妊娠中に一緒にいた彼が、彼女を失って狂った話。 のすべてのチャプター: チャプター 431 - チャプター 440

527 チャプター

第431話

天音は呆然と蓮司を見つめた。蓮司は天音の手を握ると、彼女の手から携帯を奪い取り、電源を切った。大きな手が天音の肩をさまよい、だんだんと冷たくなっていく彼女の眼差しを見て、蓮司の心は痛みと苦さでいっぱいになった。でも、これ以上どうすればいいというんだ?天音は恵梨香の言うことさえ聞かなくなった。それにコンピューター業界で少しずつ頭角を現している。今回は政府の入札だったが、次はなんだろう。自分の部下が天音の正体に気づけたなら、他の奴らだって気づけるはずだ。天音の命を危険に晒すわけにはいかない。天音が自分の元に戻ってくれさえすれば、憎まれても構わない。蓮司の大きな手がそっと天音の肩に置かれた。底知れない漆黒な瞳には、抑えきれないほどの愛情が溢れていた。「三年前の離婚届、俺はサインしていない。公表した動画に映っていたのは、偽のサインだ」天音の長いまつ毛がかすかに震えたが、何も言わなかった。蓮司は続けた。「二年間の別居……それも俺の同意が必要なんだ……俺は同意しない。お前は今もこの俺の妻だ。お前と遠藤との結婚は無効だ」蓮司は天音を抱きしめた。失ったものを取り戻した喜びが心を埋め尽くし、傷だらけだった心を癒していく。蓮司は大きな手で天音の頭を支え、その小さな顔を自分の胸に抱き寄せた。天音は昔のように、とても素直だった。「大智を迎えに行こう。また昔みたいに、家族三人でずっと一緒にいよう。天音、もう二度と過ちは犯さない。もう一度チャンスをくれ」天音の眼差しは極度に冷たく、全身から冷たいオーラを放っていた。蓮司は天音の手を取り、恋人同士だった頃のように、指を絡ませた。その冷たい視線には気づかないふりをした。すると蓮司の凍てついた心に、少しだけ温もりが戻ってきた。蓮司が天音を連れて去っていく。英樹は二人の後ろ姿を写真に撮った。そして要に送信した。【要、加藤さんは大丈夫かな】天音との通話を終えたばかりの要は、携帯の写真を見て固まった。天音は彼女自身の意志で、蓮司と手を繋いで去っていった。要は写真の画面を閉じると、その長い指で【照れ屋さん】というニックネームをタップして電話をかけた。すぐに機械的な音声が返ってきた。「おかけになった電話番号は、電源が入っていないか、電波の届かない場所にあ
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第432話

自分は母の才能を受け継ぎ、そして大智も……どうやらそれを受け継いだらしい。自分のIQは145しかないが、大智は150もある。たとえ、大智の父親が誰であろうと。大智は自分の血を引く子。それは決して変えられない事実だ。大智の目から、涙がこぼれ落ちた。天音は大智の涙をそっと拭ってあげた。大智は天音の胸に飛び込み、わっと泣き出した。「ママ、僕、間違ってたよ」パパが何をしてママの心を変えさせたのかは分からなかったけど、ママは少しも嬉しそうじゃなかった。それがたまらなく不安で、ママがいつまたいなくなってしまうかと怖かった。大智は天音を強く抱きしめ、声を詰まらせながら言った。「ママ、もう悲しませるようなことはしないから」天音は大智をそっと抱きしめ、彼の耳元で内緒話をした。蓮司はそばに座って二人を見ていた。まるで時間が昔に戻ったかのようだった。三人で、楽しく暮らしていたあの頃のように。食事の後、彼らは一緒に大智を学校まで送っていった。大智は名残惜しそうに天音に別れを告げ、校門をくぐった瞬間、涙が溢れ出した。耳元でママが囁いた言葉が蘇る。「大智、過去も未来も、何があっても、大智はママの息子よ」何が起こるっていうの?大智は不安でたまらなかった。蓮司は誰にも邪魔させず、自ら運転して天音を車に乗せた。「京市のことはなるべく早く片付けて、お前と大智を連れて白樫市に戻ろう」蓮司は嬉しそうに言った。片手でハンドルを握り、もう片方の手で天音の手を引いた。天音は窓の外に目を向けた。庁舎がどんどん遠ざかっていく。脳裏に浮かんだ要の整った顔も、次第に消えていく。蓮司の別荘の前に車が停まった。天音がドアを開けると、蓮司はすでに車のボンネットを回り込んで、彼女の前に立っていた。蓮司は身を屈め、天音を横抱きにした。天音が拒まないのを見て、蓮司の胸は高鳴った。天音を抱いたまま、家の中へ入っていった。千鶴、紗也香、ジャックの三人は、驚いて二人を見つめた。千鶴は紗也香の腕をつねった。そして、嬉しそうに駆け寄った。「天音、おかえりなさい」天音は何も言わず、千鶴と紗也香をよそよそしい目で見ると、視線をジャックに向けた。しかし、その視線は彼の顔に留まることなく、すぐに彼の両手へと落ちた。十本の指には、どれもタコがあった
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第433話

天音は寝室を出て、廊下を歩き、部屋を一つずつ見て回った後、ついに書斎へと辿り着いた。薄暗い書斎の中、壁の大きなモニターに映る監視カメラの映像が光っていた。それは、天音の社長室だった。天音はノートパソコンを見つけた。キーボードに両手を置き、素早くタイピングすると、すぐにノートパソコンのロックが解除された。画面には、ハッカー専用のプログラミングソフトが映っていた。その瞬間、書斎のドアが開かれた。蓮司の声が聞こえてきた。「荷物をまとめて、すぐにこの別荘から消えろ。うちの妻に見つかるわけにはいかない……」書斎の電気が、ぱっとついた。天音は、蓮司の驚きに満ちた瞳と、彼の後ろで慌てふためいているジャックと視線がぶつかった。ジャックはノートパソコンの画面と、リターンキーに置かれた天音の手を見て、慌てて叫んだ。「だめです、叢雲、俺のパソコンを壊さないでください!あなたを狙っていて、わざとあなたを追跡したわけじゃないです。ただ、風間社長に頼まれて彼の妻を探していたら、偶然あなたを見つけただけなんです。風間社長、早く彼女を止めてください!」ジャックは、黙ってそこに立ち尽くす蓮司を見て、叫んだ。蓮司は、愕然として慌てふためきながら天音を見つめた。天音からは、今まで見たことのないようなオーラが漂っていた。「私を監視してたの?」天音は嘲るような口調で言った。「そして脅迫するつもりなの?」「違う、脅迫なんかじゃない。お前は危険なんだ。多くのハッカーがお前を追っている。俺はただお前を守りたかったんだ。天音、お前のお母さんがお前に俺のところに戻って、コンピューターには触れるなと言ったのも、きっとこのためなんだよ」「なら、かかってくればいいわ!」天音の瞳は砕けた氷のように、蓮司の心をえぐった。その目には激しい怒りの炎が燃え盛り、体からは氷のようなオーラが立ち上っていた。そして、その細い指がキーを押し込んだ。別荘の中から、次々と爆発音が響き渡った。ノートパソコン、壁の大型モニター、そして同じネットワークに接続された全ての電子機器が、同時に爆発し、黒い煙がもうもうと立ち込めた。悲鳴が絶え間なく響いた。ジャックは恐怖のあまり床にひざまずき、火花を散らすノートパソコンを見ながら叫び声を上げた。天音は、ジャックに軽蔑の
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第434話

「天音さん、どうして電話に出ないのよ?」お兄さんも想花ちゃんも来てるのに、天音さんはまだなの?せっかくの私の誕生日なのに」携帯からは、蛍の不機嫌そうな声が聞こえてきた。天音はそれでやっと、今夜が蛍の誕生日だったことを思い出した。「すぐ行くわ」天音は電話を切ると、急いで遠藤家へ向かった。要に会いたかったのだ。天音が遠藤家のホールに入ると、玲奈に呼び止められた。「天音、どうしたの、そんなに汚れて」玲奈の言葉を聞いて、人に囲まれていた要が、天音の方に視線を向けた。白いワンピースは汚れ、顔も……天音は要と視線が合った。でも、要を心配させたくなくて、すぐに目をそらすと玲奈に「ちょっと転んでしまって」と答えた。「どこか怪我したの?」玲奈は少し心配そうに尋ねた。天音は首を横に振った。そして要のそばへ行って、何か話したかった。でも玲奈が天音を引き止めた。「まずは服を着替えよう」天音は仕方なく玲奈について行った。自分に向けられる要の視線を感じたが、何か違和感を覚えた。天音は玲奈が用意してくれたシャンパンゴールドのロングドレスを着て出てきた。ベアトップのデザインが彼女の美しい曲線を引き立った。すらりとした首筋、華奢な鎖骨、そして、透き通るような白い肌。その姿は、皆の視線を集めた。しかし、天音の目には要しか映っていなかった。彼女は要の方へと歩き出した。だが、要の視線は天音の方には向けられていなかった。要の向かい側に立つ英樹が言った。「さっき、ある別荘地で火事があったそうよ……あちこちで事件や事故が起こって、落ち着かないね、要。お前の肩にかかる責任も、本当に大きいな」英樹のそばにいた蛍が、心配そうに尋ねた。「まさか、蓮司さんが住んでいる別荘じゃないでしょね?」その時、蓮司が智子の腕を組んで入ってきた。「火事になったのは、風間社長の別荘ですよ。加藤さんならご存知のはずでしょう。さっきまで風間社長の別荘にいらしたんですから」智子の言葉で、場の空気が一瞬で凍りついた。幸い、流れていた音楽のおかげで、気まずさはいくらか紛れたが。天音は要を見た。要の無表情な視線とぶつかり、説明しようと彼の袖を掴んだ。智子がまた口を開いた。「ついさっきまで元夫と一緒だったと思ったら、もう今の夫とご一緒ですか?加
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第435話

天音は湖に落ちた人に手を伸ばし、ようやく掴んだところ、なんと智子だった。天音は背後から智子の脇に腕を回し、体を支えながら岸辺へと運んだ。ところが、岸に着く直前になって智子のパニックは収まってきたようだ。それなのに、智子は突然協力を拒み、天音を押し退けた。不意を突かれた天音は水中で激しく咳き込み、体勢を崩した。そして……そのまま湖の底へと沈んでいった。「誰か!」ずっと岸辺で様子を見ていた杏奈が叫び声を上げた。「天音!」杏奈は天音を恨んでいた。でも、天音にこんなことが起きるなんて、望んでいたわけじゃなかった。黒い影が湖に飛び込んだ。数秒後、蓮司が天音を抱きかかえて岸に上がった。杏奈はすぐに駆け寄った。「天音、大丈夫?」激しく咳き込みながら、天音はその呼びかけに顔を上げ、杏奈を見た。自分は蓮司の腕の中にいて、そのそばには杏奈がいる。まるで、昔に戻ったみたいだった。一瞬、天音は戸惑ったような表情を見せた。「遠藤隊長、あなたの妹さんが私を湖に突き落としたのですよ。遠藤家として、どう責任をとってくれるのですか」地面から立ち上がりながら、蛍が言った。「お兄さん、彼女の言うことを信じないで。平手打ちを一発食らわせただけよ。自分でバランスを崩して落ちたのよ」「遠藤隊長、今、妹さん自身で認めたじゃないですか!」智子は憎々しげに言った。「ええ、確かに叩いたわ。あんたみたいな恥知らずには当然の報いよ!蓮司さんを裏切って、他の男とイチャイチャするなんて!蓮司さんに申し訳ないと思わないの?」「見間違いですよ!」智子はまったく動揺していなかった。蛍の言葉から、さっき自分が英樹と一緒にいたところは見られていないと確信したのだ。「そんなはずないわ、お兄さん、見間違いじゃないもの」蛍の言葉はどれも、自分が手を出したことを認めるものだった。「池田さんを病院へ」要は暁に視線を送った。暁がすぐ手配に動く。それから要は智子に向き直った。「遠藤家として、きちんと対応させてもらいます」智子は促されてその場を去った。天音は蓮司の腕から抜け出した。なんとか自分の足で立った。その時、要が口を開いた。「来い」何の感情もこもっていない、ひどく冷たい二文字だった。心配するでもなく、焦るでもなく。天音の目は、みるみるうちに赤
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第436話

ドアの外から要と暁の話す声が聞こえてきたけど、はっきりとは聞き取れない。天音はドライヤーで髪を乾かし始めた。「池田さんのほうは、もう大丈夫です。隊長、蛍さんは風間社長に執着しすぎています」暁は、蛍が恋に溺れて取り返しのつかないことをしでかさないかと、少し心配していた。「風間が銃撃事件の容疑者であることを、蛍に伝えろ」要は言った。「今日は蛍の誕生日だ。俺の代わりに伝えてくれ、常識の範囲内なら欲しいものは何でも叶えてやると」「消防署からの報告では、風間社長の別荘の火事は電子機器の爆発が原因とのことです。おそらく加藤さんがやったのでしょう」と暁は言った。要は、暁を下がらせた。バスルームからは、ドライヤーの音がしばらく鳴り響いていた。バスルームのドアが開くと同時に、要は手を伸ばして寝室の明かりを消した。バスルームからの光がカーペットに落ち、ドアの前にたたずむ天音の影を長く伸ばした。要はソファに座り、何も言わずに待っていた。少しの間ためらった後、天音はバスルームから出てきた。バスルームのドアから漏れる光の中に立ち、白いネグリジェを着て、天音は複雑な表情で要を見つめた。要は天音のもとへ歩み寄り、大きな手で彼女の細い腰と太ももを支え、そのままベッドに運んだ。要は天音に布団をかけ、ベッドの脇に腰を下ろした。そして手を彼女の額に置き、じっと見つめた。「なぜ風間の家に行った?」とても小さな声だった。「彼、私が叢雲だって知ってるの。どうして知っていたのか、確かめに行かなきゃいけなかった」「ほかに、何をされた?」「何もされてない」要の視線は、天音の白く細い両手に注がれた。彼女は左右の薬指に、それぞれ指輪をはめていた。左手の薬指には、自分が贈った真珠の指輪。右手の薬指のダイヤモンドの指輪は、見覚えがあった。以前、蛍が持ってきた、天音と蓮司の結婚指輪だ。その指輪に視線が注がれたまま、室内に気まずい沈黙が流れた。要の冷たい態度に、天音は不機嫌そうに寝返りを打ち、彼に背を向けた。ちゃんと説明したのに。要は、むっとしている天音の顔から視線を外し、バスルームに入っていった。出てきたときには、天音はもう何事もなかったかのようにすやすやと眠っていた。要が布団をめくりあげた。天音は急に肌寒さを
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第437話

要は、もう自分を抑えきれなかった。彼は天音の小さな顔を両手で包み、その唇に、頬に、柔らかな肌にキスを落としていく。大きな手で彼女の背中を抱き寄せ、隙間もないほどぴったりと自分に引きつけた。天音をこれほど強く抱きしめるのは、初めてだった。まるで彼女を自分の骨の髄まで溶け込ませようとするかのように。理性が、頭の中でギリギリと音を立てていた。要は顔を上げて天音を見た。恥じらいで赤らんだ頬、艶めかしい唇、潤んだ瞳。彼は少しだけ息を切らしながら、低い声で尋ねる。「俺の気持ち、感じただろ?いいのか?」要は必死に自分を抑えようとしていた。筋肉は緊張し、手の甲には血管が浮き出ていた。天音の積極的な態度、その柔らかさに、要は理性を失いそうになっていた。天音は、要の優しい眼差しに触れ、その瞬間、目から涙がこぼれ落ちた。そして、バスルームの電気を消した。天音は背筋を伸ばし、要に体をぴったりと密着させた。そして、彼のセクシーな唇に自分の唇を寄せ、「うん」と吐息のように囁いた。高鳴る心臓は、もう収拾がつかなかった。要は天音の唇にキスをした。熱く、そして深く。もう、完全に理性を失っていた。大きな手が、天音のネグリジェを引き裂いた。相手は一瞬驚いて動きを止めたが、すぐに強く抱きしめてくれた。立っていた要と膝立ちだった天音は、そのままもつれるようにベッドへ倒れ込んだ。果てしない夜の闇が感触を研ぎ澄ませ、心の奥底に秘めた想いが溢れ出してくる。要は天音を抱き、キスをし、求め合った。彼の手は彼女の足首を掴み、優しく揉んでいた。天音は要の熱を感じた。要の熱い吐息が天音の耳元で、彼女を優しく誘う。要の低い声には、隠しきれない喜びが滲んでいた。「何を呼んだ?もう一度。ん?天音?俺だけの……いい子だ。息継ぎしろ。怖がるな」その優しさに溺れ、天音の柔らかな体は震え、涙が止まらなかった。天音は唇を噛みしめ、声を出さないように堪えていた。要は天音の瞳にキスをした。その涙の味に、はっとした。「痛かったか?」天音は首を横に振り、要の喉仏にキスをした。その喉仏がごくりと動き、天音をさらに強く抱きしめた。そして耳元で囁く。「ここにはキスするな」要は天音のアゴを掴み、キスさせまいとした。こ
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第438話

ドアの向こうから、蛍がしくしくと泣く声が聞こえる。ほとんど懇願するようだった。「お兄さん……お兄さん…天音さんと少し一緒にいさせて……」蛍は泣いていたが、結局は素直に部屋を出ていき、ドアを閉めた。要は振り返ると、だんだんと意識がはっきりしてきた天音を見つめた。「蛍さん、どうしたの?」要は熱い吐息を漏らしながら、天音の唇の端にキスをした。「ほっとけばいい」「今日は蛍さんの誕生日なの。プレゼントもまだ渡してない」天音は要の胸を押したが、その手は彼に掴まれ、唇を寄せられた。要は本当に甘えん坊だ、と天音は思った。それから、ふと思い出したように尋ねた。「今夜のサプライズって、何だったの?私のために、お祝いをするって言ってたじゃない」天音は、香公館の部屋いっぱいに敷き詰められたバラを思い出した。要は天音の顔を覗き込んだ。薄暗い中でも、彼女の顔立ちは優しく、美しかった。要は優しく天音の頬に触れ、乱れた髪をそっと撫でた。「何が欲しい?」天音にあげたいのは、自分の心そのものだった。天音は、自分の頬に触れている要の手を握った。「お願いを一つ、聞いてもらえないかな?」「どんなお願いだ?」「まだ決めてないの。思いついたら言うから、その時は必ず叶えてね」「俺にできることか?」「うん、きっとできるよ」天音は惜しみなく褒めた。「隊長……ううん……違う……あなた……何でもできるんだから……」天音は要の腕の中から抜け出すと、バスルームへ向かった。しかし、腕を掴まれた。天音が振り返ると、要の視線とぶつかった。部屋が薄暗かったせいで、天音は要の瞳に宿る深い愛情に気づかず、要もまた、天音の眼差しに潜む哀しみに気づかなかった。要は天音の手を離そうとしなかった……耳元では、ドアを叩く音と泣き声が途切れ途切れに聞こえていた。やっと、仕方なく手を離し、天音に約束した。「欲しいものは何でも言ってくれ」天音が要の手を握り返すと、すぐさま引き寄せられ、腕の中に抱きしめられた。要は名残惜しそうに、天音にキスをした。彼はまだ不安だった。天音は自分を喜ばせることもできれば、一瞬で悲しませることもできるのだ。ドアの外では、泣き声が鳴り響いていた……庭の奥の部屋。蛍は目を真っ赤に腫らし、しゃくりあげながら言った
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第439話

天音は、蓮司と初めて会った時のことを思い出した。窓際に座っている天音に、蓮司は言った。「そんなところに座ってたら危ないよ」天音は、そこから降りようとはしなかった。蓮司は天音のそばにやってきて座ると、腰を抱きかかえ、窓の外へと持ち上げようとした。天音はすっかり怯えてしまい、体を縮こませて、蓮司の首にしがみついた。蓮司は天音を見て言った。「次やったら、放り投げるからな」こうして蓮司は天音の世界に飛び込んできた。天音を泣かせたことで千鶴に怒られ、仕方なく慰めに来たのだった。それから蓮司は毎日、天音を元気づけるためにやってくるようになった。あの頃、蓮司も同じように病院着を着ていた。蓮司は長年、病院で暮らしていたのだ。そして、天音が退院する時、蓮司も退院した。どんな病気なのか、天音には分からなかった。特に変わった様子もなかったからだ。蓮司は、天音に会えたから病気が治ったんだと言った。天音が、彼の薬なのだと。天音はどう説明していいか分からず、長いこと蛍をなだめ続けた。二人がホールに戻ると、大輝が天音の行く手を阻んだ。のことだった。玲奈と裕也の目の前で、「千葉さん、要と天音の結婚式はいつ行うんですか?こっちが天音のお嫁入り道具を用意しますから」と言った。「お嫁入り道具って?」と玲奈は聞き返した。「千葉さん、天音はうちの叔母の娘なんです。つまり、私のいとこですよ。叔母はもういないんですから、当然いとこの私が天音のお嫁入り道具を準備すべきでしょう」と大輝は当然のように言った。玲奈と裕也は、驚いて天音に目を向けた。「天音のお母さんは……」「松田恵梨香です」と天音は答えた。その名を聞いて、玲奈と裕也の脳裏に辛い記憶がよみがえった。「おじさん、おばさんは私の母を知っているんですか?」天音は、二人の驚いた表情を見て尋ねた。「ええ」玲奈は天音の手をそっと握った。「遠藤家と松田家は親しい間柄だったの。あなたのお母さんは私たちより少し年下で、妹のように可愛がっていたわ。三十年以上も前に、突然行方不明になってしまって……私たちはてっきり、もう亡くなったものだと……まさか、白樫市へ行って、あなたを産んでいたなんて」玲奈は天音がこれまで経験してきたことを思い出した。天音の母親が夫に裏切られたことも知っ
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第440話

蓮司は天音の前に立ちはだかった。英樹に向けられたその目は、まるで氷のように冷たかった。英樹の拳が大輝の顔に叩きつけられ、大輝は地面に倒れ込んだ。「俺の妹に何をした!」英樹は狂ったように叫び、大輝の襟首を掴んで、再び顔面に拳を打ち込んだ。完全に怒りに我を忘れているようだった。「彼女に何をしたんだ!」大輝は痛みに叫んだ。「英樹、気でも狂ったのか。お前、天音のことなんか認めないって言ってたじゃないか……」「彼女に何をしたのかって聞いてるんだ!」英樹は立て続けに大輝の顔を殴りつけた。杏奈が悲鳴を上げた。「やめて!やめてよ!」ようやく周りの人々も我に返り、裕也が慌てて割って入った。「やめろ!」だが、英樹の勢いは誰にも止めることができなかった。大輝は英樹がなぜ怒っているのか分からなかったが、ただ謝ることしかできなかった。「俺が悪かった、天音に申し訳ないことをした。もう分かったから、殴るのはやめてくれ!英樹!」それを聞いて英樹はようやく手を止めた。大輝は地面に倒れ込んだ。杏奈と裕也が慌てて駆け寄り、肩を貸して大輝を立たせた。「失せろ。二度と俺の妹の前に姿を現すな」何が何だか分からない大輝は、杏奈を連れてその場を去った。英樹の怒りはまだ収まらなかった。彼は裕也夫婦に問い詰めた。「どうして天音を傷つけた人間をパーティーに呼んだりするんですか?」英樹の視線は、まっすぐに蓮司の顔に向けられた。「それに、彼女の元夫まで?」その言葉で、皆はようやく蓮司が天音の前に立ち、彼女を後ろに庇っていることに気づいた。「この人は銃撃事件の容疑者でもあるでしょう。被害者である要と天音に近づけていいはずがないでしょう?」英樹は責めるような口調で言った。「それは……」玲奈と裕也は、蛍の方を見た。蛍の気分は最悪だった。誕生日パーティーなのに、心から祝ってくれる人は誰もいない。「風間社長、パーティーはもう終わりです」裕也が口を開いた。「あなたの立場では、確かにここにいるのはふさわしくないですね……」「警察署は、もう捜査を打ち切りました」病院から戻った智子が、蓮司の腕に自分の腕を絡めて言った。「4億円は道明寺さんに脅し取られた賄賂でした。それに、あの時、私が見たのは見間違いで、殺し屋とやり取りをしいたのは風間さんではなかったのです」
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