮司さんみたいな素敵な人に愛されたい」蓮司に寄り添う天音は、可愛らしい女性そのものだった。しかし、多くは語らなかった。蓮司は使用人に客をもてなすように指示し、こう言った。「先に彼女を休ませる。後でまた戻る」「今夜は蓮司さんの別荘だし、とことん飲もうぜ!天音さん、怒っちゃダメだぞ」天音は軽く微笑んで、蓮司と一緒に階段を上がった。2階の廊下で、杏奈と恵里がこちらに向かって歩いてきた。恵里は二人の親密な様子を見て、ますます愛情を注ぐ姿に妬みで胸を焦がした。カルティエのブレスレットのことも何も聞かず、逆にますます優しくしているなんて。「天音さん、佐伯教授は裏庭にいらっしゃいます。ご挨拶もなしに、もう行っちゃうのですか?」恵里は挑発的に言った。杏奈は恵里の後ろに立ち、冷笑した。天音は蓮司の手を放し、彼が口を開くよりも先に、恵里を突き飛ばし、杏奈に平手打ちを食らわせた。恵里は不意を突かれて体勢を崩し、床に転がって惨めに悲鳴を上げた。杏奈は片手で顔を覆い、天音を睨みつけた。吹き抜
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第123話

「早く行きな!天音さんは手術を終えたばかりなんだぞ。もし天音さんに何かあったら、蓮司さんが黙ってないぞ」と誰かが同意した。杏奈の両目はみるみる涙でいっぱいになった。これまで周囲の人々にチヤホヤされて生きてきた。たとえ高橋家が没落したとしても、蓮司がいれば、誰も無下にはできないはずだった。しかし今、皆から非難されている。悲しみと怒りが入り混じり、杏奈の目は真っ赤に充血した。天音を睨みつけ、何も言えずにその場から逃げ出した。天音は床に倒れている恵里に視線を向けた。あの夜、蓮司と千鶴の会話を思い出したくはなかった。しかし恵里の顔を見た途端、あの時の記憶が芽吹く竹のように胸に突き刺さった。蓮司は恵里を抱くうちにいつしか本気になり、他の女を受け入れられなくなった……天音は恵里を見つめた。高級ブランドのドレス、高価な宝石、そして足元のハイヒールさえ、自分と同じブランド。さらに、蓮司の愛まで奪っていった。天音は母と真央のことを思い出し、胸が締め付けられるような思いと、吐き気がするほどの嫌悪感に襲われた。恵里はこんなものを手にする資格はない。ましてや自分の前に現れる資格なんて……「それから、あなたもよ。どういう手を使ったの?うちの息子の口から『ママになってほしい』なんて言わせたかと思ったら、今度は千鶴さんと夫があんたのせいで激しく言い争ったって?」天音の鋭い言葉に、周囲の人々は騒然となった。恵里の顔色は一瞬で強張り、遥香の冷酷なやり方を思い出し、怯えて身を縮めた。「蓮司さんと彼のお母さんが、この女のせいで喧嘩したって?一体どういうことだ?」と、困惑している人々の声が上がった。「まだ知らないのか?この女は健太の婚約者で、天音さんの異母妹でもあるんだよ。それにしても、このただの義妹のことで言い争うなんて、どういうことだ?」と、誰かが言った。人々の視線は一斉に蓮司と恵里に向いた。天音は腰に回された蓮司の腕にさらに力が入るのを感じた。蓮司を見つめ、悲しみに胸が締め付けられ、思わず目を潤ませた。「あなたたち、私じゃなくて恵里を選ぶのね?」蓮司は天音の悲しそうな顔を見て、彼女の涙を拭いながら、優しく囁いた。「バカだな、何を考えてるんだ。大智はまだ小さい。アイスやお菓子で釣られたら、何が良くて何が悪いかなんて、分かるはずがないだ
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第124話

蓮司の優しい表情に、ついに亀裂が入った。彼は鋭い視線を健太に向けた。健太は恵里の手を掴んで跪き、小さく震える声で言った。「天音さん、本当は恵里と付き合うつもりはなかったんだ。恵里が……俺を誘惑してきて」蓮司を守るためなら、健太は何でも自分の罪にするつもりらしい。その義理堅さには感心するしかなく、天音は呆れて笑った。そして、恵里に氷のような視線を向けた。「母親に似たんだね!あなたの母親があのクズ父を誘惑したように、あなたも健太を誘惑したんだね」天音は蓮司の手を振り払った。「人妻に縋りついて身を持ち崩す女、媚びを武器に家庭を壊す女、最低な血筋だね!」恵里は天音の罵倒を聞きながらも、何も言い返すことができなかった。「そしてあなた!目移りばかりして、誰彼かまわず愛してるなんて言って。甘い言葉で騙して、すぐに別の淫らな女に溺れる!」天音は蓮司に向き合った。「倫理観のかけらもない。良心は犬にでも食われたの?」天音は蓮司と見つめ合った。彼の落ち着いた表情から、何の綻びも見つけることができなかった。しかし、彼の拳が固く握りしめられているのが分かった。健太は恵里の後頭部を押さえ、天音に深く頭を下げさせた。「天音さん、本当にごめんなさい。恵里が、大智くんに良くないことを吹き込んで、天音さんをこんなにも怒らせて……本当にごめんなさい」すっかり落ち込んだ恵里は、肩を落とし、震える声で言った。「天音さん……本当に申し訳ありませんでした」「私を呼ばないで」天音は厳しく言い放った。「あなたにその資格はない」その言葉を聞いて、恵里は顔を上げ、恨めしそうに天音を見つめた。周りの人々は我に返り、いつも穏やかな天音が、まさか人を罵倒するなんて、と驚いた。事情を知っている人たちは、蓮司の顔色を窺い、息を潜めていた。「先日、渡辺家の婚約パーティーで、風間家は随分とお金と労力をかけたのに。てっきり天音さんが妹のことを可愛がってるんだと思ってた。まさか、こんなに冷淡だったとはね」「言ったって自分のお父さんの愛人の娘だよ。もし自分が天音さんの立場だったら、可愛がると思う?天音さんが上品な人だから我慢してただけだ。あんな酷いことをされて、私ならとっくに殺してやりたいくらい」事情を知らない人たちは、憤慨しながら言った。「あんなに天音さんを睨みつけ
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第125話

恵里の告げ口を、蓮司がどれほど信じているだろうか、天音は考え込んだ。蓮司のすらりと伸びた指が、太もものラインを這うように滑っていく。天音のドレスのスリットから覗く白い肌と青い血管の浮き出た腕が重なり対照を成した。蓮司の吐息は荒く熱を帯び、周囲の空気まで灼き焦がす。「どうして彼が、お前のブレスレットを拾うんだ?」蓮司の目に燃え上がる欲望を見て取った天音は、彼の手を制止し、眉をひそめて不満そうに呟いた。「誰かがやきもち妬いて、ちゃんと説明してこいって言ったんじゃないの?」その言葉を聞いて、蓮司の目尻が下がった。天音の腰を抱き寄せ、勢いよく持ち上げる。「天音、いつからそんなに素直になったんだ?」天音は驚きながらも、彼の腕の中で小さく息を吐いた。どうやら信じたみたい。それでも、天音は強がって言った。「あなたの言うことを聞いても、文句あるの?」「悪かった。もう二度とヤキモチは焼かない」蓮司は天音をベッドにそっと下ろし、彼女の手を握った。「下の階の連中には静かにするように言っておく。ゆっくり休め。佐伯教授にも俺が謝るから」「うん」天音はそっけなく返事をして、目を閉じ、眠るふりをした。蓮司は天音に優しく布団をかけ、友人がよこした使用人に呼ばれるまで、しばらくベッドの傍らに座っていて、静かに部屋を出て行った。ゆっくりと起き上がった天音は、キッチンに置き去りにした小型ノートパソコンのことを思い出した。すぐに桜子に電話をかけた。龍一とも口裏を合わせなければならない。龍一の顔が浮かぶと、秘密基地で告白された時のことが思い出され、生々しい記憶が脳裏に蘇る。龍一と蓮司に触れられた足の指に、じんわりと力が入った。天音は思わず息を呑んだ。突然の動悸は、誰のせいなのか、それともただの体の反応なのか、分からなかった。しかし、龍一には、はっきり伝えておくべきだと思った。自分はもう誰かを好きになることはないし、誰かと人生を共に歩むつもりもないと決めていること。突然、携帯が鳴り、メッセージが届いた。杏奈から写真が送られてきた。【天音、調べたわ】【蓮司が、どうして私じゃなくてあなたを選んだか、知っている?】【あの時、東雲グループが、資金難をどう乗り越えたかは?】【天音、あなたが騙され続けるのを見てるだけで本当に辛い!】
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第126話

蓮司と恵里が人目も憚らず抱き合っているのを見た。彼は恵里を抱き上げて、別荘の中へと消えていった。玄関のドアが閉まり、天音と蓮司は、まるで別の世界にいるかのようだった。天音は別荘のドアを叩き続けた。激しい胸の痛みと、薄れゆく意識の中で、弱々しく言った。「蓮司、出てきて、真実を話して」天音は目を閉じ、涙が頬を伝った。蓮司が自分の命を救ってくれたことも、自分をどん底から救い出してくれたことも、全てが嘘だったの?最初から最後まで、自分を愛していなかった。全ては、ただの策略だったの?突然ドアが開き、真央の憎しみに満ちた視線とぶつかった。「真夜中にうるさいわね!」真央は苛立った様子で言った。天音は彼女相手にしている暇はなかった。「どいて」「どく?ここは私の家よ。この別荘の名義は娘のもの。あなたに入る権利なんてないわ」真央は、娘の邪魔をさせまいと、天音を中に入れようとしなかった。顔面蒼白で胸を押さえ、今にも倒れそうな天音を見て、真央の心に邪悪な考えが芽生えた。恵梨香が、自分たち一家を容赦なく追い詰めたのは、天音が誠と自分が一緒にいるのを見て心臓発作を起こし、危篤状態になったことが原因だった。しかも天音はつい先日も発作を起こしたばかりだ。あと何回、耐えられるというのだ。天音が死ねば、蓮司も風間家の財産も、全て自分の娘のものになる。「病弱で、触ることもできない女なんて、そんな女を誰が我慢できる?恵里はあんたを助けてやってるのよ。感謝するどころか、毎日文句ばかり。あなたの母親と同じで役立たずだわ。男を繋ぎ止められないのを自分のせいだと反省せずに、人のせいにするなんて、情けない」真央は両手を腰に当て、天音を責め立てた。「中から聞こえるでしょう?あの二人盛り上がってるのよ」恵里の喘ぎ声と男の荒い吐息が、天音の鼓膜を叩いた。真央の言葉が、天音の心に突き刺さる。天音は体が弱く、大智を生んでからさらに悪化した。しかし、だからといって、蓮司が自分を騙し、裏切る理由にはならない。悲しみをこらえ、天音は真央に平手打ちを食らわした。「母のことを、口にする資格ない!」真央は赤くなった頬を押さえ、激しい口調で言った。「金がなければ、誠はあの女なんか相手にしない!不倫相手は、あの女の方よ。私と誠の間には息子もいたのに、それでもあの女が
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第127話

「天音、人を愛するってのは幸せなことだ。絶望なんて感じるもんじゃない。君はもうあいつを愛してない。分かってるだろ?ただ彼を愛することに慣れているだけで、向き合うのも、愛していないことを認めるのも怖く、居場所を失うのが怖いだけなんだ」天音が悲しげに涙を流すのを見て、龍一はそっと彼女を抱きしめた。天音の苦しみ、脆さ、そして生死の瀬戸際でもがく姿、そのすべてが龍一の目に焼き付いていた。龍一はたまらなく彼女を憐れに思い、「天音、もうあいつを愛するのはやめろ」と言った。彼は彼女を守り、誰にも傷つけさせまいと思った。天音は龍一の心配そうな視線に気づいた。彼女は四日後には完全にこの場を去る。そして、蓮司とはもちろん、龍一とも二度と会うことはないだろう。自分が姿を消した時、蓮司が研究所に乗り込んできたことを思い出した。自分が去った後に蓮司が龍一に矛先を向けるのは避けたい。今こそ、龍一に打ち明ける絶好のタイミングだ。「先輩、彼は私の夫だわ。もう彼の悪口は言わないで。お願いだから、家まで送って。防御システムはもう完成したわ。残りは桜子に任せられる。私たちはもう会うのはやめよう」龍一は、天音が結婚生活に苦しんでいるのを見て、何もできない自分に無力感を感じていた。どんなに頑張っても蓮司には敵わない。龍一の心は砕け散った。「分かった。送るよ」別荘に戻ると、客たちはそれぞれ家路についたり、酔いつぶれたりしていた。天音が外出していたことに気づいた者は誰もいなかった。ボディガードでさえも。天音は二階、大智の部屋へ向かった。美月は軽く頭を下げた。「奥様、坊ちゃんはもうお休みです」天音は小さなベッドの脇に座り、大智の小さな手を握った。直樹と比べると、息子はわがままで言うことを聞かない。しょっちゅう自分を困らせていた。それでも、最愛の息子だ。美月は天音の様子を伺いながら、少し躊躇してから、口を開いた。「奥様、そろそろ試用期間が終わるのですが、坊ちゃんが私のことをあまり気に入っていないようで……お願いですから、なんとかお力添えいただけませんか?」天音は感傷的な気分を押し殺し、「心配いらないわ。この家を仕切るのはこの子じゃない」と言った。「これからも大智のそばにいて、私の代わりに面倒を見てあげて」天音は振り返り、美月に優しく微笑
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第128話

蓮司は驚き、天音から手を離した。「天音、どうしたんだ?」「吐き気がする」天音は、彼のシャツの襟元に残る口紅の跡を見た。蓮司は彼女の視線を追ってシャツの襟元に触れ、恵里がキスしようとしたのを避けたら、そこに口紅がついてしまったことを思い出した。そして、目を細め、危険な雰囲気を漂わせた。「天音、今みんなとふざけてて、うっかりついちゃったんだよ」蓮司は携帯を取り出し、いつものように誰かに嘘をついてもらおうとした。天音は彼のくだらない芝居を見る時間ももったいないと、さっさと立ち去った。蓮司も後を追った。美月は終始うつむいたまま、息を殺していた。三階、寝室。「すぐシャワー浴びてくる」蓮司は、妻に嫌われないよう、体を綺麗にするつもりだった。天音はソファに座り、暗い表情で言った。「母が亡くなってから、彼女の遺品はあなたが管理してたわよね。何があったのか教えて」蓮司は落ち着いて言った。「どうして急にそんなことを聞くんだ?」「大智の誕生日が近いから、ちゃんとしたプレゼントをあげたいの」天音は何気ない調子で言った。「お母さんの宝石や預金通帳は、銀行の貸金庫に預けてある。明日、一緒に行って取り出そう」蓮司は携帯を持ったまま、浴室へ向かった。天音は立ち上がり、浴室のドアの前に立った。中から話し声が聞こえてくる。「明日妻と銀行に行くので、俺名義の貸金庫に案内し、『松田さんが預けたものだ』と係に言うように段取りしてくれ」蓮司は銀行の担当者に指示を出していた。その言葉を聞いて、天音の目は暗くなった。母はたくさんの宝石を持っていて、虹谷市を去る時、2億以上の預金も持っていた。マンションを買った後、1億6000万円残っていたはずだ。虹谷市には母名義の会社や、不動産が多数あった。母は亡くなる時、蓮司に管理を任せた。だが巨額の保険金だけでなく、それらもすべて消えたのか?天音の瞳は灰色に曇り、蓮司との情はすり減り尽くした。その夜、彼女はまるで生きた屍のように彼の腕の中に横たわり、目を開けたまま朝を迎えた。蓮司は朝早くから天音を銀行へ連れて行き、銀行の担当者は二人を貸金庫へ案内した。中には高級ジュエリーが少しあるだけだった。天音は一瞥し、琥珀のペンダントを一つ選んだ。銀行の前で蓮司がロールスロイスに乗り込むの
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第129話

「あなた、ある意味、とても役に立つお嫁さんをもらったね。蓮司の東雲グループの株、全部彼女の名義になってるらしいよ」電話の向こうから、男の重々しい笑い声が聞こえてきた。「一途なところは、俺にそっくりだな。残念なことに、あいつが惚れたのは世間知らずの女だ。お前みたいに賢く、うまく立ち回って、千鶴の目を盗んで正体を隠せる女ではない」晴香は、すっかり気を良くしていた。天音が弁護士事務所を出ていくと、すぐさまボディガードが蓮司に報告を入れた。「旦那様、新海法律事務所の黒崎晴香さんという企業弁護士のようです」ボディガードからの報告だった。「奥様が何を依頼したか、詳しく調べましょうか?」「いや、いいんだ。きっと大智の誕生日プレゼントに、不動産でも贈ろうとしているんだろう」蓮司は白樫市で一番高いビルから、街を見下ろしていた。「大智の誕生日パーティーは、広報部と協力して盛大に祝ってやれ。妻を喜ばせてやらねばな。佐伯のやつに会いに行かない限り、他のことは報告しなくていい。彼女の安全を確保することだけを最優先にしてくれ」蓮司は電話を切り、目の前にいる男に言った。「続けてくれ」探偵は、蓮司の足元にひざまずき、言った。「申し訳ございません。D国のS市の地震事件を調べていたところ、ダークウェブのテロ組織に見つかり、黒幕とその目的を話すよう脅迫されました。もちろん何も話していません。ですが、彼らは私の携帯の通話記録とパソコンのデータから、あなたのことを知ってしまったのです。私のせいで、奥様を謎の組織に誘拐させてしまい、申し訳ございません」探偵は泣きじゃくりながら言った。「本当に裏切ってなどいません」「何か分かったのか?」蓮司は尋ねた。探偵は、これが挽回のチャンスだと気づき、すぐさま答えた。「あの写真を撮影した人を見つけました。あの人も写真の中の男が、世界的な科学者、佐伯教授であることは知っていました。そして、写真裏のメモの謎の少女とは、確かに奥様のことです。あの人の話によれば、彼らの会話から、奥様はミサイルの信号を操作できると分かったそうです」蓮司は眉をひそめ、黒い瞳に冷たい光が宿った。明らかに、その言葉を信じていない。探偵自身も信じられないといった様子で言った。「もしかしたら、あの男は私から金を巻き上げようとして嘘を言
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第130話

「佐伯教授、風間社長が、AI創薬プロジェクトについて直接お話したいと申しております。最上階までお越し願えますでしょうか」秘書室長自らが出迎えた。翔吾は少し心配そうに言った。「教授、ご一緒します」AI創薬プロジェクトは、東雲グループと長い間交渉を続けてきた。蓮司が急に翻意しなければ提携はとっくに成立していたはずだ。蓮司が再び研究所との提携を許可したことで、数日間の調整を経て、細部まで話がまとまっていた。今日は契約のために来たのだ。龍一を最上階に呼ぶのは、プロジェクトのためではないだろう。「風間社長は、佐伯教授お一人をお呼びしております」秘書室長の声に、緊張感が走った。会議室の全員が、龍一に注目した。研究所から来た研究員たちは、もちろん、提携が成功することを願っていた。営業部の者たちは、逆に少し不思議に思った。通常ならば彼らで済む話に、蓮司が口を出すのは異例だ。やはり龍一を最上階まで呼び出したのは、プロジェクトのためではない、と確信した。龍一は皆の期待に応えたいと思っていた。翔吾の肩を叩き、二人にしか聞こえない声で言った。「D国のS市の方は、うまくいったか?」「教授、ご安心ください。ダークウェブに侵入し、これ以上調査をしないよう、偽装工作をし、探偵を脅迫しました。彼は、加藤さんが誘拐されたのは、彼の調査がダークウェブの組織を怒らせたせいだと信じ込んでいるようです」翔吾は小声で言った。「よし。天音の正体がバレなければ、それでいい」龍一は翔吾を落ち着かせ、秘書室長とともに最上階へ向かった。しかし、翔吾は依然として不安だった。蓮司が龍一に危害を加えようとした場合、それを止められるのは天音しかいない。龍一から、もう天音を煩わせるなと言われていたにもかかわらず、翔吾は彼女に電話をかけずにはいられなかった。しかし、かけたとたん、呼び出し音すらなく、電話がかからないことに気づいた。翔吾がネットを確認すると、東雲グループ全体の通信が遮断されていることが分かった。彼は焦りながら言った。「少し用事で、研究所に戻らなければなりません」「申し訳ありません、坂本さん。佐伯教授が戻られるまで、誰もここを離れることはできません」ボディガードが翔吾の行く手を阻んだ。通信が遮断されていることなど知らない龍一は、秘書室長に案内
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