蓮司は車のドアを開けた。運転席には血の跡が残されていたが、天音の姿はどこにもなかった。一瞬にして恐慌が心を駆け巡った。「早く探せ!」蓮司は鋭くボディガードたちに命じた。彼らは、天音が蓮司にとってどれほど大切な存在かを知っていたので、即座に総動員で捜索を始めた。その頃、天音はゆっくりと目を覚ました。最初に目に映ったのは真っ白な天井だった。「天音さん、やっと目が覚めたんですね!」医師の佐藤美咲(さとうみさき)が感極まったように天音の手を握りしめた。「おめでとうございます、ご懐妊ですよ!長い苦しみを乗り越えて、ようやく幸せが訪れましたね」天音はそっと自分の腹に手を当てた。夢見たことが本当に現実になったのが信じられなかった。「すぐに風間社長に電話して、この喜ばしい知らせを伝えますね」美咲はすぐに携帯を取り出した。「いいえ……この子、堕すわ」天音の喜びは一瞬で消え、残ったのは深い悲しみだけだった。神様はなんて皮肉な運命を与えたのだろう。よりによって、このタイミングで妊娠だなんて。美咲は驚いて息を詰まらせた。「天音さん、この子はあなたが五年も待ち望んだ赤ちゃんなんですよ。この子を授かるために、どれだけ苦しみ、どれだけ努力してきたか……なぜ、急に堕すなんて言うんですか?」天音は血の気のない顔を上げ、虚ろな視線で美咲を見つめた。その瞳は、美咲の向こう側にいる誰か別の存在を見ているようだった。天音の唇がかすかに震えた。「彼に、私の子供を持つ資格なんてない」決して約束を破らないはずの蓮司が、恵里を白樫市から追い出さず、天音と別れた直後に、あっさりと恵里と関係を持ったのだから。蓮司には、天音の子を再び授かる資格などなかった。美咲はその言葉に強い衝撃を受けた。もしかすると院内で噂されていた話は本当だったのかもしれない。蓮司社長の名前が、他の女性の子の父親欄に書かれていたという噂。本当に天音を裏切り、不倫の末に隠し子までできたのか。美咲の心を見抜いたかのように、天音は手術を躊躇っていると思い、美咲の手を握り返した。「もしやりたくないなら無理に頼まない。他の公立病院に行けばいいから」「でもお願い、私が妊娠していることは、誰にも言わないで。蓮司にも絶対に」美咲はますます確信した。
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